1-1 月夜

 月夜。
 風が吹き、やや傾斜がかかった、あたり一面のすすきが、薄い影と共に揺れる。月はほぼ真南の空にある。風は少し冷たいが冬の到来にはまだ時間がかかるだろう。
 不意にすすきの中から子供の怒気を含んだ声が聞こえてくる。

「くっそ、大人気ないっての。逃げる子供(ガキ)ひとりに組織単位で動きやがって」
 仰向けに寝転がって夜空を見上げながら、悪態をついているのは小学生の低学年くらいの少年だ。悪態は所々掠れており、怒りと、それにも増して濃い疲労が混じっている。
 その少年は所々おかしな点があった。まず衣服のサイズが合っていない。子どもが大人物を着るのではなく被るといった感じだ。また制服を髣髴とさせるデザインの黒い服。いたるところに切り傷。そして、少年の横には体格に不釣合いな反りの入った剣が転がっている。さらに少年を囲むような黒い陰。すすきの影に比べると随分濃い。
 否それは血。
 血溜まりのなかに少年は倒れているのだ。荒い息を繰り返しながら今度は疑問を口にする。
「陣の構成が甘かったかなぁ? 傷だらけだ」
 笑うように呟き、それが傷にさわったのだろうか痛てててと顔をしかめ、左手で脇腹を押さえる。
「あー、最後に呪文唱え終わって、(ゲート)をくぐる時に刺されたとこか」
 目を閉じてつい先のことを思い出す。
 自分を見る目は戸惑いと憎悪。
 例え地面がひっくり返っても決して裏切ることのないと思っていた戦友に裏切られたのだ。前は味方だった者たちが激怒するのは想像に難くなく、悔しいような、遣る瀬無いような怒りは十分に理解できた。それでも―――。
「・・・・・・それでも、俺は逃げ出したかった。あのどうしようもない国から。・・・・・・あの戦争さえ終われば誰もが笑って暮らせる国になると信じていたのに」
 誰に説明するわけでもない。ただのつぶやきが夜風に流されていく。
「結局なにも変わらず、そして変えられず仕舞い、か。結局、悲しみと憎しみの種を蒔いただけっと」
 乾いた笑いが咽から漏れる。
 どうしようもない。
 どうしようもない。
 本当にどうしようもない。
 単に理想を夢見るだけの頭の悪いガキだったわけだ。
 悔しすぎて目頭が熱くなる。目頭が熱くなるのは決して悲しいからじゃないんだと自分にいいきかせる。そして絶対に涙は流さない。
 一度呼吸して熱くなったものを体の外に逃がす。
「しかも、致命傷まで負ってて今にも死にそう。おまけにこんな時間じゃ人もいないだろうし。ホンットついてねぇなぁ」
 わざと明るい口調で言ってみるが背にしている地面が焼けるように熱い。
 血を流しすぎて体が冷たくなっているためだと自覚する。再び目を開けることさえ億劫になってきている。

 目を開ける代わりに耳を澄ませてみると、近くからは虫の音が聞こえてくる。鈴の音みたいだが不快な気はしない。むしろ心地良いとさえ思う。さらに遠くからは聴き慣れぬ笛や太鼓の様な音が聞こえてくる。
(こっちの世界ではパレードは夜やるもんなのか。いや、パレードとはなにか違う気がするな。根拠はないからカンだけど)
 せっかくあっちの世界から逃げ延びてきたというのに何も解らぬまま死んでしまうのか。色々と見聞を広めてみたかったのにと残念に思う。その反面、
(まぁここで死ぬのも悪くないか)
 苦笑が漏れる。見知らぬ土地で誰にも看取られることなく一人寂しく死んでいく。自分にはお似合で、想像していたよりよっぽど穏やかだ。
 不意に近くの草が踏まれて擦れる音がした。虫の音も消えている。
 朦朧とする意識の中で必死に考える。
(こんな時間に人間という可能性は極めて低い。血の臭いに誘われた夜行性肉食獣(ナイトウォーカー)か?)
 どうやら穏やかな最後は迎えさせてもらえないらしい。
 近くに剣が転がっているはずだから手に取ろうとしたが既に腕の感覚がなくなっている。
 そういえば地面もあまり熱さを感じない。
 さらに耳を澄ませると足音の主は、どうやら複数らしいが意識がはっきりしない。
(ああ、ナイトウォーカーなんかに貪り食われるのが俺の最期か。どうせならさっさと死体になっておきたいなぁ)
 弱肉強食が自然の摂理とはいえ、ほんと笑えない状況だ。
 自分の内臓を食われていくのが人生最期の光景というのは如何なものかと思う。
 そして、こんな状況でもくだらない事を考えている自分が可笑しい。
(とっくに覚悟はできてますよ、っと)
 するとすぐ近く、自分を挟むように真横で二つの足音が止まった。
(終に最期か)
 そう思うと同時に、意識は消えていった。



 ◇ ◆ ◇ ◆

(・・・・・・暖か、い?)
 朦朧とする意識でまず感じたのは、ほのかな熱。目をあけてみると光が眩しく目を細めてみる。
「良かった」
 という安堵の声と
「大丈夫?」
 という自分の身を案じる声。
 何か言おうとしたが声が出ない。
 やっと光に目が慣れてきて自分が目にした光景は不思議と暖かだった。
(あの世か・・・・・・)
 そしてまた意識が闇へ落ちていく。



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