1-15 森の中

 森の中へ足を踏み入れてから数分。違和感を覚え立ち止まる。
「どう思う?」
 視線を下に向けず周囲の気配を感じようとする。
「この森の力場は、還らずの森と似ているな。磁界が狂っている」
 ロキは耳を頻繁に動かしながら答える。
「それに負の気が異常に多い。厄介だぞ、マスター」
「ああ」
 纏わりつくような不快感。周囲にいくら気を張り巡らせても何故か注意力は散漫になってしまう。そして森の奥で何か大きなものが息づいているような錯覚を覚える。胸の中心がゾクゾクして上手く力が入らない。気を抜けば座り込んでしまいそうだ。
 本能が告げている。ここは人が入るべき場所ではない、と。
「まるで聖域だな」
「そんな可愛げのある場所ではなかろう。聖域と言うよりは禁域だ。それにここはまるで・・・・・・」
「まるで?」
 それからロキは難しい顔をして
「邪神の棲家(すみか)。そんな気がする」
「邪神・・・・・・ねぇ。言い得て妙だな。確かに唯の魔物の棲家にしちゃあここは異常なほど陰に傾いている」
「気を抜くなよ、マスター」
「お前こそ、道はこっちで合ってるんだろうな?」
「無論だ、マスター。そこいらの駄犬などとは一緒にしないでもらおう」
 軽口を叩き合う。それから道に残った微かな匂いを嗅ぐ。
「こっちだ」
 そう言って走り出したロキの後ろを力場(フィールド)加圧(ブースト)したまま走る。
「それにしてもどこまで行ったんだ? まだ追いつけないなんて・・・・・・」
 走りながら喋る。
「解らんが、残り香からしてここを通ったのは随分前のようだ。行けども行けども気配が強くならん」
「迷ったんじゃないのか?」
 そう言って立ち止まる。
「む、私の鼻を疑っているのか、マスター」
 睨むなって、そう言ってからしばし黙考。
「迷った、じゃあ適切な表現とは言えないな。迷わされた、ならどうだ?」
「どう言うことだ、マスター?」
「つまり、何者かによって俺達はミスリードされてるってことだ」
 喋りながら表情が険しいものになる。
「何者の仕業だ?」
「わかんないけど、こんな場所だ。トラップが自然発生したのかもしれん」
 実際、負や陰の気が集まるところは良くないことが起こる。一説によれば負や陰の気に中てられた精霊の仕業とも言われている。
「どうする?」
 とこちらの顔を(うかが)ってくる
「はっ、当然強行突破だろ? 時間もないしな」
 一瞬ヤレヤレとした表情をしたロキだが直ぐに表情を改める。時間がない事は事実だ。唯さえ暗く陰の気が満ちる森の中を日が暮れてから動き回るのは危険極まりない。
「ロキ、この地に干渉してくれ。俺が壊す」
「わかった。しくじるなよ、マスター」
「は、誰に言ってんだよ? お前こそ気をつけろ」
 ウムと唸ってから微かに目を閉じ、息を吐く
「大地に住まう精霊よ。そなたの眷属が(こいねが)う。この地に満ちる幻惑の根源を示したまえ」
 詠唱が終了すると微かに空気が震え、なにもない空間に陽炎のような揺らぎが生じた。
「破っ!!」
 その何も無い空間を、力場で固めた拳で殴りつける。するとガラスが爆ぜるような音と共に周りの景色が崩れ落ちる。
「やっと袋小路(ブラインドアレイ)から抜け出せたか?」
「そのようだ。しかし、分かっていたとは言えここまで精霊の反応が薄いとはな」
 そう言って地面の匂いを嗅ぐ。
「どうやらまったく進んでいなかったわけではないらしい。気配が強くなっている」
「そうか、急ごう」
 そう言って走り出そうとしたがロキの鋭い声に止められる。
「待て、マスター!!」
「どうした?」
「周りをよく見てみろ」
 その言葉に従い周りを見る。よく見れば進路方向の枝や、小さな木々が折られている。折られた枝や木々はまだ瑞々(みずみず)しい。まるでなにか大きな獣―――河馬か象か―――が通った後のようだ。
「・・・・・・どう思う?」
「どうかは解らんが、獣の匂ではない。何かとてつもなく嫌な臭いがする」
 そう言って顔をしかめ走り出す。
「ボスキャラでも出てくるのかね?」
 後ろをついて行きながら軽口を叩いてみるが表情は険しいままだ。
「戦闘準備をしておいた方が賢明かもしれんな」
「ああ。鬼が出るか蛇が出るか」
 そう言って一瞬止まってから自分の影に手を差し入れる。
(そう言えば、俺の服と剣って何処いったんだろ?)
 向こうの世界で着ていた大人用の服と魔方陣制御用の儀式刀。どっちもそれなりの物だから出来れば手元に置いておきたい。
(まぁ、今は目の前の事に集中するとしますか)
 そう思って影から手を引き抜き、また走り出す。手には鞘に収まった剣。適当に選んだだけあって適当な剣が出てきた。勲章と言う名ばかりの名誉と共に貰った剣だろう。捨てるには勿体無いが、かと言って売り飛ばすわけにもいかず影の中にゴミ同然に入れておいたものだ。
 調子を確かめるために剣を引き抜き、三度振ってみる。やはりこの体には大振りだ。それでも何とかなるかと剣を鞘に戻し、前方を睨む。こちらには向けられていないが殺気を感じる。
「ロキ」
「わかっている、マスター」
 そう言って開けている場所に出た。

 開けている場所に出てまず目に付いたもの。それは黒いモノだった。沢山の黒いモノが(うごめいて)いている。それを見て顔をしかめる。
(なんだ、コレ?)
 大きさは全部猫か小型の犬くらい。しかし形状がなんとも形容しがたい。一番近いのは黒いスライムが犬の形に擬態し、それから背に人の腕をくっ付けた感じだ。言葉で説明するだけなら、まるで可笑しな出来損ないの合成獣(キメラ)だが、笑いよりも先に嫌悪感が来る。醜悪な何かを無理やり瞳に映し出されるような、そんな何かだ。
 それらが一点を注視している。その方向に目を向けると黒いモノと一対一で懸命に戦っている少女がいた。そして少女の周りには黒い死骸が十数個転がっている。善戦したようだが、すでに息は上がっている。
 少女の背後から黒いモノが突然現われ、不意打ちを見舞う。少女はその一撃に反応できず倒れこんだ。
 舌打ちをして力場(フィールド)を練り、全力で駆け出す。黒いモノの数は30や40どころではない。力場探査(フィールド・サーチ)の範囲を広げ正確な数を確認。その数138。こんな広い場所でまともにやりあう数ではない。
 少女の体に黒いモノの口が近づけている。一足飛びで黒いモノの群れを飛び越える。
「どっけぇぇぇ!!」
 少女に口を近づけていた黒いモノの頭部を剣で貫きつつ着地。着地と同時に剣を引き抜き、少女の背後にいたモノを一閃。首と胴体が分離する。
 突然の闖入者(ちんにゅうしゃ)に驚いた黒いモノ達が一斉にこちらに目を向けたのがわかる。
 その瞳は赤色をしていた。まるで人の血のような赤。鮮血の色。暗い森の中でもその色が褪せることはなく、むしろ輝いてさえ見えた。
 こちらの姿を確認すると、奇妙な鳴き声があちこちで起こる。それは見世物を台無しにした抗議の声か、餌が増えた事の喜びか。
 そんな鳴き声の中から三匹の黒いモノが突進してきた。
 一匹目を袈裟切りにし、返す刀でもう一匹を倒すが、そこでバランスを崩した。
(いつもの調子で振り回し過ぎた!?)
 舌打ち。これ以上バランスを崩すのを防ぐため手から剣を放す。そして空いた左の手のひらを最期の一匹に突き出す。
「爆炎っ!!」
 それで最期の一匹は火達磨(ひだるま)になるはずだった。
「無理だ、マスター!!魔法は!!」
 ロキの叫び声にハッとする。避けるには反応が遅すぎた。
「くっ」
 突き出していた腕を曲げ力場を集める。
 咬傷が左腕を襲う。
 痛みを無視して、今度は右手に力場を一瞬で集める。咬み付いたモノの腹部をアッパーの要領で下から全力で殴りつけると、情けない鳴き声を上げて黒いモノは宙を舞い、群れの中へ落下していった。それに見向きもせずに叫ぶ。
「ロキ!!」
 途中まで詠唱に入っていた呪文をロキが唱え終わる。
「・・・・・・大地よ、唸れ!!」
 呪文に反応して地面から石の串が伸びあがる。その串が黒いモノを次々と刺し貫いて行く。
「はやく、こっちへマスター!!」
 転がっていた剣を影の中に素早く入れ、気絶している少女を抱えるとロキのほうへ走り出す。逃がすまいと襲ってくる黒いモノも石の串に阻まれ追撃する事ができない。その隙にロキの元まで辿りつく。
「よし、いいぞ!!」
「・・・・・・希う、この地を奈落へ通ずる底無き沼へと変えたまえ!!」
 今度は地面が沼へと変わる。串に刺されるのを免れていた黒いモノも一度地面に足を着けると底なし沼へ吸い込まれていく。
「この間に!!」
「ああ」
 そう言って全速力でこの場を離れる。



 ◇ ◆ ◇ ◆

 日が暮れた森の中を全力で走りながら言葉を交わす。
「腕は大丈夫か? マスター」
「ああ、大してことはない。大半は力場で防げた。それよりも・・・・・・」
 後ろを振り返る。そこには黒いモノが大量に追ってきていた。
「しつけぇ、しかも前より増えてないか?」
「気のせいだ、と言いたい所だが増えているな。どうする? マスター。またトラップを設置しようか?」
 全力で走りながらの会話は続く。
「トラップの設置はこれで何回目だ?」
「四回目だな」
 顔をしかめる。
「大丈夫なのか?」
「正直、限界が近いな。精霊の支援がほぼゼロの現状では魔力を浪費しすぎる。あと2回が限度だろう」
「まずいな。なんとかしないと」
 そう言って考えを廻らせて見るが打開策は見つからない。このままではジリ貧で終わりだ。
「マスター、先に行け。なんとか時間を稼いでみる」
「却下」
 即答。
 犠牲の出るような策しか思いつけない馬鹿狼の後姿を睨む。
「大体、お前がいないと帰り道がわからんだろうが!!」
「それなら大丈夫だ。既に道に迷っている」
「オイッ!!」
 ちょっと泣きたくなった。やけに長い間走っていると思ったら
「『そこいらの駄犬などとは一緒にしないでもらおう』とかほざいてたのはどこのどいつだ!?」
 ムゥと唸ってから
「袋小路の時に惑わされていたのだ。しかたあるまい」
 地団駄を踏みたい気持ちを抑え必死で走る。
「んじゃ、どうすんだ? このまま走ってても埒があかないぞ。いっそ徹底抗戦するか?」
「得策とは言えないぞ、マスター。何かいい手はないのか?」
「こっちが聞きたいわ!!」
 一瞬、本気で立ち止まって地団駄を踏もうかという考えがよぎるが、現実は後ろから黒い大群が追ってきている。立ち止まれば腕の中の少女もろともアウトだ。
(何か良い手は?)
 そう考えていた時、腕の中から声がした。
「あっち」
 腕の中を見ると少女が目を覚まし、道を指し示している。
「ここ、見覚えがあるの」
 少し考えてその指示に従う。闇雲に走るよりはマシだろう。
「わかった」
 そう頷いてロキを追い越す。走りながら早口に自己紹介をする。
「俺、シ――黒河修司。んでアレはロキ。よろしく。ついでに聞くなら自分で走れる?」
 少女は軽く頷いたがそのまま走る。
「あ、あの自分で・・・・・・」
「走れるかもしれないけど歩みを止める訳にもいかないし、スピードを落とす訳にもいかないんだ。体勢が苦しいかも知れないけど我慢して」
 そう言うと少女は恐る恐る腕を首に回してきた。少し走り易くなる。
「苦しくない?」
「ああ、大丈夫。次は?」
「右」
「了解」
 ひたすらに走っているとまた開けた場所に出た。今度は変わった形の小さな小屋が中央に建っていた。
「あの中に入って」
「大丈夫なのか?」
「うん。周りには結界が張ってあるから中まで妖物は入ってこれないから」
「OK」
 これで何とかなるだろうかか、そう思いながらドアをくぐる。ロキが入ったのを確認してドアを閉じ、鍵を掛けた。


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