1-16 休息

 少女を床に降ろしてから座り込む。肩で息をし、額の汗を拭う。この体で長距離走はキツかった。横を見るとロキも疲れた様子で息を整えている。
 部屋を見渡すと小屋にしてはしっかりとした造りをしていた。むしろ昼に見た離れのような感じに近い。そして上座には人の頭くらいのクリスタルが薄く光っている。それが結界を張るための要石だろう。
 ふぅと最後に息を整えてから少女の方を見て口を開く。
「えーと、神埼ユキさん?」
「え? あ、はい? 愛称は雪ですけど本名は神崎(かんざき) 六花(りっか)です」

(・・・・・・なんでリッカがユキ?)

 そういえば『オウカ』もなぜか『サクラ』だったよなぁ、とふと思う。古代語の関係だろうか、微妙な齟齬(そご)が生じているらしい。日常会話には支障がないので問題ないといえば問題ないが。
 最初、サクラと似すぎていてもしやサクラでは? と疑ってしまったがどうやらちゃんと別人のようだ。一卵性双生児なのだろう。見た目で違いが判断できない。しかも制服なのだろう、同じ服装をしていることがより判断をつけがたくしている。ちなみに髪型も同じだ。どこか違いがないだろうかと顔を見つめていると
「あ、あの・・・・・・」
「ああ、ごめん、ごめん。あんまりサクラとソックリだったから良く似てるなって感心してたとこ」
「そ、そうですか」
「うん。あ、あと助けてくれてありがとね」
 少女はキョトンとして
「助けてもらったのは私のほうですよ?」
「いや、俺が倒れてるのを見つけてくれたそうで」
 納得した表情で
「ああ、はい。桜と一緒に。修司君は大丈夫ですか?」
「ん、おかげ様で。リッカさんは、さっきの大丈夫? あとシュウでいいよ。サクラにもそう言ってあるし」
「じゃあシュウちゃん?」
「・・・・・・」
 予想通りと言うかなんと言うか。やっぱり『ちゃん』付けですか? そうですか。
 眉間に皺が寄ったのを見てとった少女は可笑しそうに笑う。
「その様子だと、お母さんと桜にも『シュウちゃん』って呼ばれたんですね?」
 浅く息を吐く。
「ご名答。流石にこの年で『ちゃん』付けは酷くない?」
 少し少女は考えた後
「でもその方が親しみ易いですし、可愛くないですか?」
 そう言って笑った。親しみ易いかもしれないが、少なくとも可愛さは求めていない。そう反論しようとすると
「それにシュウちゃんは律儀な人ですから」
 脈絡の無い言葉に一瞬考える。
「・・・・・・俺って律儀だっけ?」
 笑顔で肯く。
「はい。だって桜は呼び捨てにしてますけど、私には敬称つけてますよね? それは何故です?」
「・・・・・・何故と言われても」
 特に気にもしていなかった、と言えば嘘になる。しかし敬称を付けることがそんなにおかしなことだろうか? あえて理由を言うなら
「・・・・・・愛称で呼ぶのを許可されてないから?」
「ほら、シュウちゃんはやっぱり律儀な人です。それに私も雪でいいですよ?」
 そう言って微笑む。
 そんなものだろうかと考える。自分から見た自分と、他人から見た自分は違って映るものだ。その評価がマイナスでないのなら素直に喜んでおけばいいだろう、と結論付ける。
「あ、血」
 突然、ユキが驚いた声をあげる。視線の先を辿ると自分の左腕から血が流れていた。思っていた以上にさっきの咬傷は深かったらしい。
「ああ、大丈夫、大丈夫。このくらいの傷ならどうってことないから」
「駄目だよ。見せて」
 真剣な目をしたユキの言葉に従って左腕を見せる。
「妖物に?」
「あの黒い変なのがヨウブツ?」
「そうです」
 やっぱりなと心の隅で暢気(のんき)に思う。
「ん、まぁね」
 そう言って目を逸らす。
「ごめん・・・・・・私のせいだよね」
 俯いた口から気落ちした言葉がもれる。
「なに言ってんの。ユキは俺の命の恩人でしょ? それに比べたらこんな傷どうってことないって」
 気にしないように明るく言う。そして自嘲気味に
「それに傷を負ったのは単純に俺の実力不足。ユキのせいじゃあないさ」
 気にしない、気にしないと軽く呟く。
 気にするなと言っても無理かも知れないが、今この状況は決して彼女の所為ではない。
 ユキは顔をあげ傷口に手を添える。
「少し痛むかもしれませんけど、我慢してくださいね」
 そう言ってから集中し始める。
 すると添えた手から淡く光がもれ始める。回復魔法の光によく似た、けれど異なった光。
「これがシンジュツ?」
 魔法ならば魔素から魔力を精製し、それを餌に精霊を呼び、行使する。詠唱の短縮は可能だが無詠唱は不可能だ。なにより精霊の力を使用していない。なるほど根本的に魔法とは違うらしい。
「そうですけど、見るのは初めてですか?」
「うん」
 淡い光の関係だろうか、幻想的に少女を大人びて見せる。
「今の私には、お母さんと違って小さな傷をふさぐ事しかできないですけど」
 このくらいなら近所のおばさんでもできますよ? そういって悪戯っぽく笑う。
「痛かったり熱をもったりしてないですか?」
「ん、大丈夫」
 それからすぐ腕の治癒は終わり、クリスタルが薄く光るだけとなる。
 ロキはまだバテているようだ。さっきからずっと荒い呼吸を繰り返している。
(しかたないか。こんな状況で大技使わせたんだから)
 当分このまま放っておこうと思う。そして先程からの懸案事項を順に想い帰してみる。
 まずはヨウブツについて。
 群れていた割りに集団で狩をせず、ユキと戦っていた。このことからかなり知性、残虐性共に高いのではないかと思う。実際あの状況はユキとの戦いを見世物にしていた節がある。絶対の勝利の上で獲物を甚振(いたぶ)る。普通の獣はそんなことはしない。
(まるでヒトだな)
 次に未だ大型のヨウブツの姿を見ていないこと。
 偶々、ユキを探す前に同じ道を大型のヨウブツが通ったという可能性も否定できなくもない、か?
(一応注意しておいたほうがベターだろうなぁ)
 そしてこれからのこと。
 とりあえず紙の地図は破っておいたほうがいいだろう。ポケットから地図を取り出し四つに千切る。サクラがきちんと応援を呼んでくれているとありがたいのだが。

 とりあえず思考が一段落ついて息を吐く。
(当面どうするかなぁ、夜が明けるまで待機しとくのが得策だろうなぁ)
 とぼんやり思っていると
「あの、シュウちゃん?」
 おずおずユキが話しかけてきた。
「ん?」
「ええっと、その・・・・・・ごめんなさい」
「?」
 よくわからない。話の脈絡もないのに謝られても。謝罪はこの状況に対してだろうか? それとも、もしかして話しかけたことに対してだろうか? 今、自分はそんなに不機嫌そうな顔をしているだろうか?
「いや、全然意味わからんし。何に対しての謝罪?」
 ユキは目を伏せ考えている。
「その、いろいろなことに関して―――です」
「いろいろ、ねぇ。・・・・・・さっきも言ったけど気にしなくていいよ。こういう状況には慣れてるから」
 顔を上げ必死になって叫ぶ。
「あの、そうじゃないんです!!」
 彼女の瞳にはこちらの言葉を否定する力と戸惑いに似た揺れがある。その視線を正面から受け止め次の言葉を待つ。
「そうじゃなくて、そうじゃなくて・・・・・・そうじゃないんです」
 結局、続きの言葉は紡がれなかった。瞳は力を失い、唇を噛んでいる。

 ―――ごめんなさい、か
 視線をずらし先ほどの言葉を反芻し、顔を伏せ思考を巡らせる。
 今でも十分子供だが、いまよりもっと子供だった頃。泣いて詫びた。取り返しのつかないことをして泣き続けた。それが二度と帰らないものだと半場理解していたにもかかわらず何度も何度も謝った。泣き続けた。血に濡れて横たわる女性の傍らで、一生そうして謝り続ければ許されると、生き返るのではないかと神に、奇跡に縋りもした。しかしなにかが起きるわけはなかった。
(当然だ。泣いて謝るだけの子供の願いが叶うべくもない)

 ―――そして尻の青い救世主は世界の人々を救うという愚かな決意の基、姿を変えて旅立ちました。そして世界に沢山の憎しみを増やしました。めでたし、めでたし。
 自分でナレーションを入れつつ自嘲が漏れる。
 我ながら愚かで滑稽だ。いったい何をしたかったのやら。どうしようもない大馬鹿野郎だ。

「そんなことないです」
 否定の言葉に驚いて顔を上げると凛とした力ある声で少女が見つめていた。
「そんなことないです!!・・・・・・シュウちゃんは、シュウちゃんの行動は、無駄なんかじゃないです!!」
 目尻に涙を浮かべて必死でこちらの考えを否定するその瞳は純粋で、とても綺麗で一瞬見惚れた。
 だがそれはほんの一瞬のことだ。

「何故君がそんなことを言える? いや、知っている(・・・・・)?」

 あくまで淡々と感情を籠めず、けれど有無を言わせぬ迫力をもって問質す。
 目前の少女はしまったという表情をして顔を伏せる。
 その間に思考を巡らせる。何時、思考を読まれた? いったいどんな方法で? 常時、自動(オート)精神障壁(マインドウォール) は作動しているし、クラッキングやハッキングされた痕跡もない。易々と思考を読まれたりはしないはずだ。そして仮に思考を読まれたとして、あのタイミングであの台詞はおかしい。自分の過去を知らなければあんな台詞は出てこない。つまり断片的にでもこの少女は自分の過去を知っていることになる。この少女はいったい何者なんだ?
 油断なく目の前の少女を睨みつける。少女は顔を伏せたまま微かに震えている。表情は読み取れない。
 いまにも消えそうな声で少女は呟く。
「・・・・・・ごめんなさい」
 しかしその言葉を冷酷に切って捨てる。
「謝罪はいい。質問に答えろ」
 その言葉に反応して俯いていた顔を上げる。嗚咽を堪えているのが見て取れた。そして、その瞳からは涙が溢れていた。
 綺麗な瞳から純粋な涙が零れ落ちる。

 涙を見て、泣かせたい訳じゃないんだと自分に言い聞かせる。しかしそんな言い訳が、かえって罪悪感に苛まれる。胸が苦しくなる。
 その一瞬後に記憶がフラッシュバックする。

 ―――シュウ、駄目よ? 女の子を泣かしたりなんかしちゃ。男の子なんだから守ってあげられるくらい強くならなくっちゃ。

(痛っ)
 幻痛を覚えて胸を押さえる。本当に痛いのは胸ではない別の何かだ。けれどそれが何なのかわからない。
「くっそ」
 イライラして右拳で思い切り床を殴りつける。本物の痛みが右腕を通して伝わってくる。
 結局のところ自分は甘いのだ。人の涙を見ただけで罪悪感を覚えるほどに。
 優しい人間になりきれず、冷酷な人間に徹することも出来ない。曖昧で不十分。本当に自分はなにがやりたいんだ?
「ああ、もう!!」
 そう言って今度はむしゃくしゃと頭を掻き毟る。
 解っているのだ。自分の過去を知られたくないばかりに、八つ当たりしているにすぎないと。そして自分のように打算的で半端な優しさではなく、彼女は他意なく、本当の意味で優しい人間なのだと。
 大きく息を吸ってから熱くなった想いや、色々な感情を二酸化炭素と一緒に吐き出す。
「・・・・・・もう、いいよ」
 思ったよりも普通の声が出せて安心する。
「え?」
 驚いた表情で顔を上げる。
「もういいんだ。君は最初から謝っていただろ? 初めて会った時にも『ごめんなさいと』謝っていたね?」
 いきなり謝られたときは何か間違いをしたかと思って焦ったけど、と軽く呟くように付け足す。
 ユキは泣き顔とは違う色で顔を赤くする。
「だからもういいんだ。それに君たちが僕を助けてくれたことには変わりはない。感謝こそすれ、問質すのはお門違いだ」
「でも、」
 反論しようとする言葉を遮り、悪戯っぽくニヤリと笑ってから言葉を紡ぐ。
「だからいいって。それにもしここで、僕が前言撤回して何か要求したらどうする? キミはその要求を呑むことができるのかい?」
「それは―――」
「だろ? だったら素直に頷いておけばいいんだよ」
 それでもユキは納得いかない表情をしている。けれど自分の中でこの話題は、もう一言付け加えればケリがつく。
「だからごめん。それから・・・・・・ありがとう」
 また驚いた表情をしたユキを見て笑う。ついでに都合よく最後の『ありがとう』の意味を勘違いしてくれると助かるなぁ、と心の隅で思う。

 随分久しぶりに姉さんの顔を―――死に際に微笑んだ顔以外を―――見た気がした。見せてくれた。だからありがとうと本心から思う。
 風化し、他の記憶に埋もれつつある自分の記憶の、とても大切な思い出。感傷に浸るには若すぎる気もするが、たまにはいいだろう。



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