1-17 危機

 幸いにしてこの小屋、避難所も兼ねているらしく食料と水が備蓄してあった。2リットル入りペットボトルの蓋を開けて水の匂いを嗅ぐ。
 腐ってはいないことを確認してから一気に水を呷る。
「ふぅ」
 一気に半分近く飲み乾してから蓋を閉め、床に置く。そして明り取りの窓まで近づき外の様子を窺う。
 最初はヨウブツの遠吠え似た鳴声や、結界に体当たりするような音が聞こえていたが今は静かなものだ。結界の中にいるので力場探索はできないが見える範囲にヨウブツの姿はない。開けた場所に小屋が建っているので木々に邪魔されず、僅かに欠けた月が東の空に浮いているのが見えた。
 何処の星でも月は黄色くて丸いんだなぁと、しみじみ思う。実際のところは巨大なスクリーンのようなものに過去(むかし)の星座を映しているにすぎない偽の空らしいが、いきなり星が増えたら驚くだろうなぁと、どうでも良いことを考える。
「静かになりましたね」
 ユキが座ったままロキを撫でながら話しかけてくる。近くには500ml入りのペットボトルが空の状態で置いてある。
「だね。諦めたかな?」
 結果を期待せずに尋ねる。
「それは・・・・・・ないと思います」
 申し訳なさそうにユキが答える。
 だろうなぁと思う。
 これだから知能が無駄に高い獣は厄介なのだ。人間をよく観察し、人間の裏を掻く。用心していればある程度は防げるが、獣ゆえにヒトの常識は通じず時に思いもよらぬ方法でヒトを欺きそれを糧とする。非常に危険極まりない。もっともそこまでヨウブツの頭が回るかは知らないが。
「一夜さん達、助けに来てくれると思う?」
 何気に酷い事を聞いている気もするが重要なことだ。
「来てくれるとは思いますけど、夜が明けてからになると思います」
 なるほどねぇと一人ぼやき現状を再確認。
「助けを待つのが一番、か。篭城万歳!!」
 常に最悪の可能性は考えておくが、今は待つことが得策のようだ。そうと決まればやるべきことは一つ。
「寝よ」
 そう言って横になる。
「ええ!!まだ八時くらいですよ!?」
 ユキが驚いた声を上げる。
「いや、流石にあれだけ走り回れば疲れるし」
 欠伸をしながら答える。
「それに、いざと言うとき、疲れて動けないんじゃ意味ないでしょ?」
 そう付け足してから目を閉じる。
「ええっと、私はどうすれば? 暇になっちゃうんですけど」
「暇だからって他人を当てにしないの。その駄犬なら暇つぶしにいくらでも使ってくれて構わないから」
「いえ、あの、ロキちゃんも寝てしまったみたいで」
 やれやれと思って目を開け、体を起こす。
「ロキ?」
 返事がない。いつもならすぐ返事が返ってくるはずだ。
「ロキ?」
 今度は怪訝そうに呼びかける。少し待ってみたがやはり返事がない。
「せっかく寝てるのに起こしたらかわいそうですよ」
「せっかく寝ようとした人を、暇つぶしに起こすのもかわいそうだと俺は思うんだけどね」
 そう言いながらロキの傍まで歩いていき、身を屈める。ロキに触れてから話かける。
(ロキ? どうした? 大丈夫か?)
 少し待ってみると耳が少し動いた。そしてうっすら目を開ける。
(マスター、か。大丈夫だ)
 妙にゆっくりと疲れた声で言葉を紡ぐ。
(本当に大丈夫なのか?)
(ああ。地精が少なくてな)
 そこで一旦、目を閉じてまたうっすら開く。
(上手く魔素の補充が出来ぬのだ)
 また目が閉じかかっている。
(魔素が無ければ魔力も精製できぬ。だから体力も回復できん。厄介なことだらけだ)
 それだけ言うと目を閉じた。
(すこし待ってろ。俺の魔力を分けてやる)
 魔力を掌に集めたところでロキに止められた。
(止めておけ、マスター。今はまだ魔力に余裕があるからマスターは動けるが、この状態になると回復に時間がかかる。私が動けなくともマスターは動けるが、マスターが動けぬと私も動けぬ。ハハ、使い魔とは情けないものだな)
 疲れた笑みを漏らす。
(それにこれでも幾分マシになったのだぞ? ユキ殿から少し魔力を拝借させて貰った。マスター以外の魔力だから精製しなおすのに少し時間はかかるが、もう半刻ほどで動けるようにはなる)
(あんま無理すんなよ?)
 少し乱暴に頭を撫でる。
(明日は雪でも降るのか? 優しいマスターというのは気味が悪いな)
(バーカ、俺は何時でも優しい男だぜ?)
(・・・・・・そうだな)
 ロキが懐かしそうに笑う。
(しかし主人に心配して貰えるとは・・・・・・使い魔冥利に尽きるというものだ)
 それだけ言うと穏やかに寝息を立てだした。ひとまずは安心だろう。
「どうです?」
 ユキが不思議そうにこちらを見つめている。
「ん? んー、疲れて寝てるっぽい。今はそっとしといてやって」
「ええ、それは構わないんですけど、それだと私が暇になっちゃうんでシュウちゃんが相手してくださいね?」
 ため息一つ。本当に眠いんだけどなぁとぼやきながら頭を掻く。
「俺、あんま人楽しませるの得意じゃないぞ?」
 ムカつかせるのは得意なんだけどなぁ、と今度は心の中でぼやく。
「じゃあ質問いいですか?」
 どこか嬉しそうに話すユキは人の話を聴く気があるのか少し心配になる。
 ヤレヤレと溜息を吐き、
「答えられることならね。三つ限定で」
「な、なんで三つだけなんですかっ!?」
「いやだって、眠いし」
「むー」
 ユキは怒っているのか、考えているのか微妙な表情で唸っている。考えている間に少し距離をとって腰を下ろす。
「それじゃあ、シュウちゃんって何歳(いくつ)なんですか?」
 考えた時間の割りには平凡な質問だった。というか少し前にも同じことを聞かれた気がする。
「八歳」
「え?」
 驚いた表情をする。
「なにその『え?』って?」
 そんなに意外だろうか?
「いえ、あの私と同い年ってことにびっくりしちゃって・・・・・・もう少し年上の人だと思ってましたから」
 五秒の沈黙の末の回答は
「・・・・・・ああ、つまり老けて見えると」
 軽く凹む。
「そ、そう言うのは老けてるって言いません!!―――眠ってる時は年下かと思ってたんですけど、話してみたらイトコのお兄ちゃんみたいだったから、その・・・・・・年上かと」
「ふーん」
 言い訳に疑いの目を向けつつ、興味なさそうに相槌を打つ。
「じゃ、じゃあ次の質問です。どうして背がちっちゃいんですか?」
「・・・・・・」
 大きく凹んだ。
 八秒沈黙の末の回答は
「なんか、すげー心が痛いんですけど」
 そう言えば来る途中で、頭の弱そうな奴にチビ呼ばわりされたっけなぁ。もしかしてちっちゃいんかなぁ。でも、ほら、まだ若いから伸びしろは大きいと言うかなんと言うか二次成長もまだだしなぁ。これからに期待かなぁ。
「あ、いえ、あの、その言葉通りの意味じゃなくてですね、ほ、ほらシュウちゃん。体が大きかったじゃないですか?」
 慌てて言い繕うユキの顔を見る。
「・・・・・・」
 この子はどこまで知っているのだろうか?
「あ、・・・・・・ごめんなさい」
 消え入りそうな声で謝るとまた俯いてしまった。
 溜息をまた吐いて、なんだかなぁと思いつつ、頭を掻く。
「だからもういいって。・・・・・・こんな(なり)で戦場うろついてたら浮きまくりだし、子供ってだけでなにかと不便だったんだよ」
 きっと聞きたかったのは肉体を成長させていた意図ではなく現象についてなのだろうけど、説明するのが面倒なので省く。
「そう・・・・・・ですか」
 声は暗いままだ。
 わずかな沈黙の後、意を決したように顔を上げる。
「どうして・・・・・・シュウちゃんは優しいままで居られるんですか?」
 今にも泣き出しそうな哀しい瞳で訊ねられる。
「どうして、あんなに傷ついて、傷つけられて、ボロボロで、騙されて、裏切られて・・・・・・どうしてヒトをまだ信じられるんですか? 許すことができるんですか?」
 涙が頬を伝う。
「私には・・・・・・そんなの無理です」
 嗚咽を漏らしている少女を見ながら、涙もろい子だなぁと、他人事のように思う。そして素直な子だとも。涙が枯れてしまった自分にはできないことで、羨ましいとさえ思う。
 どう説明しようか。浅く息を吐き出し目を閉じる。しばし黙考の後、
「勘違いだよ。僕は決して優しいわけじゃない。僕は―――」
 そこまで言ったとき、大きな横揺れが小屋全体を襲う。
 ペットボトルが倒れ、上から埃が落ちてくる。
「きゃぁ?」
「くっ!?」
 感傷を断ち切り、気持ちを一瞬で切り替える。こんなときに地震だろうか? すぐに状況を把握しようと部屋を見回す。すると、部屋が僅かに明るくなっているのに気付く。
 見ると要石にヒビが入り中から光が溢れている。
「・・・・・・嘘」
 ユキは信じられないものでも見るかのような目を要石に向けている。
 要石にヒビが入ってっているということは結界に何らかの影響があったはずだ。
「これって非常に不味い展開かな?」
 返答を予測しながら軽口を叩く。
「・・・・・・はい。ものすごく不味いです」
 大概こういうときの嫌な予感はあたるんだよなぁ、と頭の隅でぼやく。ユキは奥歯を噛み締めながら何か思案しているようだ。
 そこに二度目の揺れが小屋を襲う。さらに要石にヒビが入り一層光が強くなる。
「ロキ!!」
 呼びかけると状況に気付いていたのだろう。直ぐに目を開けて立ち上がる。
「いけるか?」
 ロキが軽く頷いたのを見て、頷き返す。小さな揺れが断続的に続いている。
「ユキ、これからどうなるか予測がつくか?」
 ユキは言葉を選んだ後、
「たぶん・・・・・・結界が破られます」
「破られる理由は想像つくかい?」
 奥歯を噛みながら
「さっきのとは比べ物にならない妖物が外から結界に干渉をかけてるんだと思います」
「あとどのくらい結界が持つかわかる?」
 ユキは要石に再び目をやり
「たぶん、もう一回、大きく揺れたら持ちません」
 一瞬目を閉じ、そうかと呟く。
 これは覚悟を決めたほうが良いみたいだ。
(ちっ、俺の人生ロクでもねぇ。こんなの、ばっかかよ)
 心の中で一人文句を言いつつ、文句を垂らしているだけではなんの解決にもならない。
「勝算はある?」
 そう尋ね、ユキを見ると拳を強く握っているのが見えた。拳は微かに震えている。それを見てユキの傍まで近づきいきなり抱き締める。
「きゃっ?」
 予想外の行動にユキは驚きの声をあげた。
「大丈夫。なんの確証もないけど、君は一人じゃないから」
 震えを止めるように強く抱き締める。
「『絶対』だなんて口が裂けても言えないけど、君が助けてくれた命だから僕に僕の意思と命がある限り―――君を守る。そしてそれを契約とする」
 一方的で独善的な契約は相手の了承もなく、けれど世界によって承認される。小刻みに揺れる小屋の中、薄赤い光が契約の陣を敷いていく。
「これは?」
 ユキは腕の中で目を丸くしながら薄赤い光の軌跡を追う。
「古いまじない、さ」
 そこで三度目の大きな揺れに襲われる。
 一気に力場(フィールド)で身体を加圧(ブースト)しユキを抱いたまま小屋の側面を蹴破り外に飛び出る。



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