1-19 闘い

 もの凄いスピードで森の中を駆けるロキに必死でしがみ付きながら、ユキは大声で叫んでいた。
「ロキちゃん、戻って!!」
 しかしスピードが落ちることはなく、むしろどんどん加速していく。途中小型の妖物に出会ったが、シュウから渡された要石の欠片のおかげだろう、足止めを喰うことなく森の中をどんどん進んでいく。
 多分、彼は囮になったのだ。自分たちを、いや自分を逃がすために。彼の詳しい戦闘能力は分らないが、少なくとも戦いに関して知ったかぶりをしている様子や、素人臭さは感じられなかった。恐らく自分よりも数段に強いはずだ。身近に強い人を―――お父さんやお母さんだ―――見ているから分る。きっと足手まといという意味も、逃がすという行為の中に含まれているのだろう。悔しさに似た、けれど少し違う感情が胸を占める。
 けれど彼ではアレを退けることはできても、倒すことは絶対にできない。倒すことの出来ないことを知らない彼の運命は・・・・・・
(っ!!)
 考えれば考えるほど胸が苦しくなる。どうしても嫌な方向に想像が向いてしまう。だから戻らなくてはならない。あの場所に。一人孤独に闘っているであろう少年の元に。心に傷を負い、過酷な運命を背負った、今にも泣きそうな少年の元に。だからもう一度、精一杯叫ぶ。
「お願い、戻って!!」
 けれど走る向きも、スピードも変わらず、真っ直ぐ森の外に向かっている。どうやら聞く耳を持ってはくれないようだ。
「お願い!! あのままじゃあ、シュウちゃんは勝てないの!!」
 一瞬、ロキがその言葉に反応して耳を動かし、スピードが落ちたような気がしたが止まる気はないようだ。
 せっかく我慢していたのに泣きたくなる。思い通りにならない状況に。自分の無力さに。涙を流すまいと前を向くと人工の光が見えた。
「・・・・・・出口だ」
 無意識の内に呟いた言葉の意味を考えるまでもなく森の外へと脱出した。森から出てすぐ光が眩しくて腕で顔を覆う。昼でもないのに何故こんなに明るいのだろうと疑問が浮かぶ。
「お姉ちゃん!!」
「桜!?」
 聞きなれた声と同時に抱きしめられた。目が光に慣れて辺りを見回すと光源はライトの明かりだった。きっと桜が、自分が森から出てくる位置を見越して待機してくれていたのだろう。そして周りにたくさんの大人たちが集まっているのに気付く。両親を初め、学校の先生達や教頭先生、校長先生までいる。他にも家で集会をするときに見たことのある顔ぶれがいくつかあった。
(そういえばカレンダーに、今日が集会だって書いてあったっけ)
 居間の壁に掛かっているカレンダーの予定表を思い出す。そして大人たちが一様に安堵の表情を浮かべていることに気付く。もしかしなくても物凄く心配を掛けたのではないだろうか? そう思うととても申し訳ない気持ちになる。なんと言えばいいのかわからずロキの背でひとり慌てていると、前触れも無く地面に降ろされた。
「あ・・・・・・」
 地面に降ろされたと気付いた時にはロキは森の入り口まで歩んでいた。そして振り返り雪、桜の順に目を合わせて一吠えすると再び森の中に走り去って行く。
「待って!!」
 止めようと叫んだ時には振り返りもせず森の闇の中に消えていった。
 これからどうすればいいのかと、急に途方に暮れた気分になる。ロキがいなくなったことで少年との繋がりが消えてしまったかのような錯覚を覚える。そこへ両親が足早に近づいてくる。
「雪、大丈夫?」
 心配そうな表情で安否を尋ねてきたのはお母さんだ。少し笑って頷いてみせると安心した表情に変わった。
「じゃあ、シュウ君は?」
 難しそうな顔で尋ねてきたのはお父さんだ。その問いに答えるには奥歯を噛み締めなくてはならなかった。
「・・・・・・私を逃がすために、一人で―――」
 そこまでしか言葉を紡ぐことができなかった。どうしようもなく情けなくて悲しくなる。
「何があったの? 最初は避難所に居たでしょ? なのにどうして―――」
 お母さんが戸惑いつつ尋ねてくる。一番厄介なことを告げなくてはならない。
「・・・・・・この間の『鬼』が―――」
 告げた言葉に三人が息を飲むのがわかった。
 妖物と一括りに言ってもその強さはピンキリだ。そしてつい三ヶ月ほど前、上から二番目の位に属するとされる妖物に私たちは負けてしまった。数は七対四。数の上でも不利であったし、さらに私たちは足手まといだった。お父さんとお母さんの二人だけならきっと勝てていたはずなのだが、私たちが居たことで隙を作らせてしまった。なんとか六匹は浄化することに成功したが、最後の一匹は左腕に傷を負うと退いた。そして、私と桜は自分の身も守りきれず怪我を負い、その結果、お父さん達に苦い記憶を植え付けた。
「すぐ助けに行かないと・・・・・・」
 そう言ったのは桜だ。私も助けに行けるものなら今すぐにでも行きたい。けれど・・・・・・。
「助けに行きたいのは山々だが、今森に入るわけにはいかない」
 お父さんは苦しそうに言った。
 その言葉を桜は信じられないという目でお父さんを見る。そしてお母さんに視線を移すがお母さんも首を横に振った。
 桜も知っているはずだ。祭りの前後一週間は特に森への立ち入りが禁じられる。それは今この森に神様が降りているからだ。だから・・・・・・
「・・・・・・お父さん、私は大丈夫だからあっちでお話してきて」
 そう言って気丈に微笑んでみせる。一瞬、すまなさそうな顔したお父さんだったが、そうだね、そして、すまない、と言ってから大人たちの方へ駆けていった。
「ほら、お母さんも・・・・・・私は桜が居てくれるから大丈夫だよ?」
「本当に大丈夫?」
 尚も心配そうな顔をするお母さんに、
「代わりに心配掛けてごめんなさいって、先生たちに謝っておいて」
 と言って少し疲れた顔をみせる。お母さんはそれに気付いたようで優しく微笑んでから
「先に帰って寝てていいわよ? 心配しないで。シュウちゃんのことはなんとかしてみるから」
 力ない笑みでそれだけ言うとお父さんと同じ方向へ歩いて行った。

 少し心の奥が痛んだ。今したことは大好きなお父さんとお母さんの優しさを利用して、騙し、この場所から追い払ったのだ。そしてこれからすることは騙すことよりもっと酷いことだ。けれどここで待っている訳にはいかない。あの少年の元に行かなければならい。
 その想いを自分の中で確認すると桜に話しかける。
「ねぇ、桜。私・・・・・・」
「私も一緒に行く」
 言葉を遮られ、そしてその台詞に驚く。
「お姉ちゃんの考えることならお見通しだよ?」
 そう言って桜はにかむ様に笑った。
「それに私の能力(ちから)があったほうが、はやく着けると思うから」
 桜の瞳にはいつものように能力に関する哀しみは無く、譲らないという決意が見て取れた。
「うん、わかった一緒に行こう!!」
 少年から貰った石の欠片の一つを桜に渡す。そして右手で残った欠片を強く握り締め、左手で妹の手を握る。
 そして大人たちに気付かれないよう、再び森の中に入って行った。



 ◇ ◆ ◇ ◆

 戦闘を始めて十数分、黒いモノに関して気付いたことが二つある。それは、
(こいつ戦闘を楽しんでやがる!!)
 最初に襲い掛かってきた時の愉悦の表情といい、戦闘行為そのものを楽しんでいる節がしばし見受けられる。
 思考を巡らしながらも間合いを取り、力場(フィールド)を練っては斬撃を放つ。
 そしてもう一つ。この黒い奴は手負いなのだ。
 どういう経緯かは知らないが左腕に傷を負っている。よってなるべく相手の左側に回りこむように動きながら、距離を空けて闘う。
 相手にもこちらの意図が読めているのだろう。こちらからの斬撃をかわしつつ、距離を詰めようと前進してくる。それを見越し、斬撃を放った後バックスッテップで距離を空ける。戦闘が始まってからずっとその繰り返しだ。
(・・・・・・マズイな)
 予想以上に体力の消費が激しい。肩で息をしながら呼吸を整えようとする。しかし休む間もなく敵は迫ってくる。
(タフだなぁ)
 この体でなければと激しく思う。そうすればいくらでも勝つ手段はある。しかしどう考えても魔素が足りない。よしんば、あったとしても隙がない。ならばこのまま闘うしかない。
 状況は不利だが思考は冷静だった。敵がさっきから距離を詰めようとするのは射程のある攻撃手段を持っていないからだろう。故に相手の行動は今のところ距離を縮めることしかない。攻撃よりも距離を空けるよう動きを優先すれば、敵からダメージを喰らう可能性はかなり低い。
 しかし、問題もある。重量の面で差が大きすぎて直接切り込みに行けず、決定打を与えられないのだ。力場加圧(フィールルド・ブースト)した刃なら鉄くらいならば容易く切断できる。しかし相手も力場で防御を固めていた場合、力場加圧の恩恵は相殺されてしまう。通常は相殺されないように何重にも力場を重ねるのだが、身体能力を加圧する為に力場を回しているので余剰分を攻撃力に転化できないのだ。よって斬撃という手段を取って攻撃している訳なのだが・・・・・・
 舌打ち。
「ちったぁ当たりやがれ!!」
 叫びながら二連の斬撃を、横縦と放つ。
 横に放たれた斬撃を敵が跳んでかわし、放物線の頂点に差し掛かったところで縦の斬撃を放ち命中させる。しかし両腕を交差させただけで、何事も無かったかのように跳んだ勢いのまま距離を縮めようとする。
 先ほどからほとんど斬撃が当たらない。当たったとしても敵の力場を貫通させるだけの威力が無い。
 バックステップを踏みつつ再び舌打ち。
(これじゃあ、ジリ貧で終わりだ)
 いくら力場加圧で身体能力を補おうと体力は動けば動くほど減っていく。斬撃を放つにしても力場を練らなくてはならず精神力、集中力も減っていく。
(ホンッとについてねぇ。今日は厄日で、ジリ貧で負けますって占いにでも出てるのか?)
 軽く悪態を吐きつつも、
(なんとかしないと・・・・・・)
 徐々に追い詰められている感がどうしても拭えない。普通に考えれば相手も動き、力場を練っているので体力等減っているはずだ。しかし敵の表情のなんと楽しそうなことか。まるで手負いの兎を追い詰める様な、そんな狂気ともいえる残虐的な喜びの顔。
 こんな表情を人間以外の動物にできるものなのかと、頭の隅でふと疑問に思う。

『そっちの世界では死んだ人の魂が異形のものとして現世を徘徊するってことない?』

 閃きにも似た感覚で神崎さんの科白が浮かぶ。そして

『まぁ正確には退治じゃないんだけど』

(退治じゃない?)
 どういうことだと、言葉を吟味しようとしたが敵は止まって思考する暇を与えてくれないらしい。
 再びバックステップを踏みながら、敵の様子がおかしい事に気付く。顔をこちらに向けたまま口に力場を集中させ―――開く。
「!?」
 咄嗟の判断で右へ飛び退く。直後さっき自分居た方向へレーザー光線のようなものが過ぎ去っていった。
 もう一瞬判断が遅れるか、そのままバックステップを踏んでいたら、あのレーザーのようなものの餌食になっていただろう。嫌な汗が背中を流れる。
「!?」
 さらに一瞬の隙を突いて敵が距離を縮め右腕を振りかぶっている。
「くっ!!」
 避けきれないと一瞬で判断した結果、出来るだけ多くの力場を防御用に集める。
 豪腕による右斜め下からのアッパーに近いフック。
 軽い体は敵の一撃を受け止めきれず、容易く宙を舞い、木の幹にブチ当たる。
「かっ」
 肺から空気が漏れる。
 何とか意識まで持って行かれるのは回避できたようだ。反射的にそう思いながら次の攻撃に備えて立ち上がり、防御に意識を向け敵を見る。
 予想に反して敵は次の攻撃を打っては来ていなかった。こちらが立ち上がるのを待って、嬉しそうに笑う。さも、『そうでなければ楽しくない』と言わんばかりの表情だ。
(くそったれ!!)
 今まで、さっきのレーザー攻撃をしてこなかったのは、こちらが射程のある攻撃ができないと思い込ませるようにするためのフェイク。さらに体の中心よりやや左側を狙った軌道。咄嗟の判断では右に避けるしかない。その状況で見事にこちらを誘導し、使える方の右腕で一撃を見舞ってきた。どうやら予想以上に頭が回るらしい。
(うぜぇ・・・・・・)
 そしてズボンのポケットにそっと手を忍ばせる。案の定、要石の欠片が一つ、粉々に砕けていた。
(一個で三回くらいは凌げるかと思ったんだけどな・・・・・・)
 どうやらここでも甘い読みをしていたらしい。
 正直、攻撃と身体能力の向上に力場を割いていて、防御に回す分がないのだ。そのための安全策だったのだが、予想以上に脆かったのか、敵の一撃が強すぎたのか、もしくはその両方か。とにかくあと二回攻撃を喰らったら終わりだ。
(こりゃ、本格的にやばいな・・・・・・)
 そこまで考えたとき敵がまた突進してきた。そしてまた距離を空けるように移動する。今度は先ほどより敵との距離を短かくする。もう一度あのレーザーを使おうとしたら攻めに転じ易いようにだ。
(もっとも、あのタメの動作さえフェイクかもしれないけど)
 体力等を温存する為に斬撃を放たず、適度に距離を置きつつ思考する。
 やばい要素を挙げてみる。
 体力、精神力、集中力はジリ貧。
 魔法は使おうと思えば使えるが、使うだけで肉体に負荷が掛かり過ぎる。
 助けは朝にならないと来ない。
 ここまで考えて、自分が生き残るにはどうしたらいいのか。必死に頭を巡らせる。そして一つの結論にたどり着く。この体でできる最良の方法。それは、
(隙を突いて一撃必殺を叩き込むしかない)
 攻撃力が最大になるよう力場加圧。しかも防御されて威力が落ちないよう隙を作る必要がある。さらに欲を言うなら万全を期するために魔法での加重加圧(オーバーブースト)もしておきたい。しかし、どう考えても賭けとしては分が悪い。せめて、もう少し、足しになる要素はないのか?
 敵の攻撃は間断なく続く。それをサイドステップで回避しつつ、距離を空けるためにバックステップを踏む。しかしそこで何かに(つまず)いた。体が傾き、妙にゆっくりと景色が流れていく。
 それを見逃すほど敵は甘くない。一気に距離を詰め、もう一度右腕を振りかぶる。こんどは地面に叩きつける気だろう。
(こんな時に!!)
 自分の運の無さを呪う。
 叩きつけられると思い、力場を集めた瞬間、敵の体が真横に吹っ飛ぶ。
 何事か分らず、吹き飛んだのとは逆の方向に視線を向けるそこには、
「大丈夫か? マスター」
 そう質問してくる使い魔がいた。



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