終礼が終わり軽いカバンをもって机から立ち上がる。
結局、空腹のまま最後まで授業を受けた。
木を隠すなら森の中と言うように、早退することで目立つことをしたくなかったからだ。
(・・・・・・相変わらずのチキンっぷりに涙が出るねぇ)
考え過ぎだと自嘲を漏らす一方で、用心に越したことは無いと冷静に判断を下す。
教室を出たところにヒロスケが待っていた。
「シュウ、ちょい付き合え」
珍しく表情の乏しい言い方に面倒事の臭いがぷんぷんする。
「・・・・・・タスクの勉強はいいのか?」
「話が終わるまでエンに見てもらってる。今日は四人で一緒に帰るぞ」
それだけ言ってヒロスケは屋上に向かって歩き出す。
「・・・・・・」
溜息一つ。
観念して後を追う。
屋上は昼の暖かさが嘘のように冷えていて、嫌でも冬の到来を予測させる。
練習熱心な運動部の掛け声と吹奏楽部の楽器の音が耳に届く。
時折、強い冷たい風が髪を揺らした。
先に口を開いたのはヒロスケだ。
「シュウ。なんか隠し事あるだろ?」
ある意味、予想通りの問に間を空けずに答えを返す。
「まぁね」
否定はしない。
それに白を切るにもヒロスケは確信がなければこんな問い詰めかたはしない。逆を言えば確信があるから問い詰めているのだ。
「俺たちには言えないことか?」
どこか挑戦的な表情。
「言えなくは無い」
「言いたくないことか?」
「ああ」
挑戦的な表情のまま口を開く。
「聞きたいって言ったら?」
不敵に笑う。
「教えないに決まってるだろ?」
ヒロスケは溜息を吐いて数秒。舌打ちと共に髪を乱暴に掻く。
「ああ、ちくしょう!! 気になる!!」
無駄だと知りつつ諦めきれないヒロスケを見ていい奴だなぁと思う。
ヒロスケはもう一度溜息を吐いて顔を上げる。
「―――まぁ、手が必要になったら遠慮なく言えよ?」
寂しさを宿した瞳でヒロスケは笑う。
「ああ、そん時は今の台詞を後悔するくらい働いてもらうよ」
「調子いい奴」
口を尖らせて文句を言う。
「そいじゃ、タスクとエンが待ってるだろうから帰りますか」
クルリと体の向きを変え扉の方へ歩こうとした背に声が掛かる。
「もう一つ。別件で聞いときたいことがある」
「ん?」
もう一度振返り、ヒロスケを見る。
「シュウ、―――お前、神崎姉妹となんかあったのか?」
問いかけと共に風が吹き抜ける。
予想外な方向からの問いかけに一瞬答えに詰まる。
だがそれを笑顔で切り返す。
「・・・・・・ああ。やっぱ分かる?」
ヒロスケは一瞬視線を逸らしバツの悪そうに答える。
「注意深く見てれば、な。最近―――夏の終わりからずっと六花のほうはお前の事避けてるっぽいし。桜花は桜花で今日は一段と元気なかったし」
「よく見てんなー。もしかしてストーカー?」
「お前って、ホントっと可愛くないね」
軽口を叩いて笑いあう。
先に視線を逸らしたのはヒロスケだった。
「・・・・・・俺のせいか?」
溜息と共に思う。
(ホントにこいつは・・・・・・)
「莫ァ迦。お前のせいじゃないだろ?」
軽く、いつもの調子で喋る。
ヒロスケは俯いたまま微動だにしない。
軽く諭すように口を開く。
「お前は雪の相談に乗ってやっただけだろ? 相談に乗るだけで一々責任取らされてちゃ適わないだろ?」
「でも、 俺が!?」
語尾を荒くするヒロスケに対し冷静に言葉を返す。
「でもじゃねぇよ、ボケナス。相談すること、する相手を決めたのは雪。相談に乗ってやったのはお前。その助言を受けて行動に移したのは雪。そしてそれを拒否したのは俺。傷つけたのも俺。一体どこにお前の責任がある? そんなのに責任感じてるんなら、それはお前がただの自意識過剰野郎だからだ」
ヒロスケは拳に力を込め再び俯く。
ヒロスケだって莫迦じゃない。人に言われずとも薄々は気付いていたはずだ。それでも罪悪感を覚えてしまうのは、ほんの僅かでも関わってしまったからだろうか。例えそれが自分の責任の及ばぬところで起こった出来事だとしても。
二人の間を強い風が吹き抜ける。
引きずったままの口調で尋ねる。
「じゃあ、桜花の方は?」
「―――あー、桜とは昨日ちょっと喧嘩しちまっただけだ。っても一方的に俺が悪かったから謝っとくよ」
気負いなく淡々と言葉を紡ぐ。
ヒロスケは顔を上げ真っ直ぐな瞳で見つめてくる。
「―――いいのか? それで」
「言葉足らずだな。意味がわからん」
冷たく言い放つ。
「だから、お前はそれで!?」
ヒロスケは勢いよく口を開いてから、苛立たしそうに頭を強く掻く。
「ああ、もう!! 本当は言いたいこと分かってるだろ!? ―――六花や桜花とギクシャクした関係のままでいいのかって聞いてるんだ!!」
「落ち着けってヒロスケ」
興奮するヒロスケをなだめ、静かに口を開く。
「良いか悪いかと問われれば悪い。けど、だからと言ってどうすることもできないことは世の中腐るほどある」
不貞腐れた口調でヒロスケは言い返す。
「だったらこのままかよ?」
「ああ」
「なんでっ!?」
再び激昂するヒロスケに苦笑を返す。
「お前は相手の気持ちを拒絶しておいてなお、以前と全く変わらずに同じでいられるのか?」
◇ ◆ ◇ ◆
奥歯を噛み締め小さく呻く。
問いかけられて初めて自分の愚かさに気付く。
何事も無かったかのように振舞うことはできる。
でもそれは似ているだけで同じではない。
(全く同じなんて・・・・・・無理だ)
友人に対して何とでも言える気がしていたし、言うつもりだった。だが頭で考えていた言葉は全て意味を成さないことを悟る。
それは相手の顔を見てしまったから。
きっと本人は苦笑しているつもりだろう。だがその笑みは自嘲にしか見えない。
自分の友人は時々、こんな
自分が不幸であることを当然のように。不幸の中に身を置くことが幸福であるかのように。
でもそんな考え方は悲し過ぎないだろうか?
ゆっくりと友人に視線を向ける。
「ヲイヲイ、そんな憐みの目で人を見んなよ?」
やや演技がかった口調で、けれどいつも通りに友人は笑う。
気にしていないのか。気付いていないのか。見ないふりをしているのか。
(気付いてないわけないか・・・・・・)
他の可能性は分からないが、少なくとも気付いていないわけがない。妙に人の心の機微には鋭い奴だから。
分かっていたはずだ。自分の行動がただのお節介だと。
そしてまた、友人がそれを望んでいなかったことも。
それでも彼女に―――彼女達に救ってやって欲しかった。
不幸の中で笑い続ける少年を。
◇ ◆ ◇ ◆
日が茜色に染まりつつある。
(思ったより時間喰ったな)
風の吹く屋上は体温を徐々に下げる。
「おーい、ヒロスケ。いい加減帰るぞ? 寒い」
「・・・・・・」
ヒロスケは俯いたまま微動だにしない。
「こんにゃろ、シカトですか?」
「・・・・・・」
聞こえていないのか、やはり動く気配はない。
溜息を吐いて目の前まで歩いていき、溜め動作なしでデコピンをかます。
「っ痛ぇぇぇ」
額を押さえ蹲るヒロスケ。
やっと脳内旅行から帰ってきた模様。
「帰るぞ」
悪びれも無く用件だけ口にする。
そんなこちらをヒロスケは涙目で睨む。
「シュウ。・・・・・・テメェは人の頭をド突く癖をどうにかしろ!!」
「ヒロスケなら大丈夫だって信じてるヨ」
親指を立てて笑ってみせる。
ヒロスケは疲れた顔で肩を落としてから、勢いよく立ち上がる。
「あぁ、もう、アホらし!! 俺は帰る!!」
ヒロスケは扉に向かって歩く。
「待てって、ヒロスケ」
その後姿を笑いながら追いかけた。
それから四組に向かいタスク、エンと合流して学校を出た。
ヒロスケとエンが話しながら前を歩いている。
自分の隣には背筋を曲げたタスクが疲れた顔で歩いていた。
珍しく静かなので声を掛ける。
「大丈夫か?」
タスクは虚ろな目で答える。
「うぅ、頭痛が痛い」
やれやれと息を吐く。
「『頭痛がする』もしくは、『頭が痛い』だろ?」
タスクはツッコミに対して耳を塞ぎイヤイヤと頭を振る。
「今は聴きたくない」
「はいはい、現実逃避しないの」
もう一度タスクは小さく呻き、溜息を吐いてから背筋を伸ばす。そしてヒロスケの方を窺いながら小声で話しかけてくる。
「んで、さっきは屋上でヒロスケとどんな青春してきたの? ここはやっぱりオーソドックスに殴り合い?」
「なんで知ってんだ?」
タスクに合わせて小声で喋る。
「ヒロスケがシュウと屋上で話してくるって自分で言ってたから」
「ああ、なるほど」
「んで、どーだったんだ?」
興味津々な顔でタスクが急かす。
「あのなぁ、なんでタスクは話をバイオレンスな方向に持って行きたがるかなぁ?」
呆れ口調で呟いてから溜息を吐き話し出す。
「吹奏楽部のBGMに合わせて冷静な話し合い。ちなみに夕日のオプション付き」
「ぐぁぁぁ、俺も参加したかったよぅ」
本気で悔しがるタスクを横目で見ながら、コイツも本当に好きだよなぁと再び呆れる。
前方に目をやると苦虫を噛み潰したような表情のヒロスケと、笑いを堪えてその様子を見ているエンがいた。
自分も笑う。
いつもと変わらぬ下校風景。
世界は変わって行くだろう。けれど全てが一瞬で変わるわけではないんだと安心できる空間が今、確かにここにある。
その事に気付いて苦笑を漏らす。
どうやら必要以上に感傷的になっていたらしい。
追手が来た以上そう長い時間ではないだろう。そしていつか必ず別れの時は来る。だがもう少しだけこの時間が続けばいいと小さく願い空を見上げた。
空を見上げた格好のまま、動いていた足が不意に止まる。
足を止めた自分に気付き三人が振返る。
視線の先を同じように見上げる。
「わぁ、綺麗」
エンが感嘆の声を上げるのを意識の外で聞く。
視線の先に見えたものは―――
「おお! すっげー!!」
タスクもエンにつられて声を上げる。
薄闇色の空に浮かぶのは真紅で描かれた複雑な模様―――
「なんだ・・・・・・あれ?」
ヒロスケが一人、怪訝そうな声で呟く。
ソレはこの世界では馴染みのないはずの魔法陣だった。