2-6 意志の行方

 一瞬目の前が真っ暗になり、遅れて手足が冷えるのを感じた。
 足から力が抜け、倒れそうになるのを踏みとどまる。
「つっ」
 ショックからすぐ立ち直り、視覚からの情報をすぐさま分析にかける。
 見覚えのある魔法陣。予想が外れていることを願いながら、思考の冷静な部分は間違いないと告げている。

 魔法陣の規模から効果範囲を。
 魔法陣の模様から能力を。
 魔法陣の展開精度から相手の強さを推測する。

 一縷(いちる)の望みを託したその結果は―――
(最悪だっ!!)
 この世界では馴染みのない魔法陣が、いきなりこの町の上空現れたこと。それと追手との関係性を否定することの方が困難だろう。むしろ疑いようも無い。
 だからこの際、相手の強さはどうでもいい。どうせ厄介な相手だと言う事は予測しうる出来事だったから。
 問題なのは規模と効果。
(戦略級だと!?)
 冷静になれと思考は厳命する。だから叫び出したくなるのを奥歯を強く噛み締めることで堪える。

 空に浮かぶ魔法陣は拠点攻略を主目的とする戦略級と呼ばれる魔法陣。
 通常使用される戦術級に比べ扱いの難しさも威力も段違いな代物だ。
 普通、戦略級が使われるのは建物自体を防護力場で覆われた時くらいのもの。だからなんら防護力場を展開していない町で発動されれば一瞬で全てが灰に変わる。

 だが本当に問題なのはそこではない。

 展開された魔法陣には発動を阻止できるようにわざと“穴”が作られている。
 これは相手が最初から魔法を発動させるのが目的ではないことを意味している。止められることを前提として陣を構成しているのだ。
 もしも発動を止めなければ町は焼かれ人は死ぬだろう。仮に発動したらしたで相手にはなんの損失もない。
 目的はあくまでも魔法の発動を妨げた人物の居場所を突き止めること。
 それはすなわち自分を炙り出す為だけに町一つを犠牲にしようという考えからだ。

「くそっ!!」
 短く悪態を吐く。
 突然の悪態に友人たちが驚くが気にしている余裕は無い。
 まさかこんな手を使ってくるとは予想だにしていなかった。
(何が『まだ動くべきじゃない』だ!?)
 つくづく自分の考えの甘さを呪う。そして相手のやり方に怒りを覚える。
 もしここで発動を阻止しなければ町の人間は九割方死ぬ。いや精霊が少ないからそこまでの威力はないにしろ、それでも四割は堅い。
 だから発動を阻止しないという選択肢は自分にはありえない。
 問題はその後だ。
 もう一度、魔法陣を睨む。
(陣の展開には二人・・・・・・いや三人か? 発動そのものはウィザード一人を捨て駒にするならなんとかなるだろう・・・・・・けど、帰り道のことを考えてるなら二人か? それからもう一人、俺の居場所を監視する役が必要。そう考えるなら最低でも六人)
 どうする? と自問する。
(陣を破壊する方法は簡単だ。けど破壊する為には魔力を込めた攻撃が必要になる。・・・・・・足りるか?)
 体内の魔力の残量を確認。本当にギリギリだ。
(戦闘には―――耐えられないかもな)
 諦観にも似た穏やかな心境で目を閉じる。
 それが意味することは己の敗北だ。
 それでも冷静に現状を分析し活路を見出す。

 自分一人を見つけるために、町を焼こうとする相手に潔く負けるつもりはない。
 潔くなんて生きられないし生きていくつもりもない。無様に足掻いて、泥に塗れてでも己の意志は貫き通す。例えそれで命を落とすことになったとしても。
 それが自分に課した誓い。そして生きることとは別に望まれたこと。だから―――
(やってやるさ!!)
 己の意志を再確認し拳に力を込める。


「シュウ?」
 心配そうな声がエンからかかる。
 その声に反応して目を開ける。エンだけでなくヒロスケとタスクも自分の方を見ていた。
「大丈夫?」
「ああ」
 頷き、エン、ヒロスケ、タスクの順に顔を見回す。
「どうした?」
 真剣な顔つきにヒロスケが怪訝そうに尋ねる。
 熱くなった思考を冷ますために一度息を吐き、吸い、もう一度吐いてから口を開く。
「―――すまん。何も聞かずに俺の言った通りに行動してくれないか?」
「な―――」
 何か口にしようとしたタスクをヒロスケが一歩前に出て留める。
 揺ぎの無い落ち着いた視線でヒロスケが静かに口を開く。
「シュウ、一つだけ答えてくれ。―――俺たちの力が必要か?」
「ああ」
 簡潔な答えをヒロスケはそうか、とだけ小さく呟く。
「そいじゃま、後悔するくらい働くとしますかね。―――俺達は何をすればいい?」
 おどける様な口調とは裏腹に真剣な表情で見つめ返された。



 ◇ ◆ ◇ ◆

「ま、お前の奇行は今更だから深くは問わないけど・・・・・・」
 体を解しながらヒロスケは言葉を続ける。
「終わったらちゃんと説明しろよ」
「当たり障りの無い程度ならな」
 目を閉じてイメージしながら軽く答える。
 その答えにヒロスケがヤレヤレと嘆息したのが目を閉じていても雰囲気で分かる。
「制服姿で眼鏡外したシュウ見るのも久しぶりだな」
「そうか?」
 家では外しているのだが外ではめったに外さないから、そうかもなぁと心の中で思う。
「つーかさ、あの空に浮かんだのは何なんだ? ロープレとかで見る魔法陣っぽいんですけど」
「ああ、正しくその言葉通り」
「うわぁぁぁ、俺としては否定して欲しかったんだけどなぁ・・・・・・」
 多分嫌そうに顔を顰めているんだろうなぁと想像する。
 それに対して目を閉じたまま不敵に笑ってみせる。
「何言ってんだ? ファンタジーな世界への入り口だぜ? もうちょい心躍らせとけよ」
「タスクは喜びそうなんだけどなぁ。生憎、俺は現実主義者(リアリスト)だから非日常な出来事なんて真っ平だよ」
「よく言うよ。そんなこと言う奴が、何が悲しくてこんなことに付き合ってんのかね」
「ま、何事も経験ってね。若い頃の経験は何事にも勝る宝となるらしいし?」
 そう言って二人で笑う。
 一度目を明けて魔法陣を見る。
 発動まで時間が無い。
 そろそろ陣が臨界点に達する。
「ヒロスケ準備はいいか?」
「OKだ」
 答えに頷き徒手を構える。

 一度息を吐いてから呪文の構成を考える。
 短縮詠唱は魔力の消費量が高いから論外。かと言って長々と朗じれば精霊の動きから居場所がすぐにばれる。
 故に呪文は魔力の消費量を抑えつつ手短に。
 そしてミスらないこと。流石に二発も撃つ余裕はない。
 世界に己の意志を伝える。
「我が声の届くところに居る精霊よ。我が望むは器。其は必中にして必殺。一矢にて敵を葬る器なり。其が器、我の意志に従いて形なせ」
 宣言の終了と同時に白い小さな光が集まりイメージ通りの弓と矢を形成しだす。
 横でヒロスケが息を呑んだのが分かる。

 空に浮かぶ魔法陣を破壊するためには剣や槍よりも、純粋な飛び道具のほうがイメージしやすい。
 銃をイメージしないのは鉛球よりも矢の方が念を込め易のと、単純な形の方が魔力の消費量を抑えれるからだ。できればカケも作りたかったのだが魔力の関係で割愛。元より偽りの弦で手が負傷することはないので気分の問題だ。

 形成している弓は握りより上の部分のそりが大きく、下の部分が小さい大型の独特な弓だ。
 初めて見たときはおよそ実戦向きではないと思ったが大型であり、従って引き尺も長い。『良く飛ぶ』と言うイメージを器に与え易く、また的の狙い方が限りなくアナログな点も『的に当たる』と言うイメージを付加し易い。
(ま、要は趣味ってことなんだけど)
 理屈を頭で考えつつイメージを正確にトレースする。

 魔法は理論や理屈だけではダメ。意志や感情だけでもダメ。その両方が揃って初めて最適な効果を得ることができる。

 弓と矢の形成が完了する。更にその矢に風の魔法を付加する。
「空舞う風よ。その力、ここに示せ」
 白かった矢の羽の部分に緑の色がつく。
 風を選んだのは空に向かって矢を飛ばすから相性がいいと思ったからだ。
 これでやっと魔法陣の“穴”を突く準備が完了したことになる。

 だがその一方で体は不調を訴え始めていた。
 頭が割れそうなほどギンギンと痛む。
 倒れそうになる体を必死で堪え、一度息を吐くことで体の調子を整える。
 魔法陣を睨み、弓を打ち起こす。
 一つ一つの動作を丁寧に力強く、けれど力まず。弓を引き絞った形で“穴”を狙う。
 時折、弓矢にノイズが走ったようにブレが生じる。
 それでも、動じることなく空に浮かぶ巨大な魔法陣の“穴”を狙う。
 仰角に向けられた(やじり)は僅かな誤差を修正するように少しずつ動き、そして止まる。
(―――ここ)
 一点の力みなく自然に右手が弦を弾く。
 矢の軌跡を見ず、残身も取らず叫ぶ。
「ヒロスケ!!」



 ◇ ◆ ◇ ◆

 シュウの放った矢が尾を引きながら、空に浮かぶ巨大な魔法陣に向かって失速することなく一直線に飛んでいく。
「ヒロスケ!!」
 怒鳴られてから我に返り、最初の手はず通りシュウを背負う。
 その体はグッタリとしていた。
「大丈夫なのか?」
「―――ああ」
 呼吸は荒く反応は鈍い。
 本当に大丈夫なのかと疑念が湧く。
 突然、空が光る。
 慌てて見上げれば空に浮かんでいた幾何学模様が光を放ちながら崩れていた。
「早く!!」
 シュウが急かす。
 一体何をそんなに急いでいるのか分からなかったが、とりあえず指示された場所へ身体を加圧(ブースト)しながら全力で走る。
「本当に永小でいいんだな?」
 走りながら尋ねると背中で小さく頷いたのがわかった。
(・・・・・・ったく)
 心の中で悪態を吐きながら背負った友人のことを思う。
 滅多に自分達の手を借りない友人が珍しく―――と言うか真面目に借すのは初めて―――頼んで来たことは良く分からない指示だった。

『俺が合図したら、俺を背負って迅速に永小まで走ってくれ』

 他にもエンとタスクに不可解な指示を出していた。
 理由も明かさず、ただ頼るだけの虫が良いとも言える友人の頼みを聞いたのは、頼ってくれたことが不謹慎にも嬉しかったからだ。
(・・・・・・しかもこんなにしおらしくなって)
 走りながら苦笑を漏らす。
 普段、厚顔不遜で傍若無人な態度をとることが多い友人が今や見る影もない。
(いつもこんくらいだと可愛げがあるんだろうけどなぁ)
 無理のある要求だ。
 でもこういうギャップが女性だったら、たまらんよなぁと思考がかなり逸れている。
 一瞬背中の男が性別が逆だったらと想像してみてすぐにゲンナリする。

 コイツは小学校からの男友達で、強引に自分の思い通りにする自己中野郎だ。しおらしくて可愛げのあるような奴では断じてない。
 さらに髪を伸ばしてスカートを穿いているシュウの姿を想像してみる。
(―――おぇぇぇ)
 本気で吐き気が込み上げてくる辺り、自分が健全な思考の持ち主で安心する。
 それに―――

 多分救われた。

 遊び半分だった思考が真面目なモノへと切り替わる。
 認めてしまうのは癪だけどコイツの御陰だ。
 ろくでもない時期があった。
 今なら若気の至りだったと笑って済ませれる。だがあの頃の自分にとっては切実で痛切な問題であり、そして必死だった。
 その時、他者の存在が本当に有難い物だと初めて知った。
 その時、日常が大切なのだと初めて分かった。
 例え他人に、それは欺瞞(ぎまん)だと(わら)われても自分にとっては確かに救いだった。

 そう言う意味では今の行動には、恩を返したいという想いが多少なりとも含まれているのかもしれない。
(でも今は願われたことを果たすだけか)
 思考を切り上げ脚に力を込める。
 なるべく背中を揺らさないように気を遣いつつ日の暮れた町を疾駆する。
 指示された場所までもうすぐだった。



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