母校の正門前で立ち止まる。
時間が時間だけに当然だが運動場に人影はなく正門も閉じている。
「シュウ、着いたぞ」
目を閉じて背中でグッタリしているシュウに声を掛ける。
「・・・・・・ああ、このまま昇降口まで行ってくれ」
覇気のない、疲れた声で指示を出す。
「―――おう」
体調の事を尋ねようかとも思ったがすぐに無駄だろうと思い直し、軽く答えるだけに止める。
昇降口まで最短コースを行くために高さ2メートル程の門を飛び越える。
無言で運動場を横切り昇降口に向かう。
その間もシュウも一言も喋らずグッタリしたままだった。
「シュウ?」
「―――ああ、着いたか」
声を掛けてから目を開け背中から降りる。
ふらつきながら歩いて行く先は昇降口の照明スイッチ。
そのスイッチをシュウはいきなり殴りつける。
「おい!?」
突然の行動に抗議の声を上げる。だが、殴りつけられたスイッチは横にスライドし、その下から新たにスイッチ盤が浮かび上がる。
いやスイッチと言うには語弊があるかもしれない。
0から9までのテンキーと、他にもいくつかのボタン。更には小さな液晶画面とカードリード機能も備わっていた。
唖然とする自分を
「・・・・・・」
言葉が出ない。
まさか母校にこんな秘密基地みたいな機能があるとは思いもしなかった。
またそれを当たり前のように操作するシュウにも微妙に違和感を覚える。
「それ・・・・・・」
やっと搾り出した声は擦れて上手く空気に伝わらなかった。
それでもシュウは言葉を察したのかパネルを操作しながら背中越しに答える。
「これは本来、対妖物用に学校を戦場化させるための操作端末だ。何らかの理由で森の結界から抜け出した高位妖物をここにおびき出して殲滅する」
説明しながらシュウは
その度に小さな電子音が無人の昇降口に響く。
「効果は結界の展開。学校の外と中を結界で区切り戦闘による被害の拡大・拡散を防ぐ。また逆の使い方として町が大量の妖物に溢れた時、避難所としても活用できる」
語る口調は澱みなく、けれど画面から漏れる明かりに照らされた顔色はすこぶる悪い。
「相手は妖物・・・・・・なのか?」
「いや、妖物なんかよりずっとタチ悪い」
シュウの吐き捨てるような口調に眉を寄せる。
「それって・・・・・・」
パネルを操作してからシュウは初めて振り向き、他意なく笑った。
「―――人間だよ」
言っている意味が一瞬理解できなかった。
(・・・・・・人間?)
言葉を反芻してから何故という疑問が湧き起こる。
そして、その笑みの意味も。
「どういうことなんだ?」
問質すように語尾が多少強いものとなった。
シュウはそれを気にした様子もなく喋る。
「いや、世の中で一番
興味深いよな? とでも言うように笑ってからタッチパネルの操作を再開する。
「・・・・・・」
解らない。
友人が口にした言葉のその意味も、その意図も。
沈みそうになった意識は突然歯車の廻るような音に阻まれる。
「何だ?」
慌てて音源を探ろうとする自分に対して、シュウは動じることも無く掃除用具入れのロッカーに足を向ける。
ロッカーの前まで歩いていきシュウは扉を開ける。
その中身は驚くべきことに、本来有るべき物から武具へと入れ替わっていた。
それを当然のことのように確認もせず、シュウは次々と武具を手にとって行く。
まず変わった形の剣帯をベルト通す。次に黒くてゴツイ皮の手甲を着ける。最後に刀を剣帯に吊るし位置を確かめる。
そうして出来上がったのは帯刀した学生だった。
「オマエ、それ対妖物用の・・・・・・」
「ああ、ちゃんと不測の事態にも対応できるように武器も管理されてる」
「そうじゃなくて・・・・・・」
「ん? 防護服のことか? 大丈夫だ。俺の制服は元から防護陣が織る段階から編み込まれてるから―――」
「違う!!」
普段、察しのいい友人の、見当外れの返答を遮る。
シュウはしかた無さそうに振り向く。
「シュウ―――お前は人間と闘うんじゃないのか!?」
「そうだが?」
暗にそれがどうかしたのかと視線は問うている。
「だったらなんで刀なんか持ち出してんだ!? 切られた相手は怪我じゃ済まないんだぞ!!」
シュウは困った顔で苦笑する。
「何も説明してないからしょうがないけど、相手は人外の存在だ。ゲームでもモンスターと戦うには装備は整えるだろ?」
「・・・・・・」
言葉が継げない。
一体シュウは何と闘おうと言うのか?
疑問を口にしようとした所で警報音が鳴り響く。
「今度は何だ!?」
校舎に響く大音量に顔を顰め怒鳴る。
「時間だ」
警報音にかき消されるような小さく呟きを聞き逃さなかった。
慌ててシュウの顔を見る。
シュウの表情はこれ以上なく真剣だった。
「ヒロスケ、野暮用に付き合わせて悪かったな。ここからは一人でやる」
突然の宣告に異を唱える。
「お前、そんな調子で一人で大丈夫だなんて言わせないぞ!? 相手が妖物だって言うんなら話は別だが、人間なら俺も手伝う!!」
警報音に負けないよう強く断言する。
それに対してシュウは真っ直ぐに申し出を断る。
「いや、いい。これ以上迷惑は掛けられない」
暗に足手纏いだと言われているようで食って掛かる。
「確かにお前より弱いけど、手助けくらい出来るはずだ!! なんなら囮でも―――」
今度は静かに首を振る。
「言ったろ? 相手は人外で、妖物より
「でも!?」
意志を曲げようとはせぬ自分にもう一度、笑みさえ浮かべて穏やかに首を振る。
「なぁ、ヒロスケ。今から俺が行く場所は死すら認める戦場だ。殺し、殺されることを否とせず、力無きものは口答えさえ許されない。―――そんな場所だ。そこに行く覚悟がお前に在るか?」
「―――ッ、ある!!」
およそ現代では似つかわしくない言葉に怯むものの強く断言する。
シュウは厳しい声で重ねて問う。
「じゃあ死ぬ覚悟は?」
「ある!!」
そうかと残念そうに呟く。
「だったら―――」
「殺す覚悟は?」
「―――」
頭を鈍器で殴られたかのようにショックで、問いに答えられずただ俯く。
警報音はいつの間にか消えていた。
解っていたはずだ。朧げではあったが戦場と呼ばれるのがどんな場所か。
だから問い掛けられる内容は予想の範囲内であったはずだ。
それでもショックは消しきれなかった。―――あるとは答えられなかった。
それを認めてしまえば今まで生きてきた人生の何かを否定してしまう気がしたから。
(情けねぇ!!)
友人が窮地に立っていると言うのに自分は臆病風に吹かれて口先でさえ何も言うことが出来ない。
そんな自分に腹が立つ。そしてその怒りを以てしても、たった一言が断言できない。
「そんな
先程とは打って変わった穏やかな声に顔を上げる。
「それで良いんだよ。『殺す』なんてことを断言できるような人間はイカれてる。そんな人間の集まるところにお前を連れては行けないよ」
「けどっ!?」
この期に及んでまだ異を唱える自分に三度、首は振られる。
「良いんだ。殺す覚悟ってのは言い換えれば殺される覚悟でもある。そして一度罪を犯したら二度と消えることは無い」
わかるだろ? と小さく付け足す。
「だから、なぁ、広輔。お前はお前のままで居ろ。いらぬ物を背負おうとするな」
広輔と呼ばれたのはいったい何時振りだっただろうと小さく脳を掠めた。
穏やかに優しく微笑む少年の目を見て漠然と悟る。
今の自分では彼の隣に立つことは出来ないのだと。
そのことが悲しくて情けなくて視界が歪む。
強く成ろうと。強く在ろうと。
そう思い鍛練を続けてきた。
けれど肝心な時にそれが意味を失ってしまった。
それが一番悔しかった。
溢れそうになる雫を恥ずかしいと思い慌てて腕で擦る。
「泣くなよ、ヒロスケ」
兄が弟をからかうように、けれど優しく同い年の少年は笑う。
「まだまだお前は伸び盛りなんだから、もっと強くなれるって」
深い色を宿した黒い双眸からは慈しみさえ感じられた。
「泣いてねぇっ!!」
ムキになって言い返す。
一日に二回も、こんなガキの癇癪に飽きもせず付き合ってくれる友人は。どうしてこうなんだろう?
その先に一体何を見ているのだろう? 何が見えるのだろう?
挑むように睨み付ける。
「絶対、いつか肩を並べてやる!!」
「並べるだけか?」
からかうように笑われる。
「ッ!?―――超えてやるよ!!」
その言葉にニヤリと不敵に笑う。
「ああ、その意気だ。―――じゃあな」
何の前触れもなく運動場に向かって歩き出す。
それを慌てて追いかけようとして天へ伸びる光の線に阻まれる。
「!?」
それが格子状に伸び戦場となるべき場所の内と外を区切る。
「そっちに居れば安全だから。朝の六時には消える」
戦場に向かうシュウの声が内側から届く。
これで自分は彼を追う術を失った。
こんな時にまで緊張感の無い友人に腹が立つ。
「シュウ、絶対帰って来いよ!!」
腹の底から懸命に叫ぶ。
片手を上げるだけで振返りもせずただ彼は
己の戦場へと。
そして結界は白く光、中の様子を映さなくなった。
◇ ◆ ◇ ◆
(さてと―――)
運動場の中心へゆっくりと、けれど辛さを感じさせぬ足取りで進む。
歩きながら
(・・・・・・三人、四人っと)
向かう場所に隠れることもなく反応がある。
予想していた人数より少ない。
だがそれを嬉しいなぁ、などと思ったりはしない。
(伏兵が最低二人)
下手をすればそれ以上。
結界の展開にわざわざ時間をくれてやったのだ。全員おびき出すことには成功しているだろう。
一対六という数字は果たして如何なる理由によるものか?
(舐められたもんだ)
鼻で笑う。
不利は承知。
今にも血を吐いて倒れそうな体で強がっている余裕は無い。
相手は厄介な存在であり、たださえ能力が低下している自分には荷が重い。
だが負けるつもりはない。
勝算は決して良いとは言えない。いや有り体に言って負ける公算の方が高い。
それでも、己の目的を果たすためだけに、自分には関係ないからと町を焼こうとする輩に負けるわけにはいかない。
気持ちだけではどうにもならない現実が確かにある。
けれど手足を動かす糧にはなる。
(今はそれで十分だ)
立ち止まり、闇に浮かぶ四つの白い影を睨む。
動く気配のなかった敵が先に口を開く。
「やっと会えましたね、救世主」
それは予想に反して軽やかな女性の声だった。