2-10 覚醒

 胸騒ぎがしていた。
 部活動が終わった帰り道。
 ふと見上げた空に不思議な模様が浮かんでいるのに気付いた時から。
 そして不思議な模様が消えて程なく、祐君がシュウちゃんからの伝言を聞いた。

『義父さんには連絡してあるから、結界が発動しても絶対に永小には近づくな』

 どういう意味なのか、祐君に尋ね返すもよく分からないと首を横に振られた。ただ絶対にシュウの言うとおりにして欲しい、と。
 その言葉に形だけ頷く。
 そして二手に別れて、まだ学校に居るのか、帰っているか分からない桜にも伝言を回すことを提案する。
 すると安堵の表情になり、疑うことなく祐君は頷き、そこで別れた。

 別れてすぐ、永小に向けて走り出した。
 走りながら祐君を騙したことへ良心の呵責を感じ、意味の無い謝罪を心の中で呟く。
 でも行かくちゃ、と強く思った。
 だってきっとまたボロボロになっている。
 全てを諦めた顔で、寂しげに笑う少年が目に浮かんだ。
(シュウちゃん)
 心の中で少年の名を呟いただけで泣きそうになる。

 最近は会話らしい会話もしていない。
 何度も話しかけたけど、上手く会話が繋げられなかった。
 顔を見るたびに胸が苦しくなって泣きそうだった。
 それでも今は純粋に心配から泣きそうになる。

 もう少しで永小というところで結界が発動してしまった。
 一度発動してしまった結界に入るのは、例えこの地の妖物を管理する者でも難しい。
 逸る気持ちを抑え、正門横のパネル盤を操作する。
 カードを通し、16桁のパスワードを入力。更に面倒な手順を踏む。
 焦って途中4回も間違えた。

 時間を掛けやっと入り口が開き、急いで結界の中に飛び込む。
 熱を持った空気に出迎えられた。
 目に映った光景に固まる。

 記憶の中にあった校庭と、目の前にある現実の校庭とのギャップに言葉を失う。
 休み時間に走り回った平和な面影はなく、濃密な殺気だけがこの限られた空間を支配していた。
 そして殺気と共に氷塊が宙を舞い、竜巻が不自然に発生し、雷鳴が轟く。
 まるで現実感の無い光景。
 妖物から放たれる暴力的な殺気ではなく、知性を持ったソレは私には馴染みの無いもので、場違いだと麻痺しそうな頭が思考する。

(シュウちゃん)
 再び心の中で少年の名を呼び、姿を探す。
 いや探すまでも無かった。
 常に殺気の先に彼は居た。
 今は青白い光に追われている。
(よかった)
 彼が無事であったことに安堵する。
 だがそれも一瞬。
 安心している場合でない。
 今も上着を囮にして身を躱し、鞘を犠牲にして追って来る光を防ぐ。
 そして残った光に対し振返って刀で弾く。
「っ!?」
 短い息に含まれた意味は二つ。
 一つは彼の刀が折れた事。
 もう一つは彼の後ろに人影が迫っていた事。

 その時、意識するより早く駆け出していた。

 自分には過去を見るしか出来ないはずなのに、何故か―――
 彼は折れた刀を投げつけ、最後の光が爆発する。

 彼が血に濡れている光景が頭に浮かんだ。
 光を全て防ぎ切った事で彼に一瞬隙ができる。

 桜はいつもこんな風に未来を視ているのだろうか?
 後に人影が立ったことに気付いていない。

 危ないと叫ぼうとして上手く声が出ない。
 人影が口を開く。声は聞き取れない。

 声が出なくとも足を休めることはしなかった。
 影が手にした剣を振り上る。

 駄目だと強く想った。
 彼が振り向く。

 後のことは何も考えられず間に割り込む。
 剣が振り下ろされる。

 鮮血が舞ってから痛みを感じた。



 ◇ ◆ ◇ ◆

「―――え?」
 間の抜けた声が出る。

 現状がよく理解できない。
 痛みを覚悟していたはずだった。

 振返ると初めて見る男が居て剣が振り下ろされる。
 避けきれないと悟って両腕に防御力場を集めた。
 だが実際は鮮血が舞っただけで痛みは無い。いや突き飛ばされた拍子に尻を打ったのが痛みと言えば痛みか。
 痛みが少ないのは誰かが割って入り、庇われたからだ。

 何故、と回転の鈍い頭で考える。
 七人目の敵がいるのか?
 いや、途中で六人だと勘違いした自分が愚かだっただけだ。

 何故、と靄が掛かった頭で考える。
 雪と桜にはココに近づかないようにタスクに伝言を頼んだはずだ。なのに雪がここに居るのか?
 いや、彼女達の性格を考えるならもっと手を打っておくべきだったのだ。

 何故、と真っ白な頭で考える。
 雪が自分と敵の間に割って入り鮮血が舞っているのか?
「―――」
 答えなど解かり切っているのに脳が答えを出すことを拒否している。


 剣を振り下ろした男が舌打ちをして飛び退く。
「あ・・・・・・」
 雪の体が傾く。

 何故か既視感を覚えた。

 手を伸ばす。
 以前は(・・・)体が小さく届かなかったはずの手が、今度は届いた。

 鼓動が跳ね上がる。

 倒れそうになる体を受け止める。
 予想よりも、はるかに軽い体。
 血が溢れて制服を紅く濡らしている。
 致命傷と言う言葉が頭に浮かぶ。

 思い出すな!!

 遠くどこかで自分に命じる声がする。
 抱きかかえた雪と目が合う。
「―――よかっ、た」
 彼女が目を細めて嬉しそうに笑い手を伸ばす。
 安堵の混じった、本当に綺麗な微笑だった。
「ぁ・・・・・・」
 咽の奥が擦れた意味の無い音が口から漏れる。
 白い手が頬を優しく撫でる。

 記憶と重ねるな!!

 現実と記憶が入り混じり視界が白く瞬く。
 見た事のある景色もあったし、無い風景もあった。
 ただ一番強く脳裏に写ったのは、燃える田畑と崩れゆく家屋。
 そして―――

 髪の色も瞳の色も違うのに。
「(シュウ)ちゃん・・・・・・」
 腕の中の少女と記憶の中の女性が重なる。
「(生きて)下さい」

 意識の奥で何かが弾けた。



 ◇ ◆ ◇ ◆

 心の中は雲ひとつ無い青空か、穏やかな波打ち際のようだった。
(もういい)
 立ち上がる。
(もう沢山だ)
 自分の回りに数十の赤い半透明のウィンドウが浮いている。
(もう・・・・・・疲れた)
 その中に書かれている文字は文章として意味を成しておらず、複数の言語で単語が並んでいるだけだった。単語を拾い集めたなら“破損”“危険”“警告”を意味している。
(守るべき約束も)
 本来なら立ち上がるよりも彼女の怪我の治療を優先させるべきなのはわかっている。
(果たすべき誓いも)
 だが諦めてしまったこの心境のなんと清々しいことか。
(全部、どうでもいい)
 不安も憤りもない。怒りも。憎しみも。悲しみも。感情の起伏そのものが存在しない。
(全部、終わらせてやる)

 彼女が後どの位この世で生を享受できるかは分からない。
 でもすぐに沢山の人が後を追うから寂しくなんてないはずだ。
 ただ少し待って欲しい。
 そう、この場に居る人間にはちゃんとお礼をしないといけないから。だから少しだけ時間が掛かる。
 その間、一人で逝くのが寂しくないように僕の心を此処に置いて行こう。
「さよなら」
 形だけの言葉と、人としての心を残し歩き始める。

 歩きながら(うた)(うた)う。
「其が叡智(えいち)、我が身に宿り、我の道を示す導となれ」
 回りを囲んでいた赤いウィンドウが全て消滅し、代わりに透明で無機質なウィンドウが一つだけ展開される。
『ネットワークの接続を確認中......』
『ユグドラシル・ノアに接続しています。』
『ユグドラシル・テラに接続しています。』
『ユグドラシル・ガイアに接続しています。』
『ユグドラシル・アースに接続しています。』
 流れる表示に目もくれず朗々と詠を続ける。
「共に創めよう」
『ユグドラシル・ノアとの接続に失敗しました。』
『ユグドラシル・テラとの接続に成功しました。』
『ユグドラシル・ガイアとの接続に失敗しました。』
『ユグドラシル・アースとの接続に失敗しました。』
『四基並列起動に失敗しました。再試行しますか? Y/N』
 朗じながらウィンドウに表示されたNへ手を伸ばす。
『了解。一基単独起動にて再設定。』
 接続は一基で十分。
 接続されたラシルから膨大な記憶(データ)が頭に流れ込んで来る。
 本来なら痛みの伴うはずのソレも個を守る必要が無い今は何も感じない。
『使用者のDNAを鑑定中......』
「共に歩もう」
 足を止める。
『確認完了。シュウ=アストレイ本人と断定。』
『世界調律システム Messiah ラン。』
『全システムをシャットダウン。』
『OSを標準(スタンダード)からMessiah専用にコンバート。』
『設定を保存の上、再起動。』
「共に生きよう」
 世界と繋がる。
「そして共に滅びよう」
 バラバラになっていた記憶(ちから)が。
 次々と。
 整然と。
 組みあがっていく。
『業の正常起動を確認。プログラムを終了します。』

「・・・・・・」
 意識がある。
 嫌なことは全部忘れてお人形になるかと思っていたが存外上手くいかないらしい。
 その証拠に左手の甲から熱を感じる。

 救世主として覚醒が完了した直後に上着を失った学生服が黒い軍服に変わっていた。
 それは敵の物とほぼ同じ軍服(モノ)だが細部が微妙に異なっている。
 さらに無機質なウィンドウが右側面に展開され警告を促してくる。
『残り魔力がありません。早急に補給してください。』
(ヤレヤレせっかちなコンピューターだな)
 そんな事言われなくとも分かっている。
 溜息を一つ吐いてからラシルに命じる。
「精霊を強制召集。活動活発化」

 本来ならそんなことは不可能だ。
 だがラシルと接続されている今なら世界に関してのことなら大抵の不可能は可能になる。
『了解』
 そしてなんの躊躇いも無くラシルは命令を実行に移す。
 別にウィンドウが二枚展開され、残り魔素量と精霊の反応率が表示される。
 凄まじい勢いで回復する魔素量と高まる反応率。
 無茶な命令を世界に反映させた結果として精霊からは悲鳴が上がり、大地が軋む。

 ある意味においてラシルは非常に理に適ったコンピューターだ。
 一々そんな警告を発していてはこれからすべき事に時間が掛かり過ぎる。
 だがその実、犠牲に関しては非常に鈍感な造りになっている。

「まっ、いっか」

 どこまでも軽やかに呟く。
 ラシルと繋がっている今、星の痛みはダイレクトに知覚できる。それでも罪悪感を覚えることも良心が疼くことも無い。
 最終的に星が形として残っていれば問題ないのだから。
 警告が表示されていたウィンドウが消える。
 魔素の量は十分に回復した。これなら全力で動くことも可能だろう。
(さてと、害虫駆除の始まりだ)
 まずはこの結界の中に居る七(にん)害虫(にんげん)
(なるべく、世界を壊さない方向でエコロジーに)
 強力すぎる殺虫剤は環境に悪い。だからと言って残しておくと幾らでも繁殖してしまう。やるなら徹底的にしなければならない。

「でもまぁまずはお礼参りからだよなぁ」
 最初の数分くらいなら遊んでもいいだろう。
 殺すことは確定なので気にするならただ一つ。
「どうやって痛めつけようか?」
 今日の献立を考えるような軽い呟きだった。



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