間幕 その時彼女は

 寒空の下、荒れ果てた校庭を見る。
 校庭の惨状には唖然とするしかなかった。
 遊具は(ことごと)く砕かれ、地面には穴が開いている。
 いくら思い出の薄い母校とは言え、流石に心が痛む。
 ただその反面、校舎は全くの無傷で妙な違和感を覚える。
「・・・・・・何があったんだろう?」
 疑問を口にしてみるも答える声は当然無い。
 ただ母の言葉が脳裏に浮かぶ。
『心配しないで』
 笑っていたけど翳りがあったなとぼんやり思う。しかも気疲れから来る翳りだ。
「・・・・・・大丈夫だよね?」
 自分に言い聞かせるように。
 自分が受けた説明は極々僅かだ。

 お兄さんが『誰か』と戦うために結界を発動させたこと。
 雪お姉ちゃんがお兄さんを庇う為に傷付いたこと。
 お父さんが二人を助けたけれど、お父さんも体調を崩してしまったこと。

 お母さんは他に何か知っているような気もしたし、知らないような気もした。
 溜息を吐く。
 守られてばっかりだと。
 心配させないよう配慮してくれている。そう思う一方で蚊帳の外だという疎外感も拭えない。
 それは自分が弱いせいであり庇護される立場にあるからだ。

 今度は掛かってきた一本の電話の事を思い出す。
 急いた女性の声で
『シュウの家か?』
 挨拶もそこそこに不躾に尋ねられた。
 勢いに呑まれる形で間違いないことを伝える。
『親父さん居るか? 居たら変わってくれ!!』
 保留ボタンを押してから道場に居たお父さんと変わる。
 最初は普通に受け答えをしていたお父さんだったが、すぐに表情を緊へと変えた。
 それから電話を切り、お母さん小声で短く何かを伝えるとすぐ家から出て行く。
 出て行くときに何故か御神体であるフツノを手に持っていた。その光景を見た時、嫌な予感がしたのを覚えている。
 そしてこの惨状を見て、嫌な予感が間違いでなかったことを改めて知る。

 今思い起こせばあの女性の声はエンさんだったように思う。
 本名は確か常広(つねひろ)(まどか)さん。
 学校でお兄さんに紹介されてから何度か廊下で擦れ違い、話を数回したことがある程度。個人的に仲良くなってみたいとは思うのだが残念ながら顔見知りの範疇だ。仲良くなる機会は果たして在るだろうか?
 もう一度溜息を吐く。
 エンさんは何か知ってるのかなぁと。
 際限なく落ち込み続けそうになる自分に頭を振る。
 しっかりしないと。
 この程度のことで沈むようではお兄さんとの約束が果たせないままになってしまう。
 約束を思い出し浮上を始めた意識に気合を入れる。
「よし!!」
 とりあえずはココにきた用事を済ませよう。―――違った。元々用事があってココに来たのだ。
 昇降口に向かって足を進める。

 昇降口に備えられている端末を使って校舎の結界を解除する。
 滅多に弄る事が無い上に、手順が面倒なので解除できるかどうか不安だったのだが上手くいった。
 結界が消えるとすぐに足音が近づいてくる。
「シュウ!?」
 肩で息をしながら制服姿の広輔さんが現れる。その表情は今まで見たことが無い程に―――少なくとも私は―――真剣だった。
 その表情は私の姿を見て落胆の色に変わる。
「あ、千夏ちゃんか・・・・・・」
 その変化は何もしてないはずなのに申し訳ない気分にさせる程、大きな変化だった。
 今度は私の変化に気付いた広輔さんが表情を緩める。
「こんばんは。千夏ちゃん、元気?」
 広輔さんがフランクな態度で片手を上げる。それにつられる様に笑みを見せる。
「はい、元気です。広輔さんも無事で何よりでした」
「無事も何も、俺は何にもしてないからね」
 そう言って肩を竦めて見せる。ただその仕草が笑顔のままなのに一瞬自嘲したように見えたのは目の錯覚だろうか。
 そのことを疑問として口にするより早く、広輔さんは表情を真剣なものに戻す。
「それでシュウは?」
 何と答えて良いのか分からず眉が下る。
「・・・・・・『大丈夫』ってお母さんは言ってました」
 広輔さんは疲れたように短く呟く。
「―――そっか」
 こちらの表情を察してくれたのか、広輔さんはそれ以上の追求してこない。
 広輔さんはすぐに表情を改めて笑う。
「んじゃ、帰ろうか。もう遅いし、家まで送るよ」
 それに慌てて手を振る。
「あ、大丈夫です。ちゃんとお母さん達には伝えてありますし心配無用です」
 そんな私に広輔さんはチッ、チッ、チッと指を動かす。その仕草が違和感無く様になっているのが凄い。
「千夏ちゃんが俺より強いのも知ってるけど、こういう時は素直に送られておくのがイイ女の礼儀さ」
「え、そ、そうなんですか?」
「と俺は思う」
 そう言って悪戯っぽい、艶のある笑みを見せる。
 その笑みを見て改めて成程なぁと思う。整った顔立ち。細やかな気配り。誰に対してもフランクな態度。そして今の笑み。加えて抜群の運動神経。モテない方が不思議と言うものである。
「どうしたの?」
 考え事をしていた私に不振そうに声を掛ける。
「あ、いえ。広輔さんがモテてるってのを再確認した所です」
 広輔さんはおどけた感じで
「惚れてくれたなら喜んで付き合せてもらうけど?」
「あははー、残念ですけど丁重に御遠慮させて頂きます」
 相手が本気でないので、こちらもふざけて返す。
「あら? 俺、もしかして振られちゃった?」
 案の定、傷付いた様子も無くよよよと泣き真似を始める。
「えーと、広輔さんのことを好きな女性に闇討ちされそうなのと、お兄さんが嫌がりそうなので・・・・・・」
 お兄さんと言った辺りで広輔さんは沈痛な面持ちで
「ごめん、やっぱり君とは付き合えないんだ」
 まるで舞台の台詞のようだ。
 広輔さんはすぐに苦笑する。
「千夏ちゃんも、シスコンの兄貴を持つと大変だ」
 私も苦笑を返す。
「別にお兄さんはそう言うんじゃないんですけど・・・・・・」
 実際、特に何かあった訳でもない。
 ただ世間的に見るとそう風に見えるんだよと、広輔さんと祐さんから色々教え込まれている。他にも妹を見る目が犯罪臭いだのお兄さんの評価は散々だ。
 その度にお兄さんから怒りを買い、痛い目(・・・)を見るのだが、二人とも止める気は無いらしい。
 ふざけ合うのが楽しくて、本気で言っている訳では無い―――と思う。そういう光景を見るのは微笑ましい。
 そして、広輔さんも祐さんも実情を知りながら、本物の兄妹(きょうだい)として扱ってくれているのかなと、その気遣いを嬉しく思う。
「さて、馬鹿話はこれ位にして帰ろうか?」
「はい」
 二人で肩を並べて歩く。
 広輔さんの方が私より歩幅が大きいのに、合わせてくれるようゆっくり歩く。そんな気遣い一つ取っても凄く手馴れた感じがする。
 やっぱり噂通り彼女が沢山居るんだろうかと、下世話な事を後ろめたさと共に少し思う。
 通学路が分かれる場所までの長くは無い道のりで、お兄さんや祐さんの学校の出来事を笑いを交えて教えてくれた。

 外灯の下、振り返って別れを告げる。
「じゃあここでお別れですね」
 お休みなさいと続けようとしたが広輔さんの怪訝そうな表情に口を閉ざす。
「あれ、送っていくって言わなかったっけ?」
「え? でも・・・・・・」
 流れたと思っていた話題を蒸し返されて少し焦る。
「もう時間も遅いですし、広輔さんの御家族も心配されてるんじゃないんですか?」
 もう夜更けだ。就寝の早い民家では明かりが消えている所もある。
「あー、それは大丈夫」
 パタパタと手を振る。
「でも・・・・・・」
 今更と言えば今更だが帰る時間は少しでも早いほうがいいだろう。
「大丈夫だって。どーせ家の親は帰ってないだろうし、俺のことなんか心配しないから」
「え?」
 何か聞き逃してはいけない事を聞いた気がした。
 だがそれとは裏腹に広輔さんは呆れたような物言いで全く困った親だよねぇと小さく笑う。
「子供ほったらかして、どこほっつき歩いてんだか・・・・・・」
 決して大きくはないが、小さくもない嫌悪と侮蔑。
 その感情を隠すように、だから心配ないよと困った顔で笑う。
 その笑みに胸が詰まりそうになって
「あ、あの、広輔さんのお家は・・・・・・」
 言いかけて口を開いたまま止まって俯いてしまう。
 それを尋ねるのは『友人の妹』に過ぎない自分の領分を越えている。
 そして他人が踏み込んでいい話でもない。
 そんなこちらの思いを無視したかのような明るい声が降って来る。
「千夏ちゃーん」
 顔を上げると、そこにはやっぱり変わらない微笑みがあった。
「そんな顔しないの。美人が台無しになるよ?」
「でも・・・・・・」
 こんな時何を言えばいいのか分からない。慰めるべきなのか、親に憤慨すべきなのか。
「―――ごめんね。気を遣わせたみたいで」
 首を横に振る。
 広輔さんは目を細め満足そうに微笑む。
「あ、でも、シュウには内緒だよ? いろいろ煩いから」
 悪戯っぽく笑みを濃くする。
「まぁ、多分薄々は感付いてるだろうけどねー」
 妙に鋭くて困った奴だと。
 その科白にお兄さんも知らないことなんだと内心驚く。なんでも相談して隠し事なんか無い関係に見えていたのに。
 そんな微妙な変化を感じ取ったのか広輔さんは苦笑する。
「別になんでも包み隠さず話してる訳じゃないよ。いろいろとお互い隠し事は沢山あるし、相談し難いことだって一杯あるさ。ただ―――」
 凄く優しい目で語る。
「嘘を嫌う関係なだけだよ」
 行こうと言って、私の家の方へ歩き出す。それに一歩遅れて付いて行く形になる。
 広輔さんは器用に後ろを向いたまま、歩きながら口を開く。
「そういう関係を何て言うか知ってる?」
 私はもう一度、今度は歩きながら首を横に振る。
 広輔さんはニヤッと笑ってから
「『欺瞞』って言うんだよ」
 言葉の意味とは反対に、誇るような口調だった。
「嘘を嫌う関係だろうが嘘は言うし、勿論騙す」
 と言うか常に化かし合いの関係かなぁと苦笑。
「けど、それだけの関係でもないから」
 それで良いと。
 でも私にはやっぱり不思議だし納得がいかなくて尋ねてみる。
「けど、誰かに自分のことをもっとよく知って欲しくないですか? もっと誰かを知りたいって思いませんか?」
 意を決した問に対して、間を置かず答えが帰ってくる。
「うん。思う」
「・・・・・・」
 実に簡単で簡素な答えに幾分拍子抜けする。
「だから千夏ちゃん、尋ねて良いんだよ?」
 一瞬何のことを指しているのか分からなかったが、すぐに想い至る。
「で、でも家庭のことは複雑であんまり他の人が聞いていい話しじゃぁ・・・・・・」
「おーおー、千夏ちゃんにとって俺は『他の人』ですか? お兄さんは悲しいなぁ」
 大袈裟に泣き真似をしてからゆっくり笑う。
「シュウも言ってたけど、千夏ちゃんは相手のことを考えすぎ」
「でも、それで相手の人が傷付いたら」
「嫌だよねぇ」
 あっけらかんとして笑う。
「いいじゃん。傷つければ」
 言葉を失う。
 広輔さんはその反応に困った笑みを返した。
「俺も二年前は若くてねぇ・・・・・・短い間だったけど相当荒れてた」
 広輔さんは声のトーンを少し落とし、遠く、星を見つめる。
 私も話だけなら聞いたことがある。それは私が今の家に引き取られる少し前の話。
「そん時にさ、いきなりシュウが現れてぶん殴ってきやがった」
「え?」
 昔の話だよ? と小さく笑い、それを機に真っ当な道に戻ったんだけどねーとまた笑う。
「―――社会的に見て、その頃のことは『無かった事』にした方が良いんだろうけど俺はそうは思わない」
「・・・・・・どうして、ですか?」
「そんな時が存在()ったから、今の俺が存在してると胸を張って言えるから、かな?」
 少しだけ自信無さげに、でも多分間違ってないはずだと、晴れやかに笑う。
 そして少し照れた口調で
「なんか話がずれちゃったね。まぁ要するに、もうちょっと千夏ちゃんはシュウにも俺にもタスクにも尋ねてみればいいんだよってこと。―――勿論、他の人(かぞく)にも」
 『あ』の形で口を開いたまま固まる。広輔さんが何を言いたかったのか、やっと合点が行った。
 広輔さんは分かった? とにっこり笑う。
「大丈夫。人間って案外頑丈だからそうそう壊れたりはしないよ。まぁ、偶に脆いのも居て焦る事も有るけど、そん時は素直にごめんなさいさ」
 その辺は臨機応変にねと。
 と何かを思い出したのか、いきなり溜息を吐く。
「どうかしたんですか?」
「ん? あ、あー、また説教癖を出しちまったなぁ、と。後、女性に気を遣わせちゃったみたいで・・・・・・」
 もー、俺ってまだまだだなぁと天を仰ぐ。
 さっきのは広輔さん的にお説教だったのか軽く驚く。私は全くそんな気がしなかった。
「おっと」
 広輔さんは急に立ち止まって横を向く。
 釣られて視線を追えばいつの間にか石段(うち)の前まで帰っていた。
 結局、最後まで送って貰ってしまった。
「ココまででいいかな?」
 長い石段を見て苦笑する。
「はい、十分です」
 広輔さんと同じように苦笑を返す。
「それじゃ千夏ちゃん。お休み」
 そう言って軽やかに駆け出す。
「広輔さんも気をつけて帰って下さいねー」
 その背中に声を掛けると、片手を振り返してくれた。
 遠ざかる背中を見送り、その背が見えなくなってから大きく息を吐き出す。
 まだまだなのは私の方だなぁと。
 私の周りに居る人達はみんな強い。
 その人達に私も少しでも追いつけるよう頑張らなければ。
「よし!!」
 気合を入れなおして石段を駆け上る。
 そんな日が来ればいいなと心で願いながら。



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