2-13 忌み名

 心臓を穿とうとしたが出来なかった。
 体は意志の思い通りに動く。
 けれど刺すことは叶わなかった。
 刀の先は薄皮一枚で止まっている。

 否、力場(フィールド)によって止められていた(・・・・・・・)

 思考するより早く本能が危険を察知し、娘を抱えて飛び退く。
 距離を空けてなお気の抜けない状況。
 彼を覆う異質な空気に体が硬くなる。

 見えない糸に操られたかのように、少年はゆっくりと立ち上がり地面に刺していた蒼剣を片手で引き抜く。
 聞き取れない言葉を少年が紡ぐ。
 音としては認識できるが、言語として理解できない言葉。
 言葉を言い終わると同時、美しい色をしていた蒼剣が、鮮血を混ぜたように赤く染まる。
 禍々しいまでに剣を真っ赤に染め上げると少年は顔を上げ、目が合う。
「・・・・・・」
 能面のような無表情。そして黒い双眸は虚無を映していた。
「―――」
 ただ全てを飲み込む闇だけが瞳の奥に広がっている。
 その闇に嫌な予感だけが膨らんでいく。

 前触れもなく少年が動く。
「く」
 一瞬反応が遅れた体で切り結ぶ。
 ぶつかり合い火花を散らす赤剣と刀。
 少年の動きには全く躊躇がない。
 それは彼の本気の表れだろう。
 いや、彼の説明が正しければ与えられた命令を忠実にこなす端末に過ぎないらしい。
 だが何だ? アレは?
 一度距離を空けて彼の背後を見る。

 嫌悪感と同時に寒気を覚える。
 彼の背後には黒い気が流れ込んでいた。
 そしてその黒い気を吸収して力に変換している。
 黒い気の正体は恐らく世界に溢れる負の感情。
 そんなものを取り込んだら確実にいかれてしまう。
 だが彼は苦しみもせず力を蓄積していく。
(これが、彼の危惧していたことか)
 ああ、納得だ。
 確かにこれは手の出しようがない。
 一度動き出したら停まらないし、停められもしない。
 世界に負の感情が存在し続ける限り、力もまた供給され続けるのだから。
 人が生きていれば多かれ少なかれ負の感情は生まれる。
 つまり人が滅びない限り動き続ける究極最強無比のお人形。

 奥歯を強く噛む。
(僕なんかに停められるのか?)
 元々の彼の能力に加え、救世主の名が持つイメージ。世界を制御し得るコンピューターのバックアップ。そして世界に溢れる負の感情による加圧(ブースト)。これなら魔法を使ってくるほうがまだ可愛げがある。
 それに対して自分が持つのはどっち付かずの中途半端な名と、名を似せただけの刀。こうなってしまえば元の身体能力の差など有って無きに等しい。

 彼の言った通り迷わず殺しておくべきだったなと軽く自己嫌悪。
 自分の手に負えなくなるほどのとんでもない大失態。
 それでも、こうなると結果が分かっていても迷っただろう。
 別に奇蹟を信じたわけではないけれど。
 彼なら立ち直ってくれるのではないかと。
(シュウ君なら甘いって斬って捨てそうだな)
 短く苦笑を漏らしてから気持ちを入れ替える。
(さてと、勝てればいいんだけど・・・・・・)
 果たして勝算はどの程度だろうか?
 それでも引くわけにはいかないだろう。
 彼との約束を果たすために。

 力場を練る。
 相手も気配を感じ、剣を構え、力場を練る。
 決着は早いほうがいい。
 時間が経てば経つほど彼は力を蓄えるだろう。
 練った力場の半分を足腰に、残りもう半分を刀の強化に回し、腰を落とす。
 そしてなんの前触れもなく駆ける。
 その一瞬後には激しい火花が散っていた。
 鍔迫り合いすらも一瞬。
 距離を空けることもせず再び交差し火花が咲く。
 一撃が重い。否、痛い。
 先程の斬り合いも一撃は重かった。だが今回はその比ではない。
「ぐっ」
 直接の痛みでもないのに呻き声が漏れる。
 それでも止まること無く攻撃を繰り出す。
 領域(テリトリー)を最大限に活用し、相手の狙いと動きを先読みする。
 それにも拘らず手数ごとに押され始める。
 明確な差として相手の動きが速すぎる。
 いくら先読みが出来ても、こちらのスピードが付いていかないのでは意味が無い。
 もし領域が使えていなかったら勝負はとっくに着いていただろう。
(けどこのままじゃ!!)
 約束が果たせない。
 思考は焦る。挽回の手立てが無い。
 更に体が限界だと悲鳴を上げる。
 ほぼ息継ぎなしで打ち合っているのだから当たり前だ。
 それに対して敵は無表情のまま最初より鋭く剣を振るう。
 そしてそれは突然訪れる。
 フツノが澄んだ音を立てて折れる。
「!?」
 驚愕は一瞬。
 だがその一瞬が致命的なものへと変わる。
 相手は冷静に剣を上段から振り下ろす。
「っ、まだ!!」
 判断もまた一瞬。
 避けるには時間が足りない。避けられたとしても後が無い。ならば向かうだけ。
 折れた刀を捨て、振り下ろされる剣を両手で挟む。

 白刃取り。

 流石に驚いたのか相手の動きが一瞬止まる。
(そのまま動きを止めときなさい!!)
 いきなり頭に響く女性の声。
 咄嗟の指示に従い、力場で赤剣を固定。
「づ」
 赤剣を固定した瞬間、目に見えない何かが流れ込む。

 人として最も純粋で、最も醜悪な欲望。
 それだけが延々と流し込まれる。
(これがシュウ君の取り込んでいるもの)
 その一部。
 気が()れそうになるほどの膨大な量。そして質。
 それがコールタールのように全身に纏わり付く。
「うっ」
 吐き気をこらえ、赤剣を固定することだけを考える。
(まだなのか?)
 長くは自分の心が持たない。
 剣を固定したまま膝が崩れる。
 時間の感覚が分からなくなる。
「く」
 限界だと思ったその時、呪文が響く。
「封印封縛鎖!!」
 突如現れた光の鎖が彼の手足に絡みつく。
 まるで、手負いの獣が鎖に繋がれたかの様に彼が咆え、光の鎖に亀裂が走る。
 だが鎖が断ち切られる前に新たな呪文が重ねられる。
「封円陣!!」
 追い詰めるように彼の足元に円が敷かれ動きの大半を封じる。
「封呪匣!!」
 更に駄目押しの呪文を唱えたところで彼の動きが止まり意識を失う。

「ふぅ・・・・・・」
 痛む頭で息を整える。
 彼が意識を失ってから程なく、大気の異常も消えた。
 取り敢えずは一安心だろう。
(約束は果たせなかったけどね)
 苦笑を漏らしてから立ち上がる。
 先程の呪文を唱えた主に目をやる。
 そこにはもう一人の娘の姿があった。
 だが中身は別の者だと雰囲気ですぐ分かる。
「久しぶりね。エガミトーヤ」
「こちらこそ久しぶり。助かったよ、ツキコさん」
 軽い挨拶を交わす。
 だが二人とも声は温度を感じさせず、目も笑ってはいない。
「ああ、それから名前は間違わないで欲しいな。今は神崎一夜だ」
「あらそうだったわね、ごめんなさい。エガミトーヤ(・・・・・・)
 一音、一音区切るように名前を呼び冷めた視線のまま微笑む。
「私も貴方には例え偽名でも名前を呼ばれたく無いわね。虫唾が走るから」
「安心するといい。お互い様だ」
 笑みを絶やし、睨みあう事数秒。
 大きく息を吐いてそれを止めた。
「いがみ合っていても先に進まないか。―――貴女の思惑は知らないが礼だけは言っておく」
「殊勝な心掛けね。出来れば貴方だけは、あのままくたばってくれた方が嬉しかったんだけど」
 本当に残念そうに冷たい笑みを見せる。
 それを無視して話を進める。
「それで、シュウ君は大丈夫なのか?」
「―――恐らく大丈夫よ」
 ヤレヤレと肩を竦める。
「神様の癖に『恐らく』か。―――流石は半神。常に人の期待を裏切ってくれる」
「神になんの期待もしてない人間が良く言うわ」
 呆れた物言いを受け流し、嘲笑を浮かべる。
「期待位するさ。そろそろ人間(ぼくたち)で遊ぶのに飽きてくれると助かる」
 怒気の篭った鋭い視線で睨まれる。
「遊びで悪かったわね。私は至って本気よ」
「だったら尚の事性質が悪い」
 同じく怒気の篭った目で相手を睨み返す。
「他人の人生を弄ぶのも大概にしろ」
 その視線をお返しだと言わんばかりに受け流される。
「あら、なに? 八つ当たり? 私に貴方の娘を差し出したのは他ならぬ人間(あなたたち)自身よ?」
「分かっているさ。そしてそれは()自身の不甲斐無さ故にだと言う事も」
 いきなり雰囲気を一変させ、外見とは不釣合いな艶っぽい笑みを見せる。
「良い瞳ね。貴方のことは大嫌いだけどその瞳は好きよ。一人称も昔と同じ。あの時のことを鮮明に思い出させてくれるわ」
「―――」
「本当に良い瞳。残虐で冷酷。平気で何人も殺してそうな瞳よ」
 満足そうにクスッと笑い謳うように言葉を紡ぐ。
「凍てつく十の夜を統べし者は神をも壊す」
 一度言葉を切って
「忘れないことね、壊神(えがみ)統夜(とうや)。私達は貴方を絶対に赦さない」
「言ったはずだ。お互い様だと」
 再び無言で睨み合う。
 こんどは先に相手が止めた。
「さっきも言ったけど恐らくシュウは大丈夫よ。でも念のため魔素を補給するのは目が覚めて、意識が確認できてからにしなさい」
「・・・・・・」
「貴方が昔のままで安心したわ。今回は引くけど、次に会うときは殺し合いの出来る状況だと嬉しいわね」
「―――同じことを三度も言わせるな」
「そ。それじゃ、さよならね」
 そう言って目を閉じると体が傾きだし、それを支える。
 再び大きく息を吐き、結界に覆われた空を見上げ一人呟く。
「熱くなり過ぎだ、俺」



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