2-15 望んだもの

 そのまま消えるはずだった意識の沈降が止まる。
(ぁ、づっぁ)
 最初に感じたのは痛み。
 次いでそれが熱による痛みだと気付く。
 停まりかけていた心臓が力強く脈打つ。
 まだ生きられると言うように。
 まだ生きていけると言うように。
 苦しいまでの自己主張。
 全力疾走した時よりも早く、強く、脈動する体が意識の浮上を促す。

 続いて四肢に血と共に生気が巡る。
 体の中心を基点とし力が循環を始める。
 最初はゆっくりと。徐々に回転率を上げていくソレは際限を知らぬかのように体を廻る。
 運動は熱を生む。
 その熱が、体に逆らって内に潜ろうとする意識を強引に引き上げる。


 目を開ける。
 先程と変わらぬ天井。
 そして、心配そうに自分を見つめている桜。その表情が綻ぶ。
「シュウちゃん・・・・・・」
 左手はまだ握られたまま。
 空いている方の手で呆然と自分の唇をなぞる。
 僅かな湿り気と充足する魔力。
 そのことにショックを受ける。
 落胆と喪失。遣る瀬無さ。期待していた物の裏切り。
 それらをごちゃ混ぜにした失望。
 それなのに驚くほど声はよく通った。

「どうして、殺して―――死なせてくれなかったの?」

 咎めはなく純粋な疑問として。けれど失望した声音は隠しようが無かった。
 目の前の少女は視線を逸らす。
「シュウちゃんは・・・・・・死にたかったんですか?」
「―――」
 無言。
 意図して死にたかったわけではない。
 ただそういう運命であるなら死にたかった。それは結局―――
「―――うん、死にたかった」
 少女は俯いたまま問いを重ねる。
「どうして?」
 疲れた声で答える。
「・・・・・・生き続けるのが苦しいから、かな?」
「っ―――私は!!」
 涙を溜めた瞳と震える声。
「私は、それでもっ!!貴方に生きて欲しかった・・・・・・」



 ◇ ◆ ◇ ◆

 彼は死に安らぎを覚えていたのではないだろうか?

 薄々は気付いていた。
 より正確に言うなら『死に安らぎを覚えていた』ことにではなく、『生きるのが苦しい』ことに。
 それは特別な感情を持って彼を見ていたから。
 いや、その感情があったことを差し引いたとしても、彼は特別だったから。

「泣かないで」
 いつの間に体を起こしたのか優しく涙を拭ってくれる。
 柔らかな声と、卑怯なくらい優しい微笑み。
 でも悲しい。
 堪えきれず嗚咽が漏れる。
 そうすると困った顔で彼はまた微笑む。
 でも切ない。

 彼の微笑みはいつも優し過ぎて心が痛む。
 どれだけ辛いことを耐え抜けば、こんな風に笑えるようになるだろう?
 涙を流さずにずっと。
 生きることが苦しくなるほどにずっと。

 なんとか嗚咽を堪えて言葉を形にする。
「―――だったら!! だったら・・・・・・ちゃんと泣いてください!!」
 八つ当たりじみた彼への不満が爆発する。
「憎むだけじゃなく、憤るだけじゃなく、嘆くだけでもなく、―――ちゃんと!!」
 彼は一瞬驚いた顔をして、すぐまた寂しそうに微笑む。
「ごめんね、桜。でも、もう泣かないってあの時決めたから」
 小さくありがとうと彼は付け足す。
 でもそんな台詞くらいで、私の溜め込んだ気持ちは収まってくれない。
「そんなのだから、だから疲れるんです!! 泣けばいいのに!! ―――泣いたら少しは楽になるはずなのに!! 泣かないから、そんな・・・・・・」
 言っていることは無茶苦茶で、泣けば良いと言っている相手より先に泣いている自分がすごく馬鹿らしくて、余計に涙が溢れてくる。
 そんな私を彼は扱いに困った顔で見守ってくれている。
 あぁ、どうせ私は小さい時から泣き虫で、ずっと手を煩わせてばっかりで、傍に居るのは面倒ですよと卑屈な視線を彼に送る。
 それでも私は―――

「ねぇ、桜」
 思考の途中で彼が呟く。
「どれだけ想いを重ねて、どれだけ命を懸けたら世界は幸福(しあわせ)になるんだろうね?」
 いつもと違う微笑みに言葉を失くす。
 今度は彼が俯く。
「命を懸けても、想いを重ねても、いつも救えないんだ。―――肝心な時に」
 私にはその『いつも』が何を指しているのかはわからない。だから黙って彼の言葉に耳を傾ける。
「『泣けば良い』だなんて―――今更泣けないよ。感傷すら思い出として美化することができるのに」
 自嘲するように呟いた言葉が震えているのは気のせいだろうか?
「―――シュウちゃん?」
 悲痛な独白。
「守りたかったんだ。―――大切な女性(ひと)を、時間を、場所を、全部っ」
 上げた顔には黒い双眸が揺れていた。
「・・・・・・シュウちゃん」
 痛いくらいに手が握られる。
「また失う所だったんだ!! 僕のせいで、雪を―――」
 自分(ぼく)のせいでと、そうやって『いつも』自分を責め続けたのだろうか?
「ただ持て余して、傍にいる誰かを失うだけの力で!! 守るって約束したのに!! それなのに、泣けるわけ、ないっ・・・・・・」
 守るなんて約束、何時お姉ちゃんとしたんだろうと心の奥が小さく疼く。それでも今は彼のことが心配だった。
「―――でも、お姉ちゃんは守ってくれました」
 泣き出す一歩手前のようなくしゃくしゃな顔。
「その事は誇って良い事だと思います。―――ううん、誇って下さい」
 涙を見せまいとするのは男の子だからだろうか?
 再び溢れ出した自分の涙を、片手で拭いながら微笑む。
「だから泣いて下さい。人は悲しい時だけに涙を流すんじゃないんです」
 涙を堪え続けるには、彼の精神(こころ)は限界に見えた。
「泣けばいいです。お姉ちゃんを守れた事に安堵して」
 そう言ってから一歩前に出て、自分より幅の広い肩を片手で優しく抱きしめる。
「泣いてるところはこうすれば見えなくなりますから」
 少年の左手を握ったまま。
「だから、泣いて下さい」
 少年は驚きに動きを止め小さく呟く。
「もう泣かないと・・・・・・あのとき決めたはずなのにね」



 ◇ ◆ ◇ ◆

 別に誰に責められたわけじゃない。
 自分で自分を罵った。
 力が無いことを。
 護れなかったことを。
 助けられなかったことを。
 そして救えなかったことを。

 もし次があったなら、同じ過ちを繰り返さないように。
 己の無力を呪わぬように。
 だから望んだ。
 より一層の力を。

 だがそれは根本的な解決には繋がらなかった。
 それでも、そうするしか方法が浮かばなかった。



 ◇ ◆ ◇ ◆

 彼は一度鼻をすすり、格好悪ぃと呟くと抱擁を自分から解いた。
 時間にして5分足らず。
 嗚咽を漏らすことも無く静かに。流した涙もほんの数滴。
 彼が今まで我慢してきた量と比べればそれは微々たるものだろうけれど、それでも彼は確かに涙を流した。
「少しは楽になりましたか?」
 バツが悪いのと照れからか目線を合わせず、口を尖らせて少しはと可愛げのない返事を返す。
 その姿がおかしくて小さく笑う。
 笑われた方は顔を赤くしてそっぽを向く。

 可愛い。
 可愛げの無いところが余計に可愛い。
 照れていることは一目瞭然なのに、それを下手な仕草で隠そうとする姿が可愛い。
 幼い少年に見る照れ隠し。
 普段、からかわれても滅多にこういう反応をしないから余計におかしく、そして愛おしい。



 ◇ ◆ ◇ ◆

 桜が一頻り笑い、収まるのを見計らってから咳払いをして口を開く。
「あー、まぁ、その、・・・・・・ありがとう」
 目を合わせず、傍から見れば心が篭っているとは言えない感謝の言葉。
 それでも桜は満面の笑みを返してくれた。
 その笑顔を見て浅く息を吐く。
(なんで、こう毒気が無いのかねぇ)
 桜は溜息の意味がわからず怪訝そうな顔で首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「いや、何でも無い」
 素っ気無い答えに頬を膨らませる。
「シュウちゃんはどうして、そう素直じゃないんですか?」
「どーせ、俺は素直じゃないですよ」
「開き直らないで下さい!!」
 むーと小さく唸りながら桜が睨んでくるが全然怖くない。
 それに対し、今度は胸の中で溜息を吐いてから思う。いい機会だと。
「桜」
 真剣な呼びかけに桜は表情を正す。
「はい?」
 唐突に、前触れも無く告げる。
「俺を追うのはもう止めろ」
 息を呑む音が響いた。



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