2-19 彼女の願い

 廊下を歩きながら一夜さんに言われた通り、ちょっと寄り道をすることにした。
 扉の横のプレートに神崎六花と書かれていた個室の前で足を止める。
 軽く深呼吸して扉を叩く。
 返事は無い。
 室内に動く気配が無いのを確認して個室へ足を踏み入れる。

 自分が寝ていた部屋と大きな差は無く、ベッドが部屋の三分の一程を占めている。
 ベッドの脇に立ち、雪の寝顔をそっと窺う。
「・・・・・・」
 穏やかな呼吸と共にゆっくりと胸が上下している。
 それを見て自然と笑みが零れる。
 よかった、と改めて思った。
 命が失われずに済んだ事が。

 結局、一人で空回って暴走して落ち込んで。
 濃い苦笑を漏らす。
(なんか間抜けだ)
 とりあえず自分の心が予想以上にトラウマに対して脆かったのは今後注意しておくべき点だろう。
 笑みが消して小さく呟く。
「―――惨劇の記憶は未だ消えず、か」
 目を閉じて意識すれば以前よりも鮮明に、村が炎に包まれていく光景がありありと浮かぶ。
 その根底は暗く、そして深い。
 そのまま意識が胸の内に沈みかけたが、布と布が擦れる音に遮られる。
「んっ・・・・・・」
 ベッドの上で身動ぎした雪が、小さく喉を鳴らしてから目を覚ます。
「あれー? ・・・・・・シュウちゃん?」
 焦点のイマイチ合わない寝惚け眼と、起き抜けの声。
「ごめん、起こした?」
 屈んで目を合わせると雪はゆっくり四度瞬きを繰り返す。
「・・・・・・あっ!?」
 短い悲鳴を上げて急に上半身を起こそうとするのを慌てて止めて、代わりに手を貸してゆっくり起こす。
「シュ、シュウちゃん大丈夫ですか!?」
「見ての通り。特に異常はないよ。―――雪の方こそ大丈夫?」
「ほぇ?」
 何を問われたか分からないと言った表情でしばし逡巡。
「あれ? そう言えば私・・・・・・斬られて死んだんじゃぁ?」
 呆然とした口調で喋る雪に苦笑を返す。
「死んでないよ。ココは紛れも無く現世で、近くの病院」
 雪は記憶を整理する為か虚空を見つめる。
 安堵するかと思ったが、目蓋に涙を溜め、突然抱きつかれる。
「―――どうしたの?」
 驚きはしたものの、慌てずゆっくり問いかける。
「わ、私、夢を見ていたんです」
 嗚咽を堪えるように、廻された腕が強く抱きしめてくる。
「うん」
「それで、男の子がいて、凄く悲しくて、切なくて・・・・・・」
「うん」
「なのに、周りの人は全然分かってあげようともしないで。酷いことばっかり言われて・・・・・・」
「うん」
「泣きたいのに全然泣かなくて・・・・・・」
「うん」
 不意に涙で濡れた目が見上げてくる。
「あれは、シュウちゃんだったんです、・・・・・・か?」
 断定の様でいて、曖昧な問い掛け。
 それに対するは無言。
 ただ濡れた瞳と窓から射し込む月の光を浴びる雪に、場違いな感情が胸を占める。
 それを今は関係の無いことだと心から締め出す。
「―――それだけじゃ、僕かどうかは分からないよ」
「でもっ!!」
 感情を昂らせ、言い募ろうとする雪にゆっくりと首を横に振る。
「『僕じゃない』とは言わないよ。でも今の説明だけじゃ『僕である』とも言えない」
「あ・・・・・・」
 そう言って冷静さを取り戻した雪は抱擁を解き、俯いて黙り込む。
 今の説明では身体的特徴はおろか、どんな事があったのか。それすらも説明されてはいない。
「―――どうして雪はその男の子を僕だと思ったの?」
「?」
 問われた意味を理解しきれず雪は首を傾げる。
「その男の子が僕だと思った理由だよ」
 言葉に迷った末の解答は
「―――シュウちゃんだと、そう思ったからです」
「それに明確な理由は無いんだね?」
 確認を取ると雪は肩を落として頷く。
 それは共有できると思っていた感情を一方的に断たれた時によく似ていた。
 しばしの間、無言が病室を支配する。

 先に口を開いたのは雪だった。
「どうしてシュウちゃんは、優しいままで居られるんですか?」
 いつか尋ねられたのと同じ問い。
 感情を抑えた声は疲れているようにも聞こえた。
「・・・・・・前に答えたろ? 優しいわけじゃないって」
「その続きが聞きたいんです」
 再び顔を上げた瞳は真剣で、けれど迷いに揺れていた。
 浅く息を吐いてから紡いだ言葉は
「・・・・・・優しいわけじゃないよ。ただ諦めて、憐れんでいるだけ」
 無言で見つめ続ける雪から目を逸らす。
「『人間なんてこんなものさ』と割り切った付き合いにしておけば、別に裏切られても大して辛くはないだろ?」
「でも、じゃぁどうしてシュウちゃんは優しいんですか?」
 困った笑みを見せる。
「可哀想だからだよ。雪や桜は同情が優しいように見えてるだけ。ただの勘違い」
「本当に?」
 軽蔑されたかなぁと頭の隅で思うが、まぁしかたない。
「うん。ホント」
 場違いな明るい声で笑う。
「そう―――ですか」
 覇気の無い声で雪は項垂れる。

 再び沈黙の支配した病室で、さてこれからどうすっかなぁと軽く思う。
(ここに居ても始まらないしなぁ・・・・・・)
 雪を凹ませたまま放置しておくのもどうかと思うが、上手くフォローする自信は無い。それに雪も考える時間は必要だろう。
(とりあえず、今は掛けるべき言葉が見当たらないしなぁ・・・・・・)
 これからの予定も在ることだしと、無言で立ち去ろうとして体の向きを変えた瞬間。
 上着の袖が何かに引っ掛かる。
 驚いて振り向いた先には、俯いた雪が震える指で袖の端を小さく摘まんでいた。
 袖を摘む力は弱く、簡単に振り払える程度のモノだったけれど、何故かそれをするのは躊躇われた。
 二人とも言葉は無く、石の様に固まったまま時間だけが過ぎる。
 永遠に続くかと思われた静寂を破ったのは雪だった。
「わ、私は―――」
 震える声を止めるように一度言葉を切る。
「優しいシュウちゃんに助けられたんです」
「だから、それは・・・・・・」
 呆れと僅かな苛立の混じった声で否定しようとしたが、強い言葉に遮られる。
「それでも!! 例え勘違いだったとしても―――私には、救いだったんです!!」
 袖を摘んでいた指に力が篭る。
「きっとシュウちゃんは知らないでしょうけど・・・・・・シュウちゃんの在り方は私にとってすごく勇気を与えてくれるものだったんです」
 喋るうちに最初の勢いは徐々に削がれ、最後は息を吐く位に弱々しかった。

 へー、そうだったのかぁと暢気に、そして漠然と思う。
 卑怯者で嘘吐きな自分の一体どこに、救いとなるような切欠(きっかけ)があったのか。
 実感など湧こうはずも無い。それに―――
 溜息を吐いてから口を開く。

「雪だって知らないだろ? 雪と桜、それに千夏の在り方が僕にとって救いだったことに」

 雪はえっ? と驚いた表情で自分の顔を見上げてくる。
 その表情になんだかなぁと思い、再度息を吐いて頭を掻く。それから向き直り、冷めた視線で雪の目を射抜く。
「そんなもんでしょ? 誰に、どう、思われてるかなんて知りようも無いんだから」
 口調は軽薄に。けれどその軽薄さがより冷気を漂わせる。
 雪は顔を歪め、唇を噛み俯く。
 その様子を見て一人思う。
 これで決定的だなと。
 まぁ、告白を断った時からこうなるのは目に見えていたし、時間の問題だった。ただ失くしてしまうのが嫌で、それを先延ばししていただけの関係。それが少し早まっただけの話。
 元々、彼女からの一方的な想いが無ければこの微温湯の様な関係が壊れることも崩れることも無かった。

 だからと言って別段彼女を責める気も元より無く、とどのつまりは自分の所為なわけで。
 壊すのが嫌なら最初から彼女の告白を受け入れておけば良かったのだ。例え自分の意に反することになったとしても。それでも否としたのは自分なのだから今更言っても仕方が無い。
 そんな事を考えつつ頭の裏側では、これは本気で家を出ることを計画せねばなぁと段取りを考え始める。
 これ以上ここに留まっても仕方ないかと思考を切り上げ、

「シュウちゃんの馬鹿」

 ・・・・・・ようとしたら絶妙のタイミングで罵られた。
 涙を浮かべながら、少しだけ眉を立てて睨んでくる。
「シュウちゃんのこと信じちゃ駄目ですか?」
 絶句した。

 答えを待たず少女は言葉を重ねる。
「ただ信じていたいだけなんです」

 ―――揺れる瞳が余りにも変わっていなかったから。

「それでも駄目ですか?」

 ―――七年前、森の中の小屋で見た、見惚れるほど綺麗で純粋な瞳と同じで。

「信じていたいんです・・・・・・」
 そう言って俯く。
 理解しがたい感情が胸に広がる。
 いいよと口に出して、安心させるために抱き締めたかった。
 だが口から出た言葉は天邪鬼なもので
「妄信的な信頼は裏切られた時辛いよ?」
 困った口調と呆れた微笑。

 ―――変わらない瞳を信じたかったけれど。

 桜に伝えたのと似た言葉。
「それを理解した上で、信じたいなら雪の好きにすればいい」
 苦笑したまま笑みを浮かべる。
 雪は俯いたまま涙を拭い、何度も頷く。

 ―――臆病な僕には多分もう無理だから。

 優しく髪を梳く。

 ―――同じく身勝手な思いで恐縮だけれど、君は君のままで居て欲しいと、そう願った。



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