2-20 今は居ない

 雪が泣き止むのを待ってから声を掛ける。
「落ち着いた?」
 ゆっくり一度頷く。
「今日はもうゆっくり休むといいよ」
 今度は頷かず、逆に問いかけてくる。
「シュウちゃんはこれからどうするんですか?」
「んー、ちょっと野暮用を・・・・・・」
「戦った人達の所へ行くんですか?」
 言い切る前に核心を突かれた。
(分かってるなら聞くなよなぁ)
 どう答えようか、迷ったものの正直に答える。
「―――うん。話をつけて来る」
「話し合いに行くだけ・・・・・・ですか?」
 真意を探るような問い掛け。
 それに対し溜息を吐く。
 どー言ったもんかなぁと頭を掻く。
「一番の目的は話し合いだけど、話し合いで決着が付かないなら戦闘になるだろうね」
「付いて行っちゃ・・・・・・駄目ですか?」
「駄目」
 即答。
 そこは譲ってはいけない一線だ。
「また斬られでもしたらどうするの? 今度こそ助からないかもしれないよ? そんな場所に連れて行ける訳がない」
 反論を許さぬ強い視線を雪に送る。
 だがその視線に負けることなく雪は真っ直ぐ見返してくる。
「それでも付いて行きます」
 無言の睨み合いが続く。意志を曲げることなく互いの視線をぶつけ合う。
 先に折れたのは自分だった。
 盛大な溜息を吐く。
「本当に危ないんだよ?」
「分かってます。それでもシュウちゃんを一人にしたくはないんです」
 必死な顔で言い募られる。
 もう一度溜息を吐く。
(俺はどんだけ危うい子だよ)
 そう尋ねてみたい衝動に駆られるがとりあえず無視。
 眉間に皺を寄せ考える。

 どうせ駄目だと言った所で付いて来るのは目に見えている。だったら目の置ける場所に居たほうが安全ではなかろうか?
 それに傷を負わせてしまったことで部外者とは完全に言えなくなった。少なくとも何故自分が傷つけられたのか。知る権利を有していると思う。
 また溜息を吐く。
 何だかんだ言いながら連れて行くほうへ天秤が傾きかけている。
 雪の行動を止める手立ては、手段を問わなければ幾らでも在る。それでもそういう事はしたくないなぁと思っている自分が確かに存在する。
(甘いな)
 冷静な部分は冷ややかに判断を下す。ついでに一夜さんの言葉を思い出す。
(冷酷にはなりきれない、かぁ)
 参ったなぁと一人呟き、さらに溜息を漏らす。

「雪。約束守れる?」
 言葉にしてからなんか子供をあやすみたいな台詞だなぁと思う。
 雪は真剣な目で頷く。
「ん。だったら僕の傍から絶対に離れないで」
 もう一度雪は頷く。
「んじゃま、行こうかね」
 ベッドから一歩下がり、降りられるだけのスペースを空けて室内を見回す。
「どうしたんですか?」
 患者用のスリッパを履きながら雪が尋ねてくる。
「んー? いや・・・・・・」
 続く言葉を口には出さず胸の中で思う。
(上着が無いなぁ、と)
 流石に医療用のガウン一枚でうろつかせるわけにはいかない。
(見ようによっては今のシチュエーションも中々に際どいよなぁ)
 どうでもいいことを思考しながら、仕方ないので自分の上着に手を掛けた。



 ◇ ◆ ◇ ◆

 二人分の異なった足音が病院の廊下に響く。一つはシュウちゃんの靴の音で、もう一つは私の茶色いゴムスリッパの音。
 半歩先を歩くシュウちゃんは無言。けれどその左手は私の右手を緩く握ってくれている。
 私の歩幅に合わせるように、いつもより一歩分の距離が短い。
 その気遣いが嬉しくもある反面、振られた日のことを思い出して少し切ない。

 下りそうになる視線を慌てて上げる。
 肩越しにシュウちゃんの横顔を盗み見ると無表情。少なくとも怒ってはいないようなのでちょっぴり安堵する。
 そんな窺う動作を一つとっても、見上げる形になってしまう事に体格差を思い知らされる。

 視線を右の袖口に移せば、辛うじて指の第一関節がのぞいているだけの状態だ。肩幅も合っていないので余計に袖が長く感じられる。

 視線を戻し、もう一度シュウちゃんの横顔を見る。
 今度は眉に力が篭り表情が真剣なものになっているのが分かった。

 その真剣な横顔が私は好きだ。

 凛とした空気を纏い、意志と覚悟を持って相手へと臨む。
 横顔を見てそんな風に思うのは、好きだからだと思うでもなくただ感じる。

 右手を強く握る。
 目的地は近い。
 恐の感情が体に震えを生む。
 すると震えに気付いたように半歩先を行く足が止まり振り返る。
 振り返った表情は笑み。
 同時に繋いだ手を握り返される。大丈夫だと、そう言われた気がした。
 震えが止まる。
 その反応に満足したのか再び足を進める。

 本気で泣きたくなった。
 前を歩く男性の気遣いに。優しさに。
 それでも、それを悟られないよう歩を乱すことはしなかった。
(違うよ、シュウちゃん)
 声には出さず語りかける。
(私が怖いのは傷付くことじゃないよ)
 確かに斬られることは痛いし怖いと思う。けれどもっと怖いことがある。それは―――
(貴方がこの世界から居なくなってしまうことの方がずっと怖い)

 夢で彼の過去をある程度知っている分、向かう先に居る人達の目的が朧気に分かる。
 だから怖い。
 彼自身が帰ることを選択してしまうことが。そうなれば止める手立ては無くなるから。
 命令や強制は聞かないけれど、お願いは聞いてくれる人だから。
 困っている人が居ると面倒くさいと口では言いながらも助けに行く人だから。
 その優しさが今はすごく怖い。



 ◇ ◆ ◇ ◆

 406と書かれた大部屋の前に立つ。夜が更けているにも関わらず、人工の灯りが漏れていた。
 患者の名前を記すプレートには何も書かれていない。
 隣を見れば雪が心配そうな表情でこちらを窺っている。
 もう一度、安心させるように笑みを見せてから表情を引き締め、力場を練る。普通に展開するより大きくそして厚く。雪を一緒に包むように展開。
 雪が驚に表情を改める。応答はやはり無言の笑顔。
 すぐに表情を戻しドアノブに手を掛ける。
 ノックをせずに扉を軽く横に押す。
「たのもー」
 扉をスライドさせた瞬間、いきなり正面から短剣が三本飛んでくる。
 眉間、喉、心臓。全て急所狙いの避け難い物だ。
(でも、狙いが正確過ぎるんだよなぁ)
 眉間狙いの最初一本を右手で掴み、そのまま残りの二本を弾く。オマケとして手にした一本を飛んできた方向へ高速で投げ返す。
「ッ!?」
 短い悲鳴と共に短剣を投げてきた相手の顔を見る。
 見れば壁際で耳の横に深々と突き刺さった短剣に息を呑んでいた。
 それに対して不遜な声で声を掛ける。
「よぉ、元気そうで何よりだ」
 室内の空気が一気に硬くなる。
「―――何をしにきたのです、救世主」
 剣の柄に手を掛けたまま、リエーテと名乗った女が険のある声で問う。
「んー? 恩売りに」
 その雰囲気を気にもせずあけすけな態度で答える。
 こちらの言葉に怪訝そうな顔を全員が返す。
「そこのベッドに寝てる野郎を助けてやるって言ったんだよ」
 顎で一番奥のベッドを示す。ベッドを囲むように立っていた男達の先から小さく呻き声が聞こえている。
 生まれるのは猜疑の空気。
「・・・・・・何が目的です?」
 リエーテが警戒するように言葉を発する。
「べっつにー? 恩を売って見返りが欲しいとこだけど、旨味は無さそうだしなぁ。あえて言うなら憐みによる施しか?」
 嘲るような口調が気に障ったのか再び眉に険が篭る。
「ならばそんなものは不要だと言いましょう。私たちは貴方から施しを受ける謂れもありませんし、任務を破棄するつもりもありません」
 その言葉にヤレヤレと頭を掻く。頭固いなぁと。
「別にアンタ等に強制するつもりも脅すつもりもないが、ソイツ一生苦痛の中で目ぇ覚まさずに死ぬぜ」
 一瞬気が怯んだがすぐに持ち直す。
「その方法は自力で探し当てます」
 ああ、そう。じゃあ精々頑張れよと言って立ち去りたい所だったが取り敢えずは我慢。
 溜息一つ。
「テメェ等の能力じゃ百年掛かっても呪解は不可能だ」
 キツイ視線で睨まれるが気にしない。
「ソレはそういう類の呪詛じゃねぇんだ。契約による対価に対して第三者が介入できるほどの技術は持ち合わせて無いだろう?」
 焦れるような空気。
 助力を請うべきかどうか。仲間を助けたいと思う反面、借りを作るべきでは無いとでも思っているのだろう。
 指揮官はその判断で迷い、部下は上官の判断を待っている。
 口を開いたのはアレックスと名乗った金髪の男だった。
「隊長、申し出を受けましょう」
「アレク!!」
 咎めるような声にアレックスは眉を寄せ、仕方ないという風に答える。
「救世主殿の言う通り、我々ではシデを今の状況から救うことはできませんし、なにより貴女の方が部下を失うことに耐えられないでしょう?」
 リエーテは図星をつかれ悔しそうに俯く。
「それに、もう救世主殿を力でどうにかするのは不可能です」
 深い苦笑。
 数を持ってしても埋める事の出来ない圧倒的な差。
「・・・・・・わかりました」
 図星をつかれたのたのとは別種の悔しさを滲ませながらリエーテは顔を上げる。
「救世主、すみませんがお願いできますか?」
 鼻で軽く笑いそれに皮肉を加える。
「賢明な部下が居てよかったな」
 雪の手を引いたまま病室の奥へと進む。
 他の男たちは無言で道を空けていく。
「先に言っとくが敵対行動なんかするなよ?」
 隣の雪を気にしつつ全員の顔を見回す。
「もし行動を起こしたらどうなるんです?」
 アレックスが挑むような声で尋ねてくる。
 中々にいい気概だなと感心しつつ、暴力的な笑みと共に即答する。
「潰す」
 敵が全員怯んだことに満足し、視線を横になっている男へ下げる。
 男は顔を大きく歪め、苦しそうに呻き続けていた。額には濡れたタオルが掛けられていたが温くなっているだろうことを男の発汗量から推測する。
 特に感慨も湧きはしない。自分の為したことだと言うのに罪悪感さえ覚えないのかと頭の隅で囁く声がする。
 それを今はどうでもいいことだと頭から締め出し、男の胸に手をかざす。
 告げるのは簡素な一文。
 口を開こうとして頭に浮かんだのは、友人のありがとうという言葉と力ない笑み。それが自分の中にある友人の最後だ。
 それに対し今自分に出来ることは、
「―――ケン。ごめん」
 一息。
「今はまだ苦しみの中で眠れ。叶わぬ願いと共に世界を夢見て」
 かざした手から静電気に似た音がした。
 その一瞬後に男が呻くのを止め、続いて呼吸が正常に戻り、苦痛に歪んでいた顔は嘘のように穏やかなものに変わっていく。
 拍子抜けする程のあっけない幕切れだった。
 息を詰めていた男の仲間達は皆一様に安堵の笑みを浮かべている。
 と思ったら例外が居た。
 リエーテだけは強い疑念による強張った表情でこちらを直視していた。



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