2-21 密会にて

 男が目を覚ますのを待たず、病室を後にする。
 長居すれば余計な火種を生みかねない。
(少なくとも友好的な態度とは言えなかったしねぇ)
 アレックスと言う男の発言から、とりあえず向こうが考えなしに喧嘩を売ってくることはもう無いだろう推論も得た。それなら長居は無用とさっさと撤収。
 それでも一応、病室を出るときに他人を巻き込んだらもっと凄いぞと釘は刺しておいた。

 雪の手を引いたまま消毒液臭い廊下を歩く。
 個室のある階よりも匂いがキツイな、とそんな事を漠然と思いながら雪の歩調に合わせる。
 歩きながらも、全員の四肢の骨を折って物理的に動きを封じたほうが後々楽だったかなぁと自分の行動を省みたりしてみたり。
 雪は黙ったまま何も喋らない。
 でも居心地の悪くない沈黙。
 理由は不明だが雪の雰囲気は何故か丸く嬉しそうだった。
(血みどろの話し合いにならなくて安心したのか?)
 まぁどうせ答えは出ないし、と早々に思考を切り上げ、
「待って下さい、救世主」
 ・・・・・・ようとしたら後から声が掛かった。それも少し距離の離れた所から。
 内心で溜息を吐き振り返る。
 リエーテは短く無い距離を追って来ていた。
 背に雪を隠すように立ち、不機嫌な声で尋ねる。
「まだ、なんか用か?」
 険のある声にリエーテは一瞬たじろぐもすぐに気を取り直す。
「・・・・・・内密に尋ねたいことがあります。少し時間を頂けないでしょうか?」



 ◇ ◆ ◇ ◆

 鉄の扉が開く音と共に屋上へ出る。
 天を見上げれば欠け始めた月は南天を過ぎ、西に大分傾き出していた。
 遮るもののない屋上では吹き曝しの冷たい風が頬を薙いでいく。
 雪に上着を着せておいて正解だったなと自画自賛しつつ、防護効果も兼ねた力場(フィールド)を練って二人分の風除けを作る。
「こんな場所で申し訳ありません、救世主。部下にも聞かれたくない話でしたので」
 一応、申し訳無いという感情は持ち合わせているらしい。
 だが惜しい。残念ながらそういう気遣いは明日に持ち越して欲しかった。
「まずは謝辞を。部下を救っていただいてありがとうございました」
 そう言いながら微笑んで頭を下げる様子は今までの印象と随分違う。初対面の時よりも柔らかく、幾分幼く見えた。

「べっつにー。有難いと思うならさっさとこの件から手を引いてくれると助かるんだけどー?」
「申し訳ありませんがそれは出来ません」
 リエーテはきっぱりと否定する。その顔は既に見慣れた兵士としての顔だ。
 特に期待していなかったので落胆もしない。
 だろうな、と気の無い返事を返す。
「んで、何の用だ? 寒いしさっさと帰って寝たいんだが」
「ええ・・・・・・」
 口に出すのを躊躇うようにチラリとこちらに視線を送ってくる。その視線の言わんとしていることに気付き、
「彼女の同席を認めないのなら話を聞く気は無い。アンタの話を聞いてる間に彼女が他の奴等に襲われたら堪ったもんじゃないからな」
 リエーテは落胆に似た苦笑を返す。
「信用されて無いんですね」
「当然だろう? それに敵を簡単に信用するほどお人好しでもない」
 人一人を炙り出すために町を焼こうとした人間の何を信じればいいのか理解に苦しむ。信頼実績はまるでゼロ。むしろマイナスだ。
 そうですか、と思案した後、意を決したように口を開く。
「では救世主。改めて質問を・・・・・・」
「ちょっと待った」
 言葉を遮り、眉間に寄った皺を人差し指で解しながら、
「その小っ恥ずかしい『救世主』って呼び方ヤメろ」
 別に一人の時は良かったが、他人を交えて連呼されるとかなり恥ずかしい。
 リエーテは驚いた顔をして次に苦笑する。
「・・・・・・ではシュウ=アストレイとお呼びしたらいいですか? それともミドルネームを含めフルネームで呼んだ方がよろしいですか?」
 後半、明らかに揶揄する口調が入っていた。
 言いたいことは分かる。過去のフルネームは自分でも覚えきれないような冗長な名前になっているからだ。
 それを無視して、覚えてないのかと肩を竦める。
「先に黒河修司と名乗ったハズだがね」
 リエーテは眉を寄せて言い難そうに、
「クロカワーシュージィ?」
 頭の上に疑問詞を浮かべる。
 舌打ち。
 イライラとした声で抑揚を正す。
「シュウジ=クロカワだ」
 それに対してリエーテは理由の分からない、悲しそうな顔で笑う。
「もうアストレイの姓は名乗ってはいないのですね」
 必要以上に冷めた声で返す。
「人に名前を四度も尋ねるつもりか?」
 もう一度リエーテは微妙な笑みを見せる。捨てられたものを惜しむような、そんな顔だ。
 ポツリと呟く。
「―――私は貴方の事を覚えていたのに、貴方は私ことを忘れているというのは悔しいものですね」
 もっとも貴方にとっては些細な出来事だったので仕方ありませんがと小さく付け足す。
 何の事だと咄嗟に尋ねそうになって―――思い留まった。

 会話の相手は自分の敵だ。聞いて知った所でどうしようもない。ならば知らないほうがいい。
(相手の想いを知るなんて重いだけだしねー)
 相変わらず冷めてるなぁと胸の中で自嘲する。
 しかしその方が冷静に判断を下すことが出来るのは事実だ。

 リエーテは表情を改める。
「ではシュージ。改めて質問です」
 あ、こんにゃろ。いきなり呼び捨てかよと思ったがツッコミは止めておいた。
 歳は自分の方が下だし、軍から抜けているので今は階級も関係ない。微妙に釈然としないがこの際目を瞑ろう。寒いし。
「・・・・・・シデの呪解を行う時に『ケン』と言う単語が出ましたが、あの『ケン』間違いありませんか?」
 薄く笑って問い返す。
「どの『ケン』だ?」
「・・・・・・魔王の、です」
 厳しい表情でリエーテは答える。
「じゃあアンタの質問に対する答えは『その通りだ』で満足か?」
 鋭い視線で睨み返される。
 人を食ったような返事がお気に召さなかった模様。だが事実なんだからしょうがない。
 怒りを極力抑え、事務的な口調でリエーテは続ける。
「―――では重ねて問います。なぜ封印された人物の名があそこで上がるのです?」
「逆に聞くが、アンタはケンの事をどの程度聞いている?」
 問い返しにリエーテは一瞬言葉を詰まらせる。
「・・・・・・私が知っているのはケンと呼ばれる人物が魔王の業を持っていたこと。そしてその力を以って大戦に参加し戦果をあげたこと。その後、魔王の覚醒を危惧した軍上層部及び貴族によって封印されたこと。それだけです」
 暗い歪な笑みを持って言葉を作る。
「アンタの知識はそれだけか? だったら分からなくて当然だろう? 根本的に基礎知識が不足しているんだから」
 リエーテの表情と語尾が険を帯びたものに変わる。
「どういう意味です?」
「言葉通りの意味だ。アンタは―――否、アンタ等はなにも分かっちゃいない」
 胸の中で憎悪を伴った昏く暗い炎が燈る。
 彼女に言っても仕方ないことだと理性は言う。そして事実、彼女が悪いわけでもない。
 真に悪いのは情報操作によって事実を隠蔽し、真実を秘匿しようとした何者かだ。だが彼女に非が無いのかといえばNoだ。
「与えられた情報(モノ)だけで解った気になんかなりやがって。ソレで満足するのは愚の骨頂ってもんだろ?」
 無性にイライラする。
「そんなことさえ考えられない奴らが集まるから、勇者から当てにされねぇんだよ、テメェ等は」
 そして八つ当たりだ、とも。
「テメェ等は誰の犠牲の上に今の幸福な生活があるか考えたことがあるか? 今この瞬間にも他人の不幸を背負わされて苦しみに耐えている奴が間違いなく一人、絶対(・・)に居るんだよ!! それなのに困ったことがあったらすぐ他人を当てにしようとする」
 だが、それとは全く別の所から溢れる感情が止まらない。
 言われた言葉にリエーテは困惑する。
「一体何の事を・・・・・・」
 言っているのか、と続くはずだった言葉を遮る。
「自分達の無能さを棚に上げて、すぐに人の手を借りようっていうテメェ等根性が気に食わねぇんだ!! 皺寄せを俺の周りに持ち込むんじゃねぇ!!」
 言われて初めて気付いかのようにリエーテは目を丸くする。
 その仕草が余計に腹立たしく、再び口を開こうとした瞬間。
「!?」
 思いも寄らぬ方向から腕を引っ張られた。
 慌てて引っ張られたほうに目をやると、俯いた雪が小さく震えていた。
「―――」
 一気に思考から熱が冷める。
「シュウちゃん、駄目だよ」
 目を合わせないまま、雪は震えながら言葉を紡ぐ。
「自分を責めないで」

「・・・・・・は?」
 間抜けな顔で聞き返す。
 あの女(リエーテ)を責めないで、なら意味は分かる。責めているのは自分なのだから。
 だが雪は(じぶん)を責めるなと言った。
 訳が分からない。
「だって、辛そうだよ?」
 何故か雪は瞳を潤ませる。
「痛いのを必死に我慢してるみたいに見えるよ?」
 見上げてくる視線は真剣で、返す言葉が見つからない。
「責め立てているのはシュウちゃんなのに、どーしてそんなに泣きそうなんですかぁ?」
「・・・・・・」
 泣きそうなのは雪のほうだろうにと頭の隅で思う。
 大きく深呼吸をして篭っていた熱を吐き出す。
 雪の頭をポンポンと軽く撫ぜ、視線をリエーテに戻す。
「―――約束したからだ」
「・・・・・・え?」
 放たれた言葉が自分に向けられたことにリエーテは気付かず反応が遅れた。
 それに対して唇の片側だけを吊り上げて応える。
「アンタの質問に対する答え」
「!? だからそれは一体どういうことなのです!?」
 ニヤリと。
「アンタの質問に答えてやれるのはココまでだ。残りは宿題」
 リエーテは無言で睨んでくる。
「答えが知りたきゃ勇者に尋ねてみろ。その答えが正しいかどうか、答え合わせ位ならしてやる。―――もっとも問えば答えが返って来るなんて、甘い考えはするなよ? 勇者は知られたくないみたいだしな」
 話は終わったと雪の手を取り扉に向かって歩き出す。
 歩みを停めず後ろに向けて声を放つ。
「真実が知りたきゃ世界に対して声高に問い、そして何が正しいのか考え続けろ。そうすりゃ、ちったぁマシになるだろうよ」
 ドアノブを掴み重い扉を開く。
 雪を先に潜らせてから、最後に振り向く。
「―――怒鳴って悪かったな」
 言われた相手は表情を驚に変えたが、気にせず扉を閉めた。



 ◇ ◆ ◇ ◆

 鉄の扉が閉まる音を聞いて、詰めていた息を吐き出す。それと共に力場を消す。
 力場を消したことで冷たい風が直接身に当たる。
 その冷たさが弛緩した体をもう一度引き締めてくれるような気がした。
 結局、謎は謎のまま。一層疑問が膨らんだだけだった。
 髪を流れるまま風に任せ寒空を見上げる。
「『怒鳴って悪かったな』ですか・・・・・・」
 少年が最後に放った言葉を自分の唇でなぞる。
 驚いた。
 人を小馬鹿にしたような態度ばかりとるので素直に謝るとは夢にも思わなかった。
 実は案外、素直な性格をしているのかもしれない。
 自分がそうであるように役割を作っているのかも、と。
 一軍人としての自分。班長としての自分。女としての自分。
 必要な時に必要な役割を作ることで冷静に物事に対処しようとしているのかもしれない。もしそうだとしたら彼が自分達に対して作っていた役割は
「敵、ですか」
 自分で言葉を作っておきながら、お腹の辺りが重くなる。
 自嘲の笑みを浮かべる。
「この調子ではお礼は言えそうにもないですね」
 任務とは別に、機会があれば一言伝えたかった。
 八年前、助けてくれてありがとうございましたと。
 記憶に多少美化が入っていることを自覚しつつ、瞳を閉じて溜息を吐く。
「覚えているわけ無いですよね?」
 誰へ向けたわけでもない問い掛けは風と共に流れ、そして消えていく。
 覚えていることを期待していなかったと言えば嘘になる。だがその反面、それも仕方の無いことだと思う。
 それよりもショックだったのは姓を捨てていたことだ。
「憧れていたのですけどね・・・・・・」
 彼の言う通り勝手に理想化していただけ。
 そのことを恥じ入ると同時に眉根に力を込める。
 言われたことを行動に移してみようと。
 少しでも『マシ』になるために。自分の意志で。
 問うことで新しいことが分かるかもしれない。
 そして分からないなりに考えていくしかないのだ。
 心が決まれば体は動く。
 風を切り、扉に向かって歩き出した。



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