雪を庇うように階段を上がり前に出る。それと同時、顔に出さぬよう内心で迂闊だったなと強く思う。
雪との会話に気を取られすぎていた。
(もしここが戦場だったら、軽く十回は死ねるなぁ・・・・・・)
普段ならまずやらない様なミスを犯した自分に嫌気が差す。
(もしかして俺、弱くなってる?)
だったら嫌だなぁ、ブルーな気分で前を見る。
リエーテは青ざめた表情で口を開く。
「さっき言っていたことは本当―――なのですか?」
信じられないわけでなく、信じたくない類の話なのだろう。特に国を無謬の物だと信じて疑わないような
冷めた笑みを見せる。
「答え合わせならしてやると言ったが、
盗み聞きと揶揄されても反論しない辺り自失状態に近い。
その様子を皮肉る。
「オイオイ、俺が
「ッ!?」
一応人の話を耳に入れる余裕は有るらしい。
真実を疑わせるような軽薄さを持ってヤレヤレと肩を竦める。
「コレじゃ順序が逆になったか。―――ま、ソレならソレでカンニングの答えが合ってるかどうかは勇者様にでも聞いとけ」
返答は無く、迷いと揺らぎを消しきれない瞳を見て背を向ける。
今の敵は脅威とはなりえない。
雪に目線だけで合図して何も言わずその場を離れた。
◇ ◆ ◇ ◆
救世主と別れ、当ても無く廊下を彷徨う。
グルグルと救世主の言っていたことが頭の中を巡る。
軍部がそういう場所だという事は知っていたはずだった。
でなければ自分の故郷が戦火に焼かれることはなかったし、自分が軍人を目指すこともなかった。
終戦間際。
シスハという小さな街を襲った悲劇。
戦略的価値に乏しいその街は、けれど敵国に侵攻された。
いや、侵攻と言うには語弊があるかもしれない。あれは最早蹂躙だった。
今でも覚えている。
全てを悟り、諦めから膝を折る大人たち。
空に浮かぶ巨大な魔法陣から放たれた業火。
暴力の塊。
破壊の閃光。
そして友人を、家を、家族を失った。
無力な自分。
それでも街は辛うじて全壊を免れる結果となる。軍部の命令を無視した『第十三独立機構鉄槌部隊』―――通称ユダによって。
軍幹部は国の被害を最小限に抑えるために故郷を切り捨てる決断を採った。
そもそも戦略的価値の乏しい小さな街を敵国が侵攻したのは、追い詰められた敵部隊の最後の意趣返しだったらしい。
もっともこれ等のことを知ったのは随分後になってからの話になる。
それから、もう間もなくして大戦は終わった。
人々に大きな傷跡を残して。
私は軍人だ。
だからその時の軍部の決断を一方的に責めることはできない。
多くの民を救う。
それが軍人として最大の使命だろう。
確かに昔は、自国の軍に対して妙な反抗心があったのは否定しきれない。
それ故に軍部の門戸を叩いた。
零れる命を少しでも救う為に。
女というハンデがあることも、それが綺麗事であることも、承知の上で。
それは昔見た救世主の行動に感化されてのことだったのか。
かつて自分の中にあったはずの、今はもうすっかり忘れていた想い。
忘れてしまったのは時の流れか。それとも残酷な現実を見て、理想を諦めてしまったからだろうか。
・・・・・・違う。
ただ単純に己の弱さに溺れてしまっただけ。
仮に理由があったとしても、それは言い訳にしかならない。
「うっ・・・・・・」
唐突に吐き気がこみ上がる。
救世主を探し出す為に自分はどんな作戦を立案、実行したのか。
戦略級魔法を敷いて。
自国の民では無いからと言い訳に甘えて。
それを自覚しながらも救世主が助けるだろうと楽観視して。
自分の故郷を焼いた一方的な暴力を憎んでいたにも関わらず。
それすらも忘れて。
なんて身勝手で傲慢。
こんなにも自分の心が性悪だと感じたのは初めてだった。
(ああ、だから・・・・・・)
「隊長?」
不意に呼びかけられた声に顔を上げ、相手の顔を確認する。
「・・・・・・アレク」
「帰りが遅いので心配しましたよ」
言いながらアレクは苦笑する。
ノロノロと視線を上にあげると406と書かれた部屋の前に立っていた。
気付かない内に病室の前まで帰ってきていたらしい。
「隊長、どうかしましたか?」
こちらの様子を怪訝に思ったのか心配そうに尋ねてくる。
「―――」
口を開いてそのまま噤んでしまう。
話してもいいのだろうか?
聞いてしまった内容を。
喋って楽になってしまいたい反面、真実を告げることで要らぬ猜疑心を軍部に抱いてしまわないだろうか。―――今の自分のように。
「隊長」
いつの間にか俯いていた視線を再び上げる。
「何を躊躇っているのかは知りませんが話してください」
驚きに目を瞠る。
心外だとばかりにアレクは苦笑する。
「何を驚いているんですか? 隊長との付き合いは短くないんですから、その位分かりますって」
「・・・・・・私は考えていることが表情に出やすいですか?」
「少なくとも今の状態は非常に分かり易いですよ」
穏やかな笑み。
その笑みを見て決心する。
「ありがとう、アレク。皆はまだ起きていますか? これからの行動について意見を聞きたい」
◇ ◆ ◇ ◆
大部屋の中。部下達に聞いた話を伝えた。
皆、一様に戸惑った表情を浮かべ顔を見合わせている。
「皆の忌憚の無い意見が聞きたい。我々はこれからどうすべきなのかを」
まず口を開いたのはライオットだ。
「確かにそれが事実であるとすれば、救世主が国を去った原因には納得がいきます。ですが任務を放棄するかは別の話でしょう」
「私も同感だ」
ライオットの意見にリックが追従する。
「仮に魔王封印が軍の暗部だったとしても、合理性を考えればそれは仕方ないこと」
イゼアルも同意するように頷く。
「それにここで任務を放棄するのであれば、それは我々がサイ様を裏切ったことになる。そんなことは避けたい」
しかし、そこでセイルが異を挟む。
「私は一度帰還すべきだと思う」
静かな言葉に、任務の続行の意志を示したライオットたちが咎めるような視線を送る。
セイルはその視線に苦笑を返す。
「私も任務が達成できたらと思う意志は皆と同じだ。だが実際にどうやって救世主を連れ戻す?」
問われた視線に先の三人は俯く。
「我々は救世主を甘く見ていた。七人いればどうにかなるだろうと。確かに私も最初に戦った時はそう思ったさ。だが少し考えれば分かる。救世主もサイ様やグラン様と同じなのだ」
セイルはそのまま畳み掛けるように言葉を作る。
「そして恐らく現時点では説得も不可能だろう。・・・・・・一度、時間をおいて冷静になってから事に臨むべきだと思う」
三人が一層言葉に窮するのを見てシデが口を開く。
「私は別の理由からセイルと同意見だ。先に言っておくが臆病者と罵ってくれてかまわん」
自嘲を刻む。
「正直、救世主ともう一度対峙するのが恐ろしい。またあの呪いを掛けられたらと思うとゾッとする」
痛みを思い出したのかシデの顔色は悪い。
「そんなに酷い物だったのですか?」
質問した私に向け、シデは力ない笑みを見せる。
「筆舌に尽くし難いです。あの呪いを受けているのが例え厄災を撒き散らすだけの『魔王』であっても同情を禁じ得ない」
室内に重い空気が満ちる。
「班長はどう思っているのですか?」
今まで口を挟もうとしなかったアレクが沈黙を破る。
「―――私は」
問われ言葉に窮する。
私はどうしたいのか?
自分一人で決断出来なかったので皆に意見を求めた。その事はアレクも分かっているはず。だが敢えてアレクは私の意見を求めた。
そして今は皆で議論している場であり、立場は指揮官。軽々しく個人の感情で発言するわけにはいかない。
だから迷う。
本音を言えばこの任務の達成は半ば諦めていた。
もちろん皆と同じように達成できることなら、是が非でもそうしたい。
けれどそれと同時に相手が悪すぎる。セイルが言ったように力尽くはもちろん、説得も絶望的だろう。
そしてなにより―――救世主の怒りの正体を知ってしまった。
それは先程まで忘れていた、かつての自分が最も忌み嫌った行い。
大多数の幸福の為に切り捨てられ、失われる命。
虫のいい話だ。
忘れていた時は何とも思わなかったのに思い出した途端、無意味な罪悪感に襲われる。
一度は収まっていたむかつきが再びぶり返しだす。
「隊長」
アレクの困ったような呼び声に顔を上げる。
「悩んでいますか?」
「・・・・・・ええ」
これでは指揮官として失格だ。
結局、自分が無能だと思い知らされて終わり。なんの解決にもなっていない。
「もし、まだ手があると言ったら隊長はどうします?」
「え?」
突然の言葉に皆の視線が一斉に集まる。
当の本人は苦笑しながら
「上手くいくかどうか、自信は余りありませんが手はあります」
表情を真剣なものに変える。
「仕込みは私一人でできますが、作戦の実行を許可して頂けますか?」
◇ ◆ ◇ ◆
病室に一人。
目を閉じてベッドの上に片膝を立てた姿勢で座っていた。
静かな病室に秒針の音だけが響く。
(そろそろかかなぁ・・・・・・)
顔を上げて時計の針を見れば短針は3を指していた。
後三十分して何も起こらなければ今日はもう寝ようかなとそんなことを思っていた矢先、扉がノックされる。
扉越しでも伝わるピリピリとした空気。
予想通りだが、嬉しくない来客。
「―――どーぞ」
返事をしてから扉が横にスライドし、三人の男女が入ってくる。
「夜分遅くにすみません」
真面目な顔で口を開いたのはリエーテ。
薄い笑みを浮かべて返答する。
「本当に。今何時だと思ってるんだ?」
悪びれもせずリエーテは答える。
「ええ。ですがこちらも火急の用事がありますので」
「ふーん、あっそう。それで何の用事?」
「付いて来て欲しい場所があります」
「なんで俺が付いて行かなきゃならないのさ?」
初めてリエーテが表情を変える。
「ここですと周りに迷惑が掛かりそうなので」
「は、成程ね」
ベッドから降り、不敵な笑みを浮かべる。
「んで、俺はどこに付いて行けば良いのかね?」