2-25 日常への帰還

 不自然な風が頬を撫でて行く。
 風は宙に浮かぶ黒い穴に向かって吸い込まれていた。
(門つーよりも丸っきり穴だよなー)
 魔法を使うんなら、もうちょっと見た目に気をつけて欲しいなぁと不満に思う。
 それとは逆に穴から漏れ出してくる匂いに懐かしさを覚える。
「・・・・・・はは」
 妙な高揚感と共に小さく笑みが漏れる。
 動きは突然。

 強風の中を疾駆し、勢いを付け全力で結界を殴りつける。
 結界に亀裂が入る。
「っ!?」
 防御結界を張っていた二人は動きに付いて来れず、慌てて結界の強化を図る。
 その反応を無視して、容赦無く二撃目を叩き込む。
 結界が硝子のように割れる。

 久しく忘れていた全力という感覚。

 たったの二発。
 それだけで二人掛かりの意思(おもい)を全否定しうる人外の力。
 全力の出せる開放感を笑い飛ばしたくなる。
 その一方で全力を出すのはここまでだと自らに厳命する。
 酔わず、驕らず。
 これ以上全力を発揮し続ければ、死人が出ることを直感的に悟る。

 結界を張っていた二人は強引な負荷に呻き声を上げ倒れかけていた。
 だがそれを待ってやるほど優しくは無い。

 一方は胸倉を、もう一方は髪の毛を掴み、時間差をつけて宙へ軽く放り投げる。
「手加減してやるんだし、この程度で死ぬなよ?」
 聞こえていないだろう事実は無視して、落ちてきた相手をサッカーボールよろしく穴に向かって蹴り飛ばす。
 狙いは違わず、二人とも綺麗に穴に吸い込まれていった。
 残りの相手を視界に収め鼻で笑う。
「弱ぇ」
 敵の一人、ウィンドウの制御をしていた男が忌々しそうに呟く。
「・・・・・・化け物が」
 それに対し凄惨な笑みを見せる。
「何を今更」
 次の瞬間にはその男の正面に立ち、鳩尾を殴りつけている。
「がっ!?」
 男もやはり反応できず、膝が崩れ落ちそうになる。
「コラコラ、寝るのは早過ぎだろ?」
 胸倉を掴み崩れ落ちるのを阻む。
「お前らが勇者や英雄、救世主と呼んでいる存在は皆等しく化け物だよ」
 言い聞かせるように言葉を放つ。
 後は用済みだと穴に向かって投げ捨てる。
 これで残り四人。

「おおおぉぉぉっ!!」
 今度は正面から剣を構え叫びながら突っ込んでくる。
「芸が無い」
 敵に向かって伸ばした手に力場(フィールド)の密度を高める。
「―――それに言っただろ?」
 力場に剣が触れた瞬間、鋼鉄の刃が真っ二つに折れる。
「テメェ等程の意志(ちから)じゃ傷一つ付けられない、てな」
 下顎を狙い、拳を繰り出す。相手は動きを目で追う事も出来ず体が宙に浮く。
 落下を待たず回し蹴りを胸に見舞う。その先には黒い穴があり、やはり吸い込まれる。
 だがその間に後ろからもう一人が襲い掛かって来ていた。
「連携がイマイチ」
 難なくそれを躱し、腕を取り背負い投げの要領で地面に思い切り叩きつける。
 相手の肺から空気が漏れ出す音がして、痛みに顔を歪める。
 意識を手放さなかったことを内心で褒めながら膝を振り上げる。
「つ!?」
 意図を悟った敵は咄嗟に腕を交差させ胸部を防御する。
 そのガードした腕ごと、震脚を落とし踏み抜く。
 防御力場もろとも貫通された腕が嫌な音を立て、声にならない叫びが上がる。
 それも無視して言葉を作る。
「オイオイ、腕の一本や二本が逝った位で大げさ過ぎだろ?」
 胸倉を掴んで持ち上げると負の念が宿った瞳とかち合う。
(この程度で感情曝け出しちゃって、まぁ。―――きっと痛みに対する“頭の悪い”耐性訓練とか受けてないんだろうなー)
 ま、そっちの方が幸福だよなと場違いな感想を得て、穴に向かって放り投げる。
 これで残りはリエーテとアレックスの二人。

 強風の中で二人は身構えていた。
 対するこちらは構えも取らず自然体で無防備。
 それでも二人は踏み込めないでいた。
「―――来ないならこっちから行くぞ?」
 一瞬でアレックスの懐に潜り込み拳を振るうが、惜しい所で防御される。
 反応速度から、どうやら未だに例のシステムを使用しているらしいことを悟る。
(御苦労なこって)
 皮肉とも憐れみとも言えぬ感情を持つが戦闘は続行。
 膝を使って蹴撃。
 今度はバックステップで距離を空けられる。
 追わず、横に動き、指先に一瞬で力場を集め収束。
 加圧(ブースト)して左手をアンダースロウ、右手をサイドスロウで、合計十の指弾を放つ。そしてすぐ脚部に力場を集め猛追。
 十の指弾は全てが別々の軌道を描き、進行方向を限定させると同時に気を逸らさせる。
 牽制の為に放った指弾で狙い通りの場所へ誘導し、蹴撃を見舞う。
「ドンピシャ」
「く!?」
 きっちりガードしてくるがガードの上から更に追加でもう一発。体勢が崩れる。
 相手に反撃の暇を与えないよう拳と蹴りを放ちながら口を開く。
「さっきのネタバラシの礼にこっちもネタを教えてやるよ」
 相手は確実に攻撃を捌きながら眉間に皺を寄せる。
「実はいつでもお前ら倒せてたんだわ」
 敵が奥歯を噛む。
 軽く放ったフックは上手くガードされる。
「わざわざ(ゲート)が開くのを待ってたのは、俺の魔力を使用せずにお前らだけを送り返せるから。それをなんとか足止めは出来ていると勘違いしたのが敗因」
 気持ちだけは負けまいとしてかアレックスは反論する。
「まだ決着は着いていないっ!!」
 言葉と共に飛んでくるのは拳。そこから畳掛ける様に一気に連続技へと繋げてくる。
 その全てを最小の動作だけで躱す。
「決着はお前らの策が破られた時点でとっくに着いてるさ」
 アレックスは額に汗を浮かべながらも不敵に笑う。
「まだ策を仕掛けてあるかもしれませんよ」
「ああ、それは無い」
 即答で断言。
「なぜ言い切れるのです?」
「勘」
 簡潔な回答に目を見張る。
 その一瞬の隙を見逃さず、腹にストレートを叩き込み相手との距離が空く。
 腕に残った感触からやや浅かったなと足を止めて前を見る。
 片膝を立てたまま腹を押さえ顔を歪めていた。
 その息は既に上がっている。
「あ、それとそのシステム切った方がいいぞ?」
 鋭い視線で睨み返される。
「言ったはずです。―――私は軍人だと」
 なんと言ったら良い物かと頭を掻く。こちらが意図した論点がズレている。
「あー、別に寿命(そっち)の心配はしてないんだ。俺が言ってるのは別口」
 今度は視線が疑念の混じった物に変わる。
「俺が言いたいのは―――」
 さらに一段早い速度で接近し―――
勝てない(ムダだ)から止めとけって事」
 首に手刀を落とすと、あっけなく意識を失う。
「大体さ? 煙草吸うのだって同じ様に寿命削るのに、ンなモン背負った位で強くなれるわけねぇだろ?」
 襟首を掴んで穴に向かって放り投げる。
 これで残りは一人。
 軽く息を吐く。
「さてと。まだ()るか?」
 そろそろ世界から門への圧力が高まってきている。魔力の供給も止まっているので、消滅してしまうのも時間の問題だろう。

 相手の踵が地面を擦る。
 言葉で先手を打ってその動きを封じる。
「ああ、手加減はしてるけど油断はしてないから奇襲するのは無意味ね?」
 行動を起こす前に考えを指摘されて不機嫌な顔をする。
「・・・・・・なぜそんなことを言うのです? 皆と同じように反撃すればいいでしょう?」
「んー? べっつにー。―――単に女性を殴るのが趣味じゃないだけ」
 相手はどう反応すればいいのか、困ったように眉をハの字にする。
 長い時間を掛けて逡巡。

 浅く息を吐き、構えを解く。同時に敵意も消えた。
 無駄な争いは避けてくれるようで何より。
「んでだ、伝言を頼みたい」
「伝言?」
「帰ったら勇者と英雄(バカども)に伝えろ。言いたいことがあるなら自分で出向け、ってな」
 自分の上司を批判されたからか思いっきり睨まれる。
 その視線を無視して影から二つのデータキューブを取り出し、リエーテに向かって放り投げる。
 キューブは綺麗に放物線を描き相手の手の中に収まった。
「これは?」
 怪訝そうに眉を寄せる。
「伝言と一緒に渡せば分かる。アンタには関係の無い代物だが、中身が気になるのなら盗み見するなり、コピーとるなり好きにすればいい」
 皮肉っぽく言葉を続ける。
「それから任務が終わったらレポート書かなきゃならんだろ? ソレに救世主がいかにテメェ等の国に帰りたくないと思っているかを書いて貰う為にもな」
 感情の読めぬ目で
「シュージ。貴方は本当に―――」
「愚問だな、リエーテ=グゥリ=シスハ。アンタ等は軍人だろう? 一々疑問を挟むなよ」
 リエーテは挑発するように言葉を作る。
「―――それなら貴方の指示に従う必要性もありませんね」
「勘違いするな。『指示』じゃなくてただの『お願い』だ。それを一々叶える事の煩雑さは理解している。だからアンタが伝言を忘れようが、キューブを捨てようが好きにすればいい」
 互いに視線をぶつけ合い沈黙が生まれる。

 先に折れたのはリエーテだった。
「本当に貴方は不思議な人ですね」
 困った顔で苦笑する。
「ではこの件は貸し1にしておきましょう」
「アンタの部下の呪解してやっただろ? 貸し借りは無しだ」
「二つそれぞれをフィス様とグラン様に届けることになるので2引く1で1です」
 舌打ち。
「・・・・・・いいだろう」
 リエーテの口元が緩む。
「初めて勝った気がします」
「あー、ハイハイ。良かったね。―――とっとと失せろ」
 投槍に言葉を作り追い払う仕草をする。
「最後に一つだけ」
 リエーテは表情を真面目な物に変える。
「シュージ。貴方はなぜ敵を殺さないのですか? 非効率的だと思うのですが」
「何? アンタ死にたいの?」
 軽口で返すがリエーテの真剣な表情は崩れなかった。
 嘆息一つ。
 何と答えようか、頭を掻いて思案してから
「それも“約束”だ」
 考える間があってから再び問いがくる。
「―――貴方はいつも律儀に“約束”を守り続けているのですか?」
「ケース・バイ・ケース」
 簡潔な答えに今度はリエーテが溜息を吐く。
「・・・・・・煮え切らない回答ですね」
「知ったことか」
 こちらの発言を華麗に無視して敬礼をとる。
「それではまたいつかお会いする日を楽しみにしておきます」
 それだけ言うとリエーテは真っ直ぐに門に向かう。
 門を潜る直前に振り返り上機嫌な笑みを見せる。
「少しだけ希望が持てました」
「ハ?」
 こちらの疑問には答えず、謎の言葉を残しその姿は消えた。



 ◇ ◆ ◇ ◆

「ふぅ・・・・・・」
 誰も居なくなった丘の上で一人、息を吐く。
「全くもってヤレヤレだ」
 誰に言う訳でもなく言葉は黒い穴に吸い込まれていく。
 目の前には両手程の大きさになった黒い穴がある。
「さてと」
 小さく呟き顔を真剣な表情へ改める。
 穴の淵を左手でなぞり、構成を読み取る。
「・・・・・・」
 雑な造りである分、介入は容易だ。
 微量の魔力を練って即席の呪文を紡ぐ。
「―――別離の果てに、最果ての地へ」
 呪文を唱えると黒い穴は色を白に、形を門へと変える。
「其の地に至るも願いは叶うことなく、故に我は此の地に一人」
 異世界へ続いていた門は出入りを阻むように閉じられ、(かんぬき)が掛かる。
 最後に鎖と南京錠によって雁字搦(がんじがらめ)めにして封印は完成する。
「黒鎖郷失」
 言い終わると、初めから何も無かったかのように門は跡形もなく姿を消した。
 もう一度、息を吐いて夜空を見上げる。

 瞳に映るのは、過去の映像をスクリーンに映し出しただけの偽物の星空。
 その先に存在するはずの、けれど見ることの叶わぬ星。
 無言で拳をキツク握り締める。
 諦めなければ、いつかは届くだろうかと自問しながら。



 ◇ ◆ ◇ ◆

 それから少年は、明け方に病院に戻り、朝日が昇って。

 義父からは、結局一人で片を付けた事に『らしい』と苦笑され、複雑な顔を返した。

 検査の結果、特に体に異常は無いからと昼からの登校となる。
 鞄を教室に置き、その足ですぐ屋上に上がる。
 それからずっと少年は空を眺めていた。

 少年はふと、律儀に登校する割に授業をサボっている辺り、行動に一貫性が感じられない事に気付く。
「まっ、いっか」
 仰向けに寝たまま一人呟く。
 雲は風に流れ、形を変え、視界から消え、また次の雲が視界に入ってくる。
「・・・・・・平和だなー」
 今度はしみじみと呟く。
 少年は思う。
 流石に今回はダメかと思ったが
「案外、人生何とかなるもんだ」
 左手の五指を開き天へと伸ばす。何かを掴むように。力強く。
 だがその手には何も掴めてはいない。
「―――」
 掴めたのは虚空だけだ。
 少年は落胆することも無く、当たり前のことだと確認し、起き上がり背伸びをする。
 ちょうど授業の終わりのチャイムが響いた。

 はて、これは何時間目のチャイムだっけと首を捻っていると屋上の扉が開き、もう一人少年が顔を出す。
「よっ、シュウ」
「よぉ、ヒロスケ」
 軽く挨拶を交わしてヒロスケと呼ばれた少年が近づいてくる。
「終わったのか?」
「ん、取り敢えずは」
「取り敢えずは、か」
 ややウンザリしたようにヒロスケと呼ばれた少年は呟いて、背を向ける。
「あれ? そんだけ?」
 小言なり何なりを散々言われるだろうと覚悟していた少年はやや拍子抜けした様子だ。
「ま、お邪魔虫は退散ってね」
 それだけ言い残すとすぐに屋上から去って行った。

 ほぼ入れ違いで、この場所には珍しい二人の少女が顔を出す。
「・・・・・・どしたの? お揃いで」
 尋ねると片方の少女が小さく微笑む。
「ヒロ君に聞いたらここだろうって」
 その言葉にどうやら冷やかしの為だけに友人が来たらしいことを悟り、暇人めと内心で罵る。
「それから、『後でまたそっち行くから待っとけ』って」
 もう片方の少女が、あまり似ていない声音でここに居ない少年の真似をする。
「うへぇ、面倒だなぁ」
 やはり後で色々小言を言われるに違いない。
 少年は頭の中でさっさと逃げる算段を立て始める。
「ねぇ、シュウちゃん」
 少女が呼びかけ、少年が短く答える。
「ん?」
 少女の長い髪が、風に揺れて翻る。
 風に舞う髪を押さえ、続きの言葉を別の少女が作る。
「昨日も今日も慌しくて言えなかったから」
 一度言葉を切り、満面の笑みで両者が同時に口を開く。

「「おかえりなさい」」

 少年はその言葉に目を丸くして、けれどすぐに破顔する。
「―――うん、ただいま」
 言葉は風に乗り、青い空の下に広がって行った。



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あとがき

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