3-14

 耳鳴りがする。
 性質の悪い夢ではないかと自分を疑う。
 穏やかだった春の夕暮れが、暴風の渦巻く空間に変わっていた。
 周りにあった木々は見えない力によって薙倒され、禍々しい赤い光が満ちている。
 放電現象が鋭く光る。
 普通なら暢気に観察も出来ないだろう場所でアタシは白い光に護られていた。

 まるで現実感の無い光景。

 その最たるモノが地面に描かれた円より現れようとしていた。
 血を滲ませ歯を食い縛って耐える友人の視線の先に、ソレは居る。
 四肢が鋼鉄で出来た純白の巨人。
 主人に頭を垂らすかのように跪いた姿勢は、だが半分が透けて見える。
 ロボットにも幽霊は居るのだろうかと一瞬馬鹿げた考えが浮かぶも、すぐに掻き消える。
 徐々にその存在を確かなものにしていくロボット。
 けれど、その存在を拒むかのように、世界が見えない力をシュウに振るう。
「ッ!?」
 声にならない声だけで痛みに耐える。
 足元に血溜まりが出来、円に向けて伸ばした腕には無残な裂傷が奔っていた。
 いや腕だけではない。黒い服の至る所が裂けて綻んでいる。その下には、赤く染まった白いシャツと血を流す肉が見える。
 これ以上は耐えられないと思った。
 シュウが、ではなくアタシが。
 繋がれた手から、彼の遣り遂げるという強い意思と覚悟が読み取れた。
 だが無理だ。
 見ていられない。

 シュウの目はどこか虚ろで、今にも倒れそうな体を必死に堪えている。
 その懸命さを本来なら支えてあげるべきなのかもしれないし、普通の出来事であるならそれも(やぶさ)かではない。
 だがコレは無理だ。
 自身の命を削るような行為を助長して、その後に一体何が残る?
 残るのは後味の悪さだけでは無いか?

 シュウは言った。アタシの名前を借りると。『円』は『縁』に通じるとか訳の分からない駄洒落と一緒に。
 それが一体どういう意味を持っていて、どれほどの価値があるのかは知らない。
 けど、繋がれた手がそれを成しているのだとしたら答えは簡単だ。
 それをすることで止められるかどうかは分からないが、その時はその時だと思った。

 繋がれた手に思いっきり力を込めて、強引に振りほどく。
 驚きに振り返ったシュウは目を丸くしていた。
 アタシはその顔をキツク睨む。
 見えない力は速やかに収束へと向かい、ロボットの姿は音も無く消えていった。多分幽霊も成仏するときはこんな感じだろうと、関係の無い事を頭の隅で思う。

 シュウは生気の抜けた顔で、パクパクと口を動かす。
 声に出したかった言葉は、疑問か罵倒か。それとも別の何かか。
 正直どれでもよっかった。なぜなら―――
「アンタは馬鹿かッ!?」
 本来なら同時に拳骨を一発お見舞いしたかったが、今にも崩れそうなシュウの膝を鑑みて自重しておいた。
 言われた当人は一瞬傷付いた顔で、しかしすぐに怒気を露にする。
「な―――」
「シュウは!!」
 遮るように言葉を作る。言い訳する暇なんか与えてやら無い。
「シュウはそうやって!! 一人で格好付けて満足してればいいかもしれない。けどっ!! それに付き合わされる身にもなってみなさい!!」
 畳み掛けるように怒鳴る。
 シュウは迷子のような目で。どうすればいいのか、途方に暮れたような声を絞り出す。
「けど、これが―――」
「黙れ、このボンクラ!!」
 もう一回怒鳴った。
 肩で息をしながら、乱れた呼吸を整えるよう努める。
 ムカつきに任せて怒鳴り散らすなんて、いったい何時振りだろう?

 冷えた風が静かに吹き抜ける。
「―――ゴメン」
 謝罪は弱々しい声で降ってきた。
 けど言葉一つなんかで許してやらない。
「―――」
 だから無言。無言で怒気をアピール。

 馬鹿だ、馬鹿だとは思っていたが、ここまで馬鹿だとは思わなかった。
 コイツは何も分かっていない。
 残された者の悲しみが、痛みが、何一つ。分かって、ない。

 正直に言おう。
 最初は、何事にも全力を出さない軽薄ヤローだと思って軽蔑してた。
 付き合いが生まれて、身の上を聞いて、その境遇に少なからず同情した。
 でもそんなモノをコイツは望んでいないのは明白だった。
 その境遇が、もし自分だったらと重ねてみて少しだけ見直した。
 そして少なくとも、人の痛みを想う事の出来る奴だと安心した。
 誠実とは程遠い思考の持ち主だが、不実や裏切りを嫌うその姿勢は素直に共感できた。

 誠実でない事が、必ずしも不誠実だとは限らない。

 そういう事もあるのだと実感させてくれる、得難い友人なのだと。
 そう思って信用してしまった自分が―――悔しい。
 シュウの事をある程度理解した気になっていた。
 でも、もっと疑って掛かるべきだったのだ。
 コイツが、他人から見えるような位置に、本心を置いておくような無用心な真似をするはずが無いと。
 もっとずっと奥底の暗い闇の中にソレを隠している。
 自身の命を削ってまで何かを成そうとする覚悟は普通じゃ出来ない。
 どこかがイカレてないと無理だ。
 そんなものをアタシは理解した気になっていた。
 それが堪らなく、悔しい。

 悔し紛れにもう一回罵倒してやろうと思って顔を上げる。けどそれは果たされずに終わった。
「!? ちょっと!?」
 元々限界だったのだろうシュウの体が傾く。
 それを慌てて支える。
「重!?」
 支えたところまではよかったが、支えきれず一緒に倒れそうになる。
「・・・・・・ああ、ごめん。血が」
 呂律の怪しい声で謝罪するシュウに
「意識が、あるなら、自分の足で、立ちなさい、よっ!!」
 こんな時でさえ下らない事を気にしているシュウを、無性に引っぱたいてやりたい衝動に駆られたが生憎と今は手が塞がっている。
 そこへ突然、少女の甲高い声が響く。
「マスター!!」
 聞いた事の無い少女の声は悲鳴に近かった。そして急に掛かっていた重みが軽くなる。
 見れば少女が一緒にシュウを支えてくれていた。
 なんとか体勢を直して二人でシュウを地面に寝かせる。
「マスター!!」
 銀髪の少女はかなり乱暴にシュウの体を揺する。
 心配に眉を寄せる少女の横顔は―――まぁ、なんと言うか、可憐だった。
 ただその在り方はどこか人離れした可憐さで、作り物めいている。
 鮮烈なまでの印象を人に与えながら、その存在感は儚げでミステリアスだ。
 少女の横顔が反応の無いシュウに対して不意に歪む。
 で次の瞬間、アタシは状況も忘れて唖然としてしまった。
「な、な、な、なっ!?」
 言葉が不自由になった訳でもないのに、続く言葉が見つからない。
 少女は自身の唇をシュウの唇に重ねていた。
 例えそこに色付きの感情が無くとも、アタシの思考をパンクさせるには十分過ぎる出来事だ。
 どの位の時間そうしていたのか。少女の唇がゆっくりと離れる。
「目は覚めたか、マスター?」
 不機嫌な声で尋ねる少女に、シュウは気怠い声で返事を返す。
「・・・・・・ああ」
 横で聞いている身としては『お前は眠り姫か!?』とツッコミを入れたかったが
「馬鹿者!! 死にたいのか!?」
 少女の剣呑な声に遮られた。
「馬鹿はもう言われたし、死にたいわけじゃないよ。―――まだ」
 疲れた声音に少女は続けたかったであろう言葉を歯噛みと共に飲み込むと、初めて視線をこちらに向ける。
「すまない、エン殿。マスターを運ぶのを手伝って貰えないだろうか?」
 可憐な少女に似つかわしくない口調と、アタシの名前を知っている事に驚きを覚えながらぎこちなく頷く。

 もしかしなくても、運ぶ先はコイツの実家で。
 つまり、あの長い階段を人一人背負って上るという事実に気付いたのは、迂闊ながらシュウの肩に手を回してからの事だった。

 さっきよりも深く後悔したのは、言うまでも無い。



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