3-17

 単純で深い意味の無かった言葉。それに彼女は華やいだ笑顔で応える。
「はい。ではそうします」
 こちらが逆に呆気に取られたのに気付かなかったのか、華やいだ笑顔のまま
「シュウちゃん、気をつけて行って来て下さい」
「ん、じゃぁ行って来ます」
 軽いノリで挨拶をして通信を終える。
「―――」
 しばし黙考。
「なぁ、ロキ?」
「なんだ? マスター」
 抑揚の無い声が返ってくる。
「俺って鈍い?」
「鈍いな」
 即答。
「えぇー」
「なんだその不満そうな声は?」
「だってそこはもうちょっとさ、オブラードに包んで伝えるもんじゃない?」
「言う事が同じなら分かりやすいほうがいいであろう?」
「いやまぁ、そうなんだけど・・・・・・」
「自惚れていただけであろう? 鈍くはないと」
「うわー、それってちょっと恥ずかしいな」
 うーむと唸る。
「よし。じゃぁこれからはより謙虚に生きる事にする」
「懸命な判断だとは思うが」
「が?」
「人はそれを無駄な努力と呼ぶ」
「・・・・・・」
「謙虚に生きている人間は自分が謙虚に生きているという自覚はない。逆に謙虚になろうと考える時点で既に手遅れだ」
「いやいや、人間努力は大切ですヨ?」
「ウム。だから止めはせん」
 相変わらず可愛げのない。
 ふぅとロキは小さく息を吐いた。
「別にマスターは鈍いわけではない」
「さっきと言っている事がまるっきり違うんだが?」
「それでも姫の笑顔の意味が分からぬならそれは鈍いのだよ」
 難解な事を言う。
 そもそも何故、雪が姫? などと会話とは関係ない事を考える。かなり前に質問したが結局答えは聞けていない。
 負け惜しみかなと思うも感じた事を口にする。
「―――表面的には分かるんだ。要は好きな人との繋がりとか、心を許しあえた嬉しさとか、そういった類の感情(モノ)だろ?」
 好きな人ってあたりは自惚れだけど。
「30点」
「辛口採点だな、オイ」
「だが、分からぬのだろう? いや、腑に落ちないと言ったほうが正しいか?」
「―――」
 図星を指されて黙るしかない。
 今ロキはどんな顔で言葉を作っているのだろう? 多分無表情だ。
「マスターにとって、さっきの言葉は深い意味を持たなかったのかも知れぬ。だがそれが受け手側も同じとは限らん」
「そんな事、」
「分っている。だが分からぬのだろう? 矛盾だな」
 遮る声に、少し楽しげな響きがこもる。
「理性では分かるが、感情が納得しない。そういうことは間々あるものだ。無理に納得する必要は無いし、させる必要も無い。納得させたところで(しこり)が残るだけだ。今は『そう言うものなのか』ととりあえず心に留めておけばいい。その上で納得出切る、出来ないを決めるのはマスターだ」
「答えを出すに、俺はまだ早いと?」
「若い内から思考を固めすぎると柔軟性が無くなる」
 とりあえず今は感じるままにしておけと、そういうことだろうか。そして自分はまだ若いのかなーとぼんやり思う。
 その反面、説教されるのは面白くは無いわけで
「・・・・・・無駄に饒舌だな」
 ウムと頷く。
「主人に対して物知り顔で講釈する時間というのは、使い魔としてこの上ない愉悦の時間だ」
 可愛げのない奴と再び思う。
「マスター」
「ん?」
 語尾を上げて不機嫌な声で応じる。
 それにヤレヤレといった感じでロキが続ける。
「姫と千夏殿からだ」
 その言葉に振り向いて、差し出されていた物を手に取って眺める。
「―――御守り?」
「ウム」
 綺麗に作られてはいるが市販品ではない。そこから導き出される答えは
「手作り?」
 暇だなぁと口には出さず、胸の内だけで思う。
(しかもなぜか『交通安全』の刺繍だし・・・・・・)
 安産祈願で無いだけマシだろうか。
 効果の程は怪しいが、ありがたく貰っておこう。それから忘れずに礼を言う事を心の中にメモする。

「ところでマスター、話は変わるのだが」
「ん?」
「腹が減った」
「・・・・・・ああ、そう言えば俺も減ってるかも」
「ウム、ならば飯にしよう」
「いい案だが、肝心の食いもんがねぇよ」
「安心召されよ、マスター。有能な使い魔はこんな事もあろうかと弁当を用意している」
 物凄く疑わしい単語が気になったがこの際無視(スルー)しておく。
「ドッグフードじゃぁないだろうな?」
 ヤレヤレと言った口調で否定する。
「マスターはいい加減自分の使い魔を有能だと素直に認めるべきだ」
「えー、なんかそれってすげぇ癪な上に、負けた気がしねぇ?」
「勝ち負けの問題なのか?」
「いや、どーだろ?」
 ロキは嘆息を漏らす。
「とにかく飯にしよう、マスター」
 そう言ってシートから立ち上がり、勝手に人の影へ手を突っ込んで包みと水筒を取り出す。
 それを半目で見ながらシートの角度を変えて深く座りなおす。
 もしかしたら最後になるかもしれない食事は予想に反して手作り弁当だった。
「どっから持ってきたんだ?」
「姫達と千夏殿が一緒に作ってくれた」
 一緒に、と言うことはロキも作ったのか。だとしたら本当に器用な使い魔だと思う。
 弁当の蓋を開け中身を確認し美味そうだなと素直に感心。
 まず主食の三角お結びを口に運び、真ん中辺りまでかじる。
 中身の具に期待しつつ一目見て
「―――」
 目眩がした。

 愛情一杯、胸一杯。
(まさかお握りの具に山葵(わさび)が入っているとは思わなかったヨ!! しかも生で!!)
 コメディーでも、もうちょっと気の利いたベタな具を入れるのが通というものだろう。―――何がベタでどの辺が通なのか。具体例が思い浮かばないのが悲しい所だったりするのだけれど。
 受け狙いか本気かで今後の対応を真剣に考えなくてはならないが、そこはかとない悪意を感じるのは確かだ。
 感極まって咽び泣きしそうだ。
 そんなこちらを他所に鶏肉の唐揚を咀嚼している。
 微妙に満足そうな顔がムカつく。
「犯人はお前だ」
「いきなりな上に理不尽だ」
「お握りの具に山葵を入れるなんて考え、常人には不可能だ」
「? 握った米の上に刺身を置いてその間に山葵を挟むのが握りではないのか?」
 至極真面目な顔で言ってのける。
「それ握りチガウ。正確には酢飯の上に刺身だ。しかも刺身ないし!?」
「弁当は古来より保存性と携帯性を重視している。携帯性はともかく保存に生魚は不味いであろう? それに山葵は酸化を抑制できる」
「―――」
 一瞬気が遠くなる。
 だめだ、この使い魔。使えない!! 物凄く使えない!!
(まぁ、そんなこと知ってたけどネ!!)
 途方も無い労力を注ぎ込み、ネガティブな思考を無理矢理正常域まで持っていく。
「―――んで、もう一つ聞いておきたいことがあるんだが?」
「なんだ? マスター?」
 キョトンとした顔で見上げてくるロキ。その仕草だけは年相応に愛くるしいのだが

「なんで、お前は人の膝の上に乗っかってんだ?」

 重いわけではない。ただ衣服を通してなお相手の温もりが伝わってくる。それが酷く落ち着かない気分にさせる。不快なわけではない。けれど何となくこの体勢はよろしくないと理性が告げる。
 それを無視して主人(マスター)を(物理的な意味合いで)尻の下に敷くとはどういうことだ? とムカつきを前面に押し出す。

 ロキは一度フムと唸ると
「『違います、殿!! 寒かろうと暖めておりました!!』―――これでどうだろう?」
「・・・・・・何をどう思えと?」
「やはり天下を取ろうと思うと、いい訳も一流でなければならんというありがたい格言だと推測する」
「つまりお前は下克上がしたいと。そう言う事か?」
「いや、マスターの下に付く事に不満は無い」
 本気で言っているあたりなんだかなぁと溜息混じりに思う。
 自分だったら、自分のような者の下に付きたいとは思わない。契約という枷に縛られているのなら尚更。
「マスター?」
 物思いに沈み込む前に、ロキが怪訝なそうに声を掛ける。
「単に弁当箱が一つだけで向かい合って食べるよりは食べやすいからだったが、どうやら分が過ぎたようだ」
 そう言って膝から降りようとするロキの腰に左手を回す。
「マスター?」
「んー?」
「降りるのにマスターの手が邪魔なのだが」
「んー」
 返事をしながらロキの頭頂部に顎を乗せる。
 相変わらず伝わってくる体温は、けれどさっきまでの焦りの感覚は消えていた。
「・・・・・・正直()ーてみ?」
 苦笑しながら言葉を促す。
「マスターこそ正直に言ってみるべきだ」
 こういう強情なところは誰に似たのか。自分か。
(だったらその辺は反省すべき点だよなぁ)
 と自省したのをすぐ後悔した。
「『実は俺、ロリコんふぁんは」
 言葉の途中でロキの頬を抓る。
 米神に青筋を浮かべながら笑顔で尋ねる。
「んー? 何を言っているのか分からんなぁ。もう一回言ってみ?」
「マフファー、いひゃいぞ」
 涙目で訴える使い魔を半眼で見下ろし、大きく溜息。腕も解いて好きにさせる。
 真剣に取り合うと疲れるだけの気がしてどうでも良くなってきた。
 そこにロキがポツリと漏らす。
「・・・・・・怖いのかもしれん」
「―――」
 答えず、胸の中で茶化すようにだよねーと同意する。
 死を恐れないような莫迦は自分一人で十分だ。

 それとは別にコックピットから放り出すことを真剣に思案する。コイツなら落としても死にはしまい。
「先に言っておくがマスター、怖いのは死ぬ事ではないぞ?」
 勝手に人の内心を読むような発言してんでんじゃねーよと内心ツッコミむ。
「マスターを守れず、失わせてしまうかもしれない事が怖い」
 顔を伏せて、震える拳を押さえるように強く握る。犬の状態だったら間違いなく耳は下を向いているだろう。
 使い魔故の感情かなと思いもするが
(・・・・・・)
 鈍く擦れるような、疼く痛みは慣れ親しんだ傷跡のものだ。
 守れず、失わせてしまった後悔は。
 薄れる事はあっても、消えることは無いだろう。
 だから―――
「マスター、真面目な話をしているつもりなのだが」
「んー」
 生返事をしながら、気付いた時にはロキの頭を撫でていた。
 それは夜が怖いと泣いた時に、誰かが自分の頭を優しく撫でてくれた思い出からか。
 ロキは困ったように、けれど抗うことなく身を預けてくる。

「守ろうな」
「?」
 胸の中、言葉に見上げてくる視線はどこか幼い。それに微笑を返し
「全部、守ろう」

 星を、世界を、精霊を。
 父さんも、母さんも。ヒロスケにタスク、エン。千夏に雪に桜。
 多くは無い、けれど親しい顔を思い浮かべて失いたく無い、失わせたくないと、強く想う。
 そこにはロキも含まれるし、
(俺は、―――俺自身はどうなんだろう?)
 煮え切らない考えに苦笑する。

 生きていけたらといいなと緩く思う。
 けれど生きていたいと願うには弱く、生を許されるとは思わない。
 それでも自分が失われる事で泣く人が居るのなら、生きていてもいいのかなと誰へともなく尋ねる。
 例え、それが傲慢な考えでも。
 意味の無い行いであっても。
 きっと、そこには―――

「価値はあるだろうから」



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