3-21

 堕ちていく鈍色の機体。
 それを仮初の『目』で見つめていた。

 それに対して何かを想うことは無い。
 自分の身を守る為の行動は、此処に来てからもう何度も行った。
 何故、自分を傷付けようとするのか。
 放っておいてくれれば何もしないのに。
 ただ帰りたいだけなのに。

 やっと自由になれたと思った。
 やっと自由になれると思った。

 仮初の身体でも自由に動けるのならと。
 これで帰ることが出来るのだと。

 けれど、それは間違いだと気付いた。

 ずっと変わらず、寒い場所のまま。

 そして此処には父様も母様も居ない。
 そればかりか同胞の気配が余りに薄い。
 帰りたかったのはその同胞の元へだと言うのに。

 濁った目をした老人が私に言う。
 無論、人間の言葉の全てを完璧に理解しているわけでは無かった。だが老人の身に纏う雰囲気が正常とは程遠く、滲み出る気配に狂気が混じる。それだけは正確に理解できた。
『辛かろう。寒かろう。心細いよ、なァ?』
 そう言って笑った。とても嬉しそうに。
 嫌なものが背筋を撫でる。

『じゃが残念ながらワシにゃぁどうにも出来ん。んん?』
 そう言って視線がギョロギョロと宙を彷徨う。

 他者の不幸を嗤う者。
 他者の不幸が楽しみな者。
 他者の不幸が好きで好きで堪らない者。
 あまつ、他者の不幸を創りだす者。
 あの老人はきっと間違いなくそういう人種。
 理由も無く他者を貶め、意味も無く他者を弄る。
 なぜならそれが娯楽であり、快楽であり、悦楽であるから。
 生き甲斐、と言い換えてもいい。

『ああ、じゃが安心せい。『救世主』ならお主をそこから助けて―――救ってくれるじゃろうて』
 卑卑卑(ひひひ)と見る者の不安を誘う下卑た笑みを浮かべる。

(・・・・・・救世主)
 老人の言葉に信を置くことなど到底出来なかったが、その単語には覚えがあった。
 父様と母様が話してくれた昔話。
 その中に登場するのと同じ人物なら、ここから助けてくれるのではないか。

 そんな不確かな希望。

 それに縋ってここまで来たが無理なのかも知れない。
 大体、救世主がどこに居るのかを私は知らない。
 気付いた時には同胞の気配が薄いここに居た。
(・・・・・・父様、母様)
 不安が胸を占める。
 まだ孤独は続くのか。
 もう父様や母様の居る場所には戻れないのか。
 そんな考えばかりが頭に浮かぶ。

 そんな不安を振り払うかのように翼を広げ、この空域から去ろうとする。
 だから見逃した。
 堕ちて行く鈍色の機体から溢れるように輝く光を。



 ◇ ◆ ◇ ◆

 コックピット内にけたたましく警報音が鳴り響くのを、朦朧とした意識の中で聞く。
 恐らく急激に高度を下げていく機体に対する警告だろう。
 もしくは機体の損傷が激しすぎる為、脱出を促しているのだろうか。
 靄の掛かった意識では判断が付かない。
 とりあえず考える。
(・・・・・・なんとか、しないと)
 クリスタルインターフェイスへと手を延ばす。だがそこにあるのは空を切る感覚だけだ。
 本格的に不味いと思うが混濁した意識では的確な回答が浮かばない。

 至近距離で喰らい過ぎた。
 あの規模の攻撃を受けて、機体ごと蒸発しなかったのは奇跡に近い。
 意図せず乾いた笑い声が響く。

「・・・・・・また助けられたね」
 そう言って感覚の乏しい右手で左手の甲を撫でる。

 『天使の呪い(エンジェル・カーズ)』の効果による魔法攻撃の減衰。
 『悪魔の祝福(デモンズ・ブレス)』の効果による防御力場の強化。
 奇跡でも偶然でも無い。
 この二つの特殊能力が無ければ。
 この二つの特殊能力が有ったからこそ。
 生き残る事が出来た。
『貴方が貴方の想いに沿えるよう、力を』
 その言葉通りに。

 一体、君はその力で何度、僕を助けてくれるのか。
「僕は一度として貴女(あなた)を助けられなかったのにね?」
 悔しさとも自嘲ともとれぬ呟きに、左手が爪を立てて拳を作る。
 一番大切な一度。
 それさえ叶えることが出来たなら僕は。
 世界に絶望せずに済んだだろうか。
 僕にも救いはあっただろうか。
 三度目の間違いも犯さずに済んだだろうか。

(下らない)
 吐き捨てるように自分の考えを否定する。
 世界に『もしも』は在り得ない。
 どう足掻いたところで、今在る現実は変わらないし変えようが無い。
 そも、救いが欲しいなどと温い考えに反吐が出る。
 救いなんて、イラナイ。
 そう信じて、これまでを生きてきた。生き抜いてきた。
 けれど今、ここでソレを曲げればその全てが嘘になる。
 だからそんな事は許さない。許せない。絶対(・・)に許容出来ない。
 ・・・・・・それなのに。
 記憶が勝手にリフレインしだすのを自分の意思で停められない。

 今際の時に見せた彼女の微笑が。
 彼女の好きだった歌が。
 赤い瞳を伏せて寂しげに笑う彼女に。
 僕は、何かをしてあげることが出来ただろうか?
 そんな自問に答えようとした瞬間、
「―――」
 怒りで思考は埋め尽くされ、視界が赤く染まった。

『この『瞳』は呪われています。だから多分人並みの幸福を願う事は許されません。でもそんな私でも誰かの幸福を願うことくらいは、きっと許されると思うんです』

 希望にも似た諦観。
 諦めにも似た献身。
 どうして悲しそうな瞳で他者の幸福だけを望むのか。

 そんな彼女を見て俺は―――

「ねぇ、早く死んで下さい」
 突如として背後から聞こえた声に心臓が凍った。
 冷水を浴びたかのように全身が竦む。
 覚えのある声が背後から繰り返す。

「どうしてまだ生きているんですか?」
 冷たい憎しみのこもった声。
 それが自分の“死”を願う。
 にも係わらず、何故か嬉しくて泣きそうになった。
 恐る恐る、緩慢な動きで振り返る。

 そこは空色の髪を持った美しい一人の女性が立っていた。
 その背には白と黒の翼が三対、計六枚浮かんでいる。
 そして呪いの証である赤い瞳が自分を射抜いていた。
 あの時と何一つ変わっていない、記憶のままの姿に。
 嬉しさと驚きの余り、掠れた声で彼女の名を呟く。
「・・・・・・フィ、ア?」
 名を呼ぶとその顔を綻ばし

「ねぇ、どうしてまだ生きているんです?」

 その言葉がもたらした衝撃は最初の一瞬だけだった。
「貴方が早く死んでくれないと悔しいじゃないですか」

 言葉の一つ一つがすんなりと胸に沁みて
「私は死んで、貴方だけが生を謳歌するなんて許せません」

 心の隙間を次々と埋めていく。
「早くこっちに来てください」

 どうして、と。
 分からない事だらけで。
 なぜ力が及ばぬ俺を罵らなかったのか。
 恨み言一つ言わず、嘆く事さえ無く、世界に融けるように逝った彼女。
 その真意が判らなかった。けど
(ああ・・・・・・)
 長年の疑問が氷解し、安堵の息を吐く。
(やっと解った)

 彼女はずっと俺を恨んでいた。憎んでいた。呪っていた。
 当然だ。
 驚くことなど何一つ無い。
 誘われるまま、一歩を踏み出す。

【ダメ!!】
 どこからか響いた小さな声が制止を促す。

 いつの間にか彼女の手には死神が持つような大鎌が握られていた。
 更に一歩。
 彼女は満足そうな顔で頷く。

【そっちに行っちゃダメ!!】
 切羽詰った声でやはりどこからか声が響く。

 その手の鎌で命を刈り取ってくれるのだろうか。
 自分にはお似合いの最後だと自嘲する。
 もう一歩。

【私をよく見て!!】
 別に声に促された訳ではないが、ここに来てどうでもいい疑念が生じる。

 走馬灯が見せる非現実的な光景にしてはディティールが懲りすぎていないだろうか?
 疑念が疑問に変わった瞬間、彼女の姿にノイズが走ったかのようなブレが一瞬生じる。
「さぁ」
 それを気にすること無く、彼女は笑顔のまま手を差し伸べてくる。
「―――」
 歩みが止まる。

【そう、もっとよく見て】
 声の主が安堵したのが空気を通して伝わってくる。

 本当に彼女はそんな女性(ヒト)だっただろうか?
 その姿には寸分の狂いも無い。
 だが彼女は誰かの不幸を願うような、そんな女性だったか?
 自分の幸福を諦めてまで、他者の幸福を願うその想いに。果たして虚偽(ウソ)はあっただろうか?
 感情は言う。彼女とて人間だ。醜い心を持っていて当たり前だと。
 理性は言う。それは違うと。確かに彼女は人間で醜い心を持っていたかもしれない。けれど彼女の願いは本物だったと。
 例え、その願いが間違っていたとしても。
 例え、その想いが偽善であったとしても。

 一点の曇り無い真実を願う。
 その一方で自分に都合のいい解釈に縋るなと感情に叱咤される。
 感情か。理性か。
(どっちが正しい?)
 相反する答えに葛藤と、そして迷いが生まれる。

 目の前の彼女は笑みを消し、蔑むような瞳でこちらを睨んでいる。
(俺は何を・・・・・・)
 信じればいい?
 矛盾していると、そう思う。
 正直、格好悪いなぁと思わなくも無い。
 いつだって迷ってばかりで不甲斐無いとも思う。
 それでも、自分が正しいと思ったことを為してきた。

【それでいいんです】
 声の主が微笑んだ気がした。
「!?」
 唐突に気付き、慌てて辺りを見回し、振り返るも声の主の姿は無い。
 混乱に拍車が掛かる。
 なぜなら姿の見えぬ声の主こそ
「フィア?」
 名を呟いた瞬間、自分の隣にもう一人、彼女が現れた。



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