3-22

「お久しぶりです」
 そう言って彼女は淑やかに微笑む。
 その姿は半分透けていて
「・・・・・・幽霊?」
 尋ねると困ったように微笑む。
 肯定とも否定とも取れる曖昧な笑み。
 余計、混乱しそうになる頭に聞こえてきたのは舌打ちだった。
 ギョッとして実体のある彼女の方を向く。
 そこには白かった肌を褐色に染めた彼女が、忌々しげに隣に居る彼女を睨んでいた。

 大体セオリーとしては偽物の方が褐色の肌を持つのがお約束だったりする。
 分かり易いなぁと思ったが口にしたりはしない。
 ただそれが表情に出ていたのか、隣の彼女は自分の顔をみてクスリと笑う。
 そして表情を厳しいものに変え、もう一人の彼女に告げた。

「いい加減にしたらどうです? あなたの敗北は既に確定事項です」
 その言葉に実体を持った彼女は邪悪な笑みを浮かべ、姿を変える。
 肌が黒く燃え形を崩し、次いで中心に向かって反転しながら闇に吸い込まれていく。
 その先に現れたのは
「蛇・・・・・・じゃ無さそうだな」
 ゲンナリとした声で呟く。
「申し訳ないとは思うのだけど、こんな姿しか持ち合わせが無くてね」
 こちらの反応を見て赤い目を弓なりに変えて笑う。
 翼の生えた黒い蛇のような生き物が宙に浮いていた。
 子供が書き殴ったようなデフォルメされた外見に。その輪郭は炎のように揺れ、形を常に変える。ただ手足に当たる部分が無いのと、長細い体型。そして背中に当たる部分に一対の突起があるため、先のような表現になる。

「で、あんた誰?」
「長いけど正式名称でいい? イーエヌエックスアインソフアウルゼノンアーキタイプトウサイサブジェネレータージケイタイシンカソクシンハンノウロウロボロスヨンゲンナナイチシキ」
 アホみたいに長い名前を一息で名乗った相手。ソレに目を細めて視察する。
「・・・・・・この機体の『核』か」
 確証を持った問いに相手は笑顔で応じる。
「話が早くて助かるよ。でも残念ながら不正解。―――僕は『核』の代行者(キーパー)。そして君はちゃんと僕の名前を分かりやすく頭の中で変換してるよね?」
「ENX−000、ゼノン・アーキタイプ、搭載サブジェネレータ、次形態進化促進反応炉ウロボロス四元七一式、か?」
「御明察」
 楽しそうな声音。だがその言を直感的に嘘臭いと思った。
「嘘臭い、とは心外だなぁ」
 もし四肢があれば、大仰に両手を上へと向けるジェスチャーをしただろう。
「―――」
 相手を無言で睨め付けると、興味を持ったように口を開く。
「心を読まれても動揺せず、瞬時に何処まで読まれるのか試そうとするとは。―――ヒトにしては上出来だよ、君は」
「随分と上から目線だな」
 明確な悪意を持っての口答えに対して、声高に笑い声を響かせる。
「ハッハッハッ、臆する事は無い。少なくとも『この場所』では僕は神にも等しい。君なんか、その辺の石ころと大して変わらないよ。―――無論、隣の彼女もね」
 指摘にフィアは無言で強い視線を向ける。
 余裕のある言葉に。恐らく偽りは無い。だが
「だったらその神にも等しい権限で思い通りに世界を回せばいいだろ?」
 少なくともフィアの存在はイレギュラーだ。
「言っただろう? 僕は『代行者』だと。“等しい”は同一権限を持った別種の存在の示唆に過ぎない」
「言葉遊びに興味は無い。テメェの目的は何だ?」
 こちらの言葉に、無い肩を竦める。
「困るんだよ。僕等を操る者がその程度の覚悟じゃ」
 柔和で無邪気な声音を崩し、好戦的なモノへと質が変わる。
「僕の『役割(ロール)』は守護者として『(かのじょ)』守ること。その為には操者である君の強い意思が必要になる。ここはその為の裏舞台」
「・・・・・・何故こんな回りくどい真似をする?」
「単なる自己防衛本能かな? 君のトラウマをつつけば怒りで本来の(・・・)救世主として目覚めるかと思ったんだけどね」
 本物ではなく本来。
 その意味を正確に意図しているのなら。
 ラシルからの命令を忠実に実行する殺戮人形(オート・マタ)の存在を肯定していることになる。
「そうなれば敵がどんなモノであろうと目じゃ無くなるだろ?」
 事実を意地悪く告げる。
「そうすれば僕は彼女を守れて万々歳だ」
 おどけた様に笑い、そして籠る熱がいきなり消えた。
「けど君は想像以上にヘタレだったね。そのまま死を望むなんてさ」
 軽蔑と侮蔑の合い合わさった含笑に、冷笑を返す。
「期待に沿えなくて申し訳無い。だが殺そうとするのは遣り過ぎだろ? 俺が死ねばお前も死ぬぞ?」
 指摘に対してあっけらかんに笑う。
「それならそれで別にいいさ。どうせ紛い物の命だ。道連れが居るなら悪くない」
「・・・・・・言ってる事が滅茶苦茶だ。整合性すら取れない欠陥品か?」
 肯定するように小さく笑みを作る。
「ヒトに善悪や正邪の属性があり、精霊に五行、四属があるように、僕も属性を持っているんだけど何だか分かる?」
 問いに対して逡巡する。
「・・・・・・『矛盾(ゼノン)』」
 邪気の混じった嬉しそうな笑み。
「君は本当に聡明だなぁ。まぁだから不幸な訳だけど」
「―――」
 こちらの送る無言の視線に笑みを消し、至極真面目な声で返す。
「技量ではなく心を以って我等を使え。でなければ、再びヒトは間違いを起こす」
「・・・・・・なんだそりゃ?」
 今度は冷めた視線を送ると楽しそうな笑みを浮かべる。
「解ってるくせに、相手の真意を尋ねたがる君は。本当に可愛いよね」
 ゲンナリと
「俺はこの上なく気色悪い」
「言うと思った。―――まぁ偉大な先輩からのありがたいアドバイスだ。心に留めておくといい」
「・・・・・・説教したいのか応援したいのか、アンタどっちだ?」
 質問には答えずただ笑う。
「―――捻くれ者め」
「ありがとう。最高の褒め言葉だ」
 緩やかに笑い、再び真剣な声で語る。
「君は自分というものをもう少し自覚すべきだ。君の無事を想い、願い、祈る。そんな人達がいる。無論君の隣に立つ彼女もね。それが無ければ僕は君を見捨てていた」
 盗み見るような形で視線を少しだけ隣に向ける。
 そこには穏やかな笑みを見せる彼女がいた。
「―――」
 どう反応していいか分からず、逃げるように視線を戻す。
 それを見て自称偉大な先輩はまた笑う。
「感謝することだ。―――特に、その護符を君に与えたくれたヒトに対して」
 護符という単語に対し、上着の内ポケットに入れていた御守りを服の上からゆっくりと握る。
(片手間でいいって言ったのに・・・・・・)
 多分色んな事をそっちのけで没頭してるんじゃなかろうか。
 参ったなぁと思う。
 勿論、迷惑で困るからではない。どちらかと言えば嬉しいかもしれないのだが、どうも感情を持て余し気味だ。

「さてこれから『彼女』からの試練が始まる」
 唐突に告げる言葉には揶揄の色があり、
「何、心配しなくていい。簡単な口頭質問だけですぐ終わる」
 どこか意地の悪さが垣間見える。
「だから心して答え給え。彼女の機嫌を損ねたら全てがパーだ。想いも、願いも、祈りも、決意も。序でに君の頑張りもね」
「―――」
「それじゃぁ、シーユー。あ、ちなみに『外』では殆ど時間は過ぎてないけど、急いだほうがいい」
 良く回る舌でそれだけ言い、翼を持った黒い蛇は忽然と消えた。
「・・・・・・」
「―――」
 二人残されて微妙な沈黙。さて、どうすれば『外』に出られるのやら。
 隣を盗み見ると変わらずフィアは微笑んでいる。

 話したい事、聞きたい事はそれこそ山のようにあって、何から尋ねればいいのか分からない。
 ただ
「―――ありがとう」
「!?」
 口にしようと思った矢先の言葉を微笑みと共に告げられ焦る。
「ど」
 うしてと続くはずだった疑問は、彼女の柔らかい抱擁に阻まれた。
 頭の中が一瞬で真っ白になり混乱が加速する。
 その一方で冷静な部分は幽霊にも感触は有り、暖かいんだなと的外れな感想を抱く。
 そして
「―――」
 耳元で囁かれた言葉に瞠目する。
「あ」
 喉が擦れたような声。そして瞳に映ったモノから視線を外せなくなる。
 その思いを言葉にすることは出来なかった。
 悲しさよりも驚きが。驚きよりも嬉しさが。嬉しさよりも懐かしが。懐かしさよりも悲しさが。ループして、弾け、感情に収集が付かなくなる。
 存在するはずの無い彼女の肩越しに、更に存在するはずの無い女性を見てしまったから。
「・・・・・・お姉、ちゃん?」
 恐る恐る、半信半疑の問いに女性は無言で微笑む。嬉しさに溢れる涙を堪えるように。
 光が流れた。
 一つは、目の前に立つ女性の目尻から。
 もう一つは
「?」
 疑問の答えはすぐ見つかる。自分が世界から消えていく兆候だ。身体を構成していた何かが光に還り、体が透けて自分の存在を消していく。
 もう永くはこの空間に居られない。
「!?」
 気付き、抗おうとして手を延ばす。
「お姉ちゃん!!」
 緩かったフィアの抱擁が今度は固く、容易に抜け出せない。それはまるで行く手を阻むかのような力強さがある。
「お姉ちゃん!!」
 叫ぶ。
 感覚は乏しく、もうその手が彼女に届く事は無いと、半ば理解しながら。それでも
「くッ!!」
 足掻く。
 一瞬でいい。その存在を確かなモノと認めたかった。そこに明確な意味など無く、ただ感情に身を任せる。
「頼む、フィア!! 行かせてくれ!!」
 頑なにフィアは首を振る。
 多分、それが自分の為にならないという彼女なりの判断だと分かっていても。
 届かない。数歩の距離が絶望的に遠い。
(どうしたら!?)
 全力を出せばフィアを振り切ることは、多分出来る。だがそれは同時に彼女を傷付ける事を前提としてしまう。
 答えに迷い、それでも二兎を得ようとした結果、
「―――ッ!!」
 開いた五指を延ばしたまま、少年は世界から姿を消した。



◇ ◆ ◇ ◆

 彼が消えた後、間を置かずして女性の姿がさらに薄くなっていく。
 彼とは違い光の粒子が舞う事も無く、本当に消えて行く。彼女が本来居るべき場所に還るのだろうか。
 去り際に微笑みと一礼を残し、それと同じ所作を返した時には完全にその姿は無かった。
「―――」
 彼の表情は最後まで苦渋に満ちていて、どれ程消えていった女性を大切にしていたかが窺えた。
 そんな彼の行く手を遮った事で、嫌われてしまったかなと少し寂しく思う。
 それとは別に短い逢瀬が懐かしく、また嬉しくもあった。
 二人きりだと尚良かったが、まぁそれは仕方ないかなと少々残念に思う。

「いやぁ、命短し恋せよ乙女って感じかな?」
 突然の声に驚くことも無く、声の主に向き直る。
「純、だねぇ。―――『愛したぁ〜、男は〜、忘れてぇもぉ〜♪ 女の愛情〜、変わらずにぃ〜♪』 べべべん」
 黒い蛇のような生き物が浮いていた。
 ご機嫌なのか、ノリがいいのか。
(名前なんでしたっけ?)
 確か、イーエヌナトカウントカ・・・・・・
 略して
「―――イヌ臭い?」
 上機嫌だった表情が一瞬にして引きつった顔に変わる。
「・・・・・・こ、個人的には『ウロボロス君』とか『ウロちゃん』とか『四七』とかが、推奨かな?」
 どうやらお気に召さなかったらしい。残念。ピッタリの名前だと思ったのに。
「では、間を取って―――ソウ朗さん、で如何でしょう?」
「どの辺がピッタリ!? 由緒正しい『ウロボロス』に向かって犬臭いって!? しかもソウロウとかワザとだろ!? あとその言葉を男に向かって言っちゃダメ、絶対!!」
「?」
 妙な力説に首を傾げる。
 ヒールに踏まれてのたうってる蛇の図がピッタリだと思ったのだが、一般的な解釈からはズレていたようだ。
 後、雄だったのかと純粋に驚く。こんな所に居るので無生物かと思っていた。なので雌雄の概念は無いものかと。
 咳払いを一つ。
「・・・・・・色々と。君の想像力は失礼な方向に向いているという事は良く分かった」
 そう言えば心の内が読めるのでしたね。この空間限定で。
「いいかい? そもウロボロスというのはだね」
「自らの尾を喰らった蛇、もしくは竜をモチーフとしたもの、ですね? 循環性や、永続性、完全性などの象徴として、広く、多くの文化や宗教において用いられてきました。蛇は、脱皮をし、古い己から抜け出し、新しい自分へと成長する事から、死と再生。不老不死の対象として昔の人は考えました。その蛇が自らの尾を喰らう事で、始まりも終わりも無い完全なものとしての象徴的意味が備わっています」
「・・・・・・」
「?」
 無言に再度、首を傾げる。説明に何か間違いでもあったのでしょうか? だとしたら後学の為に指摘していただきたいのですが。
「ヒトがノリノリで講釈垂れ様としてんのに途中で奪う奴がいるかー!! 後、最後までヒトの話を聞けー!!」
「?」
 何をキレていらっしゃるのでしょうか? 本気で理解不能です。
 わざわざ、煩雑な説明を省いて差し上げたのに。
「・・・・・・もういいですぅ」
 いじけたように言って自分の体で『の』の字を作る。
(遠まわしな抗議、でしょうか?)
 まぁ、どうでもいいので無視して話を進めましょう。私もここに長い時間は居られそうに無いですし。

「・・・・・・何故、私の姿を使ってまで騙そうとしたんです?」
 問いに蛇は『の』の字を解いて答える。
「ん? その方が面白くなりそうだから」
 さも当然と、悪意の見えない純粋な笑みを見せる。
 これは隠匿した笑みでしょうか? それとも本気の笑みでしょうか?
 判断に迷う。
 ・・・・・・どちらにしても余りいい趣味とは言えないですね。
「もうちょっと具体的に言うなら、彼は君に固執していたからね。他にも後二つ程、突くには丁度いい傷があったけど一番君が使い易かった」
 無言の視線でその理由を促す。
「一人は完全に死人。一人は半分生人。どちらも『此処』からだと身体的特徴(データ)の取得に手間取る。だから『此処』から一番近い距離に居た君」
 嬉しくない理由です。もっともどんな理由があったところで嬉しくは無いでしょうけど。

「・・・・・・では最後に見せた幻は?」
「これから頑張ってもらう後輩への心ばかりのサービス―――と言いたい所なんだけど」
 溜息混じりに言葉を繋げる。
「『彼女』からの横槍だろうね。存外『彼女』は彼を気に掛けてるらしい」
 モテモテで羨ましいよねぇと呟く。
「まぁ何はともあれ、今後の彼の活躍に期待かな」
 他人事で廃退的な笑みに、言いようの無い違和感を覚える。
「―――貴方達は一体何なのです?」
 問いにさぁ? と無い肩を竦める。
「僕等が一体何なのか。その答えは在って無いんだ。一応の答えはあるけれど、まだ君達(・・)は知るべきでない」
 打って変わった優しい声音で
「もうお帰り、翼持つヒトの子よ。『此処』に余り長く居るべきじゃない」
 促す言葉は命令ではなかったが、その強制力に逆らう事は出来ず空間から有無を言わせず一瞬で弾かれた。

 孤独になった世界で小さく呟く。
「いつか僕等の存在を、世界が善悪を以って証明してくれるハズさ」



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