3-23

 現実へと還る路の途中。
 そこは空間としてとても曖昧な場所だと―――少なくとも彼は―――そう思っている。
 過去も、現在も、未来も。
 思いも、願いも、祈りも。
 自分も、知人も、他人も。
 肉体も、精神も、魂さえも。
 様々な情報が氾濫し、溢れ、流れ、そして整然と消えていく。
 イメージとしては濁流の中を簀巻きにされて流されていく感じか。
 簀巻きにされているので、もがく事は許されても、足掻く事は許されない。
 命綱は付いているが、その先は切れていて役に立たない。
 滝壷に落ちて運良く生きていればいいですね的、最悪な罰ゲーム。
 せめて清流であれば心穏やかでいられたかなぁと緩慢に思う。

 行きは単純(よいよい)。帰りは煩雑(こわい)
 どこぞの童歌でもあるまいし。
 どうせなら帰りも単純にしてくれれば良かったのにと、かなり本気で不満だ。

 ラシルから情報を送り込まれるときよりも、さらに濃密で濃厚な記憶(データ)
 逆に自我は希薄となり、自己を構成する様々な要素が混じり、融け合い、違うモノへと変質していく、そんな錯覚に陥る。
 もしくは正にその通りか。
 実証する術は無けれど、それを確かめてみたいとも思わない。
 ただ、ただ、流し込まれる記憶が終わるのを耐え続けるしかない。

 知りたくも無い醜悪な現実。目を逸らしたくなるような不実。
 どんなに願っても流し込まれ続ける真実(おもい)
 胸の裡に溜まり続ける憎悪、怨嗟、悲嘆、諦観、虚無。
 それらを吐き出すことが出来ればどんなに楽か。
 どんなに固く目を閉じていても。
 どんなにキツク耳を塞いでいても。
 高粘度の纏わり付くような何かが。
 蜜よりも甘く、コールタールよりも重く。
 理性を熔かし、彼の意識を蝕み、侵す。

 拷問のような苦痛。
 否、拷問より更に悪質な痛みだ。
 度を越した痛みにより生じる恍惚感。
 恍惚感より生じる多幸感。
 それらは麻薬よりも、もっと速く、ずっと優秀に彼の破滅を導き、消滅を誘う。
 廃人となった彼は、とても秀逸な手駒(にんぎょう)となるだろう。
 だから、その感性は異常だと理性は唱える。
 だから、その感覚に溺れる事は許されないと良心は語る。
 だから、その感情を認めてはならないと道徳意識は厳命する。
 その僅かずつのそれらが、彼の存在を辛うじて繋ぎ止める。

 果たしてそれに慣れる日は来るのだろうか。
 それまで、自分を保つ事ができるだろうか。
(ああ、それはちょっと・・・・・・)
 しんどいなぁと思うでもなく、ただ感じる。
 もう限界が近い。
 否、限界は既に超えていた。
 半分以上を『何か』に侵された自分を、自分と呼ぶことは許されるのか?
 それに、もし、仮に、ここを耐え抜いて、現実に無事帰った所で。待っているのは戦いだ。
 そこでまた傷付いて、痛みに耐えて。
 飽きる事の無い繰り返し。
 ヒトという種族の愚かさ。醜さ。煩わしさ。

 そろそろ諦めてもいいんじゃないかなぁと折れかけの心で思う。
(本当に、帰りも一瞬でパパっと楽にしてくれたら良かったのに)
 だが知らなくてはならないのだろう。
 百年の嘆きを。
 千年の憎しみを。
 万年の孤独を。
 そも時間の概念が正しいのか、それすら分からない。
 ただ分かるのはこの星を覆い尽くさんばかりの彼女の想いだけだ。
 悪を願っているのではない。
 ただ救いが欲しい。

 世界が願いで構築されているのなら、彼女の望みは至極当然で真っ当なものだ。
 邪でもなく、むしろ純粋とさえ言える。
(づっ、ぁぁ・・・・・・)
 声にならない痛みが、胸の裡を埋め尽くす。
 本来、“想い”に正邪の概念は存在し無い。
 だが其処に“想う者”が居る限り、必ず善悪の属性は付与される。
 緩やかに狂っていく願い。

 今も囚われの精霊がそうであるように。
 一人の老科学者がそうであったように。
 かつての救世主達がそうなったように。

(ちょっと、もう、無理・・・・・・)
 情けないと思う暇も無く、疲弊しきった心が今度こそ根を上げる。
 それを合図に、今まで辛うじて塞き止められていたモノが光となって押し寄せる。
 それは身を壊す力となり、視界を一瞬で埋め尽くす。
 処理しきれない様々な想いに身を曝し、潰されていく感覚。
 我が身の不幸を嘆く暇も、許された生に感謝する時も、与えられないまま。
 悪意と敵意と害意の光に閉ざされた視界の中で。
 在り得ない光景を―――在り得ない人を見た。

 大きな鼓動と共に瞠目する。

 破壊の力から自分を守るように両手を広げる女性。
 スカートが音を立て強くはためく。
 否、世界に音は無い。真っ白な光と暴風だけの世界で。
 暴風が僅かに和らいだ気がした。
 その背には見覚えがあった。
「―――お姉、ちゃん?」
 恐る恐る尋ねる。諍いを知らずに育った無垢なる少年だった頃の声で。
 この世界には存在するはずの無い女性(ヒト)
 先程の空間での遣り取りが無ければ、思いつきもしなかっただろう。
 呼びかけに女性は振り向く。
 彼女は微笑んでいた。綺麗な、綺麗な、もう見ることの叶わないと思っていた満面の笑みで。
 微笑んだまま口を開く。

 ―――これが最後だよ? もう助けてあげられないから。 だから強く生きて。諦めないで。
 そして苦笑する。

 ―――ごめんね、押し付けて。勝手に願って。でも私はシュウの事大好きだから。だから・・・・・・生きて。
 彼女は一瞬だけ表情を変えた。泣きそうなものに。

 それに何かを答えようと口を開き
「―――」
 果たせずに、閉ざす。
 奥歯を噛み、腹の内側から喉にせり上がってくるものを懸命に堪え、笑う。
「ありがとう、姉さん」
 戦いを知った青年の声で応えた。
 この先二度と起こりえない邂逅。
 それは彼にとって奇跡に等しかった。

 楔が砕ける。

 闇は払われ、視界が晴れる。
 あれだけ身を重くしていた濁流が清流へと変わる。
 拘束は解かれ、束縛から解放される。

 せっかく晴れた視界が薄れていく。
 意識の覚醒が近い。
 最後に彼女の笑みを網膜に焼き付ける。
 最後まで笑顔のまま、守護を続ける彼女。

 悪夢は去った。



 ◇ ◆ ◇ ◆

 現実を映そうとする視界に。
 それを遮るように腕で目を覆う。
 止まらぬ警報音に対策を立てることを必須としながら、能動的に動く事は到底出来なかった。
 ただ感情のまま、溢れ出る涙を堪える事が出来ず
「何が『お姉ちゃん』だよ? ダッセー」
 力無い自嘲を漏らし
「―――ッ」
 腹の内側から定期的に喉にせり上がってくるものを堪える。
 何をやっているんだろうなと、そう思う。

 今なら分かる。
 半年前、壊れるハズだった心が何故、壊れずに済んだのか。
 その時は理由を訝しがりながら、どうせ分からないからと深く考える事は無かった。
 こんな理由を考えもしなかった。
 ただお姉ちゃんに守られていただけだった。
 自分の代わりに身を盾として。
 失わせてしまった時と、同じ。
 ああ、本当に何をやっているんだろうと。

 それはただの感傷で。
 都合のいい幻想で。
 泡沫の夢で。
 現実と呼べるものは何一つとして無く、それ故に全てが偽りで。
 それでも確かにそれが真実であって欲しいと願う自分がここに居る。
 あの笑みを偽りだと認めたく無いだけの幼い我侭であったとしても。

「・・・・・・」
 それで、いいのかもしれない。
 自分勝手にやっていくさと開き直り思考が芽生える。
 どうせ自分は、自己中野郎だ。
 誰かの為になんて、そんな間怠っこしい事など出来はしない。
 自分の願うように。
 自分の望むように。
 祈るべきは、その道が誰かの想いに添うものであれば嬉しいなと。
 その程度でいいのかもしれない。

 自分の中に欠けていた想い。
 いつもどこか他人事染みていて、本心なのだろうかと疑問だった。
 誰かの為に。
 何かの為に。
 無理矢理でも強制でもない。
 ただ、ただ感情のままに身を任せ、護り、助け、―――救う。

 そんな傲慢チキな考えに小さく頷くことで肯定を示す。
 己の思考に決着を付け、消化し、欠片(ピース)を埋める。

 自分が思う最善の策を。
 自分が想う最良の道を。

「ああ、これで―――いつも通りだ」
 世界は何も変わっちゃいない。変わるものでもない。
 変わるのは自分で、変えるのも自分だ。

 沢山の人の顔が脳裏に浮かぶ。
 父さんと母さん、ヒロスケにタスク、それからエン。千夏に雪と桜。
 みんな大切な人で、失いたくはない。
 だから―――

「答えてやるよ、アンタの問いに」
 そして
「力を貸して貰う」
 両手のクリスタルインターフェースを強く握りこむ。
 外部光学映像を映す天球モニターの6割がノイズを映している。
 まず警報音をカット。
 機体の状態を確認。
 四肢のフレームの殆どがイカレていた。胴体と右大腿部、そして左上腕部だけが残っている。幸いにも動力源は両方とも無事だ。
 額から流れる血を無造作に袖で拭う。何かの拍子に切ったらしい。
 後のロキの様子を窺うと気を失ってグッタリしていた。
 心配ではあるが、今は後回しだ。

 臨界突破(ゼロ・ドライブ)自動起動(オート・ラン)が99.99%で止まっていた。そのウィンドウのすぐ横に新規ウィンドウが立ち上がる。
 通常のウィンドウ枠と違い装飾が施されたそれは、まるでこちらを待っていたかのようなタイミングだった。
 文字と共に、機械合成音でない女性の肉声が流れる。
《我々は機械》
 『我々』という人称代名詞は果たして便宜的なものだろうか?
《意思無き身。故に感情を知らず、愛を知らず、恐れを知らず。望むべきモノの無い鉄屑》
 機械が自我を持つ事はありえない―――そのハズ。本人もそれを今、肯定している。
 だがあの似非黒蛇はなんと言っていた?
《貴方にとって機械とは何ですか?》

『だから心して答え給え。彼女の機嫌を損ねたら全てがパーだ』
 これが彼女の問いなのか?
 疑問は尽きない。答えは出ない。だから
「―――」
 思考する。
 恐らく正解の無い問いだろう。人の数と同じだけ千差万別の答えがある。
 そして“彼女”が望んでいるのは機嫌取りの答えでは無い。
 試されているのだ。その場所に座す資格があるのかを。

 落下は続いている。時間に余裕は無い。それでも一度目を閉じて深呼吸し、
「機械とはヒトを裏切らないモノ―――」
 そして
「そしてパートナー以上の存在には生り得ないモノ」
 迷い無く、言い切る。
《そう我々はただの機械。命令を違えることの無い、故にそれ以上の存在に成り得ない。人間にとって都合のいい人形。そしてそれが我等の誇り》
 黄道軌道上に文字が流れ、広がり、
『Welcom & Congratulations !!』
 花が咲くように天球モニターが回復する。
《次代を紡ぐ人の子よ。貴方に力を与えましょう。兵器たる我が身を以って、貴方の意思を世界に掲げなさい》
 同意の為に肯首する。
《願わくば貴方の答えが約定となり、そしてそれが反故されぬ事を切に願う》
 装飾のあるウィンドウが閉じて、隣のウィンドウが100を表示する。
 突然、機体が分解し宙に投げ出された。



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