ここは全ての光を拒絶する常闇の空間。
時間の経過も、季節の移ろいも。此処では全てが闇色に塗りつぶされている。
それに加えてどこまでも続く無音。
常人であれば発狂しかねないほどの静寂が空間を支配していた。
(・・・・・・)
痛みという外部刺激があるから発狂しないのか。
それとも既に自分は狂っているのか。
そう繰り返す自問に答えるのは痛みだ。
ここには常に痛みがある。
自分の回りには水があり、空気があり、熱があり、闇がある。
ただ、それらは常に痛みと共に在る。
まるで痛みが無ければその存在すら許されないかのように。
(・・・・・・)
常ならば闇しか存在しないはずの空間。そこに混じる異質に気付き薄目を開ける。
そんな些細な動作ですら、痛みの元でしかない。
痛い。
思うより早く痛みは自身を蝕む。
ソレに対して耐えることが無意味だと疾うに理解していた。
その思考自体が既に痛みの発生源にしかならないと理解した上で。
「・・・・・・」
痛い。
尋常ではない痛みに胸が潰れる。
肺から漏れた空気が気泡となって、それがまた痛みとなって返ってくる。
「・・・・・・」
感覚器の全てが痛みに塗りつぶされそうになる中で。
痛い。
物理的、肉体的な痛みならどんなに楽か。そうであれば既に死体となって浮いている。
こんな痛みに耐える必要も無くなる。
だがその痛みに挫けそうになる心を叱咤して目を凝らす。
耐えるのは無意味だ。ならば受け入れてしまえばいい。
痛みを痛みとして。気が狂うような膨大な痛みを受け入れて、目を凝らす。
そこには弱くともゆっくりとした柔らかな光があった。
勿論、その光でさえ
(あ・・・・・・)
弱く発光する物体を見て何かを思う。
嬉しいような、哀しいような、懐かしいような。複雑な想い。
収集のつかなくなる想いに。けれど結局は全てが痛みに塗りつぶされて終わった。
自分を収める装置の前に跪く、純白の巨人。
四肢も五指も鋼で構築された鉄巨人が淡い光を放っている。
(しゅう・・・・・・)
純白の巨人は本来であれば跪く相手が違う。
世界を救った黒き少年と共に。
思い出そうとすれば、それは痛みへと変わる。それでも思い出したくて痛みに逆らい記憶をたどる。
それはもう、痛みで泣いているのか、懐かしさで泣いているのか。分からなくなるほどに。
痛い。
(しゅ、う・・・・・・)
痛みで全てが塗りつぶされる前に。
(まだ、たたかって、・・・・・・いる?)
終わったはずの諍いの先に。なお戦い続けているのか。
熱に浮かされるような思考は、この装置に入る直前の記憶を思い起こす。
世界を救った少年は、世界に逆らってまで、自分を救いに来てくれた。
それが善でない事も、悪である事も、理解した上で。
結局、それは自分が否定する形で、果たされずに終わってしまったけれど。
(・・・・・・)
でも、だからこそ
(ちからに、・・・・・・なりたい)
それが例え今以上の激痛に見舞われる事になったとしても。
思考すらままならぬ自分に、何か出来ないだろうかと思案する。
(・・・・・・うん)
痛みを無理矢理に無視して。
こんな空間でも、世界との繋がりは切れていないらしい。
膝を抱え丸くなるような形で浮いている体に鞭を打って左手を伸ばす。
痛みとは別で、体の動きが鈍い。
自分の意思で体を動かしたのは一体いつ以来だろう? 時が刻まれなくなってからの時間の経過は酷く曖昧だった。
間断無く襲う激痛に耐え、世界を歪める呪文を口にする。
「其が叡智、我が身に宿り、我の道を示す導となれ」
焼けるような痛みと共に謳う。
「共に、創めよう」
その一言で意識は世界と繋がり、不可能を可能にする力を得る。
左手の甲に浮かぶのは大樹の紋章。
「・・・・・・」
今、この瞬間だけ。戦友を援護するだけの力を―――。
◇ ◆ ◇ ◆
風切音を耳にしながら緩い感じで思考を回す。
(いきなり宙に投げ出されたら、人間誰しも驚くと思うのですヨー)
すでに思考は完全に他人事だった。
もうちょっと気遣いが必要だと思うんですよネーと。あと紐無しバンジーはネタとして以外やっちゃだめーとか。
先程まで搭乗していた機体は、まずパーツ毎に解体され、次に部品単位で分解され、最後には分子レベルで崩壊した。
当然、コックピットもその例に漏れず。
そうなると身が宙に投げ出されるのは最早必然なわけで。
だからどーした? ちっとも嬉しくないわ!! とノリツッコミならぬ、ノリギレしてみる。
(多分、そんな単語は存在しないけど・・・・・・)
いや、実はあったりするだろうか? と自問してみるも生憎と答えに持ち合わせが無い。
最初は、ネジやらバネやらが一緒に落下していたが、今や海上で空中ダイブしているのは自分とロキだけになっていた。
今、ここで敵機から攻撃受けたら
変身中のヒーローはどんなに隙だらけでも攻撃しない。
敵さんがお約束に忠実で、実に喜ばしい。
実際のところは、この空域から離れてしまっているだけなのを
気圧の変化と暴風に顔を顰める。
力場を形成してなければ多分おじゃんだ。
ロキは相変わらず気を失ったまま。
「・・・・・・」
空中でバランスを取り、宙を滑るように少しずつロキに近付く。
そしてそのままロキ抱きしめ、自分の影の中に沈みこませる。
「お疲れ様」
慣れない戦闘で苦労したであろう使い魔に、労いの言葉を送り―――
「・・・・・・独りだなぁ」
その言葉は風の為、音として耳が拾う事は無かったし、別段それをどう思うことも無い。
ただ事実を確認しただけだ。
一度目を閉じ
「うん」
一人納得する。
孤独であっても黒河修司という人間は、それを気にすることはあっても苦にする事は無い。
むしろ騒がしい場所よりも、静かな空間を好む傾向が強い。
それを手っ取り早く実現する方法は一人になることだ。
それでも少しは、あの騒がしくも暖かい場所に帰りたいと思い、願う自分が―――僅かもしれないが―――確かに居る。
「だったら・・・・・・」
音にはせず、唇の形だけで誓いを胸に、そして世界に刻む。
不意に眼前の空間が揺らぎ、歪み、そして
「来たか」
光の線が空間に踊る。格子状になぞられる線は一瞬で在るべき姿を描き出す。
そこに亜空間から射出された鉄の塊が結合を果たす。
結合された部分の不備を正すかのように光が奔り、鋼鉄の塊が、まるで意志を持ったかのように一つの巨躯を構築する。
そこに現れたのは鈍色の巨人。
以前より一回りほど小さい身は、それでも紅機よりもまだ大きい。
体躯はスマートになった反面、鋭角的なフォルムは増え、攻撃的な印象が強い。
宙で交わる二つの視線。
「―――」
巨人はヒトを試すように。
ヒトは巨人に挑むように。
交差は一瞬で終わる。
互いに無言のまま、巨人の胸部にあるハッチが展開されコックピットが露出する。
先程と同じように宙を滑り、コックピットシェルに足をかけシートへ一気に滑り込む。
クリスタル・インターフェースの感触を確かめると、すぐに起動準備に入る。
起動モードの選択画面が表示されたウィンドウが展開。それに一括でチェックを入れ機体に熱を通す。
コックピットハッチが閉鎖され、ジェネレーターが低く唸りだす。
内部壁面に方眼模様が浮かび、ブロック毎に区切られる。外部光学映像が映し出され、自分が宙に座っているかのような錯覚に陥る。
正面に多重展開されたウィンドウが異常の有無をチェックし、それが天球軌道上に流れ、さらには広がっていく。
『メインジェネレーター: Möbius-Fläche 異常無し。』
『サブジェネレーター: Ouroboros-Circle 異常無し。』
『重力結界サブシステム、オンライン。』
『操者力場とEHS、リンケージ。』
『駆動式、展開―――完了。』
『フェイクフィールド、形成確認。』
『イミテーションシールド、安定化。』
『ドレスコード、アクティベート。』
チェックが完了し全てのウィンドウが一旦閉じられる。
その後に浮かぶのは黄色のウィンドウだ。
『当機体は慣熟航行を終了していません。慣熟航行が終了するまでは最大出力による機動を控えて下さい。(*なお、慣熟航行が終了するまで最大出力は通常性能の82.5%を上限とします。またODMの使用は出来ません。予めご了承下さいませ。)』
『内容を理解した上で同意しますか。Y/N』
ここでNを選択したい衝動に駆られるが、同意しないと先に進めなくなるのでYを選択。
続いて表示されたウィンドウには
『EN−03/エターナルとリンケージ。』
『機体制御ソフトウェアを更新中......』
『最適化を行っています。しばらくお待ちください。』
一瞬だけコックピット内が暗転、すぐに復帰する。
『最適化が終了しました。』
『全能力、転写完了。』
フリーズが解除され、機体の制御が可能となる。
ブースターとスラスターを吹かし落下速度を相殺する。
『EBSからEHSの変更に伴いシステムを再構築しています。しばらくお待ち下さい。』
『機体システムをEHSへ変更中......』
減速が足りない。重力結界サブシステムを併用するがスピードが付き過ぎている。
『ドライバーのダウンロード中......』
『完了しました。』
一瞬だけ視線を足元に向け、着水までの時間を予測する。
(マズイ・・・・・・)
着水まで時間が無い。このままでは海面に激突してしまう。
『ソフトウェアを更新しています......』
『各ユニットへの変更を伝達しました。』
出来ればブースターとスラスターだけで時間を稼いでから、翼の微調整を行いたかったが仕方無い。
『全システムとの齟齬を解消しています。』
飛翔用のペダルを踏み込む。
(・・・・・・アレ?)
予想以上に固い感触が返ってきた。
遅れて付随してきた疑問に、ゆっくりと。もう一度足元に視線を移す。
理由は半ば理解していたし、
「―――」
自分の目で確認もした。見間違いじゃなかろうかと目を擦りもした。
飛翔用のペダルが無い。つまり
(・・・・・・陸戦型の機体?)
いきついたその答えを理性は頑なに拒む。
嫌な汗をかくのと血の気が引くのは、果たしてどちらが早かっただろうか。
ウィンドウが無感動に告げる。
『全システムオールグリーン。』
「それどころじゃねぇぇぇ!?」
かなり切羽詰ったツッコミ。もとい悲痛な叫び。
天を仰ぐ。
瞳の動きに反応したカメラが最大望遠で紅機をディスプレイに映し出す。
青い空を飛行する紅機。その後姿を鋼鉄の五指が追う。
届かない。
そう悟った瞬間、海面が盛大な飛沫を巻き上げた。