3-28

 地に立ち、五体満足なのを確認する。
 拳を作って、開いて。
 自分の思い通りに体が動く。
「ここが・・・・・・」
 精神回線で繋がれた世界なのかと辺りを見回す。
 心象世界のような、無理難題なファンシー世界かと予想していたが至ってシンプル。
 肩透かしをくらった気分だ。
 薄ら寒く、ほの暗い。
「むしろ、プレーン?」
 もしくはこれこそが、この世界の主の心象か。
「―――」
 自分は招かざる客。
 一方的に回線を繋いで、土足で踏み込んで来たに等しい。
 自衛本能が働けば、血管に入った病原体の如く、白球に殺される。
「穏やかに対話が出来るといいなぁ・・・・・・」
 叶わないであろう望みをあえて口にするのは、敵意が無いことのアピールだ。
「どれだけ効果があるかは謎ですけどねー」
 しかし、それが功を奏したのか、それとも最初からそういう腹積もりだったのか。
 眼前に八面体が突如現れた。
 距離にして10歩。
 透き通った青い外殻の八面体。その中に少女が丸まって納まっている。
 白い肌に紅い髪と瞳。
 見たこと無い民族衣装風の衣。
 本来なら童女が丸まって眠っている微笑ましい光景なのだろうが、状況の異質さとのギャップが現実感を希薄にさせる。
「・・・・・・」
 少女と言っても、女性らしい丸みを全く帯びていない、言ってしまえば幼女に近い。
 ただその単語を使うだけで途端に犯罪臭くなってしまうのは現代社会に毒されているからかなーと自問する。
 途端に脳内に友人二人の顔が浮かび、変態(ロリコン)変態(ロリコン) と連呼してくる。
 なんだか話し合う前から心が挫けそうな勢いです。

 心を奮い立たせて改めて童女と向き合う。
 目は閉じられたまま、こちらの存在を認識すらしていない。
「あー・・・・・・」
 なんと声を掛ければいいのか。
 もともと子供は苦手だ。
 思案している間に相手の方が先にこちらに気付いた。
「?」
 視線は虚ろで覇気が無い。熱に浮かされるような、そんな顔だ。
 互いに無言。
「―――」
「・・・・・・」
 片方は何を話せばいいのか分からないから。
 もう片方は興味が無いから。

 とりあえず興味を持ってもらう事にした。
 出来る限り自然な笑みで話しかける。
「始めまして。僕は黒河修司。君と話をしたくてここに来た」
 無反応。
 めげるな、俺。頑張れ。
「―――君の名前を教えてくれる?」
「?」
 もしかして言葉が通じていないのかと嫌な予感が脳を掠める。
「・・・・・・なまえ?」
 鈍いが初めて相手が反応した事に笑みが零れる。
「そう、名前。君の、名前」
 童女は思案した後でゆっくりと首を横に振る。
「名前の意味が、分からないの?」
 問いに再び首を横に振る。
 今度はこちらが首を傾げる番になった。言語的に問題は無くともに、ヒトと精霊では意思の疎通にやはり無理があるのか。
 その予測は違う形の答えで裏切られた。
「・・・・・・忘れた」
 答えに絶句する。

 固体識別名称(パーソナル・ネーム)を忘れてしまうほどの時間。
 成長の止まった肉体は、自我の発育すら停めたのか。
 低位の精霊ほど寿命は長くなる傾向にあるらしい。それは精霊という存在が精神体に近いからだと。
 死を理解し、死を願わなければ。その存在を永遠に許される。
 例外は受肉した際の肉体的な損傷による死。
 だから高位精霊の方が短命らしい。より死を理解できるだけの意識が備わるから。もっともそれでもヒトとは比べ物にならないらしいほどの長寿らしいが。
 封精核(マテリアル・コア)に閉じ込められる精霊は高位の精霊であるはずだ。
 にも係わらず、童女の容姿をしているのは外見通り幼い精霊なのだろう。
 死を理解出来ない幼子と同じ。
 だからこそ―――幸か不幸かは別にして―――生きたまま悠久の時を生き永らえることができた。

 唐突に問いが発せられる。
「くろかわしゅうじは自由?」
「シュウでいいよ。みんなそう呼んでる」
「しゅうは自由?」
 舌足らずな言葉だが懸命さが伝わってくる。
 だから真面目に答えることにした。
「自由ではないかも知れない。けど少なくとも今の君よりは自由だ」
 答えに頷きもせず、続けて問いが来る。
「じゃぁ、しゅうは父様と母様がどこにいるか知ってる?」
「―――ごめん、分からない」
「そう」
 明らかに気落ちした表情で項垂れる。
 興味は失せたと言わんばかりに再び目を閉じようとする。
「待って!!」
「?」
「居場所は分からないけど、一緒に探しには行けるかもしれない」
 顔を上げたその瞳に、わずかな光が宿る。
「君のお父さんとお母さんも、君の事を探してるかもしれない。だからここを出て一緒に探しに行こう?」
 童女の瞳に宿った光が急速に萎えていく。
「無理」
「どうして?」
「ここから出れない。だから無理」
 強く頭を振る。
「君が自由を願うなら、僕がそれを手助けする。だから」
「無理だよ。ニンゲンが言ってたもん。これは精霊には壊せないって」
 そう言って童女は青い壁面をなぞる。
「精霊には壊せなくとも人間なら壊せるかもしれないだろう?」
「・・・・・・しゅうはニンゲンなの?」
 突如、童女の瞳に怒の色が燈る。
 空間全てに敵意が満ちる。
 失敗したかなと思ったのは一瞬。
 言葉を弄したところで信頼は得られない。
 嘘を付き続けても、それはいつか破綻する。
 だから誠意と誓約で以って、精霊と対峙する。
「うん。僕は人間だ」
 肯定の言葉の終わりと同時に焔塊が足元に飛んできた。
「あっちいけ」
 剥き出しの敵意。まだ警告すると言う理性が残っている事に心の中で賞賛を贈る。
 幼いながらに立派な矜持だ。
 一歩近付く。
 更に足元へ焔塊が飛んでくる。今度は二つ。
「あっちいけ!!」
 冷静に言葉を紡ぐ。
「それは出来ない」
「!?」
 怒り以上の憎悪が叫びとなって木霊する。
「あっちいけぇぇぇ!!」
 四方から飛来するのは全て火焔。
 それを今度は後ろに下がって回避する。
 八面体の中に閉じ込められていなければ、襲い掛かってきそうな勢いだった。
「ニンゲンなんか嫌いだ!!」
「―――」
 返す言葉も無い。それでも引くわけには行かない。
 下がった分を取り戻すように前へ。
 影から武器を取り出そうとして止めた。
 戦いにこの場所に来たのではない。
 目的を再確認し、疾走を開始する。
 それを阻むのは火炎であり、焔であり、光だ。
 熱が肌を焼き、紫電が感覚を麻痺させ、光が空間を圧倒する。
(これが・・・・・・)
 高位精霊の力か。
 回避も防御も効果が薄い。
 回避したはずの攻撃は判定を当たりに変え、防御したはずの攻撃は透過してくる。
 位相か、もしくは認識をずらされている。
 認識をずらされているのなら誤差を埋めればいいが、位相をずらしているのならば手に負えない。
(厄介な・・・・・・)
 完全に敵陣(アウェー)での、しかも反撃すら自ら封じた疾走は婉曲に言って自殺行為だ。
 だが前へ。
 数歩が遠い。
 それでも前へ。
 無言のまま傷を作り、血を流しながら疾駆する。
「―――!!」
 光線に肩を貫かれた。激痛による苦悶の声を噛み潰す。

 言葉を使えば同情は引ける。
 反撃をすれば相手に恐怖を与えられる。
 だがそれによって手に入れた結果は、結局無意味なものとなる。
 逆に童女は歩みを止めぬ敵に対して不満と怒りを募らせていく。
 攻撃はより苛烈に、勢いはより峻烈に。
 しかし決定的に足りないものがある。
(ガキが・・・・・・)
 敵意が在る。害意が在る。悪意が、憎悪が。けれど殺意が足りない。
 未熟者の、他者の命を奪う覚悟の無い攻撃だ。
(一丁前に戦おうとしてんじゃねぇ!!)
 怒りに思考が赤く染まる。
 あと三歩。
 誰だ? こんな覚悟の無いガキに他人を傷付けさせるような真似をするのは?
 あと二歩。
 分かる。覚悟は無くてもこれ以上、傷付けられないように身を守るための自衛本能。
 あと一歩。
 ああ、チクしょう。
(全部、俺のせいじゃねぇかよ・・・・・・)
 冷たく輝く外郭に左手を延ばす。
 血のついた手は外郭を赤く汚した。その冷たさに驚くも手を離すことはない。
 童女の顔に戸惑いと自責の色が浮かぶのを至近で見る。
「―――ゴメン」
 傷付けた側で無く、むしろ逆の傷付けられた身で、謝罪の言葉を口にする。
 その謝罪に童女は身を竦ませた。
 そんな反応に笑みが零れる。傷付く痛みを知る優しい子だなと。
「君がここで永い時間、辛い思いをしたことは知ってる。そして虫のいい願いなのも分かってる」
 それでも
「君を救いたいんだ、ここから」
「・・・・・・どう、して?」
 沢山の意味をこめた疑問だろう。
 どうして救いたいのかとか。
 傷つけたのにどうしてとか。
 他にも色々。
 その疑問に返す答えはやはり笑みだ。
「今、現実の世界では君の力が暴走してる。それを停めたい。そうしないと僕の大切な人達が悲しむ事になるから」
 だから
「君を救って、力の暴走を停めて、そして大切な人達を―――守る」
 偽りの無い思いで言葉を紡ぐ。
 それは願いで、祈りで―――我侭だ。
 救う身は傲慢で。救われる身は不幸だ。
 だから我侭。ただの願望。
 初めて童女の方から視線を合わす。
 透き通るような真っ直ぐな瞳。
 純粋で、純真で、穢れを知らない。
「―――」
 その瞳で何を見るのか。
 短くは無い沈黙の後に
「しゅうはニンゲンだけど救世主なの?」
 問われた内容に驚きと苦笑を返す。
「もう、だいぶ前に辞めちゃったけどね」
「・・・・・・」
 童女は目に見えて迷い始める。
 こちらに手を延ばそうか、どうしようか。
 ヒトを警戒しなかったが故に囚われた。疑う事を知らず、無垢であり無知であった結果だ。
 もっと酷い事になったらどうしようか。
 それらの教訓をどう生かすべきか、迷い
「・・・・・・」
 童女は延ばした手から力を抜いた。



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