3-29

 信じる事を諦めた顔。
 助かるかもしれないという不確定な未来より、孤独な安定を選んだ。
 これ以上、辛い思いはしたくない。
 その決断を責めることは出来ない。
 彼女の奪われた時間は余りに長く、永過ぎた。

 信じてくれと。
 諦めるなと。
 そう言うのは簡単だ。
 正論に正論を重ねて、見えない光を求めろと。
 止まない雨も、明けない夜も無いんだと。
 けれど。
 そんな言葉に一体どれだけ価値があるのか。
 元々、虫のいい話だ。
 知っているなどと、烏滸がましいにも程がある。
 分かってる。
 判ってる。
 解ってる。
 どんな正論も、どんな正義も、どんな綺麗事も。それがなんの助けにもならない事を
(俺は、知ってる・・・・・・)
 悲しみで停まった心を回すには燃料(にくしみ) が必要だった。
 誰でもない誰かを呪い、抗えぬ運命に膝を折り、諦めと絶望を受け入れる。

 万物は流転する。
 世界はなるようにしかならない。
 持て余す希望は無意味で、祈りと信仰に価値は無い。
 それが世界の全て。

(・・・・・・だけど)
 ああ、だけど。
 それでも世界に願った。
 此処ではない何処かに在る光を信じて。
「―――」
 世界を裏切りたくなくて。
 世界に裏切られたくなくて。
 必死に足掻いたのは―――
「!!」
 不意に、誰かに優しく背中を押された気がした。
「!?」
 驚きに振り返るも、誰もいない。
 それが錯覚だと、すぐに理解する。
 ただ左手の甲から、儚くも優しい光が溢れている。
 それを感傷だと思うのは、まだまだ自分が未熟で弱いからだろうか?
「―――」
 母であり、自分を生かす為に命を落とした姉さんも。
 呪いの瞳を持ちながら、誰でもない誰かの幸せを願って消えたフィアも。
 魔王と呼ばれ忌み嫌われても、優しさを忘れず封印されたケンも。
 みんな―――

 この世界が終わりを告げる。
 童女の諦めに同調するように、世界は端から崩れていく。
 元々、不安定な空間というのも手伝いその崩壊は早い。
 だがそれを自身の諦めの理由にはしない。
「・・・・・・これが最後でいい」
「?」
 伏せていた顔がゆっくり上がる。
「最後に、もう一度だけ、ヒトを信じてくれ!!」
 世界が揺れる。
「もしそれが駄目だった時は、容赦無く世界を焼き尽くせばいい。君の憎悪を僕にぶつけてくれて構わない!! だから、最後に、もう一度だけ!!」
 その手を。
 真っ直ぐであるはずの瞳が迷いに揺れる。
「わたしは、」
 頼む!!
「わたしは・・・・・・」
 頼む!!

「わたしは―――ヒトを信じない」

 その言葉の意味を理解し、絶望から膝の力が抜ける。
 唇を噛み、挫けかけた心を殺し尽くして、再度説得を試みようと口を開いたところへ、でもと小さく音が聞こえた。
「でも。救世主は信じてみてもいい」
 目を瞠る。
「母様がお話してくれた。―――救世主はどんなことがあってもやくそくは守るって」
 今にも泣きそうな微笑み。
「父様が言ってた。救世主とやくそくを交わせることは、精霊のほこりなんだって」
 だから
「やくそく、守ってくれる? 救世主だったしゅうを信じていい?」
 安堵に停止しそうになる心。
 呆けている場合じゃないと渇を入れる。
「・・・・・・ああ、大丈夫だ」
 強い肯定に童女の笑みがまた曇る。
 教訓を生かしきれない自分の愚かさを嘲笑うように。
 だから自分は、その決定が正しいものだったと。後悔に沈まぬようにする為に。
「『救世主の名に於いて誓約する』―――君を君のいるべき場所に還すことを」
「『ならば、わたしがその証となりましょう』―――もし違えられた暁には世界の終焉を告げる役目を。もし果たされた時には世界に広めます。救世主のことばにはほこり高き魂が宿る事を」
 青く冷たい壁を挟んで手と手が触れ合う。
 赤と青と白い線が二人を包み、繋がる。
 契約が世界に承認された証を見届ける。
「よし、急いでここから出よう」
「・・・・・・しゅう、これ壊せる?」
 そう言って、童女は不安そうに壁をなぞる。
「少し待って」
 世界は急速に小さくなっている。
 逸る心を抑えて構成を紐解く。外郭に触れた瞬間から解析は開始していた。
 粗の無い封印式。その構成は完璧だ。物理にも魔法にも強固な作りをしている。
 特に魔法に対しては絶大な防御力を誇る。当然だ、高位精霊をその裡に封じ続けるのだから。ならば
「絶対の破壊力を持った物理攻撃」
 迷いは一瞬、決断もまた一瞬。
 影の中から目当てのものを取り出す。
 美しい装飾の成された柄。
 構え、命じる。
「刃よ、剣たれ」
 宣言どおり銀色の刃が構成される。現実に存在する鋼鉄の刃だ。
 そして詩を詠う。
 創世と滅びの歴史。
 共に創め、共に歩み、共に生き、そして共に滅びる。
 既に開放済みの“業”を世界に再認識させる。
 バラバラになっていた記憶が。
 次々と。
 整然と。
 組みあがる。
「―――」
 迷い無く、恐れ無き、覚悟を。
 それが記憶と自我を失う破滅の導だったとしても。
 さらに悪魔の祝福(デモンズ・ブレス)を開放し、多重加圧(ハイ・ブースト)開始(スタート)
 身体への強化は技に耐え切れるだけの最低限に留め、残りの全てを刀身に集め
「絶破、光断!!」
 渾身の力を込めて振るった刃。だがそこから返ってきたのは痺れだ。柄を通して反動が両手に返ってきた。
(ッ〜〜〜!?)
 八面体は傷一つ無く浮いている。
(硬ぇッ!?)
 どれだけ強固な封印式を組んでいるのか。
 魔法で編まれたモノであるなら、大抵は天使の呪い(エンジェル・カーズ)解除(ディスペル)できる。
 最悪、解除出来ないまでも干渉くらいはやってのける。
 だがこの八面体はそれさえも受け付けない。
 恐らく、根本的な所が違う理で組まれているんだろうなと適当に推測する。
(さてと・・・・・・)
 痺れが抜けてきた両手で握りの感触に集中しながら、お決まりの不快感を頭の隅に追いやる。
 ラシルからの命題は星を壊しかねない災厄を祓うこと。
 今やっていることは寄り道に過ぎない。
 ある程度、不純な行動は容認されるが、大きく逸れたそれは容認されない。
 これは警告だ。
 この子を捨ててさっさと終わらせろと。
 事実、もっと事を簡単に終わらせる方法はいくつかある。それこそ星の痛みに鈍感なラシルに任せ、損害に目をつむればいくらでも。
 それをラシル自身が行わず端末(きゅうせいしゅ)を使ったのは、上手く運べば損害が激減させられるからだ。
(ふざけやがって・・・・・・)
 いいように使われた挙句、幼子を見殺しにするような結末に誰が納得するものか。
 だから思い出す。
 目を閉じて、記憶の深奥を探る。
 偽物の記憶ではなく本物(オリジナル)の記憶の中に。

 一度だけその(スキル)を見た。
 見せただけでなんだかよく分からないうちに奥義の伝授は完了したとか。本当に自己満足だけで笑っていた老翁の顔。
 こっちは伝授された覚えも、流派を継いだ覚えもない。その理念すら不確かなものだ。
 脳裏に映るは過去の記憶。
「我が流派に型など存在せんよ」
 朗らかな笑顔で。

 幻を見る。

「型が強いのではない。想いが力を呼ぶのじゃ」
 節くれだった指でくしゃくしゃと頭を撫ぜられる。
「ならば謳え。己の最強と無敵を」
 受け継いだ物。それは
「それが我が流派にして奥義―――」

(・・・・・・ジイさん)
 大上段に刃を構え、懐かしい思い出と感傷を、今は意識の底に沈める。
「無限悠久流奥義、」
 幻想(イメージ)する。己が想う最強を。全てを超越する無敵を。
 力場(フィールド)を極限まで高め、永久(とわ)を謳う。
「絶破瞬閃!!」
 銀線が弧を描く。
 その剣先が八面体の頂点の一つを捉えた。
 遅れて清んだ音が響く。
 粗の無い完璧な封印式は、完璧であるが故にその均衡が崩れると脆い。
 封印は形を保てず、一瞬で破砕した。
 童女が瞬く。
 両足で地面に立っている。外に出られたと気付くまでに二呼吸を要した。
 粉々になった八面体の欠片を見て、少しだけ寂しそうな顔をする。
 長い間、居続けた場所への愛着。
 単純な愛着だけではない。憎しみも、嘆きも。長い間を過ごした檻。
 他より一回り大きな欠片を拾い、童女へ差し出すとそれを童女は無言で受け取る。
「・・・・・・行こう」
 脱出を促すとやはり無言で頷く。
 自分でも整理の出来ない感情に戸惑っているようだった。
 だが世界は確実に崩壊に向かっており、感傷に浸る暇は無い。
「行くよ?」
「待って」
 制止の言葉と共に袖が引かれた。
「?」
 どうしても見下ろす形での会話になるので、膝を付いて目線を合わせる。
「どうしたの?」
「・・・・・・わたし、名前、忘れてるから」
 童女の姿が透け始めていた。
「!?」
 存在が精神体に近いといわれる精霊。
 肉体(いれもの)があれば話は別だが、名前という個を識別する要素が無ければ、存在を世界に示せない。示せなければ消えて無くなる。
 足元に亀裂が入る。
「―――」
 思考を高速で回転させることで焦りを無視する。
 必要なのは容器と名前。
 足りないものは時間。
(だぁッ、もう!!)
 色々といっぱい、いっぱいだった。
 適当にやっているようで、実は非常に繊細な作戦の連続は想像以上に脳に負担を強いていた。
 故に
「ッ!?」
 世界は足元から砕けた。



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