3-30

 コックピットの中で目を覚ます。
 虚脱感の残る身でタイムカウンターに視線を移す。
 刻まれている数字は記憶していた数字と殆ど変化が無かった。
 本当に時間の流れが違うんだなと、上の空で思う。
 精神回線(アストラル・ライン)で繋がれた世界。
 そこで最後に延ばされた小さな手。
 その手に自分の手は確かに届いた。
 けれど。
 届いただけで、触れることは叶わなかった。
 童女の実体は急速に失われており、延ばされた手に応えることが出来なかったのだ。
「―――」
 どうしてと、後悔ばかりが募る。
「失敗かい?」
 後から掛かった問いに無言を返し、意識を身の裡に沈めていく。
「君はよくやったよ。世界を救う事は出来なかったけど、その頑張りは十分誇れるものだと僕は思うよ」
 頑張りは無駄になるとかほざいてたヤツが、どの口でのたまうのか。それと世界を救いたいくてこんな事をしてるんじゃねぇ。

「孤軍奮闘の大活躍、とは言うけど実際その通りだ。先輩としては鼻が高いよ」
 止めてくれ。お前みたいなのに先輩面されると反吐が出る。

「誰にも賞賛されないのが残念な所だけどね」
 賞賛なんかいるかボケ。俺が欲しいのは―――

「もう後は運を天に任せるしかない。このまま封精核(マテリアル・コア)が爆発してどうなるのかは。どうなるにしろ、碌な結果には―――」
 遮るように不機嫌な声を重ねる。
「どうにもさせねぇよ、役立たず」
「!?」
 なんだその驚いたような反応は。
「・・・・・・誰も失敗したなんて言って無ぇだろ」
「!? じゃぁ!?」
 驚きと喜びの混じった声に水を差す。
「問題は片付いてないけどな」
「ハ?」
 疑問の声に、視線で黒い球体に意識を向けさせる。
「エネルギー源は断ったからこれ以上、被害が拡大することは無い。だが」
「残ったエネルギーだけでも莫大な被害が出るじゃないか!?」
「だからアレを消す」
「・・・・・・どうやって?」
「―――」
 絶句に近い問い掛けへの答えはやはり無言。
 簡単に消せるならこんな苦労はしない。

 童女の延ばす手に応えられなかった。
 その痛みが胸を射す。
 もっと冷静に判断できていれば。
 もう少し時間があれば。
 仮定の話に意味が無い事を知りながら、反芻せずにはいられない。
 脳が疲れていたからなど言い訳にもならない。
 だが思うのだ。
 せめてあと少し、余裕があればこんな結末は迎えなかっただろうにと。

 クリスタル・インターフェースを握りこみ、湿らせた唇を開く。
「古より東方を守護し朱き鳳。我が使い魔を贄に捧げ―――」
 召喚呪文を詠唱すると案の定、後ろから素っ頓狂な声が上がる。
「い゛っ!?」
「其を器とし、新しき名を持ちて著現せよ」
 機体前方に膨大な魔力が集まり、魔法陣が自然の摂理に従い組みあがっていく。
「ちょっ!? まさか!?」
「来い、緋鳳(ヒオウ)!!」
 破壊と再生の象徴たる炎が膨らみ、魔力に色が付く。
 紅。赤。茜。杏。山吹。緋。金色。橙。東雲。臙脂。朱。
 そこから生まれたのは巨大で絢爛な凰。
 召喚者(サマナー)からの指示を待つように機体の頭上で旋回を開始する。
「あ、お、お、お前!?」
「だぁ、もう、煩ぇ!! どうせ高位精霊との個人契約は『ダメー』とか言うつもりだろ!?」
「分かってるんならなぜした!?」
「俺だって好きでやったわけじゃねぇ!!」

 詰まるところ時間が足りなくて、思慮する時間も足りなかった。
 そのままでは消滅してしまう精霊を救う方法。
 そして咄嗟に思い浮かんだ案は、精霊との契約という割と大衆的(ポピュラー)な方法だった。
 魂の拠り所として器を提供する結果にはなったが消滅は防げたので万々歳である。
 但し、それが普通の精霊であれば、だ。

「高位精霊の個人所有なんて認められるわけ無いだろ!? この大犯罪者が!! しかも容器に召喚獣を使うとは君の頭はイカレてるのか!? 干乾びてるのか!? どっちだ!?」
「だぁぁ、煩ぇって言ってんだろ!! 非常事態だったんだよ!! こっちだってバックアップ取る暇も無く七年間の集大成が消えちまったんだぞ!? そんくらい目ぇ瞑れ!! 大体、人権すら認めねぇような法に従う義理は無ぇッ!!」
「そう言う問題じゃ無いだろ!? 精霊王に知られたら、それこそヒトが滅ぶぞ!!」
「ばれなきゃ問題無い!! そもそもその約束だって、あっちの世界での話だ!! こっちの世界についての言及は成されてないし、前例だって無い!!」
 ハズだと小声で付け足す。
「そういう問題でも無いだろ、この屁理屈!! 分からず屋!!」
「卑怯者よか、よっぽどマシだッ!!」
 感情だけの応酬になりかけた口論に口を挟むものはいないかに思われたが思いの外、通信が入った。
『しゅう、あの黒いのほうっておいてもいいの?』
 音声だけの通信。通信元を示すアイコンにはデフォルメされた雀の絵が浮いている。
 とりあえず不毛な口論は保留にして意識を新しい使い魔と黒い球体に向ける。
「ヒオ、大丈夫か?」
「うん。たぶん大丈夫?」
 本人も上手く感覚が掴めていないのか、それとも久しぶり過ぎる感覚に意識が追いついていないのか。
 今はその言葉に頷くしかない。
「じゃぁ、前方の黒い渦を消滅させるのを手伝ってくれ」
「うん。わかった」
 素直に了承を返す使い魔から召喚魔法の基礎データが送られてくる。
 その基礎データを元にアレンジを加えオリジナル・スペルとして構築する。
 基礎データに目を通し、表面上は冷静を保ちながら内心ゾッとする。
 一の魔素に対して得られる魔力がその数十倍から数百倍。
 変換効率だけを特化させれば千倍に近い数値が得られる。
 確かに個人が持つには過ぎた力だ。
 だが、その力を。
 躊躇い無く最短詠唱で行使する。
「万物を灰塵と為し、無へと還せ―――緋鳳絶炎翔」
 詠唱の終了と同時。
 巨大な鳳が更に巨大化する。
 翼開長は一瞬で100メートルを超え、甲高い鳴き声と共に光の尾を引いて飛翔する。
 視界を白く焼いた後、黒い渦のような球体は跡形もなく消えていた。
「―――」
 正常に戻った視界で、景色の歪さに息を呑む。
 青空に四角く切り取られた白い空間。
 青い空に白い雲で巨大な塔を建てたよう、と言えば想像の足しになるだろうか。
 塔の白壁が視界の端から端まで広がっている。
 その効果範囲は数十キロに及び有視界の全てを消滅させていた。
 単純な熱に因る魔法では再現不可能な現象。
 空間の色彩すら消滅させ、世界の表面を剥ぎ取り、裏側から無を呼んだ。
 頬が引きつる以前に呆然としてしまう。
 その威力はヒトが扱う事の出来る兵器の威力を遥かに逸脱していた―――し過ぎていた。
 文字通り後に何も残さない。
 後に座る似非黒蛇でさえ、これは予想しなかっただろう。
『しゅう。これでいい?』
 やや舌足らずな問い掛けには他意がない。
 ただ事実を確認しているだけの問い掛け。ヒオにとってこの現象は当然の帰結であり、驚きにも慢心にも値しない。その事に少しだけ後味の悪さを覚える。
「―――ああ、大丈夫だ。ありがとう」
「うん」
 感謝の言葉に、無邪気に幼い精霊は頷く。
 受肉はさせてないので用が済めばその姿は世界に溶ける様に消える。

 一段落して息を吐けば、後から無言の冷たい視線が刺さる。
「―――」
「・・・・・・何だよ? 言いたい事があるならハッキリ言え」
「それじゃ、お言葉に甘えて。―――どーすんのさ、アレ」
「時間が解決してくれるんじゃない?」
 空に開いた無色の空間は周りから色彩が流れ込み、薄い青が広がりつつある。
 規模が規模だけに直ぐには元通りにならいが、この調子なら一日くらいで元に戻りそうだ。
 白い空間のままだったらどうしようと内心焦っていただけに、少し安堵する。
「そっちの方もだけど精霊の子は?」
「高位精霊をアレ呼ばわりか。御無畏なこって」
 軽口を叩くと睨まれた。
 ヤレヤレと肩を竦める。
「どうも、こうも。約束通りにするさ。別に力が欲しかったから契約を結んだわけじゃない」
「けれど、その約束を果たすには君が」
 言葉の先を読んで重ねる。
「俺が『向こうの世界に行かなくちゃならない』だろ?」
「・・・・・・解っていて約束したってことは守る気が無いってこと?」
 根拠の無い猜疑に、安い誇りが鎌首をもたげる。
「オイオイ、テメェ、見くびるなよ?」
 精々、頭の悪そうなチンピラっぽくガンを飛ばしてみる。
「こっちは約束守れなかったら即行で焼け死ぬんだぜ? ちゃんと危険管理(リスク・マネジメント)くらいは考えるさ」
「でも、君は向こうの世界に行く気が無いだろ?」
 けれどとか、でもとか、文句が多い。
「勝手に決め付けてんじゃねぇぞ、役立たず」
 低く敵意を込めた言を飛ばす。
「誰も行く気が無いだなんて言ってねぇだろ?」
 ただ、行きたくない理由がごまんとあるだけで。
「―――約束は守るさ、絶対(・・)にな」
 その言葉に一瞬だけ憐憫の色が浮かぶ。
 それを尖鋭的な敵愾心で跳ね除ける。
「・・・・・・分かった。今は君のその言葉を信じよう」
「ハッ、丁度いいじゃないか」
 元々互いに信の置けない間柄だ。変に思い遣るよりもずっと動きやすい。
「精々、吠え面かきやがれ」
 有無を言わさず魔力供給のバイパスをカットする。
 ヒトの皮を被った黒い蛇は無言のまま姿を消した。
 一人きりになり再度、息を吐く。
「ったく、どいつも、こいつも」
 世話焼きと言うか、お節介と言うか、過干渉と言うか。
「で結局、それに助けられてるようじゃ世話無い、か」
 天を仰ぐ。
 首の動きに反応して、機体も首を上に向けカメラに映った空がそのままコックピット内に映る。
「―――」
 果たせなかった約束と果たすべき約束。
 それは両立されるべき命題ではない。
 元々の土台からして違うのだから。
 過去と未来と。
 同一線上では語れない。
 過去の失敗から学んだのであれば、それは未来に活かされなければならない。そこで取り返しの無い犠牲が出てしまったのなら尚更。
 だから果たすべき約束は絶対に守る。
「―――」
 けれど。
 でも、もし。
 果たせなかった約束を取り戻す機会(チャンス)が与えられたなら?
「俺は・・・・・・」
 握った拳の中で爪を立てる。
 定まらぬ決意に友の名を呼ぶ。
「―――ケン。君ならどうする?」
 そして
「どちらを願う?」
 答える声は無く、無力感だけが身体を支配していた。



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