丸く円い月の浮かぶ夜空。
その下に三人の少年と五人の少女が立っていた。
なだらかな丘の上で彼らは空を見上げていた。だが彼らが見上げていたのは月ではない。
先ほどまでそこに佇んでいた鋼鉄の巨人を操る軍人たち。
およそ一ヶ月前。
彼らの学校を半壊させた巨人とその操者たちは満月であるこの日を待って、本来の居場所へ帰って行った。彼らはその見送りの為にここに来ていた。
三人の中で一番背の低い少年が呟く。
「いっちゃたなー」
声が寂しそうに聞こえるのは錯覚ではなく、彼らのいる生活を少年が楽しんでいたからだろう。
文化や風習の違いはあれど、同じ時間と空間そして想いを共有すれば仲は深まる。―――主に戦闘訓練での地獄のようなしごきに耐え抜いた連帯感からだったりするのだが。
別れ際、誰も再会の約束を口にしなかった。
それは彼らが帰って行った場所が余りにも遠い所だからだ。
この空を超え宇宙空間と呼ばれる先に彼らの住む
大障壁と呼ばれる壁に囲まれ、外の国の様子さえ分からなくなった現代では、さらにそれより遠い世界など想像もつかない。
そうでありながら黒髪の少年と金髪の少女は彼らと同じ異邦人なのだから、きっとそういう縁なのだろう。
その少年が軽く言う。
「見送りも済んだし、俺たちもそろそろ帰ろうぜ」
悲壮感など微塵もない、いつも通りの声だった。
そういう彼の未練の無さが羨ましくもあり、もどかしくもあり。
誰とは無く苦笑するのを一人不思議そうな顔で見回す。
釈然としないまま、まぁいいかと呟いて歩き始める彼を先頭に皆が歩を連ねる。
今、月光で作られる影は濃く人工の明かりを必要としない。
人通りも民家もない、当然街灯だってない自然あふれる丘の上。
それでも二人に一人の割合で手に持った懐中電灯が道を照らしている。宵の口であっても普通であれば外出する時間ではない。それを特例とされるのは神崎の姓を持つ二人の少女とその集団に帰属する者達だからだ。
一人エンと呼ばれる少女だけが複雑な顔をする。
少なくともこの面子なら妖物に万が一襲われたとしても安心していいだろう。自分以外―――ヒロスケとタスクは若干不安だが―――荒事には慣れているし、それを本職としている者達でもあるのだ。不安に思う必要も無い。
無いのだが・・・・・・。
それでもこんな時間に外出するのは不良のすることだと教育された身としては少々の落ち着かなさを感じる。
その教育を古臭いと思いながらも、破ることで生じる罪悪感に戸惑う。
考えてもしかたないし、せっかくの満月の夜気を楽しもう。そう考え、何気なく空を見上げた瞬間だった。
「え?」
冷たく輝いていたはずの月が
「赤、い?」
最初は単純に錯覚かと思った。目を凝らしてそれが錯覚でないことに気付いた時、その不吉な色に悪寒が走る。
そして唐突に色が正常に戻った。それこそやっぱり錯覚だったのかと思い直そうとするくらいに。
その横で
「あーあ」
聞こえたのは残念そうな声。
「ついに来たか」
諦めの滲んだ声の主はシュウだった。
そしてさらにその横でリエーテさんが踵を返していち早く駆け出している。
その素早い行動に呆気に取られる一同の中、シュウだけが溜息を吐いている。
「悪ぃ、みんな。先に帰っといてくれ」
◇ ◆ ◇ ◆
ああ、申し訳ないことをしたなと。軽く走りながら思う。
別離という感傷に浸らせてあげられれば良かったのだが、なかなか上手くいかなもんだなと半分くらい皮肉に思う。
まぁ、そろそろ時期的には頃合いだろうと思ってはいた。
深く考えれば考えるほど加速度的に面倒になっていく事柄だけに、出来るだけ後回しにしておきたかった。
だからといってそれが目の前から消えてくれるわけも無く、こうして実際に起こってしまっている訳だが。
後手後手だなぁと思いはするのだが、今回に関しては積極的に反省する気もない。
今後の方針はすでに決定済みで、後は出たところを臨機応変に対処していくしかない。
そんな面倒なことに頭を使っていたら遠からず禿る。
それは勘弁願いたい。
俺ってば繊細だからね〜と心にも無いことを心の中で
その心は? と尋ねられたら
『駄目人間』
と四字熟語で即答する程度にはヒトとしてどうかしている。
本当にクソ野郎だなぁと半分くらい愉快な気持ちで先程の丘まで戻ってきた。
そこには、どこかお伽噺めいた一幕があった。
佇む赤い鉄巨人に、丘の上で祈るように膝を折る金髪の少女。
かつてどこかで見たことのある光景は、実際にあった出来事なのだと偽物の記憶が教えてくれる。
まるで写真の焼き直しのようで。
それが一体何時の記憶なのかは分からない。
それが幻想の中だけなら、どんなに綺麗な絵だっただろう。
青い光に照らされる一幕は静謐で、けれどそこから漂ってくる空気のなんと血生臭いことか。
鉄巨人の視線がこちらを捉える。
一瞬遅れて、コックピットハッチから空気の漏れる音が聞こえた。
続いてコックピットシェルがゆっくりと解放される。
ああ、ついにかと。
先程、自分が口にした言葉をもう一度反芻する。
暴力的なまでに現実味を帯びて、コックピットから金髪の男が現れる。
かつての戦場では仲間で、今なお『英雄』と呼ばれる男が。
今は敵として対峙する。
真っ直ぐな青い瞳を向けて
「久しぶりだな、シュウ。迎えに来た」
そう言った。