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 グランさんが来てから約二週間が過ぎた。
 とりあえずリエーテさんと町を見て回り、一通りの見識を深め満足したらしい。

 妖物との討伐にも臨時で参加し、その力量の一端を垣間見た。
 シュウちゃん曰く『邪魔にはならないと思う。多分、死なないだろうし。死んだら死んだで放っておけばいい。面倒事が減る。あと責任は取らん』
 なんとも冷たい言い分だがそれだけの確たる強さを持っていた。
 シュウちゃんの戦友と言うだけあって、二人の連携は見事で、けれど心がざわついた。

 多分、シュウちゃんと比較しても遜色の無いレベルの実力者。
 それはお父さんとも同格だということで。

 自室で重い溜息を吐く。
 目の前の宿題に手がつかない。

 グランさんがここに―――この星に来た理由は会ったその日に聞かされた。
 想像する事さえ出来ないが、惑星間を行き来するのは非常に高度な技術的困難が生じるらしい。
 知識として『虚空』と呼ばれる見えない空の向こうに、私たちが住む惑星と同じような星が三つあることを知識としては知っている。数百年前まではそれぞれの星で細々とだが交流があったそうだ。
 けれどそれを実感として生活することは皆無だ。
 精々、夜空を見上げた時に瞬く光が偽物なのだと思い出す程度だろう。

 再度の重い溜息と共に今度は広げていたノートを閉じる。
 だめだ。やっぱり宿題に手がつかない。
 少し悩んだ末に、胴着に着替える。
 髪を運動の邪魔にならないように括り、母屋から遠い方の道場へ向かう。
 母屋から近い方の道場に比べるとこちらの使用頻度は低い。
 鍵を開け、道場の中を軽く掃除する。
 神棚のお供え物を新しいものに換えて礼拝。
 弦を弓に張り、かけをつける。

 的前に立ち、矢を番え、引き、射る。
 的の中心、やや後ろへ矢が中る。
「―――」
 残身をとってから、次の矢を番え、引いて、射ることを繰り返す。
 教本に書かれている通りの射法八節を、無心になるようになぞる。
 およそ実戦であれば無意味な節を、それでもなぞる。
 なぞることに集中していけば、他のことが頭から抜けていく。
 ただ無心に没頭する。
「―――」
 射る。中る。
 射る。中る。
 射る。中る。
 射る。中る。
 正式な競技であれば皆中。
「―――」
 だが所詮は練習だ。構わず射る。
 射る。中る。
 射る。的の枠を蹴って中る。
 射る。中る。
 射る。中る。
「―――」
 最近、調子がいい。
 引けば、中るイメージしか浮かばない。外す気がしない。
 でもなぜ中っているのか理由が分からない。
 分からない時の調子の良さは長続きしない。おそらく近々ブランクに陥ると思う。
「・・・・・・」
 思った傍から上に外した。
 気にせず射る的を変えてもう二立ち分、射続ける。
 結果、十六射十五中。
 結果だけみれば悪くない。惜しいと思う感情が無いわけでは無いが満足する。
 適度に集中できたので目的は果たせた。
 一礼して射場から出ると道場に拍手が響く。
 驚いて視線を移すとシュウちゃんが立っていた。
「三回皆中おめでとう」
 一射惜しかったねと。
「いつから居たんですか?」
「ん? んー、一回蹴り込みがあったでしょ? その後から」
 それは随分、長い間ではなかろうか。
 集中していたとは言え、否、集中していたからこそ気配を察知できなければいけないのに。
 実は漫然と射に臨んでいたのではないか。
 そう思うと少し落ち込む。
「矢取り手伝うよ」
 そう言って歩き出す背中を慌てて追う。
「シュウちゃんはどうして今日?」
 今日は森へ行く日でもなければ見回りのある日でもない。
「あー、うん、ちょっとね」
 そう言って歯切れ悪く言葉を濁す。
 拍手をしてから的場に入り、矢を手早く引き抜いていく。看的所に準備しておいたタオルで鏃に着いた汚れをふき取る。
 無言のままでいると観念したように理由を口にする。
「―――父さんに稽古を付けて貰おうかと思ってね」
 苦笑の混じる物言いに。
 理由を訊ねようとして止めた。

 それはきっと刃を交える自分の覚悟を見極める為に。

 何も知らない事が怖くなる。
 表面上はいつもの彼と変わらない。
 けれど僅かに、その雰囲気が硬い。彼が本気なんだと分かる程度には。
「―――」
 歩くその背に言葉を送ろうとして、しかし音を紡ぐことが出来なかった。
 シュウちゃんが居なくなってしまう未来を想像しただけで体が震える。

 もしココに居たのが私で無く、桜だったならと無意味な仮定を考える。
 彼の未来を垣間見ることが出来ただろうか。
 もしくは彼の事を知るために過去を覗き見ることは許されるだろうか。
(・・・・・・)
 前者はともかく、後者は裏切りだろう。
 知られたくはない過去を、本人の了解を得ずに、暴き見る。
 それを彼ならば許してはくれるだろう、私には。力無い笑みと共に。
 仕方ない、と。
 でもそれを。私は許せない。
 求めれば応えてくれる彼の優しさを汚す、不誠実な行い。

 彼の信頼を得ていくのは実は簡単で単純。だからこそ難しい。
 誠意に対し等価の誠意を返していく。ただそれだけでいい。
 彼はそれが例え嘘でも、そこに誠意を込めたなら誠意で返してくれる。そういう人だ。
 でもそれに付け込んで、騙したなら、彼から二度と信頼を得ることはできないだろう。

 彼は人との係り始める時、裏切られることを折り込んでから一歩を踏み出す。
 最初から疑うという非礼をチップに、一度だけ信じる。
 掛けるチップは常に一枚。故にリターンも常に一枚。その一枚を壊さず積み上げて行くことが難しい。

 別にそれは特別な事でなく、信頼関係を築いていくというのは得てしてそう言うものだろう。最初の一枚を自分から払うのか、相手に払わせるかは人それぞれだし、何もそのチップが『誠実』である必要も無い。『金』でも『貸し借り』でも、それが等価であると互いに納得できるのなら。
 ただ彼の場合は酷くそれがシビアに設定されているというだけの話で。

 私が彼に対して積み上げてきたチップは、果たしてどのくらいだろう。
 彼が故郷に戻ることを決めたとき、行かないでと言えば彼は思い留まってくれるだろうか。
(無理―――だろうな)
 去年の夏、私は積み上げたチップを崩している。崩してしまったこと自体に後悔は無い。けれど今はそれが恨めしい。
 そしてどんなに高く積み上げたとしても、彼が決めた彼の意思を、曲げることは。適わないだろう。

 きっともうシュウちゃんは抗う事を決めている。
 でもそれは居なくならない事とイコールでは結べない。
 そう思った途端、震えが焦燥に変わる。
「・・・・・・シュウちゃん、まだ時間はありますか?」
 唐突な疑問に不審な顔をしながらも壁に掛けられた時計を見て
「うん、少しくらいなら」
「そうですか。じゃぁ―――」

 こんな機会は滅多に無い。

「一つ手合せをお願いします」



 ◇ ◆ ◇ ◆

 どーしてこうなった?
 頭を抱えたくなる事案に対し、既に諦めを受け入れているのを自覚する。

 居合の構えで対峙しているのは一人の少女だ。

 養父に稽古をつけて貰おうと事前に空いた時間の確認をして、約束の時間より少し早めに着くように移動したら、少しどころじゃなく早めに着いたでござる。
 養父に気を遣わせるのも悪いと実家を散策していたら、なぜか美女と試合する羽目になったでござる。

 どーしてこうなった?

 いかん。思考が無限ループに嵌まりそうになった上に語尾が現実逃避からおかしくなったでござる。

 どこかに遊びに行こうとする思考を無理やり繋ぎ止め、正面に意識を向ける。
(・・・・・・)
 あ、なんか既視感(デジャブ)
 この場合、言葉通りの意味では無く似たようなシチュエーションで、と言う意味で。
 宗家に行った時も、見た目だけ美女に絡まれたことがありました。
 しかもそれが現筆頭巫女とかいうオマケ付きで。
 俺の人生ハードモードか。
 ベリィハードやナイトメアじゃないだけマシかなーと、一瞬安堵した時点で詰んでいることに気付いた。
(なんだかなぁ、もう)

 むさい豚野郎に挑まれるのはまだいい。―――いや、それはそれで嫌なんだけどもさ!!
 女性に手を挙げることに対し抵抗がある。
 快男児としてはある種当然の博愛精神なのだけれども、不平等な意味で男女平等を謳う精神構造の持ち主には二重基準(ダブスタ)を犯すこと自体にプチストレスを感じる訳で。
 結局、依怙贔屓かもしくは自己中なんだろうなと、力場(フィールド)の形を落ち着きなく変えながら思考する。

 美的センスは常人レベルの域なので客観的に見て美女と言っても差支えないだろう。
 だが美女だから手を挙げることに抵抗があるのではなく、金を掛けて着飾っただけの見た目麗しい女なら向こうの世界で腐る程見てきた。本当にその内面からは腐臭が漂ってきそうだった。
 むしろそういうのは顔面をグーパンしたいと思う程度には最低の人種だ。
 まぁ双方中身が腐っているのだから仕方ないと思おう。

 つまり外見の醜悪で無く、別の部分に判断基準を設けているのだ。
 じゃぁその判断基準はどこにあるんだと言われると
(情が移ったんだろうなぁ)
 それを冷ややかに見る感情と、暖かい目で見る理性と。
 どっちも自分だよなぁと再認識する。
 感情に振り回されるのは駄目だ。でも理性だけで理詰めにしても結局は同じこと。
 バランスよく中道を歩むにはどうすればいいのか。
(ンなもん、知らねー)
 丸投げした。
 悟りを開きたいわけでも、宇宙の真理を(つまび)らかにしたいわけでもない。
 そういうのは専門家に任せるに限る。
 今は―――

 打ち込まれる切っ先を払い、バックステップで距離を空ける。
(アブねー!?)
 思考に没頭し過ぎて現実を疎かにしていた。
 反省、反省。
 相手は距離を徒に詰めることはせず、再び居合の構えで力場を練っている。
 その表情は真剣で、でもどこか焦っているようにも見える。

 この姉妹は対人戦を好まない。それはそういう性格だからだろう。
 好まないだけで出来なくはないし、そこそこに強い。だが思い切りに欠けるのは優しさかもしれないが欠点でしかない。
 そう言う意味では余程、千夏の方が思い切りがいい。
 いつかヒトの血が流れる戦いに巻き込まれる日が来るだろう。神崎という姓を名乗る限り。
 柵は多く、味方は少ない。
 そんな中で対人戦における苦手意識の克服はきっと助けになってくれる・・・・・・はずだ。

 普段、対人戦を好まない彼女が訓練とは言え自ら申し出た。
 これが克服の切っ掛けにでもなればと、そんな風に思う。
 そしてそこから思案する。
 どうすればそうなれるだろうかと。
 自分の環境に彼女を当てはめ、同じところと異なるところを抽出し、それを精査する。

 面倒だから、対人戦が好きでない自分が、養父さんと。
 面倒だから、戦うこと自体がどうでもよかった自分が、ジイさんと。
(ああ、気遣いとか一切ねぇなぁ)
 再認識に胸中で苦笑。

 それでも戦うことを楽しいと、そう思うことはある。
 それはどんな時だろうか。
 そして今の自分にその時の高揚感と近似の感情を彼女に与えることは出来るだろうか。
 自問に対する答えはやってみようとそんな意思だ。

 上手く出来るかは分からないけれど。

 普段、雪や桜を相手にする時よりもほんの少しだけ力場の量を底上げする。
 それを丁寧に編み込んでいく。
 難敵と戦う時に行う力場操作の一つだ。
 これを瞬時に、かつ無意識下で行えるようになるレベルがおそらく第四位あたりではなかろうかと目星をつけている。
 お嬢サマの護衛(付き人?)の紫藤さんは普通にやってたし。

 それを意識的に行うのは粗をなくす為で、まぁ言ってしまえば見栄えだ。
 戦闘時には速度を優先してしまうため、どうしても編み方が粗くなってしまう。まぁ暢気にやっている暇が無いとも言うが。
 粗無く編まれた力場は流麗だ。纏う力場を見ればどの程度の相手なのかを判断できるのはその為だ。養父やクソジジイあたりになると戦闘時でも粗が無いのが普通(デフォルト)で、その域に自分はまだ達していない。

 短く息を吐いて、先手を取る。
 相手が反応できるギリギリの速度で木刀を振るう。
 力場同士が干渉し、勢いを殺がれるが総量が上回っているこちらの方が威力は高い。
 身に届きそうになる刃を彼女は体術で綺麗に捌く。再構築した力場を纏っての反撃を余裕で弾く。
 更に木刀を交えることを四度。
 テンポを確かめた上で、少しずつ速度を上げていく。
 攻撃、反撃、防御、回避。力場の錬成、構築、収束、加圧。その悉くを彼女が一瞬だけ間に合わない速度でこなしていく。
 五感をフルで稼働させることによって速度の微調整を行う。
 彼女が届きそうで届かないギリギリのスピード。
 限界下での機動は制御を誤ると大事故に繋がる。だから訓練では普通ここまでギリギリの機動は行わない。
 今、彼女の余白(マージン)は既にゼロ。
 すぐに修復(リカバリ)に入れるよう神経を傾けながら、彼女との打ち合いに臨む。



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