4-8

「―――ああ、ありがとう」
 送った感謝の言葉に対し、受話器から嘆息が聞こえた。きっと呆れられているのだろう。
 それが精緻に想像でき胸中で苦笑する。

「てかさ、本当に無料でいいの?」
 対価に見合う金額を支払うのは恐らく無理だろうが、心付けくらいは受け取って欲しい所だ。
 だが電話の相手はそれを固辞する。代わりに
「あはは。うん、約束はちゃんと覚えてる」
 約束の代りに受け取った物を片手で弄りながらその時を思い出す。



 ◇ ◆ ◇ ◆

 こちらの依頼に対し、金額の代りに提示されたのは一つの約束だった。
 依頼するにあたり、こちらの事情は全て包み隠さず話していた。それを信じてくれるかどうかはかなりの賭けだったが。
 なぜそれが必要なのか。
 なぜそれを欲するのか。
 全てを伝えた上での依頼だ。
 その依頼の報酬はただの約束としか呼びようのない代物で
「あー、うん。そりゃ無理だ。約束出来ない」
 それが出来ればどんなに良かったか。自分の望む結末とその約束は合致していた。けれど確約は出来ない。
 出来もしない、出来るかどうか分からない、そんな約束。
 それを結ぶことを良しとしないのは個人的な感情でしかない。

 誠実であれ。

 他者に対してそれを求めるなら、少なくともそれに自分が準じていないと話にならない。
 だからそれはただの個人的な感情だ。
 嘘を吐く人間はごまんと居る。詐欺師なんていつの時代でも息をしている。
 騙す者が悪いと言い、騙される者が悪いと言い。それでも消えることの無い人間の性。
 ならば自分もそれに従えば良いと言う甘言を封殺する。

 まぁ本々が駄目元での依頼だったのだからすっぱり諦めるかと思案した所に掛かったのは
「そうじゃねぇだろ」
 幾分、声に険が混じっていたなと、今だから思い返せる。

「死にに行く奴の為に本気で刀を打つ馬鹿に、俺が見えるのか?」
 あのなぁと前置きをして
「俺はさっきの坊主の話を、全部信じちゃいない」
 まぁ、そうだろう。魔王を倒しに行く為に刀が欲しいとか一体どこのRPGだ。とりあえず相手の頭を疑う所がスタートラインで、ゴールは病院に行くのを勧めるくらいか。

「けどな? 坊主が嘘を吐いてるとも思わん。そして俺の打った刀が欲しいと言ったその言葉が本気なのも分かる」
 ああ、有り難いことで。そういう人の良さが損に傾くことは多いだろうに。

「だからその事情はともかく、力になってやりたいとは思う。けどそこに『死んでも』なんて御大層な言葉でその友達とやらを『救いたい』とか抜かすんなら、それこそ死んでも、いや、『死ぬ気で』帰って来い」

 いやー、帰って来たいのは山々なんすっよー。あっちの世界にほとんど未練はないですしー。―――ってそういう話じゃないですよねーと、自己完結。

 返答に困って頭をかくと此れ見よがしに溜息を吐く。
「なぁ坊主、救われた奴の命が助かったとして。じゃぁ救った側が命を落としたら、救われた奴は一体誰に感謝すりゃいい? それは円満な解決と呼べんのか?」
 ああ、痛いところを突いてくるなぁ、このおじさんは。侮れん、というか手強いのか。

 隠す隠さないの話ではなく、今回の事件には全く関係ない話だから俺の姉さんの事は言っていない。だからおじさんが言っているのは一般論か、もしくは経験談なのだろう。

 俺を助ける為に命を散らした尊い女性(ヒト)
 聡明であった彼女の決定的な間違い―――なんて言ったら怒るのかな、と以前では考えられないくらい平静な感情で思う。

 無意味な仮定と知りつつ、けれどそのままで思考を積み上げていく。
 一つの命を救う為に、一つの命が無くなり。
 大きな戦争を終わらせる為に、沢山の命が犠牲になって。
 多くの不幸を押し付ける代わりに、一人の人生は狂わされた。
 狂わされた時間は巻戻らないまま修正された人生は、一つの命で贖うに事足りるのか?

 かつて読んでくれた錬金術師のお伽噺を不意に思い出した。
 賢者の石と呼ばれる、鉛を金に換え不老不死をもたらす偉大なる宝具を探して旅に出た錬金術師は。
 旅の途中で勇敢な仲間達と出会い、共に世界中を巡った。
 笑い有り、涙有り、感動の冒険譚の結末は。
 大団円を迎えない。

 時に魔物に敗れ、時間と言う老衰に殺され、仲間は徐々に減っていく。それでも賢者の石があれば全てをやり直せると信じ込んだ錬金術師は、かつての英知を失い愚者へと堕ちる。そして石に辿り着いた時には石の力を超える負債を抱えており、願いは叶わないまま死を迎える。

 幼い自分は結末に納得できず、姉に駄々をこねたのを懐かしく思い出す。
 盛大に思考が逸れたが、要するに等価交換の法則は絶対で、お伽噺の中でさえ都合のいい帳尻合わせは成就しない夢物語と言う事だ。

 『だから』と続く否定的(ネガティブ)な考えに自分は変わらないなぁと、頭の片隅で小さく笑う。そうすることで思考を正し―――

 だからやっぱり約束は出来ない。

 本当に、冗談抜きで、帰って来たいと願う位にはこの場所に愛着を持っている。
 莫迦な友人が居て、大切な家族が居て、―――好きなヒトが居る。

 ああ、別れを決めてから自分の感情に素直に成れるのは致命的な欠陥を患っているのか、感傷に浸りたいからなのか、両方か。

 まぁどっちにしても遅すぎるし、残りの短い時間で今までのスタンスを崩すわけにもいかない。崩した所で重荷にしかならないのは分かり切っている。

 とりあえず結論は出た。
 武器の入手には失敗。
 でも、ま、自分の考えを見つめ直すという意味では有意義な時間だった。
 後は手持ちの札で遣り繰りするかと、礼を言ってお暇しようかと思った矢先に

「ちったぁ若者らしく後先考えずに過激な発言してみろよ・・・・・・」
「そういうステレオタイプな発言はおじさんの評価を貶めるよ?」
「うるせーよ、小心者」
「―――」
 んなこと言われてもなぁ。

「なぁ、帰って来てぇんだろ?」
「・・・・・・うん」
「だったら!?」
 そう言い募るおじさんに
「それでもさ? 駄目なんだ」
 望めば叶うなんてそんな甘い考えは疾うの昔に捨ててしまった。
 世界は残酷で、けれどそれ故に優しい。
 そして優しさだけでは世界は廻らない、廻せない。

 誰だって貧乏くじは引きたくない。
 当たり前だ。それが正しい。
 望んで貧乏くじを引きに行くような奴は、頭のどこかが狂ってる。

 でも何処かで。誰かにそれを課すのなら。
 赤の他人の分は全力でお断りだが、身内のくらいなら引いてやらんことも無い。
 そんな風に思う自分の頭はいつから狂ってしまったんだろうか。
 けれど確かにこの命はそれに救われた。それも一度じゃ済まない数を、だ。

 姉さんも、フィアも、ケンも。結果として散らすことは無かったが雪もその内の一人だ。
 だから否定できない。むしろその狂気とも呼べる代物がとても尊いモノなのではないかなぁと最近思うようになってきた。
 ああ、色々と由々しき事態だ。いつからこんなお花畑的な思考が芽生える脳内構造になってしまったのか。即急な対策が必要だなと付箋を付けて胸にしまう。

「かぁ〜、ったく、もうよぅ。本当にどうしこう融通が利かないんだ・・・・・・」
 一体誰に似たんだかと、疲れと諦めの混じった声。
「―――分かった、打ってやる」
「は?」
 いきなりの意見転換に疑問符が浮かぶ。
「だから打ってやるよ、お前さんの望みのものを」
 ただしと前置きをし
「時間が無ぇ。前にも言ったかも知れんが業物は狙って打てるもんじゃぁねぇから失敗する可能性が高い。それは頭に入れとけ」
「お、おう・・・・・・」
「なに呆けた顔をしてんだ?」
 いや、流石にその立場転換は不自然だろ。
「その代わり約束しろよ」
「・・・・・・話がループしてんじゃん」
「違ーよ、全然違ぇ」
「えー、もう面倒だからいっそのこと無報酬にしない?」
「甘えたこと抜かしてんじゃねぇ」
 鼻で笑った後に笑みを消す。
「約束を果たせるかどうかが問題じゃ無ぇんだ。果たす意思があるのかどうか、だ」
 それ位なら有るだろうという問い掛けに首肯する。それを見て頷きを返し
「本気で死にかけてもう駄目だと思った時、それでも足掻こうと。足掻いてやると、そう思え」
 一度言葉を切り
「これは諦める事を諦める為の約束だ。努力義務だ。ただの努力義務じゃねぇぞ? お前が出来る最大限の努力義務だ」
 捻くれた性格が幸いして、わざわざ自分の首を絞める質問を返す。
「俺としては有り難い申し出なんだけどさ? どうやってそれを確かめるんだよ?」

 努力は結果が伴わないと本当の意味で努力したとは言えない。結果の伴わない努力はただの徒労だ。
 世界は割とキビシ目に出来ている。望む、望まないにかかわらず。
 おじさんが言った意味での努力が、万人に適応されるなら。
 少なくとも戦場で死ぬ人間は居なくなるだろう。
 でもそれが叶う日は、未来永劫ずっと来ない。

「どうやって確かめるかだって? そんなのは簡単だ」
 ニヤリと笑う。
「坊主が死んだ後で、カズさんや六花ちゃんたちに『これだけ頑張りましたが無理でした』って夢枕に立てるかどうかだ」
 おじさんの言葉を聞いて呆れる。
「おいおい、死んだ後なんてどうなるか分かんねぇぞ?」
「だからだよ。分からないなら妥協できなくなるだろ、坊主は? 不義理を犯した報告に、虚偽や甘えを許せるような性格じゃ無ぇだろ」

 ああ、それは。うん、まぁ。
 でもそんな所を信用されても困る。
 ナチュラルに性格破綻者だから、面倒になれば自分の主義主張なんてものは、それこそ手の平を返すように簡単に覆す。―――いやぁ、マジ人としてクズだわ。

「なぁ、坊主。自分の為に生きれないなら、大切な人を悲しませたくない為に生きろ。例えそれが結果的に利用する形になったとしても、だ。互いに互いが益を享受できるなら、理想なんてものはただのゴミでしかねぇよ」
「でもさ、その理想が」
「そうだ、理想は大切だ、死ぬほどな。それが無けりゃヒトは動けねぇ」
 けどと言葉が続く。
「理想にしがみ付いて死ぬ位ならさっさと手放しちまえ」
 死ぬほどに大切な理想を、生きる為に手放すのは。本末転倒じゃなかなかろうか。
 頷くことのできないこちらを見て苦笑する。
「坊主が坊主じゃ無けりゃ、こんなことは言わねぇよ」
 頭が固そうだもんなぁと小さくぼやく。
「理想も優しさも。強者故の特権だ。俺みたいな臆病者には、手放せないお前さん方がいつか壊れちまうんじゃないかって見てて怖くなる」
「―――おじさんだって十分強いだろ?」
「ああ、相対的に見ればな。だが宗家のジジイやカズさん程の絶対的な力は逆立ちしたって持ち合わせてねぇよ」
 そこに自嘲の色は無い。
「坊主だって分かってるだろ? 努力で活きるモノは沢山ある。だから努力を止めちゃいけねぇ。その一方で才能でしか開花しないモノもある。俺の力はそこそこ止まりだったが、刀を打つのは能があった。―――ああ、もちろん努力はしたぜ。語るに落ちない程度には―――だから神条の当主に居る。努力した他人を押し退けてな」

 その努力とは如何程のものだったのか。
 万人が納得するほどの血が滲むような努力であって欲しいと思うのは浅はかだろうか。

「・・・・・・なんでこんな話になってるんだっけ?」
「ははは、なんでだろうな?」
 よっこらしょと言って立ち上がる。
「まぁ、なんだ? 努力してなるべく生きて帰って来いってことだ。そんでもってお前さんが思うよりもずっと、お前さんは大切に想われてるってことを覚えとけ」



 ◇ ◆ ◇ ◆

 そして今、約束の物は自分の手にある。
 ギリギリで間に合わせてくれたことに感謝の念が絶えない。
 それを言葉に出すのはなんだか気恥ずかしくて
「―――それじゃ、そろそろ行ってくるよ」
「ああ、行って来い」
 掛詞として礼を重ねる。
「うん、ありがとう」
 それじゃと言って通話を切り、ベッドから立ち上がる。
 手にある刀を影に収納し部屋を出て振り返る。

 物の少ない部屋だ。場所の大半はベッドと勉強机で他に目ぼしい物は置いていない。
 荷物の大半は新しい住居に移してしまっているからそれも当然なのだが、それでもこっちの世界で長年使っていた部屋だ。愛着はある。
 電気を消して扉をゆっくりと閉める。またこの光景を見ることが叶うと良いなぁなんて思う程度にはおセンチだ。

 玄関で靴を履いて外に出ると養父さんと養母さんが居た。
 話はすでに通してある。
「シュウちゃん・・・・・・」
 そう言って泣きそうな顔で抱きしめられる。
 もう身長差はほぼ無い。加えて二十代で通用する見た目も手伝って恥ずかしいのだが、これが最後になるかもしれないと思い抱擁を返す。
 子供を失うことを恐れる養母には、申し訳ない事だなと思う。
 そしてこちらの意思を尊重した上で家族として接してくれたことが嬉しかった。

 抱擁が解かれる。
 次に養父さんから差し出された手を取り硬い握手を交わす。
「シュウ君、月並みの言葉だけど頑張っておいで」
 ああ、本当に月並みな科白だ。けれど養父さんのこういう所が好きだ。
 頑張れ、なんて無責任な言葉で。それでもそこに込める想いに他意は無い。
 斜に構えた子供に対して対等に接してくれたことが有難かった。

「行ってきます」
 二人とも頷くだけでそれ以上の言葉は掛けてこない。
 だから振り返ることなく進む、進んでいける。

 門を潜って、長い階段を下り、見上げる家は夕日によって赤く染まっていた。
 暖かみのあるその場所で暮らす家族が、せめて息災であってくれれば安心できる。
 去来する想いは留まる事が無い。
 それでも区切りをつけて歩き出す。
 約束の時間に間に合うよう進める足は一つ目の曲がり角で早くも止まる。

「待ってたわよ、シュウ―――とっても不本意だけど」



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