4-11

 一瞬理解が遅れた。

 宙に浮いた身で、眼前に迫る刃は避けようのないものだった。
 それが影によって阻まれる。
 相手との間に割って入ったものが硬化された土壁だと気付いたのは二本の足が地に着いて衝撃を殺す為に膝を曲げてからだった。
 早鐘のように響く鼓動は煩さく、状況判断を遅らさせる。
「―――」
 その壁が危害を加えるものではないと理解し知らず詰めていた息を吐き出すと同時、土壁が無音のまま堰を切ったように崩れだす。

 その先には肩で息をしながらも、呆然とした表情で立ち尽くす千夏がいた。
 その意識はすでにこちらを向いてはいない。
 ただその視線が丘の入り口を注視していた。



 ◇ ◆ ◇ ◆

 身を貫くはずだった光の矢。
 それは一瞬で焼失した。
 魔法によって編まれた炎は灰すらも無に還す。
 熱の残滓が、それが炎だったと教えているに過ぎない。
 皆が動きを止め、それを行使した人物に視線を集めている。
 その先には黒ずくめ少年と極普通の少女。そして一頭の巨狼と絢爛な一羽が居た。

 少年は短く息を吐き、歩き出す。
 意識はこちらに向けつつも、向かう先は先程まで対峙していた二人の少年の元へだ。
 黒目、黒髪、黒服と黒一色で統一された少年の目つきは鋭い。
 立ち尽くしていた二人の少年の前で立ち止まり
「フン!!」
 目にも止まらぬ早業で拳骨をかます。



 ◇ ◆ ◇ ◆

「ゲふ」
「ガっ」
 頭頂部を押さえて蹲る二人を冷ややかな目で見下ろす。
「痛ぇ、マジ痛ぇ・・・・・・」
「ははは、元気そうだね? もう一発いっとく?」
 剣呑な声音に対し、睨み返すのと距離を取るのを二人ほぼ同時にやってみせる。
 その動きは速い。記憶の中にある二人とは見違えるほどに。
 それが何を意味するのかは左手の甲に刻まれた印の共鳴から既に理解していた。ただそれを目視確認という二重チェックで、間違いないことを確かめたに過ぎない。
「―――言ったよな? 絶対に使うな、って」
 主語を省いた問いかけに何をとは言わせない。
 反論を許さぬ圧を込めれば二人そろってばつの悪い顔をする。
 言い付けを歯牙にもかけてないわけでは無いようだ。だがその行動は
「軽挙妄動に甚だしい。―――死にたいのか?」
 肉体的には死なない。強くなれる、一瞬で、見違えるほどに。死ぬのは精神(こころ)だ。
「けど!!」
「けどじゃねぇよ、莫迦。使うなって言葉に対して使ったのは事実だろうが。ここはそんなに命を掛けなきゃならない所か?」
「だってシュウは―――」
「だってじゃねぇよ、阿呆」
 莫迦で阿呆とは救いようのない間抜けだ。
 溜息が出る。
 それでもめげずに強い視線を返してくる二人は、正しく救いなんていらないのだろう。
 自分の足で立って自分の頭で考えたその結果がこれなのなら。
 自立した一つの個として尊重せねばならない時は既に過ぎているのかもしれない。
 対等を望みながら、どこかで自分の方を上に置いていたのかもと考える。
(まぁ、教える側と教えられる側が対等なんてのは、それこそ変な話かな)
 頭を下げられるほど熱心に教鞭を振るっていた訳でも無い事はこの際無視しておこうなどと、何処まで行っても自分本位だよなぁと心の中でツッコミを入れておくのを忘れない。

「でもさ、だってシュウは行っちゃうだろ・・・・・・」
 ぽつりと漏らされたタスクの一言にその場にいた全員が身を固くする。
「―――」
 そこが焦る原因かよと、溜息を吐く。
 ああ、幸せがまた一つ逃げていく。俺の安息の地は何処?

「・・・・・・それが嫌なら、自力で強くなって『俺』を止めてみせろ」
 こんなイカレた力に頼るのではなく、その想いを糧にして。

 現実は厳しいねぇと軽い思考で思う。
 想いだけで、こんなイカレた力を止められるなら。
 世界はもっと単純で優しい。
 それが出来ないからイカレた力を望むんだから世の中上手く出来ている。
 望むだけで。祈るだけで。奇跡は起きないもんだなぁと。

「お兄さん!!」
 思考は呼びかけに遮られる。接近は力場で感知していたので驚きは無い。
 リエーテとの戦いで、肩で息をする程度には疲労しているが目立った傷は無い。大したもんだなと思い左手を頭に伸ばす。
 ヒロスケ達が拳骨を食らったのを思い出してか、目を瞑って身を縮める千夏の姿に苦笑をしつつ、優しく撫でる。
「強くなったな、千夏」
 その一言に驚きに目を開き、嬉しさとそして一抹の寂しさが混じった複雑な瞳を見る。
 エンの視線が痛くなったのを感じ、名残惜しさを覚えつつ手を引く。
 次に雪と桜に視線を送る。
「シュウちゃん・・・・・・」
 呼びかけに苦笑を返す。
「色々あるとは思うけどさ? とりあえずゲストを待たせ過ぎだから後でね」
 堪えるような表情で頷く二人をから、故郷で英雄と呼ばれていた男を見据える。

「待たせたな、英雄。回復は十分か?」
 英雄の隣に立ったリエーテが回復魔法で傷を癒しているのを見て問いかける。
「ああ、大丈夫だ」
 その言葉にリエーテが下がる。
「そうか、それじゃぁ始めようか。―――終わらせる為に」
 剣帯に吊っていた柄を握る。
 刀身の無いそれには鞘も無く、ただ美しい装飾が目を引くだけのものだ。
 それがかつて剣聖とも拳聖とも呼ばれた老翁の形見だと知る者は、少年以外にこの場には居ない。
 それに命じる。
「世界よ、剣たれ」
 簡素な呪文により柄から刀身が生まれる。
 透き通った空のような、蒼い片刃の剣。

「ヒオ、場を頼む」
 紅黄色の凰が一瞬で炎に包まれ、その後に山吹色の着物を着た女性が現れる。
「イエス、マスター」
 そう言って軽く振るわれた繊手。
 その瞬間、空間にズレと半透明のオレンジ色の壁が生じる。
 己と英雄だけが互いに干渉できる異相空間。
 他からの干渉は視認を除きヒオの絶大な魔力を、さらにそれを上回る魔力で書き換える以外に行えない。
 範囲を限定すれば防御魔法としても似たようなものは存在する。
 だが展開された空間の無茶な広さに英雄が眉を顰める。
 そして内心でも同じことを思ってみたり。
 でもまぁいいかと早々に決着をつける。
 広々と体を動かせるのは良い事だ。

 自分より一瞬早く意識を正した英雄が口を開く。
「今更だが―――共に来る気は無いんだよな?」
 こんな御誂えな場所までわざわざ用意して
「あると思うか?」
「ま、そう言うよな。お前は」
 軽い挑発に対し、肩の力を抜いたまま剣を構え、力場を展開する。
「いいねぇ、話が早くて助かるよ。その暴力に頼るしかない短絡的な思考が最高に最強。そんでもって最っっっ低」
 こちらの軽口に対し、一瞬だけズレた先の空間に目を遣る。
「余り馬鹿な事をほざいていると大切な人が傷付くぞ」

 馬鹿め、と。
 向こう側からこちら側への干渉が困難なのと同じように、こちら側から向こう側への干渉も困難を極める。仮にリエーテが何かをしようとしてもそれをロキとヒオが許すとは到底思えない。
 相手を貶め、杞憂だと自分を納得させた上で
「―――」
 遠まわしな脅迫の言葉に、感情の一切が凍りつく。
 明確に、的確に、確実に。最速で最短、最重量打撃を叩き込み、一瞬で動きを奪い、永遠にも近い時間、苦痛という拷問を与えるにはどうするのが最適かを思索する。
 静かに澱み無い殺気を(くゆ)らせる。
「・・・・・・ああ、本当にイイねェ。最高だよ。七年会わないうちに小物っぽい感じに煤けてくれて感動物だ」

 安い挑発の応酬は前口上にも似た様式美。
 それがどんなに安い挑発で。
 相手がどんなに優れた聖人でも。
 その存在を憎むに値する敵へ昇華する。

 動く気配を滲ませて、相手の気を引く。それが開始の合図。
 英雄が構えを取ったのを皮切りに踏み込む。

「―――ッ!?」
 剣戟の重さか、速さか、はてまたその両方か。相手が呻く。
 そんな事は意に介さないと連続して剣を振るう。
 一合、二合、三合を数えたところで、一旦距離を空ける。

 ふむふむ、成程。
 ヒロスケ達との戦いは決して全力では無かったという事か。
 もしくは意識の違いか。  無辜の民に刃を向ける事に対し、無意識に抑止弁(ストッパー)が働いたのかもしれない。
 相も変わらず、甘い男だ。そこに想像以上に相手が手強かったという要素を加味してもそれで死にかけていたら世話は無い。

 冷静に思案しているところへ、今度は相手が踏み込んでくる。
 十分に殺気の乗った剣筋に内心で口笛を吹いてみる。

 かつて世界を渡る際に対峙した時は隠しきれぬ迷いがあった。
 その結果が今であるなら、失敗を糧に反省し本気で掛かってくることは決して間違いではない。
 でも、でも、だって。戦友を殺しに来る君の心に、ああ僕ハとっても心が痛いヨー。
 などと鼻で笑い飛ばせそうな科白を宣わってみる。
 口の端が上がってはいないだろうか。
 決闘の際に笑うなど不謹慎も甚だしい。全く以てけしからん。
 だがそれが自分だ。

 自分(オマエ)こそ、戦友を殺しに掛かっているというのに。
 自分だけ被害者ぶれる顔の皮の厚さ。
 本当に最高に最低だ。ビバ、自己中。

 中々と矛盾に塗れた自己認識にまた一つ思考のギアが上がる。
 そんな男の口から出る言葉は毒でしかない。

「七年前の様に腑抜けては無いみたいだな」
 当たり前だと、そんな意思を叩きつけるように刃が振るわれる。
「あの時のように迷ったりは―――しない!!」

 ああ本当に。甘く温い男だ。

「言葉にしなけりゃ自分の意志を確認できない程度の想いで、俺に勝てると思うなよ」
 低く怒気を混ぜた声でまぜっ返す。
 相手とのモチベーションの温度差が激しい。
(コイツは本気で俺を連れて帰る気があるのか?)
 無いなら無いでさっさと消えてくれると嬉しい。
 もし本気でそれを成そうとするのなら
「業の解放ぐらいやってみろ。このままで俺に勝てると思ってんのか?」

 英雄の顔に苦渋が浮かぶ。
 七年間。軍の幹部としてそれなりに訓練はこなしていただろう。一般的には厳しいと呼ばれる具合の訓練だ。
 だが元々が隔絶した技量の持ち主にとって、それは良くて精々衰えを防ぐ位の訓練にしかならない。
 自分が養父と遣り合うのでさえ、安全に余裕をとって、それですら技量の向上はほんの僅かだというのに。
 英雄ほどの力量の持ち主がより高みを目指すなら勇者かそれに近しい相手に日々、死合いを行うか、それこそ躰を虐め抜くような過酷な訓練が必要だ。
 元の技量が―――明確という程ではではないにしろ―――救世主に劣っていたのだから。

「どうせ軍部の仕事が忙しいとかで、まともな修練なんかできちゃいないだろ!!」
 急制動をかけて斬り返す。

 七年前なら、それを気合で覆せたかもしれない。
 だが今となってはその差は明確に見て取れる。
 片や同格の者と訓練をし、妖物と戦い実戦を身近にしていた者と。
 片や隔絶した技量を持ちながらも、衰えを辛うじて先延ばしにしていた過ぎない者と。
 流れる時間は皆、平等だ。だがその密度は幸か不幸かは別にして当たり前に不平等だ。

 だがそれを一瞬で覆す能を持つ。
 互いの左手に宿る業と呼ばれる異能だ。
 むしろ業と呼ばれる卑怯極まりない手段を持ち合わせている方が余程、世界に喧嘩を売っているレベルと言える。
 ただそこに自我の侵蝕による耐え難い代償が有るだけで。

「・・・・・・俺にはまだ、やらなきゃならないことが有る」
 振るわれる刃をいなし、逆袈裟を放つ。
「―――」
 振るわれる刃は、ああ確かに達人と呼ばれる域に入っている。それこそ業を使用したヒロスケ達よりもまだ鋭い。
 だがそれに、どうしようもなく苛立つ。
 何故、苛立つのか。斬り結び、斬り合い、命の遣り取りをしながら思考する。

 ヒロスケもタスクも。
 ケンだって。
 己の信念に従って、代償に耐えた。
 甘美な痛みだと思う。
 全能感が付与される代りに、消されていく記憶、書き換えられる自我。
 より正確に言うなら書き換える為に、邪魔になる記憶は削除され、そこに我が物顔で別の何かが埋め込まれていく。

 気付いた時には手遅れだ。かつての喜びも、嘆きも。貴賤無くがらんどうになっていく記憶に、誰の物とも知れない記憶が混じっていく。
 自己を形成してきた過去の証は、その他沢山の中にある情報の一つでしかない。

 それは恐怖だ。

 それでも今有るものを失いたくないから手を伸ばす。
 変えられない過去を切り捨て、変えられる今を、未来で後悔しない為に。
 自らを犠牲にして。

「・・・・・・自惚れんじゃねぇぞ、クソ英雄」
 また一つギアが上がる。
 怒りに思考が冷えていく。
 憤怒とは熱く滾るものであるなら、この感情は怒りではないのか。
 こんなにも黒く冷たい。

「テメェは本当の英雄にでもなったつもりか!?」
 勢いだけが熱を纏う。

 この男は。どこまで甘いのか。

 所詮、自分たちは祭り上げられただけの存在。舞台装置の一つ。
 偉業を成し、称えられた者達が切り開いた地位に押し込まれた供物。
 だが例え供物でも。供物なりの意地がある。

「テメェの覚醒率はいくらだよ? 二桁前後でビビリに入ってる癖に」

 ああ、そうだ。
 かつてと同じ過ちを二度と繰り返さない為に。

「俺で半分。ケンに至っては八割だ。それだけの代価を払って自分を鍛えたんだ!!」

 今、目の前にある絶望を振り払う為に。
 過去と未来を犠牲にして力を求める。

「魔王が100%で挑んでくるなら、勇者も100%で挑めば良かったんだ。自我(じぶん)を代価にしてな」

 それを愚かと謗りたければ謗ればいい。
 力尽くで得た平和が長く続かないように、無理矢理に解決した力は新たな災厄の火種でしかない。
 リターンとリスクは常にリスクへと天秤が傾く。

「そうすりゃ、わざわざ救世主(オレ)なんかに頼らずとも全部丸く収まった!!」

 魔王の命と、勇者の自我を代価に。
 それだけで世界の平和は守られる。
 こんな自己中で不平ばかり言うしか能の無いヘタレた男に頼らずとも。

 自分だけを安全な場所に置いておいて。

「テメェが望んだ結末は、誰かに不幸を押し付けて終わる程度の、そんなモンか!?」



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