4-14

 肩で大きく息をする英雄。
 最後に深く息を吸うと姿勢を正し、構える。
 何かを吹っ切ったような様子に面倒な事だねと、かつて救世主だった少年はひとりごちる。

「決着をつけよう」
「へいへい」
「―――いくぞ」
「いつでも」

 やる気の無い返答に、しかし返ってくるのは裂帛した気合だ。
 戦いは再び近接戦闘へと戻る。
 その間合いは全てが一瞬。
 一瞬の判断の連続。そしてその一瞬を次に繋げる機転。

 最初に有った力量の差の全てが埋まった訳ではない。
 そもそもその差は明確ではあったが、絶望的な差でも無かった。
 業の解放による力量の向上と、想いの差。そして互いに疲弊した体。
 色々な要因が絡まって、今はその差がほぼゼロに等しくなった。
 それはかつて救世主が出奔を決め、英雄が追ったあの夜と同じ。やや救世主を有利としたあの舞台の焼き直し。

 先の戦いを経たからこそ。
 互いに、互いの言い分が、全く理解できない訳ではないのだ。
 共に背中を預け戦い抜いた戦友であり、そしてまた同じ道を歩んだ者として。
 それでも、否、だからこそ。
 互いの信念を刃に乗せて剣戟を交わす。
 言葉だけでは伝わらない、己の覚悟をぶつけ合う。
 分かたれた道の、その先が交差せずとも。
 共に歩んだ過去の時間だけはどんなに否定しても変わらない。
 だから今それを再確認し、未来へと繋ぐ為に、己がもしかしたら辿ったかもしれない互いの道をひたすらに追走する。
 仮定に意味は無いと知りながら、意味の無い事に意味が有って欲しいと願ったのは誰だっただろうか。

 次第に激しさを増す剣戟を見守る者達は、その凄絶さに息を呑む。
 だが対峙する二人にとってそれは何の意味も持たない。
 体術と剣術だけの一見地味な戦い。
 この間合いになれば技を出す溜めすら致命的な隙になる。それが達人級の二人なら尚更。
 ただ相手を圧倒する為だけに剣を振るう。その一挙手一投足が勝利を渇望している。

 英雄が勝負に出る。
 それが悪手と知りつつ、技を出す為の溜めに入った。
 本来であればそれは隙にしかならない。
 救世主はそれを誘いと見なすと同時に、同じく力場(フィールド)を溜める。

 読み合いではなく、真っ向から捻じ伏せる。
 そんな攻撃的な思考だ。
 両者共に楽の笑みを浮かべる。
 獰猛でいて果敢、それでいて童心のような笑み。

 残像が世界に焼き付く。
 神速の一撃を、同じく神速の一撃で打ち返す。
 振り切った姿勢で共に動きが止まる。
 崩れるようにして倒れた相手に告げた言葉には、確かな熱が籠っていた。

「俺の勝ちだ、英雄」



 ◇ ◆ ◇ ◆

 視界からオレンジ色をした半透明の壁が消える。
 それがこれ以上の結末の引き伸ばしが無い事と、任務の失敗。
 そしてなにより英雄の敗北に目の前が暗くなる。
 これで魔王に対する最大戦力の確保が絶望的になった。
 それはまた多くの人命が失われることに直結するだろう。

(今なら―――)
 救世主をどうにかできるだろうかと、思い付いた考えを即座に否定する。
 それは騎士として一番行ってはいけない事だ。
 否、騎士だから、では無い。もっと根本的な人としての禁忌(タブー)
 英雄と救世主の決着は、自分の感情がどうであれ尊重しなくてはならない。
 それが矜持を賭けた決闘の不文律。
 もしそれを自分が汚せば、救世主だけで無く、英雄が英雄で無くなってしまう。
 現実問題として、救世主以外の人間を相手にするのも荷が重い。
 質も量も。
 隙を突くことさえ救世主の使い魔がそれを許さないだろう。

 そう理解した上で、
「―――」
 遣る瀬無さ、悔しさが消せない。
 掌に食い込む爪の痛みだけが、意識を現実に留め置く。

 英雄に肩を貸した救世主が戻ってくる。
 そこには不思議と感情が凪いでいるように見えた。

 気安さや親愛とも違う凪の状態。

 ふと、かつて見た孤児院での少年たちの喧嘩を思い出す。
 憎しみをぶつけるだけぶつけるように口汚く罵り、お互いに憎しみを重ねるように殴りあう。
 けれど喧嘩が終わった後は、膿を出し切った後の様な綺麗な傷口だけが残っていた。―――自分が年長になってからは痣を作って、鼻血を流し、服を汚してしまう事を叱り飛ばしたこともあった。

 不満が消えたわけでは無い。相手の言い分を呑むほどの器量が深くなった訳でも無い。
 でも一本の筋が通った信頼の有り方。
 それを不思議に思いつつ、また羨ましくも感じる。

 少しだけ握った拳が緩む。
 二人が別れ、英雄が近付いてくる。
 険の取れた、疲れた表情ですまないと小さく呟く。
 そして離れて行った少年を真直ぐに見つめる。



 ◇ ◆ ◇ ◆

(ああ、終わったな・・・・・・)
 みんなの前に立って改めて思う。
 疲れが激しい、と言うか魔力の枯渇か。
 最近はヒオのお蔭で調子が良かっただけに前の状態に戻っただけでかなりしんどい。さすがに大立ち回りは堪えた。
 ふと気が緩んだ拍子に体が傾く。
 あれ? と思った時には雪と桜が倒れる前に支えてくれていた。
「―――おかえりなさい、シュウちゃん」
「ありがとう―――うん、ただいま」
 一瞬だけ支えてくれていた腕に力が籠る。
 自分の足で立つと、それを惜しむかのようにゆっくりと暖かみが離れていく。
「お疲れ、シュウ」
「おう」
 労いの言葉を掛けてきたのはヒロスケで、隣のタスクは笑顔でサムズアップをする。
 疲れたような呆れたような微妙な顔をするエンと、安堵の表情を見せる千夏が対照的だ。
 ロキはなぜかドヤ顔で、ヒオもどことなく満足げだ。

「さて―――」
 実働は終わり。これからはその結果を踏まえた上での交渉だ。当然、勝者の権利として話は有利に進めることができる。むしろ事実上の命令に近い。
 すでに所属している世界も国も違うのだから法的拘束力は皆無で、それに従うかどうかは当事者の常識と良識に委ねられる。
 そもそも決闘という文化が廃れたこの国では今のは単なる私闘に過ぎない。
 だが『世界』が認めた英雄という立場は、『世間』が思っているほど甘くない。

 リエーテを伴い後ろから近付いてくるグランに向き直り、再び対峙する。
 互いに無言の時間が過ぎる。
 徐々に緊迫してく空気の中、先に口を開いたのは強者でありながら敗北した英雄だった。

「改めて請おう、救世主。英雄を打ち負かすその力を、共に魔王を倒す為に貸してくれ」
 大きく溜息を吐いて
「あのなぁ・・・・・・」
 コイツ、馬鹿なんじゃないのと。本気で言っているのが理解できるが故に、やっぱりこう思うのだ。莫迦なんじゃないの、と。
「じゃぁ、改めずに答えまーす。―――イ・ヤ」
「それでも頼む」
「お断りします」
「そこをなんとか!!」
「嫌だ」
「―――」
「―――」
 睨み合う。
「即断すんな!! ちったぁ考えろ!!」
「ゼロコンマゼロゼロヨンサン秒も熟考した上での決断ですぅー。負けた奴が文句言うな!!」
「ふざけんな!! 全然熟考してねぇじゃねぇか!!」
「一日だろうが一年だろうが、時間を掛けたって考えは変えん!!」
 グランの横に立っているリエーテが目を丸くしている。グランの乱暴な言葉遣いは確かに珍しい。
 思考に冷却を挟むために息を吐く。
「だいたい、頼む前に報酬を提示しろよ。俺が考えを改めるくらいの莫大な報酬を、だ」
「―――」
 渋い顔で口を開く。
「金は―――」
「要らん」
 大体、あの国の国庫は空だ。いや、むしろマイナスのはず。大体、目の玉が飛び出るくらいの戦時ボーナスもまだ払って貰っていない。
 どうせ大佐あたりが時効だとか言って支給してはくれないだろうし。
「じゃぁ何が欲しい? 俺に出来る最大限の報酬を約束しよう」
 その言葉を待っていたよ、セニョール。
 ニタァとしたあくどい笑みが浮かぶ。
「良いねぇ、その言葉。嘘付くなよ? 『約束』だぜぇ?」
 英雄の顔が引きつる。
「先に断っておくが―――」
「分かってるよ。お前に『出来る』範囲のことしか言わねぇよ、ただし最大限の遂行努力を要求するぜ? それこそ命懸けの、な」
「・・・・・・良いだろう」
「更に先に言っとくけど、その努力が認められない、もしくは著しく進捗の遅い場合は遂行の意思無きと判断させて貰う。その場合、今後一切の交渉に応じずそれ自体を敵対行動と見なす」

 言外の言葉で覚悟は良いかと問いかける。
 英雄が頷いたのを確認してから内容を口にする。
「まず協力することの対価として三つ。
 一つ、第十三独立機甲鉄槌部隊の再編。
 二つ、魔王討伐に関する全権限の移譲。
 三つ、魔王に対して国王からの公式な場所での正式な謝罪」
「ちょっと待て!! 前二つは理解できるが三つ目は―――」
「『出来る』範囲だろ? 土下座でも脅してでもやり遂げろ」
 冷徹に、否、冷酷に告げる。
 一息。
「そもそも大戦の名誉の代償に魔王(アイツ)が受け取ったモノが憎しみと痛みだけなんて、マジで笑えねぇんですけど?」
 褒美や勲章、名声や羨望を。正当に評価するなら。
 それは魔王とて同じか、それ以上のはずだ。
「頭を下げて許されるとも思わん。けど、それでもケジメは付けて貰う」
「―――」
 あの暗い封印槽の中での七年間を想う。
「時間が痛みを加速させる。終わりの無い、狂うような痛みだ。ソレを誰でも無い、誰かに押し付けられて。それでもアイツは七年以上ソレに耐え続けたんだ。そんなアイツが誰かを憎むように成ったとして一体誰がアイツを責めれる? 誰が罰せれる? ―――本当にアイツは忌避されなきゃならい存在だったのか?」
 少なくとも俺はそんな風に思ったことは無かった。
 そしてもっと誰もが納得する結末があったのではないかと―――

 ドス黒い感情が鎌首をもたげて言う。お前がそれを想う資格は無いと。
 そして当時の多数決の結果と、最大公約多数の幸福の原理。
 でも、最後に。無理矢理でも止めることを自分は出来たはずなのに―――

『ありがとう、シュウ』

 過去の幻聴が耳朶を打つ。
(違う、俺は礼を言われるようなことは何もしちゃいない・・・・・・)
 免罪符を与えてくれた魔王に、愚者は心の底から感謝する。
 だから、その言葉に救われたこの七年の借りを返しに行こう。

「―――しょうがないだろ? 魔王は畏怖の対象であると同時に恐怖の象徴でもあるんだから」
「甘えたことを抜かしてんじゃねぇぞ、英雄。じゃぁ魔王からの滅びを『しょうがない』でテメェ等は受け入れんのか? 違ぇだろ?」
「・・・・・・そうだな。確かにそうだ。抗う意思を砕くにはそんな言葉じゃ弱すぎる」
「ああ、そういう訳だから国王の謝罪の件も夜露死苦」
「・・・・・・」
 何か物言いたげな目を向けて来るが聞くのが面倒なのでサクサク次に行ってみよー。
「ここからは魔王の討伐が成功した後の報酬の話だ。―――もし今代の魔王討伐が成功した場合は勇者、英雄、魔王、救世主四名の軍籍を永久剥奪。以後軍部と一定以上の距離を保つこと。これが条件だ」
「―――分かった。それに関して異論は無い」
 後ろで瞠目するリエーテを意識から外す。

 交渉が一段落したことに息を吐く。
 ああ、なんてお安い交渉なのだろう。
(実質無料みたいなもんじゃないか)
 ぶっちゃけて言えば英雄と戦い、勝利する意味があったのかと聞かれれば、この程度の内容なら不必要だっただろう。
 だが収穫はあった。それは己の態度(スタンス)を相手へ明確に伝える最良の方法だから。

 細かい要求はまだまだあるが大きな柱になるものは言った。後は
「過去の清算が悲惨なものにならなきゃいいなぁ」
 あえて軽い調子で言ってみたが見通しは暗い。
 魔王は英雄ほど甘くない。
 比べ物にならないくらい命を危険に晒す羽目になるだろう。
 そう思うと暗鬱な気分になる。
 まぁこの七年間のツケが回って来たのだと思って諦めることにしよう。
「オイ」
 背後から呼び掛けられた。



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