4-15

「・・・・・・オイ」
 呼びかけた自分の声が震えていたような気がした。

 目の前で半分真面目に、もう半分は不真面目に進んでいく会話を途中からおかしいと思った。
 いや、背を向けて話している少年は頭がおかしい所が多々あるからそれがおかしくても別段不思議はないのだが。
(そうじゃなくて!!)

 会話に思考がついて行かない。
(どういう、ことだ?)

 少年が故郷を異とする者だということは知っていた。
 それを彼が直接口にしたことは無かったが、状況証拠は―――証人も含め―――揃いに揃っていたから。
 だから―――

「帰る気、なのか?」
 祈るような気持ちで問いかける。否定の言葉を望むように。
 だがこの男は、強く願えば願うほど、望んだ答えとは真逆の回答を寄越してくるのが常だった。
 そして今回もその常に漏れず―――

「そうだな。七年越しの帰郷も、まぁ、・・・・・・悪くは無いだろ?」
 困った顔で歯切れ悪く、自分自身に言い聞かせるように。

「お前はッ!!」
 一瞬で頭に血が上る。
 冷静になれと厳命する思考に、無理矢理息を吐き出すことで冷却を挟む。

(望んでなんかいなかったんじゃないのか!?)

 熱を持ったままの頭で、ついて出そうになった言葉をギリギリで飲み込む。
 聞けばどうせ、『そんなことは言ってない』とかいけしゃあしゃあと嘘を言うに決まっている。
 そんな些細なことを理解し合えてしまうことが、この感情の正体であり原因なのだと。

 莫迦な奴だと思う。自分自身が。どうしようもなく。
 別れるのが辛くなるくらい、深くなんか付き合わなければ―――
(・・・・・・良かった、なんて死んでも言えない)
 それでも、その感情の手綱を握るには今はまだ若く、そしてそれは太すぎる。

「シュウ!? お前にとってあっちの世界の方が大切なのか!?」
 辛辣になっていく語調に返ってきたのは、のんびりとしたそれでいて芯のある声だ。
「どっちが大切か、か。そうじゃないんだ、ヒロスケ。そこに住む人が、俺にとって、―――両方が、大切なんだよ」

 その瞳に宿る意思の強さに気付く。
(ああ、ちくしょう・・・・・・)
 彼はもう決めてしまったのだ。

 帰ることを。
 戦うことを。

 躊躇い、恐れ、踏み止まろうとする気持ちを決意に変えて。

 左手の甲に宿った『善良でないモノ』が彼の半生を教えてくれる。
 傷付き、失い、それでも曲げられないモノを守り、抗い、そして救う為に。

 過去のことなんて知らなければ良かった。
 そうすれば気が済むまで、良心を気にすることなく、文句を言い続けられる。
 だが今は
「―――」
 口から出ようとする罵詈雑言を無理矢理に噛み砕く。
 それでも止まらなかった言葉は
「―――勝手にしろ!! 馬鹿野郎!!」
「サンキュ、心配してくれて」
 笑みと共に受け入れられる。
 器の違いを見せつけられるようですこぶる腹立たしい。
 腹癒せに土を蹴るこちらの姿を見る目は穏やかだ。
 一転して目を細める。
「悪いな、みんな。頑張ってくれたのにふいにしちまって」
「シュウ!!」
「シュウちゃん!!」
「お兄さん!!」
 それぞれの声が重なる。
 タスクもエンも桜も雪も千夏ちゃんも。
 それぞれが気を遣い言い倦ねる言葉を口にしたのは

「行ってしまうの? ―――シュウちゃん」
 伸ばされた繊手が握り返されることは無い。
「ああ、行くよ」
 決定的な言葉を耳にした時、彼女の唇が音を紡がないまま小さく動いた。
 伸ばされた手から力が抜けると同時に顔を伏せる。
「・・・・・・そう、ですか」
 呟いた彼女の横顔に光るものが流れた。
 皆、言葉を発せないまま夜気が丘に風を運んでくる。

 沈黙を破ったのは優しい目をした友人だった。
「ねぇ、一つだけお願い―――つーか我儘? 聞いてくれる?」
 言葉に少女は顔を上げ、涙を隠さないまま必死に頷く。それに苦笑を浮かべ
「待っていて欲しいなんて図々しいから言わないよ? だけど、それでも、―――ええっと」
 締まらない調子に、けれど必死に言葉を探す。
「覚えといて欲しいんだ。黒河修司がこの世界に居たことを」
 意味を理解して少女は否定を返す。
「わ、私は、待ってますから!!ずっと、ずっと、待ってます。だから・・・・・・」
 言外にそんなことはしなくても良いと言う様に静かに首を横に振る友人はどこまでも冷静だった。それは帰ってこられないかもしれないという可能性をきちんと認識しているから。
「うん、ありがとう。でも、―――さよなら」
「シュウちゃん!!」
 再び伸ばされた腕は轟音と震動に遮られる。

 見れば先程までは居なかった赤い鉄巨人が土煙を上げながら立ち上がり、それにグランさんが乗り込む。

「来い、ヒオ、ロキ」
 言葉よりも早く主人の意図を悟っていた使い魔たちは既にシュウの横に。
 そして再び広がる結界。
 それは自分達と故郷を異とする者達とを分かつ壁となった。
 結界の完成を待たず、巨人の装甲に足を掛けその左肩に立つ。遅れてリエーテさんが広げられた右掌に、同じようにロキとヒオちゃんが左掌に立つ。
 空を見上げる。その先には赤い満月が。
「シュウ!!」
 声は結界に阻まれることなく届くのか不敵に笑う。
 その笑みの意味を問うことが出来る日が、いつかまた、くるのだろうか。

 巨人の高さと同規模の門が形成される。
 異世界へと続く入口だ。

 巨人が一歩を踏み出す。
 彼はもう振り向かない。ただ軽やかに拳を掲げる。
 まるでまた明日といわんばかりの、気軽さで。
 無力感に打ち拉がれたまま、その背中を見送ることしか出来なかった。



 ◇ ◆ ◇ ◆

 機体の左肩に座りウィンドウを操作しているかつての戦友に、申し訳なさと共に声を掛ける。
「良かったのか? あんな別れで」
「じゃぁ逆にどうしろと? 一晩宴会をした後にすれば良かったのか? それとも号泣しながら延々と抱擁し合えと?」
 返ってきたのは悪辣な言葉だった。下らねぇと心底そう思っているかのように呟きを漏らすかつての戦友はまるで―――

 そうやって強がっていないとやっていられないかのような。

「・・・・・・戦えるのか? 今のお前に」
 再度の問い掛けに返る声は、苛立たしさを痛烈にはらんでいた。
「莫迦か? じゃぁここで『戦えないです、ゴメンナサイ』って言ったらテメェは俺を自由にしてくれんのかよ?」
「・・・・・・そうだな。スマン」
 謝罪に対し応答は無く、鼻を鳴らして顔を正面に戻す。
 再びウィンドウを操作するその横顔を機体のカメラで盗み見ながら、本当に今更な罪悪感を覚える。
 だがそれを言葉として形にするのは違うと思った。なぜなら
「『僕らはそれを躊躇しない』か」
 自嘲にも似た呟き。
 燃えるような瞳の少年に尋ねられた。―――だからシュウに重荷を負わせるのか、と。
 少年に返した答えに嘘は無い。だが再び同じ場面に立った時、果たして同じ言葉を、同じ気持ちで言えるだろうか。
 任務遂行からくる安堵感が、任務中は無意識に考えないようにしていた様々な感情を呼び起こす。
 友人を守るために臆面も無く自分たちに挑んだ少年達。
 その行動は時間を置いて自らの心に響き、問いかける。

 己の正当性と罪の軽重。
 そして償い。
 覚悟とはかくも重いモノなのか。
 もし、この件が無事に終わったらもう一度あの地に行こう。
 そして出来る限りの償いを申し出よう。それで許されるかは分からないけれど。

 ふと気付く。自分の思考に重大な欠陥があることに。

 ―――無事に

 終わるとは限らない。
 自分が無事に終わらないのはまぁ自業自得だし、それに関して彼らは特に問題としないだろう。むしろ友人を奪った憎き敵に天罰が下ったと清々するかもしれない。
 だが、もしもシュウが帰れなかったら?
 一瞬浮かんだ不吉な想像に首を振る。
 そしてそれを防ぐことが最大の償いになるのではないかと―――

 視界が白く染まる。
 転移門の出口だ。そう思うと同時に故郷への帰還を果たす。

(忘れないようにしよう)
 次第に薄れていく光の中で想いを胸に刻む。
 せめて
(最悪で無い結末を)
 そして許されるなら
(最良の結末を)
 祈るような気持ちで願う。



Back       Index       Next

inserted by FC2 system