EX1-1 転入初日・前編

「始めまして、黒河修司です。よろしくお願いします」
 良く通る落ち着いた声で、何の捻りも無い自己紹介をする。
 桜が満面の笑顔で椅子に座っているのが目に付いた。
(同じクラスかー)
 色々面倒臭そうだが、まぁ知り合いが居るのも悪くない。
 昨日は三学期の始業式。で一日遅れて、今日から雪と桜の通う永折小学校へ登校する運びとなった。
 驚いたのはこっちだ。どうやらこの国では政策の一環で強制的に―――義務教育と言うらしい。義父さんが説明してくれた―――学校へ入学させられる。識字率は95%を超えるそうだ。強制なのが気に喰わないが、恵まれているんだなと感心する。
 改めて教室を見回す。木と鉄でできた簡素な机と椅子。それが横六で、縦が五だったり、六だったりに並んでいる。教室の後ろにはプライベート丸っきり無視の、仕切りで区切られただけのロッカー。その上には水槽があって鮮やかな色をした金魚が飼育されている。右後ろ隅にはボロボロになった本が詰まった本棚。そして新しい玩具を与えられたかのような輝かんばかりの目をしたガキがおよそ30人。男女比率は僅差で男の方が多いようだ。
(はぁ)
 朝から何度目かになる溜息を心の中で吐く。
 今から気が滅入る。なんで今頃になって、幼稚な勉強とも呼べないような勉強に時間を潰されねばならんのか。およそ一週間前のことを思い出す。


「シュウちゃんも大分漢字覚えたことだし三学期から学校通いましょうね?」
 そう義母さんが言い出したのは雪と桜の冬休みが終わる一週間前。義母さんの唐突な発言に首を傾げた。まだ付き合いが始まってから三ヶ月少々だが突拍子も無い発言を良くする人だ、という認識が生まれつつあった。
 森での一件から目が覚めて、一夜さん、美咲さんと呼んでいたら『お父さん、お母さんと呼ぶように!!』と言われた。
 また古代語が読めない旨を伝えると嬉しそうに『まぁ!! だったらお勉強しなと!!』と言って『漢字ドリル』なるものを一ヶ月間延々とやらされた。
 これは余談だが、雪や桜に借りた国語辞典や漢和字典を影に読み込み(インストール)させたので古代語の読み書きはすぐ出来るようになった。そのことを義母さんに伝えたら物凄くショックを受けて買ってきた漢字ドリルを見つめながら『そう、これ無駄になっちゃったわね・・・・・・』と切なそうに言われた日には―――今にしてみればあれは演技だった気がする―――罪悪感を覚えて『やる』と言ってしまっても無知な自分に罪は無いだろう。そしてさっさと漢字ドリルを終わらせると、次の漢字ドリルが待っていると言う(いたち)ごっこが一ヶ月延々と続いた。流石に算数ドリルは丁重に断った。
 そして、あれよ、あれよと言う間に転入手続きが完了し、制服、ランドセルが購入され、その他もろもろの準備が出来て今に至る。

(ハァー)
 思い出しただけでも疲れる。教室に入って二度目の盛大な溜息を心の中で吐き、意識を現実に向ける。
「はい、じゃあ黒河君に質問のある人〜?」
 担任がガキに向かって要らんことを言う。危うく舌打ちをする所だった。そうするとクラスの半分くらいのガキがハイッ、ハイッと元気良く手を上げる。ガキは元気だなぁ、と他人事のように思う。そしてもうちょい年齢が上になれば転入生くらいでは騒がずクールになるんだろうなぁと、虚しく心の中で呟く。


 いきなり教室の右最後尾の席からバンッと机を叩く音が教室に響き渡る。すると教室全体が一瞬で水を打ったような状態になる。水槽の水に空気を送るポンプの音だけが虚しく響く。
 音を立てた主は、席を立ってこちらを睨んでいた。
(はぁ〜)
 本日一番大きな溜息を心の中で吐く。
(メンドクセー)
 まぁこうなるんじゃないかとは思っていた。教室に入った瞬間から周りの雰囲気とは明らかに違う無遠慮な殺気、というよりはむしろ怒気が自分に向けられていた。
 短髪に刈った頭に同い年にしてはかなり大きな体。ノッポやデブと言うよりは、ゴツイと表現したほうがいいだろう。本々気の強そうな目元は今は睨みつけることでより一層鋭さを増している。典型的なガキ大将と言った感じだ。
 そして、その顔には見覚えがあった。三ヶ月ほど前、雪と桜を探しに言った時、道中でちょっとしたイザコザが起こり、殴り倒した奴の顔だった。
(えーと・・・・・・)
 頭を捻る。状況は思い出せる。顔も思い出せる。ついでに言うなら覚えるほどでもない程度に弱かったのも思い出せる。ただ名前が・・・・・・
「テメェ、俺様のこと忘れたとは言わせねぇぞ!!」
 ガキらしくない横柄な態度で怒鳴り散らしてくる。ガキはおろか、教師までも生徒一人の声に萎縮してしまっている。
(忘れたって言ったらもっと怒るんだろうなぁ)
 とあくまで他人事のように思う。
(いや実際名前を忘れているんだが・・・・・・)
 セルフツッコみを入れながら、適当にザコと仮名を付け、心の中で選択肢を選ぶ。

1 無視る。
2 「って言われてますよ?」と無知な子供を装い教師に向かって話題を振る。
3 とりあえず忘れた振りをして初対面を装う。
4 「人違いじゃないですか?」と尋ね返す。

(んー、迷うなぁ)
 どれも問題ありそうな選択肢だが、それはそれでそそられる。どれが一番面白い展開になるだろうか?
「オイッ、聞いてんのかっ!?」
 再び横柄な声で怒鳴られるが無視して思考に没頭する。

 世間を穏便に渡っていく上で大切なのは、目立ち過ぎないこと。そして出しゃばらないこと。出る杭は打たれるのは道理だ。しかも、ここで問題を起こせば色々厄介ごとを抱えることになるだろうし、教師からの受けも悪くなるだろう。
 それに友達を作らず孤独にひっそり学生生活を送る気もない。せっかく普通の子供らしい生活を送れるのなら、それに越したことはない。だがここで典型的なガキ大将を敵に回せばそれは難しくなるだろう。今の教室の状況を見れば一目両全だ。

(んー、迷うなぁ)
 目先の面白さを取って、これから喧嘩やイジメと戦い抜く闘争の日々か? それともなぁなぁで済まし安穏な生活を手に入れるか?
(んん〜っ)
 深く深く悩んでいた。久しぶりにこんなにも真剣に悩んでいる気がする。
「テンッメェ!! 無視すんじゃねぇぇぇッ!!」
 堪えきれなくなったのかザコが怒声を叫び、力場(フィールド)で身体を加圧(ブースト)して飛びあがり、天井に手をついて向きを変え蹴りを放ってきた。
(あ゛〜)
 どうしよう? 未だに迷っている自分がいる。
 女子の何人かは小さな悲鳴をあげたり、目を閉じたり、身を反らしたりしている。
 どうする訳でもなく、ザコの動きを目で追う。
 ガキにしては中々に鋭い蹴りだし、力場の出力も中々だ。重力落下のエネルギーも加わってスピードもある。難があるとすれば少々体に力みがある点と、力場の流れに淀みがある点だろう。それを除けば及第点で、力場で防御力を上げずに当たれば、痛い所では済まない。しかしあれでは力場の恩恵を体に巧く伝えきれないし、なにより、どんな鋭い蹴りでも当たらなければ意味が無い。
 蹴りは目前に迫っている。
(よし決めた!!)
 自分のこれからのスタンスを決定。自分の腹に目掛けての飛んでくる蹴りを当たる寸前、踵に手を軽く添えてやって流す。
 背後で木が割れる派手な音がする。ちょいと狙いを逸らしてやって黒板に激突させてやった。
(まぁ力場で加圧してるから黒板くらいなら砕くよなぁ)
 のんびりとやる気無く被害を見て思う。
 多分、自分が何をやったのか的確に把握しているのは桜だけだろう。周りにはザコが一人で飛び蹴りを放ち、それを自分が避け、一人で黒板に激突したように見えたはずだ。
 チョークの粉と木の破片が舞い上がり空気を汚す。せっかくの新しい制服なので汚れぬように教室の脇に避け状況を観察する。
 クラスの大半は、いきなりキレたザコの行動に疑問の余地を残しつつも、黒板を蹴り砕いた事実に唖然としていた。
 とりあえずこれで正当防衛は主張できそうだ。なんって言ったって黒板を砕くほどの蹴りに生身のまま当たるわけにはいかない。
 そこまで考えていたら砕かれた黒板の破片を落としながらザコが立ち上がった。そして再び睨みつけて怒鳴る。
「テメェ、何しやがる!?」
 それに反して平淡な声で言葉を返す。
「それはこっちの科白(セリフ)だろ? いきなり初対面で飛び蹴りかまして来るなんて、いったいどんな教育受けてんだ? 一人で自爆してくれたから良いような物の、当たったら確実に病院行きだぞ? ・・・・・・ああ、それとも新手の歓迎方法か?」
「テ、テンメェ・・・・・・」
 ザコは唇を引きつらせる。
 相手の反応を見ながら内心ほくそ笑みつつ、更に言葉を重ねる。
「ヤダヤダ、ほんと愚図野郎って最近増殖気味なのかね? こないだも道すがら頭の貧相な馬鹿に喧嘩吹っかけられたけど・・・・・・吹っかけて来た割に弱くて助かったよ。まったく喧嘩するなら相手を見ろと言ってやりたいね」
 冷静に、そして嫌みったらしく演技がかった仕草でヤレヤレとジェスチャーをする。
 顔に青筋を立て叫びながら今度は拳に力場を集め殴り掛かってくる。
「こぉんのぉ野郎!!」
 軽やかに拳を避けつつ、冷静にザコを分析する。
(完全にキレたな)
 力任せに殴りつけてくる拳を左、右と軽やかに避ける。
(闘いで我を忘れて勝てるほど俺は甘くないぞ、っと)
 ほんの少しだけ加圧してザコの頭上を飛び越える。
 ザコの拳が思いっきり空を切る。拳を振り抜いた状態なのでやや重心が前に傾いている。そこへ背後から軽く背中を押してやると、
「うぉ!?」
 間抜けな声を出して倒れた。
 軽く息を吐く。そろそろおちょくるのも飽きてきたし止めるかなぁ、とぼんやり思う。
 けれど、こちらの期待を裏切ってザコは起き上がると、肩で息をしながら懲りもせず睨みつけてくる。かなりお疲れの様子。ちょっと哀れに思えきた。
「おいおい、大丈夫か?」
「うるせぇ!!」
 そう言って再び攻撃を再開してくる。しかし最初より勢いがない。
「あー、もう、面倒くせぇなぁ。どーせ弱いんだから諦めろよ」
「うるせぇ!!」
「あんまりしつこいとこっちから手ぇ出すぞ? 俺、基本的に弱いもの虐めってキライなんだけど、シツコイのはもっと嫌いなんだよ。という訳で諦めろ」
「うるせぇって言ってんだよ!!」
 攻撃を軽やかに避けながら会話をする。
(こーれだからガキは嫌いなんだよなぁ。人の言うこと聞きゃあしねぇ)
 そろそろ一発殴って意識を刈ってやろうあかなぁと、かなり危険なことを思っているといきなり静止の声が掛かる。
「はい、そこまで!!」
 ザコの拳を掌で受け止め、自分との間に割って入った人物がいた。
 その人物は教師ではなく同じ生徒だった。もっともザコの怒声に萎縮してしまう教師など最初(はな)から期待はしていなかったが。
「断、もういいだろう? いい加減授業始めようぜ?」
 その言葉にそう言えば島岡断十郎と名乗っていたのを思い出す。
 割り込んだ人物の背は自分より高く、島岡よりやや低め。島岡がガキ大将で周りを引き連れると言った感じならなら、コイツは常に輪の中心に居て、みんなをまとめる委員長―――むしろリーダーと言った感じだ。
「うるせぇ!! 柳、邪魔すんな!!」
 柳と呼ばれた生徒は首を縦に振ると
「みんなの邪魔をしてるのはどう考えたってお前だろ?」
「うるせぇ!!」
 さっきからそれしか喚いてないよなぁと既に他人事だ。
 柳は振り返ると申し訳なさそうに、
「黒河・・・・・・だっけ? すまねぇけどここは引いてくれねぇか?」
「ん? 別にいいぞ。さっきも言ったけど弱いもの虐めキライだし」
 素直に思ったことを述べたのが間違いだった。
 『弱い』の発言に反応してまた島岡が暴れ出す。拘束されている拳を振り放そうと暴れるが、ガッチリ捕まれた拳は中々自由にならない。それが更に島岡を苛立たせ、在ろうことか空いていたもう片方の拳で柳の顔面を殴ろうとする。柳はそれに反応せずただ拳を捕らえているだけだ。
 島岡の拳が柳の顔面を穿つ直前、その腕をきつく掴んで止める。

「それ以上、おいたが過ぎるなら容赦しねぇぞ?」

 威嚇のために殺気を放ち、低い声で告げる。教室全体の息が詰まる。
 威嚇用とはいえ殺気を直に浴びた島岡は強がってはいたが今まで体験したこと無い感覚に小さく震えていた。
 もう良いだろうと殺気を止め、掴んだ腕を放す。柳も拳を放していた。
 島岡は一瞬呆けた後、くそっ、と捨て科白にもならぬ言葉を吐いて教室から出て行った。

「大丈夫か?」
 柳に尋ねると
「あ、ああ」
 柳はぎこちなく答える。その反応をみて思う。
(失敗したなぁ〜)
 これで当分友達は出来そうに無い。元々、自業自得と言うか、目先の面白さを優先した自分の身から出た錆―――もとい出した錆―――だが、最後の殺気は完全にミスった。
(まぁ、やっちまったもんはしょうがない)
 気分を入れ替える。
「そいじゃあ、先生。自己紹介はこんなもんで良いでしょうか?」
 軽く話しかける。まだ固まったままだった教師はやっと我に返り、
「あ、ああ。そ、そうだね。・・・・・・黒河君の席はあそこだ」
 二つ連続で空いた席を指し示す。
「?」
「ああ、隣は俺の席なんだ。改めてよろしく」
 柳が握手を求めてくる。その瞳の中に畏怖の念は読み取れなかったので少し安心する。
「ああこっちこそよろしく」
 完璧な余所行き用の笑みと共に手を握り返してから席に向かい、椅子に座る。
 さてこれから退屈な授業の日々の始まりだ。そう思って前を向くと黒板が滅茶苦茶に砕かれている。
(・・・・・・これからどうやって授業するんだ?)
 恐らく教室の全員が思ったであろうその日から二週間。自分たちの教室の黒板が直るまで理科室へと教室が変更された。



Back       Index       Next

inserted by FC2 system