白い清潔な天井が目に映る。病院の天井だとすぐに思い浮かんだ。
穏やかな風が頬を撫でる。
風の元を目で辿ると窓が開いており白いカーテンが小さく揺れていた。
外の景色は緑溢れる山と晴れた空に浮かぶ入道雲。
視線を天井に戻す。どうして自分が病院のベッドの上に寝かされているのかという疑問が浮かぶが、すぐ答えは出た。
「―――アイツはもう居ないんだな」
考えついた答えが口から零れ落ちる。
「ああ」
一人だと思っていたその場に、問いに答える声があった。
声の主を確認するため視線を右にずらす。そこには予想通りの顔があった。
「よぉ、目は覚めたか? グラン」
穏やかな声で尋ねられた。
◇ ◆ ◇ ◆
月が浮かぶ荒野で救世主は不敵に笑う。
「・・・・・・それにさ、俺って超、自己中だしね」
英雄は俯いたまま歯噛みする。
「もう、何を言っても考えは変わらないんだな?」
目を伏せ、最期の確認をとる。
「ああ」
その問に救世主は簡潔な答えを返す。
「だったら、―――力ずくでも止めてやる!!」
英雄が顔を上げる。
それに対し救世主は興味なさそうに答える。
「結局は力で解決か―――ま、しょうがないよな。どうせ俺たちは力でしか解決する
皮肉に顔を歪める救世主に、英雄は真剣な顔で答える。
「殺したのは俺たちだけだ、お前は違う」
一瞬驚きに目を瞠ったが、救世主はすぐ自嘲を漏らす。
「―――律儀に訂正しなくていいさ。俺も同罪だからな」
救世主は鞘から反りの入った剣を抜く。
「さて、おしゃべりは終わりだ。・・・・・・止めるつもりなら殺す気で来い」
それに対し英雄は
「当然だろ? ユダの救世主を無傷で止められるなんて思っちゃいないし、自惚れてもいない」
その言葉と同時に周りの兵がそれぞれの武器を構える。
「賢明な判断だな。俺は容赦しないぜ?」
不敵に笑って救世主は力場を形成する。
「お前こそ自惚れるなよ。いくらお前が強いからって、封印の開放もせずにこの人数に勝てると思っているのか?」
何百、何千という敵を倒した実力者であり、終戦の立役者の一人でもある救世主だ。簡単に止めれるとは思っていない。しかし、ここに集めたのは実力者ばかり。いかに救世主といえども勝つことは不可能だ。更に救世主は封印の開放も、今はできない。
それでも救世主は不敵に笑う。
「勝つ必要なんかないさ。ここから逃げおおせれば良いだけの話さ」
「止めるって言っただろ!? 逃がすかっ!!」
英雄の言葉と同時に百を越える人間が動き出した。
◇ ◆ ◇ ◆
「おい、大丈夫か?」
意識を現実に戻す。
「・・・・・・サイか」
「おいおい
勇者と呼ばれる銀髪の青年は椅子に座って冗談交じりに笑い掛ける。
相変わらずな青年に対し溜息を吐く。
「そんなんじゃないよ。サイこそ、仕事はいいのか?」
その言葉にちょっと意外そうな顔をしたが、直ぐに笑顔になって悪戯っ子のように笑う。
「そろそろ目が覚める頃だと思ってな。ちょいと抜けてきた」
「その様子だと無断でサボりか。部下が今頃泣いてるぞ?」
「失礼な。大丈夫だよ。きちんと仕事は片付けてきたから」
無断でサボった点は否定しないんだなと心の中で思う。
こちらの思いも知らずにサイは喋る。
「それに、英雄が入院してるって言ったら女性から、大量のプレゼント渡されて来たんだぜ?」
ありがたく思えよ? と言って病室の入り口のほうを親指で指差す。お菓子、果物、花束がそれこそ山のように積まれていた。
それを見て呟く。
「なにこれ?」
「いや、だから見舞い品、もといプレゼント」
「にしても量が多すぎるだろ? 大袈裟過ぎる」
サイは少し驚いた顔をして、
「お前、四日意識が無かったんぞ!? そりゃあ、周りも心配するさ」
「!?」
絶句してしまった。体が硬いから二日くらい寝ていたとは思っていたが
「四日も寝てたのか・・・・・・」
それにサイは肩を竦めて軽い口調で、
「まっ、気にすんな。熱烈なラヴ・コールだと思えばいいさ」
それはそれで厄介だと思うのだが、四日も寝ていたことがショックだった。
そこで会話が一旦途切れる。気を効かしてか、サイは花を活けてくると言い、花瓶を持って病室を出て行った。
「・・・・・・」
救世主の言っていた言葉がグルグルと頭の中を回る。
『英雄のあんたは知らないかもしれないけどな、ケンが封印されたんだよ』
『しかもその決定に国王も大佐も勇者も反対しなかったんだ!!』
怒りと憎しみを籠めた瞳で自分を睨んでいた。
(シュウにあんな風に睨まれたのは初めてだったな)
シュウがあんな表情をしているのは何度か見たことがあった。
理不尽な状況に。不条理な選択に。それこそ世界の全てを怨むような目で見つめていた。そしてその理不尽な状況や、不条理な選択を跳ね除けて、新た道を選び取っていった。
(ああ、だからか―――)
だから皆、男女問わず、シュウに惹かれていった。不屈の意思を持ち、権力に屈せず、己の信念を貫き通す。それはとても困難で、でもだからこそ輝いて見えた。あの暗い絶望に満ちた大戦の中、一筋の輝ける光は、自分を含め、みんなに勇気や希望、夢を与えた。アイツと一緒になら大戦を終わらせることが出来る。そう信じて。
(なのにっ!!)
ベッドを殴りつける。その反動で腕に痛みが生じ、痛みが脳を刺激する。
裏切られた。
そう思わずには居られなかった。与えられた夢を、希望を、勇気を、全て否定された気がして。
例えどんな事情があろうとも、アイツだけは決して裏切ることはないと確証もないのに信じていた。悔しいような、遣る瀬無いような怒りは何にぶつければいいのだろう?
(ちくしょう!!)
もう一度ベッドを殴りつける。その反動で目から液体が零れ落ちる。
「っつ!?」
零れ落ちた滴が信じられなくて慌てて目を拭う。けれど、拭うごとに一層視界は歪んでいく。
『良いことを教えてやるよ。お前が俺を引きとめようとするのは俺が必要だからじゃない。俺の救世主としてのステータス・バリューが欲しいだけさ』
アイツの言葉が突き刺さる。どうしてこんなに悲しいのだろう? 何がこんなに悔しいのだろう? どうしてこんなに、こんなに―――
(ああ、そうか、俺は・・・・・・)
自分の整理のつかなかった感情や想いの正体にやっと気付く。
「俺は寂しいのか」
堰を切ったかのように涙が溢れ出す。
「どうしてだよ、シュウ? どうして、お前は俺たちを見捨てたんだ?」
握り締めた拳が痛むのも気にせず嗚咽を殺して涙を流す。
今度は英雄の呟きに答える声は無かった。
◇ ◆ ◇ ◆
水の入った花瓶を廊下に置いて、サイフィスは腕を組み、壁に背を預けていた。
病室と違い廊下には消毒液の病院独自の臭いが鼻をつく。
病室の中から小さな嗚咽が聞こえてくる。
もうあと十分は、このままそっとしといてやろうと、そう思った。
◇ ◆ ◇ ◆
扉がノックされて慌てて目をこする。目が腫れているだろうな、と思いながらも、どうぞと返事をする。
入ってきたのは予想通りサイだった。
「・・・・・・遅かったね」
「いやぁ〜、それがさぁ、廊下で超美人な、しかもナイスバディのナース見つけてさぁ、口説こうとしたんだけどガードが堅くて―――」
目が腫れていて、泣いたことなどお見通しだろうに、それに触れてこない親友の優しさが温かかった。
けれど尋ねなくてはいけない。例えこの関係が崩れてしまうとしても。
「でもあのナースはマジ美人でさぁ―――」
「なぁ、サイ・・・・・・」
「いやぁ、でも、やっぱ、あんな美人、男が放って置く訳―――」
「サイ!!」
怒鳴り声をあげてサイの言葉を停める。
「・・・・・・なんだ?」
サイは観念したような、寂しそうな笑顔で答える。
その寂しそうな表情を見て決心が揺らぎそうになる。これ以上、寂しそうな表情を見ないで済むように顔を伏せ、抑揚のない声で尋ねる。
「ケンを封印したってのは本当なのか?」
「・・・・・・ああ」
僅かな逡巡の後に、簡素な答えが返ってきた。
「その決定に反対しなかったってのは本当なのか?」
手を強く握り、搾り出すように低い声で尋ねる。
「ああ」
いつも通りの変わらない声で、答えが返ってきた。
「どうして!?」
勢い良く顔を上げサイの瞳を見る。瞳の奥に隠された答えがあるのではないかと。けれどいつも通りの緑の瞳には揺らぎさえ見えなかった。
体が押さえ切れないくらい震えていた。ケンが封印されてしまったことにさえ動揺しないサイが信じられなかった。
否定の答えが欲しかった。そんなことあるわけないだろ、といつもと同じ声で否定して欲しかった。
「―――どうして?」
そこで初めてサイの瞳が揺れた気がした。
「―――約束だったからな」
サイは窓の外、遠い景色を見ながら呟く。けれどその瞳は景色を映していなかった。
別の違う何かを見つめて呟く。
「約束だったんだ、ケンとの・・・・・・」
どんな? とは問わなかった。
問えなかった。
サイの瞳に今、映っているものはこれまでの過去か、それともこれからの未来か。
いつもと同じ声で、けれど寂しげに答えるサイはやっぱりいつものサイだと思った。その様子に安心した。けれど自分の心無い問いがサイの心を抉ってしまった事に気が付いた。
◇ ◆ ◇ ◆
目の前に座る二つ下の、少年とも呼べる青年は、自分から答えを求めておいて、どうしてそんな後悔に満ちた瞳をするのか。
悪者は大人の役目だろうに。
子供は青臭い正義感を振りかざしていればいい。大人になるというのはそういう青臭さを捨てるということだ。
ケンを封印することになったときシュウは猛反対した。封印しなければ魔王が復活すると分っていたはずなのに。それでも直前まで何とか阻止しようとして結果、自分とも剣を交えることとなった。
鋭い剣戟と共に交わした瞳は真っ直ぐで、けれどとても悲しそうだった。
その瞳の理由は、ケンが封印されることに対してだったのか。俺たちの決定にか。それとも自分の無力さにか。もしかしたらこの世界に絶望してしまったのか。
答えを聞く術はもうない。
結局、自分はシュウに負け、けれどケンは封印された。
封印されることをケン自身が望んだからだ。
シュウは最後までケンを説得しようとしたがケンの考えは変わらなかった。
ケンは『ありがとう』という言葉をシュウに残して封印された。
そしてシュウは国を去った。
俺はケンとの約束を果たせたことになるのだろうか?
心の中で溜息と悪態を吐く。
(まったく、人の気も知らないで厄介な約束を押し付けてくれたもんだ)
本当に厄介で、とても苦い気分にさせてくれる。
多分、ケンの気持ちに気付いていたのは本人を除けば俺だけだろう。そして俺の気持ちは多分、シュウに気付かれていた。
だからだろうか? シュウが国を去って寂しい反面、どこか安堵している自分が居る。
(ぐぁ〜、情けねぇ〜)
平静を装いつつ、心の中でもんもんと頭を抱える。
シュウは、ケンの処遇に対し理解も納得もすることは無いだろう。理性で分っていても感情がそれに追いつかない限り、あいつは自分の考えを曲げたりしない。だから国を去る決意をした。
グランはシュウが国を去ったことに落ち込みはしているが、ケンの処遇については時間が経てば納得は出来なくても理解はしてくれるだろう。子供なりに大人の考えに追い付こうと努力することで。
そして、自分はケンの処遇について納得してしまっている。約束という言い訳に甘え、業から逃れるために―――利用した。
理性を約束で覆い、感情を嘘と建前で隠し、本音を打算と損得で塗りつぶす。
誰が一番純粋だろうか? 誰が一番まともだろうか? 誰が一番醜悪だろうか?
問わずとも答えは最初から出ていて、だからより一層惨めだと思う。
時に我を貫くということは我儘とも見てとれる。それはとても子供っぽく青臭い。だから大人はそれを嫌うのだろうか。そして物分りのいい大人を演じることで大切なものを一つ、また一つと失っていく。
そういう意味でシュウは非常に子供っぽい。分別の解らぬ子供ではなく、我儘を貫くという意味で。そして大人を演じ続け、それが普通になってしまった自分に、彼は眩し過ぎた。憧憬に似た嫉妬心が余計、心に苦味を与えた。