EX1-9 例えそれが偽りでも1

 目をゆっくり開けると最近見慣れた天井が瞳に映る。
(ええっと、五回目だっけ?)
 いまいち、はっきりしない頭でボンヤリと考える。
(今何時だろ?)
 寝返りをうって時計を探すが見当たらない。それでも外の様子が明るかったので体を起こす。
 まず体の状態を確かめる。
 特に異常はないようだ。
 寝ている間に着替えさせられたようで前にも着せられていたキモノだかユカタだかよくわからない、一枚布の衣服が腰の帯で、はだけない様に結ばれていた。まぁ何にしろ、寝間着なんだろうなと当たりをつける。
「んーっ」
 欠伸と共に体を解す。体が硬い。いったいどのくらい寝ていたのだろう?
 そこまで考えたとき廊下側のフスマが軽く叩かれる音がした。
「はい、起きてます。どうぞ」
 フスマに写った陰で相手が一夜さんと美咲さんだろうと予測する。案の定ゆっくりと開かれたフスマから予想通り、二人の姿が現れた。
「やぁ、おはよう。体の調子はどうだい?」
 座りながら一夜さんが尋ねる。
「まぁ、可も無く不可も無く、と言った感じです」
「そうか、それはよかった」
 本人から直接言葉を聞いて一夜さんは安堵の息を吐いた。
「僕はどれくらい寝ていたのでしょうか?」
「いつから意識がないかわかるかい?」
 問いを問いで返され、記憶を探る。
「朝日が昇ったところまでは記憶があります」
「そうか。だったら一日を少し過ぎたくらいだね。今は10時を少し回ったくらいだ」
「そうですか」
 寝すぎは寝すぎだが、三日も四日も寝ていなかったことに安堵する。
「シュウ君」
 今まで穏やかだった一夜さんの声が厳しいものへと変わる。
「雪を助けてくれてありがとう」
「あ、いえこちらこそ・・・・・・」
 厳しい声に反応して緊張していた体から気が抜けそうになる。
「けれど、君は森に入るべきじゃなかった」
「・・・・・・すみません」
 表情を変えず、厳しい声のまま、一夜さんは言葉を続ける。
「シュウ君は知らないだろうけど、降臨祭と言ってね、昨日の朝まで祭りの時期だったんだ。普段から森への立ち入りは禁じられているけど、祭りの期間中は特に固く禁じている。何故だかわかるかい?」
「・・・・・・いえ」
「それは降臨祭の期間中に神様が森へ降りてくると伝えられているからなんだ」
「・・・・・・」
「神の前で人は無力だ。そしてもし万が一、神の逆鱗に人が触れようものなら大きな災いを招くこととなる。だから降臨祭の期間中は森に入ることを禁じているんだ」
 怒鳴ったり、睨んだりするわけでもなく一夜さんは静かに構えている。
「そうだったんですか。すみません。知らぬこととは言え余計なことをしてしまって」
 座ったまま深々と頭を下げる。
 一夜さんはふぅとやや大袈裟に息を吐く。
「・・・・・・シュウ君、話は変わるけど君は神様を信じるかい?」
 質問の意図がわからず困惑しそうになるが、問いかけに対する答えは既に持っている。
「いえ、信じません」
 悩むことも無くはっきりと言い放つ。
 一夜さんはやっぱりねぇと小さく呟いて頭を掻く。
「実を言うと僕もなんだ」
 そう言って一夜さんは困った顔で笑う。
 その科白(せりふ)に眉を寄せる。てっきり神様の存在を信じていて、だから厳しい声で諭しているのだと思っていた。だが一夜さんは神様を信じていないと言う。ならばなぜ厳しい声で諭す必要があったのか?
 一夜さんは困った顔のままけれど真剣に言葉を紡ぐ。
「でもね、シュウ君。自分が信じていないからと言って、皆が皆、そうだとは限らないわけだ」
 一夜さんの言葉に小さく頷く。
「特に神様なんて都合のいい存在を信じている人にとっては、禁忌を犯すことは罪や罰だと言ってどんな理由があったとしても聞かない人がいる。例え―――」
「例え、人の命が掛かっていたとしても、ですね?」
 一夜さんの言葉を継いで喋る。一夜さんは難しい顔で重々しく頷いた。
「・・・・・・そう、だから、君は森に入るべきじゃなかった」
 一夜さんの態度にやっと納得がいった。そして自分の身を案じてくれていることも。それだけで十分だ。
「それで僕はどうなるんです?」
 明日の天気でも聞くような軽い声で尋ねる。
 恐らく、ろくな事にはならないだろうなと心の中で思う。最低でも家を追い出されるくらいは覚悟しておこう。
 しかし予想に反して一夜さんの口から出た言葉は意外なものだった。
「いや、どうにもならないよ」
 再び厳しい声で一夜さんは語る。
「? どいうことです?」
 眉を顰めて考える。それではさっきの話と意味が通じない。
「言葉の通りだ。どうにもならない。強いて言えば現状維持かな?」
「でもそれじゃあ―――」
「納得しないだろうね、普通。幻想を信じているヒトたちは」
 今度は一夜さんが自分の言葉を継いで話す。
「・・・・・・物凄く迷惑をかけたのではないですか?」
 神様などという不思議存在を、不可侵のものだとする人間を説得するのは並大抵の労力ではない。
「ああ、そういう気遣いは無用だよ」
 一夜さんは苦笑する。
「ですが・・・・・・」
「本当よ? 私たちが動こうとした時には既に問題は収束に向かっていたの」
 今まで一言も喋らなかった美咲さんが困った顔で口を開く。
(どういうことだ?)
 まるでわけがわからない謎掛けのようだ。
 第一、こっちの世界で懇意(こんい)にしてくれるような知り合いは一夜さんたちの他にいない。
 にも拘らず、まるで全てを丸く収めるように話が進んでいる。しかも、一体どうやって?
「シュウ君。ヒトの命を軽視してまで神様を信じるような人たちが、あと腐れなく、しかもすんなりと納得するような説得の仕方があるんだが、わかるかい?」
「・・・・・・」
 眉間に皺を寄せて考える。そんな都合のいい方法があるだろうか?
 もう一度自問し、思想と状況を頭に思い浮かべ、答えに到る。
「・・・・・・他人の言葉を信じなくとも、信じている者の言うことなら聞く?」
 一夜さんは悲しそうに微笑んでから頷く。
「そう。同じ人間の言うことは聞かなくとも、己が妄信する神が言ったことなら素直に信じる」
「腐ってますね」
 吐き捨てるように言った言葉に、一夜さんは困った顔で曖昧に笑う。
「人はそこまで強くはないよ。強くなることはできるけど、なににも縋ることなく生きていくにはあまりに弱く脆い」
「それでも、神なんて所詮は人の空想の産物です。そんなものに縋って何が楽しいのか僕には理解できませんよ」
 美咲さんの悲しそうに自分を見る視線に気付き口を噤む。
 一体自分は今、どんな表情で喋っていたのか。
「―――すみません。失言でした」
「いや、気にしなくていい」
 そう言って一夜さんは立ち上がる。
「でもね、シュウ君。人は立ち直る時に、何か支えが必要なこともある。それだけは心の隅に留めて置いてくれないかい?」
「・・・・・・はい」
 一夜さんは困った表情で笑う。とりあえずは答えに満足してくれたようだ。
「―――お腹が減っているだろう? 何か持ってこよう」
 そう言って一夜さんは部屋を出た。

 部屋に美咲さんと二人残される。  微妙な雰囲気が口を開くことを躊躇わせる。無言が部屋を支配する。
 先に口を開いたのは美咲さんだった。
「シュウ君、祭りのことは知らなかったにせよ、森に入るなとは教えたはずよ? どうして入ったの?」
 美咲さんの声は厳しさも鋭さも含んではいなかった。平淡とさえ言える。
 どうして? と問われて最初に思い浮かんだのは助けられると思ったから、という慢心にも近い想いだ。事実、自分一人の力では(いたずら)に犠牲を増やすことになっただけだろう。助かったのは、いくつかの偶然がたまたま重なっただけだ。
 次に思い浮かんだのはサクラのあの表情。ユキを心配して、けど自分を責めて、そして涙を堪えようとした表情をなんとかしたいと思ったから。
 更に思い浮かんだのは、命の恩人に恩を返したかったから。
 けれど結局はどんな答えも言い訳にしかならないであろうことを、美咲さんの平淡な声は想像させる。
「―――すみません」
 本日四度目になる謝罪の言葉を口にする。謝れば済む問題でもないだろうし、短時間に同じ言葉を繰り返せばその分言葉の意味は軽くなる。けれど今自分にできることは謝罪することしかない。
 そんな自分の様子を見て美咲さんは穏やかに、けれど寂しそうに笑う。
「シュウ君は謝る必要なんてないのよ? お礼を言うのはこっちなんだから。雪と桜から話は聞いているわ。もしシュウ君が違う行動を取っていたら雪は今頃・・・・・・」
 不吉な言葉を避けて小さく微笑む。
「それは、偶々です。―――もしかしたらユキも違う行動をとって、すぐに森を抜けれたかもしれませんし、サクラが森に入ってもっと上手くユキを助けれたかもしれません」
 困った顔で美咲さんは否定する。
「それはあまりに仮定的過ぎるわ」
「そうかもしれません。けど、そうでないかもしれません」
 こちらの態度に苦笑を漏らす。
「思ったより頑固なのね。・・・・・・話を戻すわ。どうして森に入ったの?」
「・・・・・・」
 語るべき言葉がない。ただ言い訳だけはしたくないと、そんな意地がある。
「あの時助けを呼んで、大人の指示を仰いだり、任せたりすることも出来たはずよ? それなのにどうして無茶をしたの?」
「・・・・・・自分の力を過信していました。どうにかできるだろうと」
「それだけ?」
「はい」
 恐らく自分の口にした言葉が一番真実に近い。ヨウブツがあんなに厄介で、しかもドラゴンまで出てきたのは完全な誤算だった。
「もしそうだとしたら、バイトをクビにさせてもらうわ。それでも?」
 少し厳しさの含む声音で問いを重ねられる。
「参ったなぁ、採用二日目にしてクビですか?」
 おどけて言った言葉は美咲さんの始めて見る鋭い視線に意味を失う。
 美咲さんは嘆息し、一度息をする。
「だったらシュウ君、残念だけど君はクビだわ。護る意思も無く、ただ己の慢心だけで無謀な行動をとる人間にこの仕事は勤まらない。いても足を引っ張られるのがオチよ」
 そうですかと小さく呟く。例え社交辞令だったにしても残念だと言われて少し嬉しかった。
 立ち上がり布団から降りてもう一度座りなおす。姿勢を正し、手を付いて深く頭を下げる。
「美咲さん、短い間でしたが本当にお世話になりました。きちんと恩をお返しできなかったのが心残りですが、これ以上迷惑をお掛けする訳にも参りません。直接会ってお礼を言えないのが心苦しいのですが一夜さん、リッカさん、オウカさんにも、そうお伝えください。本当に有り難うございました」
 言い切ってから三秒以上、頭を下げ続けたあとに顔を上げる。顔を上げた時に美咲さんと目が合ったが、それを笑顔で誤魔化す。そして立ち上がろうと腰を浮かしたところで、
「待ちなさい」
 厳しい声のまま美咲さんが制止の声をかける。
「話はまだ終わっていないわ」
 一瞬どうしようか迷った末に腰を下ろす。
 今ので縁は切ってしまったのだ。耳を貸す必要も無く、留まる理由もない。けれど恩を返しきれていないと思う気持ちが腰を下ろさせた。
 場が落ち着くのを待ってから美咲さんは口を開く。
「命の恩人とか雇い主とか関係ない。これはただの大人、貴方より長く生きた人間からの言葉よ」
 黙って次の言葉を待ちつつも、留まったことを早々と後悔し始める。
「確かに貴方は今でも十分強いわ。そしてこれから成長していくにあたり努力を怠らなければもっと強くなるでしょうね」
(ああ、いつも通りの、)
 何度か耳にしたことのある、
「そしてその年で既にもう分別ついた思考を持っている」
(大人の身勝手で)
 正論であろう言葉は、
「けど貴方は子供なのよ!? もう少し自分を大切にしなさい!!」
(軽い言葉だ)
 反吐がでそうだ。
 思考と感情が混ざり合い何を思っているのか分らなくなる。ただ僅かな理性が堪えろと強く厳命する。
「聞いているのっ!?」
 一際強い怒鳴り声が意識を現実に戻させる。
「ええ、ご忠告痛み入ります」
 能面のような無表情さでそれだけを言ってみせる。早くこの場から立ち去りたかった。
「お話はそれだけですか?」
 強い意志を宿す瞳を真っ直ぐ見返す。
 何故か漠然と、その瞳に写った自分の瞳は光も反射せぬほど黒いのだろうと頭の隅で思った。
「失礼します」
 相手が何も言ってこぬことを確認して立ち上がろうとしたが、おかしなことが起こる。
 立ち上がれなかった。足が痺れたとかそんなことではなく、もっとこう肩から押さえ付けられる様な、
威圧(プレッシャー)か!?)
 歯噛みをし、瞳を睨み返す。その瞳には結果に満足する様子も、()()ったりと喜ぶ感情も読み取れなかった。ただ強い意志が宿っているだけだ。
 だがその顔が、不意に不敵に笑う。
「もう少し大人を信じてみたらどう?」
 その言葉に最後の理性が消えるのが自覚できる。まずいとも。堪えが効かなくなる。低く搾り出すような声で
「一体何を・・・・・・」
 今まで押さえていたものが
「信じろって!?」
 溢れ出す。
「そうやって大人(あんたら)は何も知らないくせに知った風な口をきく」
 一度溢れ出した感情は
「騙すくせに、裏切るくせに、傷つけて、要らなくなっったら捨てるくせに!!」
 留まることを知らず
「誰が、子供が純粋だなんて言った!?」
 今まで蓋をして目を逸らしていた想いは
「誰が、子供が無垢だなんて言った!?」
 堰を切ったように
「子供も大人も関係ねぇ!!」
 全てを押しつぶす。
「同じ人間だから心は痛むんだよっ!!」
(ああ、俺って)
「それなのに無知だからって平気で騙して」
(格好悪ぃ)
「心配した風を装い裏切って」
 別に目の前に座る女性が悪いわけではないのに
「自分のたちの行動に責任も持てず、捨てるような大人(やつら)を」
 醜く拙い感情をぶつけてしまって
「どやって信じろって言うんだよっ!!?」
(こんなのただの八つ当たりじゃないか)
「痛んだ心をどうやって癒せばいいんだよっ!?」
 押しつぶし洗い流された後には
「何を・・・・・・何を信じればいいんだよ―――」
 後悔が残る。


 大好きだった女性(ひと)を失って、誇れる故郷を焼かれて、大切な時間を―――奪われた。
 奪われたのは偶然もあるかもしれないが、決断を下したのは同じ人間。
 しかし一方的な約束が同じ人間を憎むことを拒ませた。
 復讐という、もっとも手頃で単純な方法を取り上げられた。
 生きることを願われてしまったから、絶望し、命を絶つという、屈折した方法も取り上げられた。
 縋れるものが無くなった。
 だから壊れた。幼い心は。
 だから祈った。二度と繰り返させないと。
 だから誓った。復讐を、世界に。
 どんなに願っても、それに答えぬ世界なら滅びてしまえばいいと本気で思った。
 でも出来なかった。あんなに嫌で嫌でしょうがなかった世界が、少し好きになれた。
 それは、大切な女性との思い出とか、安っぽい友情とか、そんな小さなものだったけれど嫌いな世界でも滅びるには値しないと、そう思えるようになった。
 けれどやっぱり最後には裏切られた。
 友達が友達を売る行為に目が腐って潰れるかと思った。自分の耳を何度も何度も疑った。
 どうしてそんなことになったのか理性では理解していた。けど、感情がそれを拒んだ。
 もう好きか嫌いかもわからなくて、どうしていいかわからなくなって精神が機械に喰われそうになった。
 だから逃げ出した。確かにあの豚共には心底ムカついし、ラシルに乗っ取られるのも怖かった。でもそれ以上に分らなかった。
 何が正しくて、何が間違っていて、これまで何を信じていて、これから何を信じていけばいいか、それさえ分らなかった。



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