未来を見ることは人の身には過ぎた力だ。神ですらその能力を嫌うと言われている。
未来と運命はニアイコールだ。未来が分かれば人は努力を忘れ、容易くそれに溺れる。だから過去を見る術はあっても、未来を見通す術はない。―――例え、どんなにそれを望んだとしても。
そんな様子に美咲さんは苦笑を漏らす。
「そんなに驚かないで、桜に視えているのは現状の先にあるもっと不確定な未来よ」
「・・・・・・どの程度の的中率なんですか?」
「宝くじ以上、星占い以上、天気予報以上、絶対未満、かしらね?」
少し困ったように笑う。
(絶対未満、か)
言葉通りに意味を取ればmaybe位なのだろう。だが邪推すればprobablyとも取れる。そして恐らく後者で、しかも外したことはないのだろう。
だがそれでも美咲さんは絶対とは言わなかった。それはキチンと未来が見えてしまう事の危険性を理解しているからだ。
気を取り直して美咲さんは口を開く。
「だから私たちは桜の能力を『先見』と呼んでいるわ。・・・・・・運命だなんて信じたくはないもの」
最後の言葉は目を伏せて言った。
きっと奪われた子のことを想っているのだろう。
話題を逸らすために別の質問をする。
「美咲さんは運命論非支持者なんですね」
「ええ、そうね。全てが決まっているだなんて思いたくはないもの。シュウ君は?」
肩を竦めてみせる。
「残念ながら運命論支持者です。―――でないと諦めることすら出来ませんから」
美咲さんは小さくそう、とだけ呟く。目を伏せていたので表情は読み取れなかった。
人にはそれぞれ譲れないものが一つや二つはある。それを否定し合ったところでどうにもならない。
出来ることと言えば、ただ自分と違う考えを持っていることを認めることだけだ。別に自分と違う考えを持っていたからと言って憎み合い、殺し合いたいわけじゃない。
だが時に持つことさえ許せなくて不幸な事件が起こる。それはとても悲しいことだ。
認めることは諦めか、それとも許容か。結局本質は変わらない。ただ言葉を変えただけ。そのことの良し悪しを決めるも結局は自分次第。
不意に美咲さんが暗い口調で漏らす。
「コントロールできないと言っても雪の能力は本人も眠らないと発現しないから、まだ良かったの。でも桜の方はそうはいかなかった。コントロールできず突発的に未来を視てしまう。それで色々苦労しているみたいで・・・・・・」
美咲さんが何を言わんとしているか分かってしまう自分がいる。
時に子どもは無知で、それ故に残酷さが潜む。善悪の明確な区分がない頃は、ただ自分たちと異なっているからと言って集団でバッシングを行う。別にそれが悪いと思っているからバッシングするわけでなく、単に違いを許容できず、それを面白がって騒ぎ立てるのだ。いわば遊びの一環で鬼ごっこと似たようなものと思えばいい。そして悪いと感じていないことが問題となる。悪いと感じてないから相手の痛みに鈍感になり、遊び感覚であるがゆえにバッシングはエスカレートしやすい。それが軽度であるなら一時的な仲間外れ。中度で恒常的な仲間外れ。重度になれば虐めの域を出、最悪死者が出る。
それを素早く見つけ、いけない事だと注意し、諭すことが大人の役目だ。でなければ集団でバッシングすることが悪いことだとわからないまま大人になり、より手口が狡猾で露骨になっていく。
特に理由も無くサクラは男子に悪戯されているわけではないらしい。でもだからと言ってそれを許すことも自分にはできない。
だがその一方で、自分ならどうだろうかと考える。
集団でよってたかって一人を虐げる行為には
だが、サクラの能力の全てを果たして自分は受け入れることができるだろうか?
実際に『先見』といってもどんな能力なのかはわからない。ただ人の居場所がわかり、明日の気予がわかる報程度のものなのか。それともこれから起こる幸運を、顔を見るだけで言い当てられるものなのか。またそれは絶対的なものなのか。
もしも、これから起こる絶対の不幸を言い当てられて自分は何も感じないだろうか?
(無理だろうなぁ)
残念ながら自分はそこまで素直じゃない。
運命は信じる。
だがそれはたった一つの過去を諦めるための
そこまで考えてふと思い出す。
(・・・・・・ああ、でも約束しちゃったもんなぁ)
『わ、私の友達になってください!!』
あの時自分はなんと答えただろうか?
『ん、いいよ』
そして
『・・・・・・気味悪くない?』
不安そうに聞き返す少女に
『なんで? 便利だと思うよ?』
深く考えもせずに答えてしまった。
頭を掻く。やれやれ、これはもう観念するしかないだろう。どの道、毎日顔を突き合わせることになるのだ。だったら最初から諦めていたほうが受け入れ易い。
そんな自分の思考とは反対に美咲さんは尚も暗い口調のまま悲しそうにポツリと漏らす。
「雪も桜もこの家に生まれたことを後悔していないかしら―――こんな家に生まれなければ妖物退治だなんてことも手伝わされずに済んだし、能力のことで悩むことも、イジメられることもなかったのにって・・・・・・」
痛切さの滲む美咲さんの呟きに、冷めた声で答える。
「後悔したに決まってるじゃないですか?」
その言葉に美咲さんは顔をあげる。その瞳は揺れていた。
それを気にもせず言葉を紡ぐ。
「後悔したと断言します。そしてこれからも何度も何度も飽きることなく、悩み、苦しみ、もっと辛い出来事に涙を流します。最悪、恨むでしょうね。自分の境遇を。他人を。そして世界の全てを。特別であることが、周りと違うことが、格好いいわけでも、素晴らしいわけでもないことを幼くして理解してしまうことは幸福とは言えませんから」
「・・・・・・そう」
涙を堪えるように小さな声で美咲さんは呟き、再び顔を伏せ、唇を噛む。
その様子を見ながら、しかしあっけらかんとした声で喋る。
「―――でも、不幸ではないと思います」
呆然と濡れた瞳で美咲さんは顔を上げる。
「幸福の反対は不幸ですが、幸福でないことが必ずしも不幸だとは限りません」
一度息を吐いて
「確かに、後悔すること。悩むこと。苦しむこと。辛いこと。それは幸福ではないでしょう。けれど、それらを乗り越えた先にあるものを知らないことは、やはり幸福ではないと思います」
思い出す。
「二人とも不要な能力のせいで人より多く苦労を背負い込むことになるでしょう。事実、苦労しています。それでも・・・・・・」
森の外で姉の身を案じていた少女の顔を。
森の中で必死に謝ろうとした少女の顔を。
「二人とも優しい子たちです。そして優しい子に育てたのは貴女でしょう?」
僕はもう諦めてしまったから無理だけど。
「そしてそんな貴女は、きっと二人が泣いていたら、共に悲しみ、励ますでしょう? 自分を理解してくれる人がいる。―――ただそれだけで人は強くなれます」
傷つけられる痛みを知ってなお、人に優しいままで居られる彼女達は。
「だから、あの子たちは不幸ではないと、僕はそう信じています」
きっと世界を良い方へ変えてくれる。導いてくれる。
そう思うと自然と顔が綻ぶ。
まだ目蓋は乾いてはいなかったけれど、つられた様に美咲さんも穏やかに微笑む。そして嬉しそうに口を開く。
「やっぱりシュウちゃんは優しい子ね」
その言葉に苦笑する。
「推測に憶測を重ねただけの、ただの勘違いかもしれませんよ?」
美咲さんはそれでも笑みを濃くして
「けどちゃんと慰めてくれたじゃない?」
「大分、話の趣旨が変わってますけどね」
肩を竦めて見せる。
口にした後で、そういえば慰めた点を否定しなかったなぁと思った。
(でもまぁ、一生に一度くらいはこんな経験があってもいいか)
そこへ廊下から足音が聞こえ、音の方を向く。
そこには似合わないエプロン姿の一夜さんがいた。
「・・・・・・やぁ」
視線が合ったところで一夜さんから声が掛かる。
そんな一夜さんは白いエプロンにご丁寧に白い三角巾まで装備済みだ。そして焦げた臭いのする白い皿をキッチンミトンはめた手で持っている。
「いやぁ、ちょっと手の込んだものを作ろうとしたらこの通り・・・・・・失敗しちゃった」
一夜さんは目を合わせず、バツが悪そうに笑う。
「もう、一夜さんったら帰りが遅いと思ってたら一から調理してたの?」
美咲さんは咎めるような口調だったが本気で怒ってるわけではない。
「んー、それがちょうどつまめそうなものが無くてね。もう少しでお昼だし何か作ったほうが早いかと思ったんだけど・・・・・・」
結果は火を見るより明らかだった。
そこに映るのは平和な家族の一時だ。
その光景を見て自分からは遠いなぁと漠然と思う。
「シュウちゃん、駄目よ。こんな料理もできない駄目亭主になっちゃ」
横では美咲さんの台詞に一夜さんが凹んでいる。
「ええ、まぁ。でも簡単なものなら作れますから・・・・・・」
一夜さんには悪いと思いつつ本当のことを言う。
「まぁ、流石シュウちゃん!! これで何時でもお嫁に来れるわね」
美咲さんの発言にいろいろツッコみたいのをこらえ曖昧に笑う。下手にツッコミを入れると墓穴を掘りかねないからだ。
「でも、もうそんな時間かしら?」
そう言って太陽の位置を見る。
「それじゃあ一夜さん、シュウちゃんの相手をしておいてくれる?」
「うん。ごめんね、美咲さん」
しょんぼりした一夜さんからお皿を受け取ると美咲さんは鼻歌を歌いながら台所の方へ歩いていった。
美咲さんの姿が見えなくなってから口を開く。
「廊下、寒くなかったですか?」
「・・・・・・気付いていたのかい?」
さして驚いた様子も無く一夜さんは答える。
少し前から一夜さんが廊下にいたことは気付いていた。何時からいたのかはよくわからない。
「ええ、まぁ職業病みたいなものですかね。無意識に
苦笑に陰が混じってしまうのが消しきれない。
一夜さんは腰を降ろしながら
「シュウ君はプロだね。それだけの意識が10年前の僕にもあれば梢は誘拐されずに済んだんだろうけど」
一夜さんはしみじみと過去を悔やむように呟く。
「梢さんと言うのですか?」
一夜さんは小さく頷く。
「神崎梢。今は神藤梢だね。神藤家の巫女であり代弁者。代弁者として神から託宣を授かる役割を担い、浄化能力はまだ10歳なのに一族でトップ。行く行くは一族の重要な柱として大切に教育されていくだろうね」
「教育と言う名の洗脳でしょう。―――名前、変えられなかったんですね」
一夜さんと二人、流れる雲を見上げながら話す。
「名は体を表すと言ってね、命名を、しかも幼い頃から変えてしまっては後々何かしら影響が出るかもと宗家の人間は思ったんだろうね。・・・・・・そう言うのには煩い所だから。でも結局は姓を変えているから、意味はないと思うんだけど」
ただ淡々と一夜さんは客観的に意見を述べる。そこに私情は読み取れなかった。
「色々大変だったんだ」
一夜さんはポツリと呟く。
「神藤の血に浄化の力が備わっているのは薄く神の血が流れているからだと言われていてね―――だから濃い“内”の血は“外”の血に拒絶反応を起こし、母子共に危険なことになる場合が多い。宗家の人間が僕らの結婚に反対したのは、何も純血主義だからというだけじゃないんだ」
「そうなんですか?」
一夜さんは頷く。
「ああ、ちゃんと美咲さんの身を案じてくれていた人もいたよ。それに嘘か真か、梢が生まれる時、美咲さんの体も危なかったんだ」
「・・・・・・」
「美咲さんはもちろんそのことを知っていたし、僕にも教えてくれた。それでも美咲さんは子を産むことを望んだんだ。『自分は大きくなるまで外に世界があることを知ろうとはしなかった。だから子どもにはいろんな物を沢山見せてあげたい』ってね。その想いに僕は反対しなかった」
穏やかな空を見つめる一夜さんの瞳も、また穏やかだった。
「そして難産の末、梢は産まれた。僕も嬉しかったけど、それ以上に美咲さんは喜んでいたよ」
その穏やかな瞳に映っているものは、果たして穏やかな空だろうか?
「だから、梢を誘拐されて、犯人が分かっていても、打つ手の無くなった時。その頃の美咲さんは見るに耐えなかった。あまりにも期待が大きすぎたんだ」
そう言って一度、一夜さんは目を伏せる。
「だからもう一度、子どもを産もうと決めたんだ。けどそれは危ない賭けだった。一度目でも危なかったのに、二度目の出産に美咲さんの体が耐えられない可能性の方が高く、精神状態も良好とは言い難かった。それに双子だったしね。―――医者には諦めろと薦められたよ」
ふぅと一夜さんは息を吐く。
「まぁ、それでもなんとか危険を乗り切り今に至ると言う訳だ」
遠い目をして語る。
「それでも、もう子どもを生すことは出来ないだろうね。―――どんなに望んでも」
「・・・・・・そうだったんですか」
ただそれだけを呟く。
いったいどんな気持ちで、美咲さんが自分のことを母と呼べと言ったのか。
複雑な想いはすぐには消せそうに無い。
「で、まぁそんな理由があったから、雪も桜も多少甘やかして育て過ぎたかなぁとも思うことがあるわけだ」
照れを隠すように一夜さんは笑う。
一つ気になっていたが美咲さんには尋ねられなかったことを尋ねる。
「―――諦めてしまったんですか? 梢さんのこと」
残酷な問いかけだなと頭の隅で思う。
一夜さんは憂いを帯びた瞳で答える。
「・・・・・・そう思われても仕方が無いかもしれないね。梢が誘拐されなければ危険を冒してまで雪と桜を産もうとは思わなかっただろうから。それに勘当の身、かなり大きな行事じゃないと神藤家の門は
「じゃあ―――」
しかし強い意志の宿る瞳で一夜さんは否定する。
「でも僕らは諦めないよ、絶対に。いつか必ず親子として対面してみせるさ」
それが確認できればこの話題についてもう聞くことはほぼない。正直、血や家なんてものはどうでもいい。ただ知っておきたかった。その意志を。
場を明るくするためにわざと軽い声で話す。
「けど実の娘に『ちゃん』付けは駄目で、養子はオッケーってのも変な話ですよねぇ」
一夜さんは困った顔で笑う。
「そこはまぁ、美咲さんなりのけじめと言うか、線引きの表れなんだと思う」
どちらとも無く息を吐く。
「はは、シュウ君と話していると、どうもシュウ君の歳を忘れてしまうよ。子ども相手にする話じゃなかったね」
バツの悪そうに一夜さんは笑う。
それに対して真顔で答える。
「お気になさらず。教科書に載っている以上の、純潔教育に関する知識は持っていますから」
一夜さんは言葉の意味を吟味して顔をしかめる。
「それは・・・・・・また、まぁ、なんと言うか、感想を述べにくい
自嘲して肩を竦める。
「まぁこんな
それは現在進行形で。
「シュウ君・・・・・・子どもがそんな風に笑うものじゃないよ」
厳しさを含む声で一夜さんが諭す。
多分、一夜さんの言っていることは正しい。そしてそれが子どもの将来を案じる親であるなら、なお正しい。いや親とはそうあるべきだ。それでも素直に頷けるほど自分の心は真っ当ではない。
目を合わせずに答える。
「・・・・・・善処します」
一夜さんは悲しそうな瞳を向ける。
「君の今言った『善処』と言う言葉は―――軽いね」
今度は苦笑しながら答える。
「僕もそう思いますよ。努力する意志を忘れた人間の言葉です」
「それはつまり、黒河修司という人間が努力する意志を忘れてしまった側の人間だ、と言うことかな?」
試すように一夜さんは確認をとる。
「別に全てにおいて、とそう言うわけではないですけど、まぁそんなとこ・・・・・・ですかね」
否定はしない。主観の混じった自己分析でも同じ結果だ。
一夜さんは悲しい瞳のまま静かに語る。
「家の
言いよどんだ言葉を当たり前のように継ぐ。
「異常でしょうね」
一夜さんは同意しかねる表情で小さく頷く。
「君の秘密を聞いてみても―――いいかな?」
闘いのときにみせる真剣な表情だ。
「単なる推測でよろしければ、お答えできると思いますよ」
話してもいいだろう。相手の過去だけ聞いて自分は何も言わないのは卑怯だから。
「ですが、その前に質問いいですか?」
「なんだい?」
「『特殊な事情』てのはなんですか?」
一夜さんは少し考える素振りをみせ
「代弁者の話はしたね?」
「はい」
「うん、確かに代弁者が一番神の言葉を聞き易いのはそうなんだけど、別に他の巫女も神を降ろせないわけではないんだ。そして自らの身に神を降ろした時、同時に知識を得る。それが、精神年齢を高める結果となる」
「・・・・・・知識の同化ですか?」
一夜さんは驚いた顔をする。
「知っているのかい?」
「ええ、僕のも似たようなものですから」
笑う。
―――多分ずっと悲惨だけれど。