紅葉も終わって葉が落ち、冬本番も間近に迫った神崎家では、三人の子どもがコタツに入りノートを広げている。
今日は日曜日で、平日よりも少し遅い朝食を食べ終わったばかり。そんな三人は昨日から残っている宿題を早めに終わらせてしまおうという魂胆だった。
だが少女二人はなぜかソワソワした雰囲気で、頻繁に顔を上げては時計の針を気にしている。あまり身は入っていないらしい。
堪えきれなくり片方の少女が口を開く。
「ねぇねぇ!! すっごく楽しみだね!?」
はしゃいだ声で話しかけるのは桜だ。
それに返答するのは、同じく話しがしたくてウズウズしていた様子の雪。
「うんうん、どんな子だろう? お母さんの話だととってもキュートな子だって言ってたけど」
語尾にハートマークが付きそうな勢いで二人は想像に思いを馳せる。
しかしそこへ、まだ変声期前の少年の声が入る。
「あのな? 話す暇があったら手を動かせ」
やや不機嫌な少年のノートはすでに数字で埋まっている。
対して少女達のノートは白紙に近い。
不機嫌な様子を感じ取り、少女達は慌ててノートに意識を向ける。
しかしそれも長くは続かず姉の雪がおずおずと口を開く。
「でもでも、シュウちゃんは気になりませんか?」
姉に付いて妹の桜も口を開く。
「そうですよ。妹が出来るんですよ? 気になりますよね!?」
それに対して少年は溜息をつき、二人の顔を同時に視界に収める。
「・・・・・・確かに気にはなるけど、それと同じくらい雪と桜の次のテストが俺は心配だよ」
少年の言葉に少女二人は言葉に詰まる。
前回の中間テストで数学の点数が芳しくなかったのだ。いや前回だけではなく一学期の中間、期末も良くはなかった。だが、少なくとも平均点は取れていた。それが二学期中間は苦手意識もあってか点数が平均点の三分の二に満たなかった。幸い他の教科の点数は良く全体順位は良い方だ。それでも中学一年から躓くのはマズイだろうということで数学の宿題を教えているのだが、前述の通り身は入っていないらしい。
再び溜息を吐いて二人のノートを見る。
「雪、問2−3のとこ計算ミスしてる」
「え゛?」
雪は慌てて場所を確認し、消しゴムを使って新たな答えを書き込む。
「桜は問3−1から4まで全部」
「うっ」
指摘されると身を竦ませ桜も消しゴムを使い計算し直す。
(なんだかなぁ)
二人が一生懸命計算を続けているのを、頬杖をついて見ながらぼんやり思う。二人とも頭が悪いわけではなく、単純な計算ミスで点数を落とすことが多いのだ。テストの答案を見てもミスが目立つ。もちろんミスだけではなく理解できていないと思える所もあるが、ミスが減るだけで点数はかなり違うはずだ。だから宿題を教えると言っても大半はミスの指摘だけ。最後の大問二つくらいはヒントが必要になるが、ヒントを教えれば時間はかかるがキチンと解く。この位の計算なら解くためのコツを反復練習で覚えればなんとでもなるものだ。
問題を解いていた手を休め雪が口を尖らせる。
「シュウちゃんだって平均点しかとってなかったくせにどうしてそんなに余裕なんですか?」
それに桜も続く。
「あ、私もそれ疑問です。なんで宿題は完璧なのにテストだと全教科平均点付近しかとれないんですか?」
計算の途中でいらん事を考えるからミスが増えるんだろうなぁと思いつつ、回答に悩む。
「・・・・・・だって宿題は教科書見えるじゃん?」
その回答に桜、雪の順に不満そうな声を上げる。
「えー、でも理科も社会も全然教科書使わずに解いてたじゃないですか? それに、そもそも教科書全部学校に置いてるじゃないですか!?」
「そーですよ。それにこの宿題だってもう解き終わってるじゃないですか? 早すぎます」
ヤレヤレと言った調子で息を吐く。
(変な所で目敏いなぁ)
なぜその目敏さを自分の計算ミスに気付くように使わないんだろうかなぁと再び思う。
「・・・・・・前にも言ったけど、雪や桜と違って俺の場合、知識の同化範囲が広いから基礎数学のレベルなら簡単に解けちゃうの。あと影に暗記系の教科は
余計に不満そうに雪が口を開く。
「だったらなんでテストの時100点とらないんですか?」
別にどうでもいいじゃないかと思うのだがキチンと答える。
「あのね? 他のみんなは必死に勉強してるのに自分だけ卑怯なことして満点とったって虚しいだけでしょ? だから平均点しか取らないようにしてるの」
桜が疑問を挟む。
「でもそれなら数学は無理でも、暗記系の教科はインストールしなかったらいいだけじゃないですか?」
再び肩を竦める。
「わかってないぁ、人生楽に生きれるなら楽に生きたいでしょ?」
そして自嘲的に力なく笑う。
「・・・・・・それにさ、いざと言う時に知識が無くて不利にならないよう、備えられるなら備えておくべきでしょ?」
桜が軽く睨んで唸る。
「うー、卑怯です」
「俺もそう思う」
今度は雪が肩を竦める。
「シュウちゃん多分、桜の言った意味わかってないでしょ?」
私の科白にきょとんとする少年。
コタツの向かいでは妹が大きく頷いている。
どうせ本人は裏技を使って点を取るのが卑怯だ、とでも妹の発言を勘違いしているに違いない。
本当に気付いていないのだろうか? 兄とも弟も呼べる、特別な存在のこの
時々わざとやっているのではないかと疑いたくなるが、本人は到って真剣にわかっていない様子で、その都度溜息を吐きたくなる。
学校では滅多に外すことのない眼鏡を、家では逆に付けない。今も裸眼のまま、深い色を宿した黒い瞳が怪訝そうな目で私を見つめている。
シュウちゃんはいつも人の心の機微に敏感で、よく驚かされる。
それでもそんなシュウちゃんを慕ってヒロ君やユウ君は一緒に居るんだと思う。
でも、だからだろうか? 敏感すぎて逆に鈍感だと思う時がある。
今だって、無自覚にあんな哀しそうな表情で―――これが確信犯なら問題はないし、一発殴ってやりたいと思うのだけれど―――微笑まれたら、母性本能全開で抱きしめて、頭を撫でてあげたくなる。
実際するのは恥ずかしいし、本人が嫌がるだろうからしないけど。
時々お母さんがシュウちゃんにしているのを見て『じぇらしー』を感じてしまう。お母さんはさらにそれを楽しんでいる節があるので敵わないなぁとつくづく思う。
「雪」
急に話し掛けられて意識を現実に戻す。
「は、はい?」
真剣な黒い瞳で真っ直ぐ見つめられてどぎまぎしてしまう。こうなると呼びかけられた時の声さえ甘く聞こえてしまうのだから不思議だと頭の隅で思う。
不意に声の主は視線を落とす。
「問5−2の答え間違ってる」
「・・・・・・え゛?」
慌てて自分も視線を落とし問題の箇所を確認する。確かに間違っていた。
(恥ずかしい)
間違っていたことと思考していたことの気恥ずかしさで少し乱暴に消しゴムを扱う。
上目で彼の様子を盗み見ると面倒臭そうに頬杖をついている。
そんな様子にどぎまぎした自分が馬鹿らしくなってくる。だから八つ当たりするように消しゴムに一層力を込めた。
再び頬杖をつきながら、癖のない綺麗な字でノートを埋める二人の横顔をぼんやり見る。
(なんだかなぁ)
本日二度目になる思いを胸に、何が言いたかったのだろうと考える。
だが考えてみても答えの欠片すら見えず、聞いたところで不機嫌になるだけだというのは経験上わかっている。
二人とも御年頃。
小六の終わりか、その少し前位からだろうか。気難しいなと思うことが増えた。
独自の思考回路が出来上がりつつある様で、生涯かけても男の自分には理解できないのかも知れないなぁと暢気に思ってみたりもする。
「桜も問5−2、途中から式が違うよ」
「うぅ〜」
恨みがましそうに睨む視線を適当に受け流しながら今度は最初の話題のことを考える。
妹。
突拍子も無い話だと思う。
半年前に義母さんが、娘がもう一人出来るかも、と嬉しそうに漏らしていたが、いつも通りの戯言だと油断していた。そもそも子を生せないことは知っていたし。
義父さんと義母さんの実の子ではなく、自分と同じ
余談だがこのことをヒロスケとタスクに相談すると
『あっはっはっ、義妹に手を出すのは法律上問題ないが世間体はよくないぞ? いいか? ルール違反じゃないがマナー違反だ。ここテストに出るぞ?』
と教師の真似をタスクがし
『ちげーよ、タスク!! シュウはな、ハーレムルートを構築しようとして失敗する、哀れな
とヒロスケがのたまったので一発ずつ頭頂部を殴っておいた。
どうでもいいが最近妙な知識が増えて手に余る。一度締めておいたほうがいいだろうと心の中で思ったのが昨日。
そして義母さんの言葉を思い出す。
『とってもキュートで賢い子なの。あ、いま12歳で小学校6年生なの』
名前は会ってからのお楽しみ、だそうだ。
誕生日のきていない自分たちと同い年なのに、学年が違うのは奇妙な気がする。未だにこの国の四月始めのシステムはややこしいなと思った。これが三週間前。
さらにその晩、雪と桜が寝た後で、個別に呼び出された自分に義父さんは
『その子も神藤の血筋で、
珍しく言葉を選ぶ義父さんが口にした言葉。
『その事件というのは―――』
「ただいまー」
玄関の戸が開く音がして義母さんの声が聞こえた。
「「帰ってきた!!」」
雪と桜はその声に反応して障子も閉めず、素早い動作で玄関に向かっていった。
行儀の悪さにヤレヤレと思いながら、開いたままの三人分のノートを閉じる。
義父さんの科白の続きを思い出し、顔をしかめ自分も玄関へ向かう。
「「キャー、可愛いー」」
一人の少女に対し、二人して黄色い同じ声を上げながら揉みくちゃにしている。
玄関に段差があることを考慮しても少女の背は二人に比べてもまだ低いようだ。二人とは対照的なショートの髪は、綺麗に切り揃えられている。
歓迎されているのは分かるのだろうが、どう対応していいかわからず、見知らぬ少女は目を丸くしていた。それから半歩後に居た義母さんに、助けを乞うような視線を送る。
義母さんは少女と目を合わせてから軽く微笑む。
「はいはい、雪も桜もわかったから自己紹介くらいさせてあげなさい」
二人は残念そうに少女から離れる。
義母さんがさぁと促すと少女は緊張した面持ちで口を開く。
「は、
そう言って行儀よく頭を下げる。
すると嬉しそうに二人が自己紹介する。
「私は神崎六花って言うの。雪お姉ちゃんって呼んでね。千夏ちゃんは? それともなっちゃん?」
既に自分の妹確定で愛称を尋ねる雪。
「私は神崎桜花でお姉ちゃんの妹。桜お、お姉ちゃんって呼んでくれると嬉しいな」
自分がお姉ちゃんと呼ばれるのを楽しみにしつつちょっと照れ臭そうな桜。
二人の喋る勢いと同じ顔に圧倒されてか、少女はたじろぐ。
「え、えっと・・・・・・」
そこへ義母さんが助け舟を出す。
「ほら、千夏ちゃん。説明したでしょ? 千夏ちゃんの新しく出来るお姉ちゃんは双子だって」
義母さんには既に懐いているのか素直に頷く。
「それから、雪も桜も少し落ち着きなさい。千夏ちゃんがビックリするでしょ?」
「「はーい」」
しゅんとした二人に優しい微笑を義母さんは向ける。
そのやり取りを少し離れた廊下で見ながら、場が一息したところで少女の後ろ―――玄関の出入り口に荷物を持って控えていた義父さんに視線を送る。
それにすぐ気付いた義父さんは頷く。
頷いたのを確認して足音を立て近づく。
足音に気付いた少女は、音の主に視線を向けると―――ほんの僅かに―――身を震わせた。
会話をするにはやや不自然な距離で止まり、なるべく怖がらせないように愛想笑いをしながら自己紹介をする。
「おかえり―――になるのかな? 黒河修司です。俺も千夏? と同じでこの家に厄介にさせて貰ってる。よろしくね」
所々疑問系を含みつつ少しおどけて言ってみる。
しかしそんな自分の発言に雪と桜は揃って口を尖らせる。
「シュウちゃんも千夏ちゃんに『ちゃん』付けましょうよ」
「そーですよ。千夏ちゃんは可愛いんですから是非『ちゃん』を付けるべきです!!」
溜息を吐いて呆れた口調で話す。
「それは本人に聞いて、許可とってからにしような? だいたいまだ同い年だろ?」
二人ともうっ、と言って怯み、少女のへ身を向ける。
「千夏ちゃんって呼ばれるの嫌?」
「呼ばないほうがいい?」
ここからは見えないが、二人ともやや潤んだ瞳で少女に視線を送っているのだろう。あれをやられると異性、同性を問わず断り辛くなるのを知っているのだ。
案の定、少女は戸惑いつつも承諾する。
「だ、大丈夫です。お母さんもそう呼んでくれてるし・・・・・・」
「「可愛いー」」
二人は感激して少女を抱きしる。そして振り向き勝ち誇った笑顔で見返してくる。
溜息をついて観念する。
「じゃあ改めてよろしく。千夏ちゃん」
少女は何か言おうとするが、上手く口に出来ず俯く。そして目を合わせず小さな声で喋る。
「・・・・・・よろしくお願いします」
言った本人には見えていないだろうが、その言葉に力なく苦笑する。
「さて、義母さん。立ち話もなんだし上がったら?」
「そうね。玄関なんて寒い所よりも居間にいきましょうか? コタツ、暖かいわよ」
そう言って靴を脱いで上がり、少女を促す。
少女も倣い靴を脱いで家にあがる。
「お邪魔します」
義母さんはしゃがんで少女の目線に合わせて正す。
「千夏ちゃん、これからは『ただいま』よ」
少女は気恥ずかしそうに今度はただいまと言う。
「「おかえりなさい」」
満面の笑顔で雪と桜が迎える。
その様子を微笑ましいなと思いながら、義父さんに声を掛ける。
「義父さん、帰ってすぐのところ悪いんだけど、道場で付き合って欲しいんだけど、いい?」
義父さんは笑い、快く引き受けてくれる。
「そうだね。女同士のお喋りに男は邪魔だろうから一時退散としますか」
「えー、二人ともこないの?」
「せっかくなんだからみんな一緒に居れば良いじゃないですか?」
桜、雪の順に不満気に声をあげるが義母さんがなだめる。
「いいの。こう言う時は女同士の方が上手くいくのよ」
その台詞に苦笑する。
「それじゃ義母さん、昼飯は楽しみにしとくから」
「任せときなさい。千夏ちゃんの歓迎も兼ねて腕を振るうわ」
「うん」
それだけ言ってから少女と擦れ違わないように自分の部屋へ道着を取りに行った。