いきなり視界が垂直に下り、次に踏み出そうとした右足が空を切る。
「・・・・・・へ?」
なにが起こったのか一瞬分からなかった。
離れた場所に居る驚いた顔のロキと、スローモーションのようにゆっくりと目線の高さが同じになり、徐々に見上げる格好になる。
次の瞬間、視界が黒く染まり、そうなってから初めて落下しているのだと気付いた。
足の先から頭上へ吹き抜けていく強風。
腹の底が浮くような奇妙な感覚。
間違いなく落下している。
「くっ」
迂闊だったという思いが頭を占めるが今は無視。
落下が続く。
辺りは暗く、光は自分の落ちた穴からだけだ。
このままでは不味いと
「!?」
いつもと同じように力場が練れない。
思考が焦る。
徐々に落下スピードが速まっていく。
このスピードのまま地面に激突したらどうなるんだろうと想像したくない考えが頭を過ぎる。視界が暗く底が見えないのが余計に思考を焦らせる。
「ちっ」
舌打ちして頭を振り想像を打ち消す。
思考をクリアにして、もう一度力場を練るが、やはり上手く練れない。
(なんで!?)
いくら焦っているからといってここまで不安定なのはおかしい。
(干渉されてる?)
検証している余裕が今は無い。いつ地面に激突するかもわからないのだ。
「くそっ!!」
悪態を吐き力場の出力を思い切り上げる。
その瞬間、意識が飛んだ。
(だい・・・・・・・・・か? マ・・・ター)
はっきりしない頭で、誰かに呼ばれている気がした。
「うっ・・・・・・」
声に答えようとしたが呻き声だけが上がる。
(マ・・・ター!!)
さっきよりはっきり声が聞こえる。
(返事・・・し・・・)
目を開ける。
視界がぼやける。体の感覚がはっきりしない。
(マスター!!)
頬にひんやりとした感触があるのは倒れているからだと自覚する。
痛む体で身を起こし、頭を覚醒させる。
(・・・・・・ロキ、か?)
(大丈夫か? マスター。心配したぞ)
姿の見えない相手が息をおろしたのがわかる。
(・・・・・・ああ)
まだ少し朦朧とする頭で状況の把握に努める。
(どうなったんだ?)
(穴―――と言うよりは通気口? に落ちたようだ)
(通気口?)
単語に眉をしかめながら辺りを見回す。
薄赤い非常灯が小さく灯っていた。
広さは教室4つ分くらい。天井までの高さは二階建てくらいだろうか? 床の材質は金属で、恐らく壁も天井も同じ。
(・・・・・・どのくらい寝てた?)
(五分ほどだ、大した時間ではない)
(―――そうか)
上を見上げると遠くから小さく光が漏れていた。天井の穴の大きさは大人三人が並んで通れるくらい。
(通気口にしてはデカイな)
地下施設に関して、詳しい知識が無いので何とも言えないが、こんな物なのだろうかと、どうでもいい事を思う。
目を細めて見上げる。
どのくらい落下したのかちょっと想像がつかない。
それでも結構な時間落下していた気がする。
溜息を吐いて視線を下ろす。
ついた手がひんやりとした平らな面を触っているのがわかる。
どう考えても人工物だ。
(なんなんだ? ここ)
探索してみようと立ちあがった瞬間、鋭い痛みが右足に走る。
「痛っ」
右足首に目をやると赤く腫れていた。
どうやら足首を痛めたらしい。
(こりゃあ力場の出力上げるのがもう一瞬遅かったら、ヤバかったかもしれねぇな)
咄嗟のこともあり、かなりの力場を放出した。それでも衝撃に耐えきれず意識を持っていかれた。
むしろ、意識をもっていかれながらも足から着地しようとした自分を褒めてやりたい。
(マスター、悪運は強いな)
(うるせぇ)
右足を引きずりながらゆっくり歩く。
(マ・・・ター、人を呼んで・・・・・・)
突然念話にノイズが入る。
(どうした?)
(わからん、干渉・・・・・・)
(おい!!)
(動かず・・・・・・)
焦って何かを伝えようとしたのが口調から分かったが、念話は突然切れてしまった。
「おーいっ!!」
上に向かって声を出して叫んでみるが返事は無い。
「・・・・・・はぁ」
溜息を吐く。
本当に
念のためもう一度、丁寧に力場を練ってみるが案の定、上手く練れない。
(・・・・・・上で力場検索が上手くいかなかった理由も関係しているのかもしれないな)
頭を掻いてもう一度辺りを見回す。
赤い非常灯が、そこはかとなくホラーな雰囲気を醸し出している。
さしずめ舞台は生物実験施設と言ったところだろうか? 清潔とも言える金属空間が赤い非常灯とよくマッチしている。
(雪や桜は嫌がるだろうなぁ)
一人愉快な想像をしながら出口を探す。
(それにしても一体なんなんだ?)
人の家の裏山に作られた人工施設。電源は生きているようだが人の気配はない。
(義父さんは知ってるのかな?)
さまざまな疑問は湧くがとりあえず調べてみてからだなと結論付ける。
壁伝いに部屋を一周し出口を見つけた。
(んー、出入り口はここだけか・・・・・・)
通路の前に立ち、思考を巡らせる。
本来なら空気圧で動く自動ドアなのだろうが、今は電源が入っていないからだろう手で開けなければならなかった。
通路の先はやはり赤い非常灯が不気味に灯っているだけで、目を凝らしてみても奥は見えない。
(いくらロキが俺の居場所分かるからって、流石に奥まで行くのはマズイかな?)
そもそも力場や念話がなにかに干渉されるような場所を不用意に動き回るのは得策とは言いがたい。
人は居ないようだが、居ないとも言い切れない。
もし万が一、悪意ある住人、もしくは非友好的な住人が居た場合を考えるならなお更だ。もっとも住人が居るならば落ちた時に気付かれている可能性が高く、今までなんの音沙汰もないのだから杞憂に終わるだろうが、それでも念のためだ。
(武闘家も
五七五調で思考を完結させて右足の腫れを見る。
こんな様子では普通に全力疾走も不可能だ。
探索を諦めて出入り口の横の壁に背を預けて座り込む。
(やれやれ救助を待つしかない、か)
手持ち無沙汰だなと思う。
暇だからシステムでもいじるかなぁと思ったところで妙に座りが悪いことに気付く。
(なんか入れてたっけ?)
姿勢をずらしてポケットを探ると携帯があった。
(おおっ、これで助けを迅速に呼べる!!)
深い意味は無く喜んで携帯を開き、ディスプレイを見る。
(って電波届いてねぇじゃん!?)
肩を落とし、
それから少し携帯を操作し、特に暇を潰せないことが分かり膝の上に携帯を落とす。
しかし携帯はバランスを崩し膝の上から転げ落ちた。
(おっと借り物、借り物)
雑に扱ってから自分の物でないことを思い出し、慌てて拾おうと手を延ばした。
しかし手を延ばした格好で動きを止める。
閉じられていない携帯電話のバックライトが床を薄く照らしている。
そして照らされた床に気になるものを見つけた。
(足跡?)
暗くて今まで気付かなかったが、床には清潔とは程遠い埃が積もっていた。
そこにまだ真新しいスニーカーの足跡がある。慌てて自分の足の大きさと比べてみるが、自分モノよりも小さい。そして足跡の向きは通路へ一方向にのみ伸びている。
(何者かが出入りしている?)
もう少し詳しく調べようと携帯のバックライトを足跡に近づけたところで、廊下の奥から小さく物音がした。
咄嗟に扉の影に隠れる。
聞き間違いではないだろうかと耳を澄ますと間を置いてまた廊下を蹴るような音がした。
(足音?)
もう一度じっくり耳を澄ます。
するとまた廊下を蹴るような音がする。
ただその間隔が妙に長い。人の足音ならもう少し短い間隔で音が響くはずだ。
(人じゃ・・・・・・ない?)
嫌な考えだなと冷静な部分がツッコむ。
そもそも足跡はスニーカーだったのだ。人だろう。
再び音が響く。徐々にだが、音が近づいている。
廊下の奥を扉から覗き見るが、廊下は暗く音の主の姿は見えない。
埃が付くのも構わず、耳を床につけ注意深く音を探る。
(音源は一つ。それから・・・・・・)
何か引きずる様な小さな音。
(ますますホラーだな)
苦笑が浮かびそうになるのを堪える。
徐々に、徐々に音が近づいてくる。
(どうする?)
辺りを見回すが隠れるような場所も無い。
(だったら先手必勝か?)
息を殺し、魔法を唱える準備をする。
使用する魔法は初歩の初歩。
最小限の魔力で最大限の効果を発揮させる。
音が扉の前で止まる。
(今だ!!)
タイミングを見計らい扉の前に躍り出る。
「光・・・・・・」
唱えたのは灯りをともす初歩呪文。それを力場が安定しないことを逆手にとる。
「爆!!」
暴発させ閃光とする。その隙に相手の急所に一撃を叩き込む戦術だ。
「キャッ!?」
(え?)
相手の顔も見ず鳩尾を狙っていた拳を咄嗟に止める。
そこには後に倒れた格好の探し人が居た。