二人とも壁を背に腰を下ろす。
さっきのハプニングが原因で、幸いにも少女が取り乱すことはなかった。
「足以外に怪我はない?」
距離を空けて座る少女に話しかける。
別に隣り合って座る必要はないが、その距離は会話をするにはやや不自然だ。
「・・・・・・はい」
少しの間をおいて少女は小さく答える。
何と言うことはない。
あの奇妙な足音は、少女も穴から落ちて足に怪我を負ったそうだ。
足の怪我だけで済んだのは流石と言えば流石だ。
(海神の分家は伊達じゃない、か)
まったくもって素晴らしい
(さて、と・・・・・・)
頭を切り替えて思うことがある。
(なんか話題ないかなぁ)
半分冗談で、だがもう半分は本気で思う。
なんと言うか場の沈黙が痛い。
(俺って大抵聞き役だからなぁ)
無口ではないが、自分から話題を振れるほど饒舌でもない。こんな時、どんなことを話せばいいのか正直良く分からない。
「・・・・・・」
「―――」
ただ無音の時間だけが過ぎていく。
「くしゅん」
突然の音に横を窺う。
可愛らしいくしゃみの主は、薄着ではないが外に出るには肌寒い格好だった。
(ああ、当たり前か。飛び出してきちゃったんだもんなぁ)
その割に、きちんと靴を履いているので単にそそっかしいだけのなのかもしれないなと思い直す。
相手にばれないように苦笑を漏らし、上着を脱ごうと袖をつかんで腕を引き抜く。
けれど衣の擦れる音に少女が過敏に怯えたのを気配で感じた。
「ああ、ごめん」
少女に対して配慮が足りなかったかなとまたもや苦笑。
なるべく衣の擦れる音がしないようにもう片方の袖から腕を引き抜き、脱ぎ終わった上着を丸めて緊張している少女の方に軽く投げる。
「えっ?」
突然の行動に驚き緊張を解いた少女へ軽い調子で話しかける。
「使っていいよ」
少女は躊躇った様子で上着と自分の顔を交互に見つめ、小さく呟く。
「でも・・・・・・」
上手い言葉が見つからず尻窄みになる。
「いいって。風邪引いたら大変だろ?」
迷う素振りを見せる少女に対し、多少強引に納得させるための言葉を紡ぐ。
それでもなお迷う少女の口から遠慮の言葉が続かないように、顔の向きを戻し無関心を装う。
「―――、」
案の定、話しかけるタイミングを失った少女はおずおず上着に腕を通す。そしてさっきよりも小さな声で、けれど尻窄みすることなく言葉を紡ぐ。
「ありがとう、ございます・・・・・・」
「ん」
素っ気無く頷く。
チラリと様子を盗み見ると、サイズの合わない袖に通した腕で膝を抱いて俯いている。
(ちょっと強引過ぎたかな?)
少し反省しながら目線を前に戻す。
このまま助けが来るまで無言の時間になるかなと思案したところで不意に沈黙は破られる。
「あの・・・・・・」
「ん?」
恐る恐ると言った感じで少女は俯いたまま言葉を紡ぐ。
「ごめんなさい」
「?」
そう言えば昔もこんなやりとりがあったなぁと頭の隅でぼんやり思う。
雰囲気を感じ取ったのか疑問を口にする前に少女は喋る。
「急に飛び出したりして・・・・・・」
「ああ」
合点がいって頷く。
自分も探される身になっていたのですっかり失念していた。
「・・・・・・怒ってないんですか?」
こちらを窺うような怯えた視線に疑問を覚える。
(怒られると思ってた?)
何故? と一瞬思った。
確かに急に家を飛び出したりしたら怒るかもしれない。だがあの一家の気質からして怒るよりも心配するだろうなぁと思う。
それでも彼女の瞳に映る怯えの色は大袈裟な気がする。
だがその思考は義父さんの言葉を思い出すと共に、苦い感情から納得する。
「・・・・・・いや、みんな普通に心配してた」
別の事を考えなくて済む様に事実だけを口にする。
その言葉に少女は安心するかと思ったが、予想に反して身を小さくした。
その様子を横目で窺いながら嘆息を漏らす。
「―――気に病むなら帰って素直に謝ればいいさ。きっとそれで許してくれるよ」
軽薄に映らない程度に微笑む。
「気のいい人達だし、君が来るのをすごく楽しみにしてたから」
君という二人称に他人行儀過ぎたかなと少し悩む。
少女は考える素振りをして少しの間、沈黙が場を満たす。だが意を決したように口を開く。
「あの、―――く、黒河さんたちは、知っているんですか?」
言葉足らずな問いかけに、けれど的確に回答する。
「いや、知ってるのは義父さんと義母さんと俺だけ。雪と桜は知らないよ」
「・・・・・・そう、ですか」
少女は浅く息を吐く。
それは残念とも安堵ともとれる吐息だった。
(どっちだろうな)
漠然とした疑問に、どっちでもいいかと早々と結論付ける。
「あ、あの―――」
「ん?」
再び話しかけてきた少女のほうを向く。
「ええっと・・・・・・」
「?」
なにか懸命に言葉を紡ごうと頑張っているのが見て取れる。
それもどこか強張りながら。
使命感とも危機感とも取れる焦りと、それ以上の恐怖。
今隣に座る少女が、昔見た少女とダブる。
自分の周りに地雷をバラ撒いて、身動きできなくなるような滑稽な姿。
そしてその姿がまた違う少年の姿とダブる。
(―――下らない)
思考の冷徹な部分が判断を下す。
「だ、だからその・・・・・・」
少女は自分でも何が言いたかったのかわからず、半分涙目で俯く。
そんな様子に溜息を吐いてから口を開く。
「そんなに頑張らなくていいから」
「!?」
驚きと共にあげた少女の顔。その頬には涙の筋があった。
軽い罪悪感を覚えながら、なんだかなぁと思うが気にせず口を開く。
「誰も君を責めちゃいないよ? もし君が責められていると感じたんなら、それは俺の落ち度だ。だからそんな風に頑張らないで」
少女は強く
「ち、違います!! わ、私が、頑張らないと、みんな、お、怒って、だからもっと私、頑張らないと」
少女は混乱気味にまくし立てる。
「それは違う。君一人が頑張ったところで
静かな否定は、更に強い言葉によって否定される。
「ち、違いません!!」
「いや、違う」
「違いません!!」
広い空間に少女の怒鳴り声が反響する。
少女の荒い呼吸だけが僅かに聞こえる。
そんな少女に、哀れみも、怒りも、何の混じりっけも無い視線をただ送る。
少女の傷付いた心を癒せるだなんて思っちゃいない。
少女を暗闇から救い出せるだなんて考えてもいない。
でもまだ間に合う。だから口を開く。
「違うんだ。―――それは君のただの望みだろう?」
「!?」
少女の顔が強張る。
「こうなって欲しかった。こう在るべきだった。こうでなければならなかった・・・・・・そんな風に過去を悔やんだ所で今は変わらない。変えようが無いんだ」
「い、いや―――」
少女が壁伝いに立ち上がり一歩
同じ動作で一歩追う。
少女が恐れているのは異性の存在か。それとも自分の思いを否定されることか。
「こ、こないで」
また一歩後退る。
それをまた一歩追う。
「い、いやぁぁぁぁ!!」
少女は耐え切れなくなり
咄嗟に腕を交差させて顔を庇う。
「ぐぅっ!!」
力の奔流。
練られることもなく無秩序に開放された力場が荒れ狂う。
風が渦巻くように、少女を中心に圧倒的な暴力が、数歩の距離にいる自分に襲い掛かる。壁面が圧に負けて耳障りな音をたてて歪む。
こんな不安定な場所でこんな大出力。
理性の
だがそれ以上に自分の方が危険だ。
(これはちょっとミスったか?)
自身も力場を出力を上げながら必死に圧に耐えながら考える。
ここから身を引けば自分の安全は保障できる。だがこの力を押さえ込むことが出来なければ少女は終わる。
(終わらせたりなんかするかよ!!)
だから少女に向かって一歩を踏み出す。
その一歩を拒むように更なる圧が襲い掛かる。
「ぎっ!!」
歯を食い縛ってそれに耐える。相殺できなかった力が身を切り裂く。
かまわずもう三歩を踏み込む。踏み込むごとに傷は増え、圧に押し戻されそうになる。
(踏ん張りがきかねぇ!!)
痛めた足が悲鳴を上げる。
それでもあと一歩というところまで歩を進め手を延ばす。
薄く開けた目で
泣いていた。
俯き袖で涙を拭いながら、必死に嗚咽を堪えようと。けれど涙は止め処なく流れていく。
(届け・・・・・・)
延ばした右手から血が吹き出す。
構わず押し戻されながらも、もう半歩踏み込む。
(届けっ!!)
強く願う。願いは想いへ。想いは意志へ。意志は行動へと昇華する。
「届けぇぇぇ!!」
腕の中に暖かみを感じる。
力の奔流は消え、薄赤いだけの静寂な空間で、少女を緩く抱きしめていた。
自分は随分ボロボロで体のあちこちが痛むのに、少女は無傷だ。その違いに何故か頬が緩む。
胸の中で少女は変わらず泣いていた。
ただ、ただ堪えること無く、人肌に甘えるように顔を埋めて泣き続ける。
そんな少女の様子を見ながら呟く。
「泣いていいんだ。たくさん、たくさん、泣けばいい」
すすり泣きながら少女は何度も頷く。
「多分今までも君はたくさん泣いたと思う。―――けどそれは自分の為に流した涙じゃないだろ?」
今度は首を横に振る。
そんな少女の頭を優しく撫ぜる。
「傷つけた人達の為じゃなく、自分の為に流す涙もまだ君には必要だと思うんだ。だから今は頑張らなくていい。それで泣いてスッキリしたら少しずつでいい。頑張っていこう? だから今は自分の為だけに泣いて」
ゆっくり大きく頷く。
癒すことも救うことも自分にはできない。手助けすることは出来るけど結局、最後には自分でカタをつけなくてはならない問題だから。
でも少しだけ自惚れてもいいだろうか? 少女の未来の一部を守ることができた、と。
過去に間違いを犯した少年の希望を彼女に託してもいいだろうか?
(ああ、自分で出来なかったからって他人に頼るなんて卑怯だなぁ)
少しボーっとする頭で自嘲する。
少女の頭から手を除けると血がついていて慌てる。
「あ、ごめん」
少女が不思議そうに顔を上げる。
「血がつぃ・・・・・・」
それ以上呂律が回らない。
なんだかフラフラする。
(やべぇ、格好つけ過ぎたか?)
少女が何か必死で叫んでいるように見える。
遠くで義父さんと義母さんに呼ばれた気がした。
少女の顔がくしゃくしゃに歪む。
だから精一杯の虚勢を張って微笑む。
上手く笑えていればいいな、そう思ったのを最後に意識は途切れた。
目を薄く開けると淡い光を放つ蛍光器具が見えた。
そして目を凝らすと自分の部屋ではない、木目調の天井が見える。
外は暗く静かで、深夜なのかなとあたりをつける。
このシチュエーションもなんだか随分久しぶりだ。
と思った所で違和感に気付く。
首だけで左側を確認するとよく見知った顔が間近にあった。
(・・・・・・雪か)
冷静に桜でないことを判断して溜息を吐く。
どうせ義母さんにロクでもないことを吹き込まれて一緒に寝ているのだろう。
(ったくあの
胸の中で悪態を吐き、色々言いたいことを仕舞っておく。
大体、雪も雪で少しは年頃の娘と言う事を自覚して―――。
(・・・・・・アホらし)
こういう事でうろたえるから義母さんのいいカラカイの的になるのだ。
穏やかな寝息を立てる雪を見て、起こすのも可哀相だしそのままにしておこうかと結論付ける。
なるべく隣のことは意識しないよう思考を切り替える。
一番傷の酷いであろう右手を見ると丁寧に包帯が巻かれていた。
「・・・・・・」
相変わらず無茶をしたなぁと思う。もう少しスマートに事を運べたんじゃなかろうか?
(まぁいいか)
少女は無傷だったし、傷付いたのは自分だけだ。まぁ少女の
「・・・・・・」
もう一度、自分の行動を反芻する。
本当にアレで良かったのだろうか? 一歩間違えば少女の命を奪っていたかもしれないのに。
それなのに『まぁいいか』などと人の命を軽視するにも程がある。
やはり自分には向いていないんだなぁとつくづく思う。
己の本分でもある『救う』という行為。
そこには所詮自己満足しか存在しない。
(
自分の考えを鼻で笑ったところで頭が重くなり目蓋を閉じた。
雀の鳴く声で目が覚める。
今日は月曜日で、昨日一日十分に休めなかったなぁと残念に思う。
隣を見ると存在は空になっていた。
時間的には朝の修練が始まっている頃合だ。
修練は出来そうにないが見学くらいはしておこうかと身を起こす。
背伸びをするとまだ少し痛みが残るが日常生活に支障はないだろう。
残念。痛みが激しいようなら学校をサボろうと思っていたのに。
布団から出ようとしたところで障子の向こう側から義母さんの声が掛かる。
「シュウちゃん、起きてる?」
「はい、起きてます」
すぐに返事をすると義母さんが入ってきた。
「義母さん、おはよう」
「おはよう、シュウちゃん」
ニッコリと完璧な笑顔で挨拶を返す義母さん。
その笑顔を見て寝起きだというのに嫌な汗を掻く。
(怒ってる・・・・・・)
付き合いが短ければ気付かないであろう、些細な変化を感じ取りながら、何かやらかしたっけ? と自問してみる。
今朝の修練に起きるのが間に合わなかったことに始まり、変な施設に迷い込んだこと、少女のトラウマを抉ったこと、それから小さなことで言えば昨日、居間にノートを置きっぱなしにしていたこと。
心当たりが多すぎてどれか判別できない。
「シュウちゃん?」
まるでこちらの心を読んでいるかのようなタイミングで義母さんは話しかけてくる。
「・・・・・・ハイ」
観念して返事をする。
固い返事に対して義母さんはふぅと溜息を吐いてから口を開く。
「シュウちゃんが無茶するのはいつものことだけど、ホントにどうして毎回こうなのかしらね?」
困ったわ、と手を頬に当てながら首を傾げる。
「いや、本当に恐縮です。すいません。ごめんなさい。僕が悪かったです」
平謝りするしかできないところが情けない。
もう一度義母さんは溜息を吐く。
「もう、本当にわかってるの? 手当てが遅れてたら右手が使い物にならなくなったかも知れないのよ?」
自分で分かっている事を、他人から再確認させられるのは耳が痛い。
「それはまぁ・・・・・・義母さんが何とかしてくれるだろうと。ほ、ほら義母さん腕も良いし」
場を濁すために煽てたつもりが墓穴を掘った形で返ってくる。
「神術だって万能じゃないのよ!? もっと自分のことを考えなさい!!」
そう言って抱きしめられる。
その肩は少し震えていた。
(・・・・・・自分のこと、か)
昨日、少女に言ったばかりの言葉をこんな形で返されるとは思っていなかった。
そしてその言葉をこの女性にも返してあげたい。いつも子どもの心配ばかりしている。今回もきっと寝る間を惜しんで看病にあたってくれただろう。
唐突に思う。
自分は幸せ者だな、と。
「うん。ごめん、
義母さんは抱擁を解いて目を合わせる。
「その科白、前にも聞いたわよ?」
まだ少し怒ってはいたが、なんとか許してくれたかなと少し照れ臭く思う。
義母さんはしょうが無さそうに溜息を重ねる。
「まぁ、でも今回は、千夏ちゃんのこともあったし―――次から本当に気をつけてね?」
寂しそうに約束の言葉を掛ける。
それに対し曖昧に笑う。
守る気はある。けれどその約束が守られることはないだろう。
義母さんも約束は違えられるであろうことを承知の上でそう言っている。
場の雰囲気を変えるために質問する。
「義母さん、千夏は?」
「シュウちゃんよりよっぽど元気よ。修練にも参加してるわ。もっとも昨日の今日だから見学するに留めているけどね」
嬉しそうに義母さんは目を細める。
「なんだかすっきりした顔だったわよ。昨日ほど一夜さんに怯えてもいなかったし。――― 一体、二人きりで何してたのかしらねぇ?」
からかいを含んだ声音で悪戯っぽく笑う。
「さて、私は朝食の準備に戻るわ。シュウちゃんも着替えていらっしゃい」
義母さんはそれだけ言うと部屋から出て行った。
もう一度背伸びをしてから立ち上がり、襖を開けて廊下に出る。
朝の空気を吸い込み、空を見上げる。
晴れ渡った空を見て、今日もいい天気になりそうだなと思う。
「さてと・・・・・・」
今日一日の行動スケジュールを考える。
(これから着替えて、飯食って、学校か)
学校に向かう途中で、ヒロスケとタスクが待っている光景が目に浮かぶ。
そして学校に着いたら平凡で、けれど楽しい一日を過ごすだろう。
その間で馬鹿二人に義妹のことを尋ねられたらどうしようか?
(とりあえず締めとこうかな)
物騒なことを考えながら口元に笑みを刻む。
空を見上げたまま考え事をしていると、道場から縁側を仲良く歩いてくる三人の少女に気付く。
人間関係の基本は挨拶からだと思いながらおはよう、と声を掛ける。
(なんと言うか俺の日常は色々と前途多難だよなぁ)
と本気で思う今日この頃。