部屋の中に男が二人。
片方は高級な皮製の椅子に座って、書類に目を通している。
もう片方は来客用の安っぽいソファーに座って、男が目を通し終わるのを待っていた。
目の前のテーブルに申し訳程度に紙コップに注がれたコーヒーが出されている。
椅子に座っていた銀髪の青年は貢を読み終え、顔を上げてぼやく。
「ふー、参ったね、こりゃ」
口調に真剣さは無いが、その表情は苦渋に満ちていた。
その声に金髪の青年は疲れた声で答える。
「うん」
彼らが読んでいたのはつい先日、ある特殊任務から帰還したばかりの班が作成した簡易
その任務とは七年前に失踪した『救世主』と呼ばれた少年の捕縛だった。
結果は失敗。
しかもただ失敗しただけでなく、いらぬ敵意を救世主に与えてしまった可能性が高い。
「こりゃぁ、今後説得には骨が折れそうだなぁ」
「と言うか不可能なんじゃない? これを見る限りシュウの奴、相当怒ってるよ」
そう言って
画面には七年前より少しだけ幼い顔をした懐かしい友人の顔が映る。
『よぉ、久しぶり』
だがその顔からは不機嫌さが滲み出していた。
『サイか、グランか、その両方か。取り敢えずこの画像を見てるってことは俺の布石は上手く作用したらしい』
画面の中の少年が目を細める。
『随分と頭の悪い部下を寄越してくれたもんだな。お前らが何を考えてあんな
好戦的な笑みを見せる。
『次に会った時は絶対ぶん殴ってやるから覚悟しとけ』
画面が一度ブッラクアウトし、もう一度画像が映る。
『追伸、お前らの部下が壊した施設の修繕費と治療代はこっちが立て替えておく。利子込みで最低九桁の金は準備しておくように。それと空いたスペースに俺とラシルが手を加えた最新版PRSの
サイは昔を懐かしむように小さく苦笑する。
「言いたいことだけ言ってくるのが、シュウらしいと言えばシュウらしい」
「誤算と言えば誤算だね。まさか戦略級を使うとは・・・・・・」
「それは俺の責任だな。ちっと出発前に発破を掛け過ぎたみたいだ。可愛い部下だからあんま叱ってやらないでくれ」
小さく溜息を吐く。
「上司がそう言うのなら深く追求はしないがしっかりしてくれよ」
「ははは、もう少しデスクワークが減れば現場で指揮を取りたいんだけどな」
そう言っている本人の机は大量の書類で埋まっていた。一部は床の上にも積まれている。
ウンザリとした口調で続ける。
「大佐ももうちょっと仕事量に気を使ってくれるとありがたいんだけどねぇ。ちょーっと大佐から中将に昇進したからって横暴になりやがって」
「中将が横暴なのは大佐時代―――いや大尉時代か―――から同じだろ? それにサイは時間の使い方が下手なんだよ。―――少しは女性関係を控えろ」
「いやぁ、それを止めたら俺、干乾びて死んじゃうよ」
頭を抱えたくなる。
「いつか刺されて死ぬぞ?」
「女性に殺されるなら本望さ」
そう言ってケラケラと笑う。
サイがどこまで本気で言っているのだろうかと判断に迷う。
「ともかく、団長がそんなんだと部下に示しがつかなくなる。それに腐っても“聖騎士”なんだから倫理観は必要以上に厳格にしとけ」
「腐ってもってなんだよ、腐ってもって。あーあ、だから騎士団の団長なんか嫌だって言ったのに勝手に人に押し付けやがって」
拗ねた口調でサイは文句を言い始める。
その様子に溜息を吐く。
「だったら俺と変わるか? 合計で六部隊の面倒を見てみるのもいい経験になるかもよ?」
「謹んで辞退します」
変わり身の早さに呆れつつ思いを巡らす。
何だかんだ言ってもサイは上手く騎士団を纏めていると思う。
女性を口説いてはいるが一線を越えるようなことはしていなようだし、あまりに浮名を流しすぎてそれがデフォルトとして認定されつつある。
聖騎士団には良くも悪くもプライドの高い人間が多い。それは勿論実力に裏打ちされたプライドだが、それ故に纏め上げ、的確に指示を出す長は相当の実力が要求される。それに加え人格者であることも求められる。
それには勇者が持つイメージとネームバリューは非常にマッチしていると言って良い。
まぁ、その所為で大戦以後、騎士団は勇者寄りだと貴族連中から批判されてはいるが、貴族にも第五部隊を抱え込んでいるのでお互い様だ。
大きく溜息を吐く。
そもそも軍部の構成がややこしいから変な階級意識が生まれる。
元々、小国時代の名残で“騎士団”なるものが存続しているだけで、現在は部隊運用が基本となっている。
今回の作戦は特殊性、機密性は元より技術的な側面が大きく、班編成での行動だった訳だが。
王室親衛騎士団と聖騎士団。その直轄に通常の騎士団があり、この三つを合わせて第一部隊。
残りの部隊でローテーションを組み、防衛を任せたり、訓練したり色々と動いている。
問題なのは同じ軍部に所属しながら命令系統が異なっている点だ。
一度、騎士団を解体して完全に部隊化。命令系統の簡略化をしようという動きもあったのだが、騎士団と言う響きに憧れる人員も多く、民衆感情も相まって途中で計画は頓挫している。
(シュウが居ればこんなことには・・・・・・)
ふと頭に浮かんだ考えを慌てて消し去る。
そして未だに心の何処かで友人に頼っている自分に気付き嫌気が差す。
「大丈夫か?」
顔を上げるとサイが心配そうな顔を向けていた。
その表情を見て迂闊だったなと強く思う。
「―――うん、大丈夫」
「そっか」
深くは追求してこない、その気遣いに感謝しながら話を戻す。
「んで、どうする? シュウの事はもう諦めるか?」
サイはゆっくりと首を横に振る。
「いや、保険は掛けておきたい」
「・・・・・・」
なんと答えて良いか分からず黙る。
サイは淡々と言葉を作る。
「レポートには書かれていない非公式の情報だが『言いたいことがあるなら自分で出向け』とシュウは言ったそうだ」
「それは?」
「そのデータキューブと一緒に可愛い部下が秘密裏に教えてくれたんだ」
羨ましいだろーと自慢げに笑う。
一転して自嘲的な笑みを口元に刻む。
「ま、引き換えに情報を提供させられたけどな」
「なんの情報だ?」
「ケンのこと」
一瞬思考が止まった。
余りにも唐突に軽く流すように呟いたから。
感情を殺して尋ねる。
「・・・・・・喋ったのか」
間を置いてからサイは短く答える。
「―――ああ」
同じだけの時間を持って短く答える。
「・・・・・・そっか」
「これで俺も団長職はお役御免かね。蔑みの視線に晒されまくって、変な趣味に目覚めなきゃ良いんだけど」
自責と自虐に屈する愉悦感は非常にエキサイティングだなと小さく笑う。
不思議と怒りは沸か無かった。サイがどれだけケンの事を苦悩しているか。それを傍で見てきたから。
「どこまで喋ったんだ?」
「喋ったと言うか、事実関係の確認かな? シュウが喋ってたことも意外と言えば意外だけど。なんでも一人で背負い込もうとする癖は直ったのかね?」
「心境の変化でもあったんじゃない?」
「だとしたら、そりゃあ間違いなくコレだな」
そう言って笑いながら小指を突き出す。
「あー、だったらこの娘かな?」
書類に添付されていた写真を指差す。
写真の注釈には、『救世主と深い係わりがある可能性が高い』と書かれていた。
「おお、こりゃあ結構な美人だな。もう四、五年ってとこか」
「サイの好みは聞いてないけどね。それにサイにとって女性はみんな美人だろ?」
「ウム。女性とは磨けば磨くほど光るものだからな」
顔は真剣なのだが発言の内容は果てし無く節操が無い。要するに光ってさえいれば誰でも言いと言っているのと同意だ。
「まぁ磨くのを忘れた女性はノーセンキューだけど」
中々に女性に対して失礼な発言だなと思ったが否定はしない。
「でもまぁ、割かし的を射てるんじゃない?」
簡易報告書なので詳細な経緯は不明だが、
その一文を読んだだけで何となく今のシュウが想像できる。
「どういった関係なのか分からないけど、シュウにとって大切な
「・・・・・・だろーな」
サイは感慨深く同意する。喜んでいるけれど、どこか寂しそうな顔で。
その表情もすぐに一転して意地の悪い笑みを作る。
「ま、シュウにまともな恋愛が出来るかどうかは怪しい所でもあるわけだけどな」
今度こそ的を射た発言に、乾いた笑い声を上げる。
「あー、お兄さん心配だなぁ。シュウの奴、上手くやっていけるんだろうか?」
急に兄貴ぶってソワソワしだす辺り、話のネタにされるんだろうなと予測する。
強引に話を戻す。
「んで、『言いたいことがあるなら自分で出向け』と言ったシュウをどうするんだ?」
ああと、呟いて真剣な面持ちで喋る。
「それはつまり裏を返せば『自分で出向けば話は聞いてやる』ってことだと思うんだ」
「そうなのか?」
疑わしそうな視線を向ける。
「そう思ったほうが気は楽だろ?」
あっけらかんとした答えに溜息と共に力が抜ける。
その様子をサイは笑いながら
「と言う訳で次は俺が―――」
「俺が行く」
遮るように断言するとサイは一瞬驚いた顔をして苦笑した。
「シュウには会って言いたい事が山ほどある」
「鼻息荒くするのは結構だが色々問題は山済みだぞ?」
サイは大きく息を吐いて背もたれを軋ませる。
「現段階では向こう側から、強力な
「しかも御丁寧に無茶するとウィルスとバグを放ってくるような意地の悪い奴をな」
「ああ。キチンと解析するには時間が掛かる。情報部の見立てじゃ少なく見積もっても三ヶ月。余裕を持って一年は見とけとのお達しだ」
「いっそのこと
賢者と言う単語にサイは嫌そうに顔を顰める。
「あの、妖怪仙人共がこっちの言う事を聞くわけないだろ? 唯でさえ魔法の軍事転用に圧力かけてきてるってーのに」
「しかもウチは
二人そろって溜息を吐く。
「ま、門のことはこっちでなんとかする。現実的な問題としては俺もお前も書類仕事に追われて机から離れられないのが現状だ」
「半年あれば俺は何とかなるかも」
「何ぃ!?」
さも意外だと言わんばかりに叫ぶ。
「俺は誰かさんとは違って休暇も溜まってるしね」
「ぐぬぬぬ・・・・・・」
サイは悔しそうに低く唸る。
「と言う訳で俺が行くことに決定ね」
満面の笑顔で言うとやっと折れれたのか溜息を吐いて力を抜く。
これ以上駄々をこねないように強引に話題を変える。ついでに気になっていた事も。
「サイ」
「んー?」
不貞腐れたように
「今回の任務。なぜあの人選だったんだ? 結果的にはあっちの世界は魔素が少なくてシュウは弱体化してたみたいだけど、任務が成功する確率は限りなく
サイは大げさな演技がかった仕草で言葉を作る。
「おいおい、若手のホープだぜ? 多少は身内
「だったら尚更だろ? 若手に経験を積ませる意味でなら相手が悪過ぎる」
「・・・・・・」
「シュウの相手を務めるなら大戦の最前線で戦ってた最精鋭部隊じゃないと無理だ。いや、それでも厳しいくらいなのに」
厳しい視線を向けるとサイは観念したように大きく息を吐く。
「・・・・・・シュウに『業』からは逃れられないって事を教える為に」
言葉の意味を深く考えようとして頭に血が上る。
「!? そのために捨て駒にするつもりだったのか!?」
さも心外だと言わんばかりに口を尖らせる。
「おいおい、勘弁してくれ。俺は可愛い部下を捨て駒なんかにする気はないぜ?」
黙ってサイを睨む。
「―――シュウなら、例え敵であっても殺す事はないから安心して送り出せる」
それはある意味、とても危険な信頼の形。
けれど、その言葉を否定するだけの明確な要素が自分の中にも存在しない。
「・・・・・・」
「それにあいつ等の目を覚まさせてくれるよ」
「どういう意味だ?」
「俺達は決して善良なだけの存在なんかじゃねぇ。本当はこんな場所に居ること事態おかしいんだ」
サイの言わんとしていることに気付き押し黙る。
人の未来は人が作っていかなくてはならない。
確かに部分的には機械に管理された箱庭であることは否定しきれない事実。けれど、その全てを機械に任せているわけではないし、人には人の意思が存在する。
人の理から外れてしまった『
強大すぎる力は、時に人を魅了し狂わす。
再び
その結果、本来ならばもっと早い時期に手を引くべきだったのにズルズルと居座り、完全に組織の中に組み込まれ自由に行動できないでいる。
一体自分は何をしているんだろうと自問する声に、理性は的確に回答を返す。
今この国は大戦が終わり順調に再興しているように表向き見える。がその実、非常に危うい。
優秀な人材は育ってきてはいるが、後釜にすえるには経験不足。
言うなればギリギリの人員で、スカスカの底辺を支えているに過ぎない。
それを途中で投げ出すのは単なる責任放棄だ。
とりあえず自分の考えに決着をつけ、冷たくなったコーヒーを口に流し込み席を立つ。
「とりあえず今回はこんなもんかな。また今度、詳細な報告書が上がったら話し合おう」
「そうだな」
サイの疲れた返事に、思い出したように声をかける。
「ちゃんと時間作れるように、仕事しとけよ?」
「うっせーよ」
本気でない怒り声を聞きながら部屋を後にした。
大きく息を吐いて椅子に深く沈み込む。
グランの気配が完全に消えた事を注意深く確認し、例のキューブをもう一度再生する。
『よぉ、久しぶり』
先ほど再生した内容と寸分違わぬ映像が流れ始める。
だが、頭はその内容を全く捉えてはいない。
『・・・・・・好きに使え。以上だ』
最後の台詞を言い終えると画面は
「・・・・・・」
おもむろにキーボードに手を伸ばし、幾つかのキーをタイプする。そして再度キューブを読み込ませる。
自分とシュウの間でしか使用しない特殊な暗号。
デコードは一瞬で完了し、今度は別の動画が再生される。
感情の全てを削ぎ落としたかのような無表情。
瞳には他者を寄せ付けぬ光がある。
その口が抑揚無く言葉を紡ぐ。
『サイ。勇者の責務はお前が果たせ。
裁判官が判決を言い渡す時のように。
怒りも親しみも無い。
事実だけを正確に伝える声で。
それだけを言って映像は終わる。
「・・・・・・全部お見通し、ってか?」
相変わらず可愛げのない奴と小さく呟く。
「ああ、もう、本当に―――」
救いがねぇ。
音の無い呟きは一人、胸の内に沈んだ。