EX2-6 新任務へ・前編

 紙独自の匂いが充満する静かな空間。
 湿度は低く、季節毎に温度は適温に保たれ、長時間過ごすのも苦痛にならないよう配慮されている。

 其処は図書館。

 文字のデジタル化が進んだ現在でも、アナログ媒体の本が消えた訳ではないし、そしてこれから先も恐らく消えることはないだろう。
 規模は幾分縮小されてしまった部分もあるが、それでも広大な敷地と膨大な資料を有する地下一階、地上三階、計四階建ての王立図書館として稼動している。
 五年前からは一般にも門戸を開き、広く知識の普及に務めていた。それ以前は上流階級か、もしくは学者しか入る事の出来ない特別な場所だった。
 司書は仕事が増えたと文句を言っていたが、それも微笑ましい光景なのかもしれない。

 今いる場所はその中でも一般の人が立ち寄る事の珍しい、簡単な軍事資料が置かれている一角である。その背表紙には全て貸し出し禁止のシールが貼られていた。

 そこに一人の若い女性がいた。
 年の頃は十八前後。化粧は最低限だったが整った顔立ちに細い眉。髪の色は見事な金糸で、目は深海のような青色。背の高さは平均よりやや上と言ったところか。
 癖のないベリーショートの髪とロングスカートが、歩くたびに軽やかに揺れる。
 背筋をきちっと伸ばし本棚の間を歩く姿は美しいと言うよりは凛々しい。
 ただ、今は資料を本棚に戻すためにゆっくりとした足取りであったが。
 脇に四冊の本を抱え、本棚へ一冊返却。更にもう一冊。
 女性は抱えた本を全て棚に戻し終えてから席に着く。
 その表情には落胆とも疲れとも言える色があった。
 机を前に溜息を漏らす。

 別に字を見るのが不得手と言う訳ではなかったが、こうも収穫が乏しいと空しくなる。
 よく目を通す本と言えば技術書や専門書。あとは部下の書いた報告書(レポート)だろうか。
 それらには必ず身になるものがあるのだが、今日休日を利用して目を通した本の中には欲しい情報は見つからなかった。
 職業柄、最低限の教養を身につける必要があるため、娯楽本や詩集を読んだりはするがどちらかと言えば義務感からの側面が強い。
 久しぶりに個人的な理由で読んだ本がこれでは先が思いやられる。
(もっとも、簡単に分かるとは思っていませんが・・・・・・)
 一般に公開されているような資料の中に、自分の求める情報が入っているとは思っていない。
 探すのなら機密文書保管庫や閲覧禁止書架と言ったもっと深い場所でなくてはならないだろう。
 しかしそんな所へ、いきなり漠然と探りを入れるのは余りにリスクが高い。目星くらいはと思って調べて見たが結果はこの様だ。
 もう一度溜息を吐く。

 後ろめたさがある。
 真実を知りたいという欲求に対して、知らないほうがいいと理性は囁く。
 余計な場所に光を当てぬほうがいい。
 知ってしまえば、後には引けなくなる。
 自分が信じて立ってきた場所だからこそ、その場所を失いたくはない。

(ですが・・・・・・)
 それでは駄目なのだと一人の少年に思い知らされた。
 例え間違った道を歩んでいるのだとしても、見て見ぬ振りをしたまま先に進みたくはない。

 目を閉じてここ半年程の事を思い出す。

 特殊任務の下準備の為に、ずっと休み無しで働いていた。
 その事に対して特に不満は無かった。
 そういう仕事だと割り切っているし、これと言って特別な用事や趣味がある訳でもない。
 一応帰る家はあるにはあったが王都からは遠く、帰り喜んでくれる家族も既に居ない。
 もう三年は空き家のまま実家は放置してある。いっそ借家にしてしまおうかとも思うが、その手続きをするのも億劫だった。
 実際、今では割り当てられた士官部屋が自分の家だと思っている。

 これでも尉位を持っているのでそれなりに待遇はいい。
 広くはないが一人部屋だし、寝起きするのと最低限の荷物しか持ってないので十分だ。
 そういった生活が寂しいと悩んだ時期が無いわけではなかったが、幸いにも交友関係には恵まれているので余り悩まずに済んだ。

(懐かしいですね・・・・・・)
 自分がふと漏らした感想に驚き、次いで苦笑する。
 過去を懐かしむくらい歳を取ったと、そういうことだろうか?
(まだ十七なのですけどね)
 自分の歳を思い出して再び苦笑。

 正式に軍に籍を置いて三年。それ以前の訓練期間は二年。合計五年。
 何の後ろ盾も無い自分が、たった三年で中尉となれたのは運がよかったからだとつくづく思う。

 七年前の戦争で孤児となった自分は孤児院へと引き取られた。思えばこれも運がよかった。
 戦争で自分以外にも沢山の孤児がいた。そしてその全員に救いの手が差し伸べられたわけではないことも知っている。悲惨な運命を辿った子は決して少数ではないはずだ。
 更に運がよかったのはその孤児院に“武”と“智”を教えてくれる人が居た事だ。そこで様々な基礎を学んだ。
 その人は、自分は軍人崩れなのだと語った。縁在ってここに居るのだと。他者の命を奪った自分が何かを育む資格はあるのかと。それでも償いのために何かをしたいと。
 軍学校に進みたいと言った自分に対し皆は反対した。その中で唯一真剣に向き合い諭してくれた。中途半端な気持ちで志願するなと。それでも最後には背中を押してくれた優しい人だった。
 ちなみにその孤児院の名前を『アストレイ私設孤児院』という。

 また人手不足も昇級を後押しした。軍は再編を急務としながら、致命的に人数が足りていなかった。
 懸命に腕を磨いた。若さと性別だけで侮られたくはなかった。そして足手纏いになるのが何より嫌だった。そうこうしていると騎士団へ配属となった。運がいい。
 配属されて少ししてから王室暗殺の未遂事件があった。その解決に力を尽くしたと言う名目で王室からグゥリのミドルネームを賜った。
 一体なんの冗談だろうと思う。解決に力を尽くしたと言うのならそれは騎士団全員のことであり、更に言うなら王室親衛騎士団の力が大きい。自分はたまたま事件の首謀者を捕らえた場に居たに過ぎない。

 更に近々、昇級するだろうと内示を受けた。そして今回の特殊任務に参加したメンバー全員に昇級の話があると言う。
 だが、そこに違和感を覚える。なぜなら特殊任務は失敗に終わったからだ。
 にも関わらず昇級とはどういうことだろう?
(・・・・・・警告、でしょうか?)
 大人しく飼われておけ、軍の暗部に触れるなという遠回しの。

 軽く頭を振って意識を正す。疑心暗鬼になるほど愚かしい事も無い。
 今回の昇級と任務の失敗は全く別の事で、自分がなにか思い違いをしているだけなのかもしれない。
 けれどその一方で疑念は消せない。だったら何故、全員が同じ時期に昇級の話が浮かぶ?
 偶然の一言で片付けるほど能天気にはなれない。

 答えの出ない問いに区切りを付ける様、背もたれに深く沈みこむ。
 クッションの薄い、硬い位の座り心地が自分には丁度いいなとぼんやり思う。
 目を閉じたまま、天井を見上げる形で大きく息を吐く。
 背もたれに身を預けたまま上を向いてしまい、乱れた髪に手櫛を入れようと無意識に肩口へ手を延ばす。
 その手に慣れ親しんだ感触が返ってこないことに一瞬驚いて、理由に気付きまた苦笑。
 理由は簡単。髪をバッサリと切ったからだ。

 特殊任務の報告書を書き上げた後に髪を切った。本当はもっと早い時期に切るつもりだったのだが思いの外、報告書の作成に手間取ってしまった。
 任務失敗のケジメのつもりで、本当なら頭を丸めるつもりだったのだが、偶然通りがかった上司に途中で止められてしまった。
 既に短くなっていた髪を見て勿体無いと嘆いていた。

(よく、分からないですね・・・・・・)
 複雑な念が沸き起こる。
 その上司は聖騎士団の団長と騎士団の統括団長を兼任している。
 厳しくも良き上官であり、気のいい上司でもある。
 勇者と言う肩書きに相応しい強さは、英雄と共に軍の双璧と言われ兵士たちの憧れの的だ。
 そしてその重圧を物ともせず、プライベートでの話題は尽きない。

 だから問うた。救世主に言われたとおり、魔王のことを。勇者に。
 確かめたかった。
 厳しくも良き上官であり、気のいい上司の姿が本物なのか。そしてその真意がどこにあるのかを。
 上司は問われた内容に驚きつつも、救世主の語った言葉が真実であることを拍子抜けするほどあっさりと認めた。
 その時の上司がどんな気持ちだったのか、自分には窺い知れない。ただ同時に見せた、えも言われぬ表情が妙に印象的だった。

 そしてそんな事を尋ねた後でも、自分に対する上司の態度は以前と変わらなかった。
 切った髪を見て勿体無いと本気で嘆くほどに。

 再び息を吐く。
 分からない事だらけだ。
 一介の兵士たる自分に、何ができるのだろうと無力感に打ちひしがれそうになる。
 否、『何ができるのか』ではなく『知ってどうするのか』か。
 自己満足と言う言葉が頭に浮かび、頭を振ることで弱気な考えを否定する。
 そんなことは初めから分かっている。
 ただ知りたいのだ。
 自分が信念を置いてきた場所には間違いがある。それは残念ながら事実だった。
 だがそれでも、これからもそこに信念を置き続ける事に意味があるのかを知りたい。

 自分の中で再確認した決意に頷きを返す。
 まだ時間はある。もう少し調べることを続けようと意気込んだ所で背後から名前を呼ばれた。
「シスハ中尉?」
 軍人思考が染み付いた頭は一瞬で声音から該当人物を弾き出す。弾き出された人物にまさかと思いつつ、慌てて席から立ち上がり振り返る。
 そこには推測通りの一方的によく見知った―――けれど親しくはない―――意外な人物が立っている。
「・・・・・・リーオハート少佐」
 意外すぎる人物の登場に忘れていた敬礼を付け足した。



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