EX2-7 新任務へ・後編

 軍の双璧である勇者と英雄。
 その英雄こと、グラン=リーオハート少佐。
 救世主、勇者と共に大戦を潜り抜けた猛者であり、終戦へと導いた立役者の一人でもある。
 双璧と呼ばれるだけのことはあり、少佐ながら知名度は将官と比較してもまだ高い。
 本来なら勇者も英雄も自分にとって雲の上に当たる人物である。ただ勇者とは幸か不幸か上司と部下の関係であるので幾らか接点がある。しかし英雄に関しては同じ軍に所属しているくらいしか接点が無い。
 それでもその有名さは押して知るべし、なのである。そしてその雲の上の人物がなぜか自分の名前を知っている。これは十分、驚愕に値する出来事だ。

 怪しい敬礼を返す自分に少佐は苦笑を漏らす。
「中尉、今は軍務中ではないだろう? 敬礼も階級も不要だ」
「ハッ。しかし」
 敬礼を一層硬くして反論しようとする姿を見て、少佐は小さく噴出す。
「シスハ中尉は根っからの軍人だな」
 失礼と言って横を向いて笑い始める。それは隠す必要が果たしてあるのかと訝しむが、気を遣ってくれているのだろう、多分。笑っているのはバレバレなのでそれなら普通に笑われた方が気は楽だ。
 もう一度敬礼を返しそうになって気付き、手を下ろす。
「・・・・・・申し訳ありません。リーオハート様」
「いや、気にしなくていい。リーオハートは呼びにくいだろう? こっちはグランでいい」
「でしたら私もリエーテで構いません。グラン様」
 と言うかそうでなくては困る。こちらは私服だが相手は軍服で明らかに軍務中。しかも階級が上で有名人だ。正直どう対応すればいいのか、これからの対応に苦慮しそうだ。
「敬称も不要だ、と言いたいところだがそれはしかたないかな?」
「ええ、申し訳ありませんがそうして頂けると助かります」
 言って苦笑し合う。
 この辺、御自分の立場を理解していらっしゃる方は助かる。
 これが自分の上司だとごねて迷惑極まりない。けれど立場上、誰も注意する事ができずに結局は押し切られてしまう。

 勇者と英雄。
 立場は似ているのに人柄はこうも違うものかと新鮮な驚きを得ると同時に、内心で小さく溜息を吐く。こんな方が上司だと仕事も捗るだろうにと。

「さてと、わざわざ話し掛けたのは何も気紛れからではないんだが・・・・・・座ってもいいかな?」
「あ、はい。気が回らず申し訳ありません」
「いや、いいさ。いきなりだったからね」
 先に座った英雄は立ったままの自分にも座るよう勧める。それは決して上からの命令でなく、むしろ女性に対する気遣いに近い。
(・・・・・・落ち着かない)
 そういう風に扱われる事がないため物凄く座りが悪い。さっきまで丁度いいと思っていたクッションが急に硬くなった気がする。いっそ命令されたほうがどんなに気が楽か。
「私としてもここは女性をお誘いするには不向きな場所だと思うのだけどね」
 飲み物も出せずに申し訳ないと苦笑を付け足すが、それはこちらの科白だ。
「今日はどうしてこちらに?」
「ああ、私が長期休暇をとることに君の上司が臍を曲げてね。少しでも邪魔したいんだろう。休んで来いと追い出された」
 言った本人は何でもないことのように笑うが、言われた方は穴があったら入りたいと強く思う。

(フィス様・・・・・・)
 心の中で頭を抱える。穴があったら是が非でも入りたい。
 どうしようもない。それは分かっている。あの方の、人の迷惑を省みない思考は嫌というほど分かっている。―――分かっているのだけれど・・・・・・
 いくら同僚で、階級が上とは言え、せめて英雄に対する敬虔な気持ちくらいは培って頂きたい。しかもその理由が情けなさを助長してくれる。
 この数分内で自分の中に、勇者と英雄の評価に大きな差が生まれつつあった。

 こちらの葛藤に気付いたのか英雄は慌てて言葉を付け足す。
「リエーテ中尉が気に病む必要は無い。勇者との付き合いは長いほうだからね。それにここ最近休んでなかったのは事実だし。彼なりに気を遣ってくれたんだろう」
 そう言って柔らかに微笑む。それだけで場の雰囲気が華やいだ気がするのは流石と言う他無い。
 しかしそうすると新たに疑問が浮ぶ。
「経緯は理解できましたが、なぜ図書館(こちら)へ?」
「ああ、ここは静かだし昼寝するにはちょうどいい所だとは思わないかな?」
 一瞬相手の言葉に思考がフリーズする。
 それが顔に出てしまったのか相手は苦笑してから続ける。
「皆が思ってるほど、私は生真面目ではないよ」
 状況がそうさせているだけさと自嘲気味に呟く。
「兵舎に帰るほど時間はない。かと言って皆が働いている場所で眠れるほど厚顔にはなれない―――見ての通り、小心者でね」
 そう言って笑う英雄の顔を不思議な気持ちで見つめてしまう。
「けど昔、昼寝場所を見つけるのが上手い奴が居て。ソイツが教えてくれたんだ」
 つい先程と同じように柔らかに微笑む。
 だが二度目にして気付いてしまった。
 その笑みは極親しい人を想う笑みだと言う事に。そしてそのことを意識した時には、口を開いて尋ねていた。
「・・・・・・救世主、ですか?」
 相手は驚きに目を瞠る。
 その表情の中に答えを見つけ、気持ちが少し沈む。
 心の中だけで問う。

『貴方もですか? 英雄』

 任務の前。勇者からも似た感情を得た。
 近くに居る沢山の部下より、遠くに居る一人の戦友を強く想う。

 その感情の名は、なるべくなら直視したくない醜いモノ。

 頭では理解している。
 所詮、自分たちは雑兵で。苦楽を共にし、大戦を潜り抜けた救世主とは比べる方が愚かしい事くらい。
 救世主(ほんにん)から『大して信頼されていない』と嘲られ、そしてそれを受け入れなければならないほどに。
(それでも・・・・・・)
 この国を見捨てた救世主よりも、自分達の方が劣っているという事実がどうしようもなく痛むのだ。

「・・・・・・リエーテ中尉?」
 呼びかけられ、無意識の内に俯いていた顔を慌てて上げる。
「あ、はい。何でしょう? グラン様」
 相手は渋い顔で言葉を作る。
「すまない。浅慮だった」
 その言葉に自分の考えが読まれた事を恥じ、けれど言い繕うことは出来ず簡潔な言葉で否定する。
「・・・・・・いえ」
 非礼だと分かっていながら、俯いてしまう顔を上げることが出来ない。これ以上の醜態を晒したくなかった。
 それにもし万が一、多くの言葉を重ねて相手を詰る様ような言葉を作ってしまったら自分自身を許せなくなる。

 突然、小さく電子音(アラーム)の音が響く。
「あ、時間か」
 呟き、側面に展開されていたウィンドウを操作し音を消す。
 休憩を取る時間にしては短いなと思ったが、この状況から開放される事に安堵する。
 しかしそれも束の間。
 相手の貴重な時間を潰してしまった事に気付き、冷や汗が流れる。
 慌てて立ち上がり勢いよく頭を下げた。
「グラン様!! 申し訳ございません。貴重なお時間を」
「構わないよ。話掛けたのはこっちなんだから」
 小さく笑った後、顔を上げるよう促してくるので渋々それに従う。
 もう一度、笑みを濃くした後、英雄は一転して厳しい表情になる。
「シスハ中尉」
「ハッ」
 今度は完璧な敬礼で続きの言葉を待つ。
「近々、次の任務に関して正式な辞令が出るが先に内容伝えておく。なおその任務に関しては特例だが中尉に拒否権が与えられている」
「拒否権、ですか?」
 問い返しに英雄は重々しく頷く。
 軍にしては珍しい措置だと不審に思うが口を挟んだりはしない。
 英雄は厳しい表情を崩して渋面を作る。
「正直に言うと、立場とは別に私一個人の意見としては今回の指令は納得がいかない。できれば中尉が命令を拒否してくれる事を願う」
 意外とも言える言葉に疑問を返す。
「それは・・・・・・なぜですか?」
「危険だからだよ」
 丁寧な言葉とは裏腹に苛立ちの混じった声。
 言い聞かせるように英雄は言葉を重ねる。
「危険なんだ。任務の内容が、じゃない。任務に就くまでの過程が、だ」
 英雄の真剣な表情に戸惑う。
 話が見えてこない。危険な任務らしいというのは理解できるのだが、任務には危険が付きまとうのが常だ。危険の大小はあるにせよ安全と呼べる任務の方が珍しい。それなのになぜこんなにも英雄が執着するのか。それが解せない。
 こちらの戸惑いに気付いたのか英雄は大きく息を吐き、熱を逃がす。気を取り直し、落ち着いた声で
「次の任務は単独で目的地に潜入。そこで対象を監視するのが主な任務となる。技術的な側面から一切こちらからのバックアップが効かない為、常にシスハ中尉独自の判断で行動してもらう」
 聞き覚えのある三つの単語。『潜入』と『技術』。そして『独自の判断』。前回の任務でも使われた言葉だ。それに気が付けば、任務の内容は自然と浮かんでくる。
 眉が下がりそうになるのを堪えて問う。
「―――監視の対象は救世主、ですか?」
 英雄は首を縦に振る。
「けれど勘違いしないで欲しいのは、救世主の監視が危険だというわけじゃないんだ」
 再び怪訝そうな顔を返すと、英雄は苦い笑みを浮かべた。
「多分、救世主を監視するのは難しいだけで、こちらが手を出さなければ危険は少ない」
 英雄の言を聞いてなるほどと、一つ納得。
 確かにその予測が正しければ『内容は』危険でないだろう。ならばその英雄が憂慮する危険な『過程』とはなんだろうか?
 目線だけの問いて英雄は自嘲するように口を開く。
「軍上層部、貴族派の一部に救世主が復軍するのを懸念する者達がいる。より正確に言うなら今回の件で懸念する者たちが出てきた、と言うべきかな? ―――そのことをシスハ中尉は知っているかい?」
 思いも寄らなかった言葉に肌が粟立つ。
「まさか、そんな・・・・・・なぜ?」
 擦れるような呟きに英雄は冷めた笑みを浮かべた。
「彼らは救世主の報復を恐れたんだよ。―――いい加減、魔王封印の決定を過去の事にして忘れているだろうと、彼らは高を括っていた。だが蓋を開けて見たら救世主は予想以上に執念深く、しかも想像以上に陰険で、ネチネチとした粘着気質だということに気付いた」
 一度、疲れたように笑う。
「全くもって愚かしい限りだ。救世主の気質は大戦中、嫌と言うほどに味わっただろうに。それすら忘れて―――」
 言って拳を強く握り締めるがそれも長くは続かない。思い出したかのようにすぐ緩める。
「まぁ、その方が都合がいいから私たちも黙していたんだがね」
 いい薬になっただろうと意地の悪い笑みを見せる。
「それと同時、中尉に対しても危機感を募らせている」
「私に、ですか?」
「ああ。理由は察せられるだろう?」
 問われ唇を噛み、俯く。
 魔王の封印に関して調べている事を言っているのだろう。後ろめたさを持っていたので、なお更極まりが悪い。
 けれどと、理性はそれに反論する。
「一介の兵に出来る事など高が知れています。一部とは言え上層部が危機感を持つのは大袈裟です」
「それすらも彼らにとっては恐ろしいのさ。なにせ救世主が関与しているのだから」
 そう言って英雄は困ったように眉を寄せる。
 納得し辛いものはあるが、『こうだから』と言われれば『そうなのか』と納得するしかない。だが問わずにはいられなかった。
「―――救世主とはそこまで危険視せねばならない存在なのですか?」
 しかし口にした後で愚問だったと後悔する。確かにあの強さは異常だ。
 そんなこちらの表情を読んで英雄は苦笑する。
「救世主の破天荒ぶりは大戦中に従軍していた者には有名な話だ。そして『裏切り者(ユダ)』の二つ名は伊達じゃないということだ」
「―――」
 どこか誇るように喋る英雄を再び不思議な気持ちで見つめてしまう。
 その視線に気付いたのか話が逸れたなと強引に舵を切る。
「今後一年以内に英雄(わたし)が向こうの世界に出向き再度、救世主の説得に当たることが決定している。だが現在、門には向こう側から、強力な封印が施されていて安全に潜る事ができない。そこで」
「データ採取を目的に邪魔な私で実験してみようということですか?」
 自分でも驚くほど穏やかな声に、英雄は戸惑いにも似た表情を見せる。
「・・・・・・自分が実験体になることに怒りは無いのか?」
 問われ、どうなのだろうと自問する。
 怒りを感じないわけではない、ないのだが―――それよりももっと違うことが優先されるべきだと、頭は答えを導き出していた。
「私の命より英雄、貴方様の安全が優先されるべきです」
「妨害工作により中尉の命が無駄に散ることになるかも知れないんだぞ!?」
 ああ、それが『過程が危険だ』と発言した意味かと、頭の隅で納得。けれど答えはもう出てしまっている。
「それでも、です。今この国は貴方様を失うわけにはいかないのです」
 なんの後ろ盾が無い自分が昇進出来てしまうほど、この国は危険な状態だということを自分は知っている。そして軍人の務めとは、多くの民を救うこと。ならば答えは一つしかない。
「その任務。お受けいたします」

 だが、気付けないほど小さく、どこかで。
 もう一度救世主に会えるかもしれない事を喜んでいる自分が―――確かにいた。



 ◇ ◆ ◇ ◆

 中尉が立ち去った後、椅子に深く座り込む。さっきも思ったがクッションが硬い。
(安物だなぁ)
 どうでもいいことを思い、一度溜息を吐く。
 休憩時間はとっくに過ぎていた。
「何をサボってんだ、グラン」
 聞きなれた陽気な声が後ろから掛かる。
 不機嫌を隠すのが面倒でつい言葉が刺々しくなる。
「そう言うサイこそ何をやってんだ?」
「時間が過ぎても戻ってこない英雄様を見に来たんだよ」
 そうあけすけに言われれば反論もできず、不貞腐れて黙るしかなかった。
 そんなこちらの態度に相手は苦笑する。
「だから言っただろ? お前じゃ説得は無理だって。真面目で一生懸命なんだよ、リエーテは」
「だからってまだ若いんだぞ? しかも女性の身で」
「それ本人の前で言ってないだろうな? 確実に侮辱と受け取るぞ?」
 おどけたように言うサイに、言ってないと乱暴に言葉を返す。
 そこまで礼儀知らずでは無い。軍隊という特殊な環境で色々苦労してきただろう。だからそれを無闇に触れたりはしない。
 しかし、だがらと言ってその全てに納得できるのかと言えばそうではない。別の次元で覆しようの無い倫理観が存在する。少なくともそこには、若い女性に危険を強いることを善しとする選択肢は存在しない。
 サイは一度溜息を吐いて厳しい顔を見せる。
「結局は誰かが当て馬にならなきゃいけない問題なんだ。それがたまたまリエーテだったと、そう言う話だろ?」
「最初から俺一人で行えばいいだろ!?」
 感情的に言い返すと鋭い視線を向けられる。
「本気で言っているのか?」
 底冷えするような声に一瞬詰まると、少しだけ相手は頬を緩めた。
「昔、言っただろ? 俺たちは政治の駒だと。そしてそれが嫌なら軍を去れとも」
 俯き、唇を噛み締め拳を作る。
「けど・・・・・・」
「甘さを捨てろとは言わん。だが耐えろ」
 厳格に、そして甘えを許すことなく友人は続ける。
「豚共の手の内は読めてるんだ。だったらそれを阻止する為に俺たちは全力を尽くすしかない。違うか?」
「―――違わない」
「だったら、今出来る事をやろう。後悔したくないのならなお更な」
 真摯な言葉に頷く事しか出来なかった。



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