EX2-9 ある日の散歩・後編

 少し遠く、子供達の喚声が聞こえる。
 流れる雲を見上げながら、寒いのに子供は元気だなぁとのんびり思う。
 ロキはじゃれるのに飽きたのか地面に寝そべっていた。
「あ、あの」
「ん?」
「さ、寒くなりましたね?」
「・・・・・・そうだね」
 同意しながら意外にも普通の話題だったことに小さく苦笑を漏らす。
「今、寒く無い?」
「あ―――だ、大丈夫です」
「そう」
 また暫く無言の時間が過ぎる。

「あの、黒河、さん」
「ん?」
「ありがとう、ございました」
 そう言って、ややぎこちなく頭を下げる。
 ただ何に対してお礼を言われているのか見当が付かない。
 なんかお礼を言われる事したっけかと頭を捻る。

「えーっと、それは何に対してのお礼かな?」
 ゆっくり顔を上げて
「最初の日に、助けてくれた事。まだ、お礼言えてませんでした、から」
 もう一度頭を捻って、記憶を辿る。
 なんとなくそれに該当する出来事が無いわけでもないのだが、お礼を言われる程のことではない気がする。自分の中ではお互い様だと決着をつけていたし。
 ただそれを言って話をややこしくするのは現状では得策でない気がした。微妙に釈然としない気分だったが素直に言葉を受け取っておく。
「どーいたしまして」
 気の無い言葉を返してしまったが、少女は安心したように小さく微笑む。
 その笑みに、ふと気に病んでいたのかなと疑問に思う。
 だとしたら真面目な子だなとも。

「手は、大丈夫、ですか?」
「ん? ああ、大丈夫、大丈夫」
 ホラと言って左手を差し出して見せる。
 すると良く見ようと少女は席を少し詰めた。
 特に目立った傷がないことに安堵の息を見せたが、すぐに少女は顔を曇らせる。
「―――右手」
 悲しそうなのと不機嫌そうなのを混ぜ合わせた顔に、苦笑を返す。
 ちゃんと覚えていたらしい。
 観念して上着のポケット突っ込んでいた右手を見せる。

 その右手はミイラのように包帯が巻かれていた。
 不便にならないよう、丁寧に指が分かれるように巻かれてはいたが、本来なら固定しておく方がいいと医者に言われた。
 義母さんが『使い物にならなくなったかもしれない』と言った台詞は脅しでもなんでもなくただの事実だった。
 拳を作れば、まだ鈍い痛みが残る。思っていたより治りが遅い。

 少女はそれを見て気落ちしたように俯くが、すぐに顔を上げる。
 そして恐る恐る自分から手を延ばし、重ねる。
 その様子はまだ恐怖心が拭えていない事を物語っていた。
 だから動くことをせず好きにさせる。
 淡く神術の光が溢れ始める。
「・・・・・・ごめんな、さい」
 俯いた格好で言葉を作る少女。
(別に負い目を感じる必要もないんだけどなぁ)
 だってお互いに傷付けた訳だし。

 彼女は僕に心を傷付けられ、僕は彼女に体を傷付けられた。
 質ではなく量にだけに目を向ければ、一対一で同じ。対等だ。
 そんな自分の考え方を欺瞞臭いなと心の中で冷ややかに笑う。

 それなのに、彼女が謝るのであれば対等で無くなってしまう。
 そして対等であろうとするならば自分も謝罪をする必要が出てくる。

 けれど自分が謝ったところで、彼女は余計萎縮してしまわないだろうか?
(あー、なんかそんな気がする)
 要するに、彼女が自分に求めている役割とは、免罪符としての役目なんだろうなと冷静な部分は言う。
 だが、ならばと、考える。
 意に沿わぬ役割を我慢する事で、彼女の謝罪を受け入れようと。
 それが多分、一番事を丸く収める最良の方法だろうから。

「―――いいよ、気にしてないから。それにお互い様さ」
 驚いたように少女は顔を上げる。
「で、でも私は黒河さんを」
「君がどう思おうと勝手だが、僕にも反省する点はある」
 遮るように作った言葉。
「だから、お互い様」
 言い聞かせるようにゆっくりと。
 すると少女の顔が綻ぶ。まだどこか表情は硬かったけれど。
 その表情に満足する。

「あ、あの黒河さん」
「ん?」
 再び気を詰めた表情で、でもどこか迷いのある顔だった。
「『過去を悔やんだ所で今は変わらない』って言いましたよね?」
 心の中で首を捻りいつ言ったのか、少し時間を掛けて思い出す。
「―――うん、言った」
 あの変な地下施設で。
 その言葉に少女は少しだけ息を下ろす。
「そ、それで。あ、あの・・・・・・」
 一度俯き、心の中で何度も疑問に思っただろう言葉を口にする。
「本当に、今は、変えられないんでしょうか?」

 その言葉を聞いて漠然と。ああ、この子は僕に似ているなと思った。
 そしてそれは―――多分、不幸だ。

 そんな風に思いながら、頭の別の場所では違うことを考えている。
(どちらの言葉を、この子は望んでいるんだろうか?)
 希望の持てる優しい否定(ウソ)か。
 絶望の多い残酷な肯定(シンジツ)か。

 もう一度自問する。どちらなのだろうかと。そしてどちらの答えを告げるべきなのかと。

「―――過去を悔やんで反省し、それを未来(さき)につなげる事は大切だよ?」
 おどけた様に言葉を作り、一度切る。
「でも過去から続く現在(いま)は、やっぱり変えようが無い・・・・・・と思う」
 隣からは落胆した雰囲気が伝わってくる。
「そう、ですか」

 彼女も頭の中で、とっくに答えは出していただろう。
 それでも心の奥で、どうしても諦め切れなかった答え。縋り付いていたかった一縷の望み。

 ああ、本当にこの子は僕によく似ていると再び思う。

「君は過去を『無かった事』にしたい?」
 問いかけに驚いた顔で少女は見上げてくる。
 そして迷いながらも強く頷く。
「そう」
 とだけ小さく呟き、息を吸う。そして断言するように、残酷な言葉を放つ。

「でも、罪は消えないよ」

 少女は息を呑み、目を見開く。
 その反応を無視して言葉を続ける。
「贖なったり、償なったりする事は出来るかもしれない。けど、消えることだけは絶対(・・)に、ない」
 少女の顔が歪んでいく。
 その反応を、やはり無視したまま言葉は重なる。
「それでも先を見て生きて行かなきゃならない」

 それが残された者の責務。
 だがその一方で、『結局は都合の良い解釈による、言い訳の言葉だ』と苛む声がする。
 その声に惑い、(そそのか)されないよう耳を塞ぎたくなる。

「過去を懐かしむだけじゃ駄目。過ぎし日を大切に磨き続けるだけでも駄目」
 自分に言い聞かせるように
「人は、未来を見て進まないと駄目なんだ」
 呆然としていた少女が口を開く。
「―――どうして?」
 震える声で、涙を浮かべながら必死な目で訊ねてくる。
「どうして、そんな風に決め付けるんですか?」
 苦過ぎる記憶。
「・・・・・・それを『正しい』と他の誰でもない。自分自身でそう決めたから。だから」
 悲壮な声に何かを感じ取ったのか、少女は恐る恐る尋ねる。
「黒河さんも、思ったことが、あるん、ですか?」
 過去を悔やみ、そして無かった事にしたかったことが。

 中途半端に微笑む。
 肯定とも否定ともとれる曖昧さ。
 卑怯だなと思ったが顔には出さず言葉を紡ぐ。
「多分、僕らは、良く似ている」

 傷付けた事。失った事。そしてそれを悔やんでいる事。
 そう、人間誰でも一度くらい間違いを犯すものだから。
 間違わない方が良いに決まっているだろうけれど。それでも、現実は時に残酷で。

 手を延ばし少女の髪を優しく梳く。
 少女は怯える事無く、ただ真っ直ぐに見つめ返してくる。

 けれどそれは甘過ぎる考えだと、冷ややかな声は反論する。
 人間(ヒト)は同じ過ちを何度でも繰り返す。それこそ未来永劫と言う時間の中で、幾星霜が過ぎようとも、限り無く。

 けど、だからこそ、三度もミスを犯した俺とは―――違う。
 彼女はまだ、間に合う。

 少女は泣きそうな顔で笑う。
「黒河さんは、優しい人ですね」
 昔、誰かに言われたことを思い出し、小さく苦笑しながら答える。
「そんなことはないさ」

 よっと掛け声付きで、ベンチから立ち上がる。
 すると動きに気付いたロキが欠伸をしてから起き上がった。
 陽が夕焼けに染まっている。
「さてと。寒くなってきたし、そろそろ帰ろう?」
 振り返って左手を差し出す。
 一瞬少女は手を取る事を躊躇ったようだが、意を決して飛びつくようにその手を取る。
「手、暖かいね」
 そう言って微笑むと少女も笑顔を返してくれた。

 こうして歩けば少なくとも歩幅を違えることはないだろうと、そう信じて。



 影の伸びた帰り道を二人並んで歩く。相変わらずロキは我が物顔で前を歩いている。
「黒河さん」
「ん? 何?」
 呼びかけに顔を向けると、顔を伏せて恥ずかしそうにして尋ねてきた。
「お、『お兄ちゃん』って呼んでもいいですか?」
「―――あ゛ー」
 一瞬答えに迷ってから
「・・・・・・出来れば『()兄さん』で」
 じゃないとヒロスケとタスク(アホども)が煩そうだ。
「『()兄さん』?」
 漢字の変換ミスと語尾に付いた疑問符の意味を無視して、人の良い笑顔を向ける。
「ん?」
 少女は瞬きを繰り返してから正面に向き直り、『お兄さん』の音を馴染ませるように口の中で二、三度転がす。
 ふと閃いたように
「『ちゃん』付けるのが苦手、なんでしたっけ?」
 桜と雪の入れ知恵かと思うが、そう思ってくれるのなら話は早い。
「うん、そう」
 そうですかと小さく呟く。
「じゃぁ私のことは千夏でいいです」
「ん、分かった」
 そう答えると少女は含みのある笑顔をみせる。
 何か変なことを言っただろうかと頭を捻らせるが答えは出そうに無い。
(まぁ、いいか)
 元気が出たようで何よりだ。
 一瞬ロキが物言いたげな視線を送ってきたが、気のせいだと思っておこう。
 そんなこんなで、風は冷たかったが帰りの道は行きほど寒いとは感じずに済んだ。
 特に左手は、不思議と温かだった。



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