いつも通り、屋上へと続く扉の前で彼―――高峰祐はふと足を止めた。
(・・・・・・歌?)
小さく、だが確かに扉の先から唄が聞こえてくる。
立ち入りが禁止されている屋上への鍵を持っているのは自分を含め四人だけだ。
(誰だろ?)
邪魔をしないようにゆっくりと扉を開く。
澄み切った唄が屋上に響いていた。
歌詞は無く、ただメロディーだけの唄。
時に高く、時に優しく、儚げでありながら芯のある歌声。
声の主を探してみるが人影はない。
(アレ?)
耳を澄ませ音源を探る。
(―――上?)
見上げ、塔屋へと視線を移す。
「シュウ?」
「ん?」
呼び掛けに歌声は止まり、友人が顔を覗かせた。
塔屋の上にある給水タンクを背に友人と並んで座る。
「さっきのなんて曲なんだ?」
シュウは頭を掻き、あ゛ーと変な声を出す。
「曲名知らねぇんだよなー」
と。ついでに歌詞はもう覚えていないと笑う。
「あ!! もしかして作詞、作曲、自分?」
「いや、違う」
キッパリ。
「なんだ、つまんねーの」
「一応聞いといてやろう。―――なんでつまらないのか、簡潔に二十文字以内で答えろ。句読点含む」
「『ヒロスケとエンにバラして話のネタにすゴフッ」
「惜しいな、二十一字だ」
最後が『る。』で終わって丁度二十字になるはずだったのに、『ゴフッ』で強引に規定文字数をオーバーさせられた。
痛む腹を押さえ、絶え絶えに
「・・・・・・今の、スゲー、卑怯、だ」
不正に対して当人は涼しい顔で口笛を吹いている。
今に始まった事ではないが、無闇矢鱈に暴力的で、かつ腕力に物を言わせたツッコミを自重して欲しい。と言うかしろ!!
「じゃぁさ、どこで聞いた曲?」
「ん? んー・・・・・・遠い所?」
なんじゃそりゃ?
「じゃぁ、いつ頃?」
「昔、かなぁ」
・・・・・・懐メロ?
「だったら、誰に?」
「青くて紅くて白くて黒いヒト」
なんだそのカラフルな人種は。つーか・・・・・・ヒト?
・・・・・・ひと。
・・・・・・人。
・・・・・・
頭の中で電球がぱっと灯る。
閃いた!! 効果音を付けるならキュピーンだ。(キャピーンでも可。)
「女のヒト?」
「ああ」
素っ気無い答えに対し
「うえぇぇぇ!? うっそ、マジで!?」
盛大に驚く。
あのなぁと友人は前置きしてから
「自分から聞いといてその反応はなんだ?」
疲れたようにヤレヤレと息を吐く。
「いや、だってなんつーか・・・・・・意外?」
「然様デ」
もう一度、今度は小さく息を吐き、遠くに視線を移す。
同じように視線の先を追ってみるが、見えたものは山の端と青い空だけだった。
視線を友人の顔に戻す。
(あ、まただ・・・・・・)
ふと何気ない時に見せる友人の横顔。
懐かしさとも違う。愛おしさとも違う。ましてや喜びや悲しみでもない。けれどそのどれもが入り交じった悔恨の
気の利いた言葉を知らず、さりとてそのままにしておく事もできず。
「―――どんなヒトだったんだ?」
「優しい
穏やか過ぎる声で。
「美人さん?」
「ああ、もうすっげー美人。ヒロスケが見たら喜びに
空しい笑い声を響かる。
「どんな詩か、全然覚えてねぇの?」
問いにしばし黙考。
「・・・・・・御目出度い感じの詩だった気がする」
「オメデタイ?」
「そ。『ヒトはどんなに絶望の中に在っても希望を見出せるし、生きていればいつかは幸福に成れますヨー』ってな感じの―――下らない詩さ」
薄く笑い、左手を伸ばす。
眼を細め、左手の甲を右手で軽くなぞる。其処に何かが在るかの様に。
下らないと言いながらも、どこか愛おしむように薄く笑う友人が。酷く儚げで脆いモノのように見え、掛ける言葉を見失う。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
不意に訪れた沈黙に、質問を続けようか迷い
「傷付けず、傷付かず。大切なヒトを守っていけたら良かったんだけどなー」
場違いな平淡な声で。そんな事出来るはず無いのにねー、と
「あぁ、うん。やっぱ大切だったんだよ、どうしようもなく」
うんうんと一人納得し頷いている。
自分には分からない独白。
「別にさ、だからどうして欲しかった訳じゃなく、ただ生きてさえ居てくれればそれで―――」
良かったのにと、零すように呟いた。
頭の上に疑問符を沢山浮かべてみるも、理解不能。だから問う。
「ええっと・・・・・・もうちょっと詳しく」
「無理。俺もこれ以上はよく分からねぇ」
切って捨てられた。
その横顔はいつも通りの無表情に戻っている。こうやって雰囲気を一瞬で変えてくるので扱い辛い。
けれどその言葉が、何となく嘘なんだと思った。
総合して考えられる事は
「真面目に答える気ある?」
「あんまし無い」
あぁ、もうなんだかなぁと溜息を吐く。
隣からはさっきのメロディーだけの歌が、再び紡ぎだされる。
時に高く、時に優しく、儚げでありながら芯のある歌声に、ゆっくりと耳を傾けた。
◇ ◆ ◇ ◆
「無理。俺もこれ以上はよく分からねぇ」
切って捨てる。
嘘を吐いた。
お馬鹿さんに見えて、実は聡い友人は何となく嘘に気付いているのではなかろうか。
それでも根掘り葉掘り聞いて来ない気遣いが有難かった。
本当はいろんなことが話せただろう。
あのとき安らいでいた事とか。その安らぎに慣れたのに失ったときの悲しみとか。拭えぬ喪失感とか。消えてしまった今でも力を与え続けてくれる在り難さとか。
ただ、それらを一々伝えるのがどうにも面倒だった。
それは結局、泣き言であり感傷であり、そして―――下らない
だから忘れぬように唄を歌おう。君が好きだった、僕が忘れかけているあの唄を。
世界を奏で、誰かが報われるように。そして誰もが報われるように。
そんなモノは所詮まやかしだと、そう想いながら。
青い空に想いを馳せる。