EX2-21 異邦人1

 丸く円い月を浮かべる夜空。
 月の光を眩しく思う程、空気は冷たく澄んでいた。
 そんな寒空の下に女性が一人、横たわっている。

 如何なる理由で若い女性が倒れているのか?

 女性の衣類には至る所に穴が開き、その下からは血が滲んでいた。肌と元は白い軍服を赤く染め、地面には血溜まりを作っている。
 短い金髪を地面に流したまま、喘ぐ様に咳をする。その中にも赤い物が含まれていた。
 残った僅かな力を振り絞るよう、腕に力を込め上半身を持ち上げる。
「―――」
 痛みに歯を食い縛り、けれど立ち上がることは叶わずまた倒れる。
 焦点の合わぬ青い瞳。荒い呼吸。それに続く咳。
 誰がどう見ても重傷だった。むしろ瀕死に近い。
 女性が倒れているこの場所はなだらかな丘の上。民家の明かりは無く、そしてまた人通りも無い。まして今は夜。
 助けは絶望的かに思われた。だが
「アンタか」
 不遜な声で女性を見下ろす少年が一人。
 声の方へと女性は顔を向ける。
(ゲート)に張った結界に異常があったから来て見れば、とんだ外れクジを引かされたらしいな。俺も―――アンタも」
 声に反応するように女性の口が動く。だがそれが音として紡がれる事は無かった。
 それは何か反論しようとしているようでもあったし、ただ音に反応して口が動いただけのようにも見えた。
 少年は上着のポケットに手を突っ込んだ姿勢で
「さて、俺はどーすべきかね? わざわざ敵に塩を送りつけるような愉快な精神構造は持ち合わせてないんだが」
 問い掛けに答えは無い。ただ女性の視線が少年の顔の辺りを彷徨っているだけだ。
「助けても厄介な事になるだけなんだろうなぁ。そもそも助けるやる義理も無いしね?」
 軽く吐く息は白く曇り、世界に溶ける。
 このまま見なかった事にするのも一興だよねーと、場にそぐわぬ明るい声で呟く。
「ぶっちゃけて言えば、俺、あんた達の事、嫌いなんだよね? 町を焼こうとするわ、過去を知ろうとしないわ、あげく―――」
 少年は一度口を閉じ、目を細める。
「俺の大切な家族を殺しかけたしね?」
 薄い薄い、薄氷のような笑み。普段の少年を知るものが、もし此処に居たとしたら別人かと見間違うほど凄惨な。
 無機質な声で少年は告げる。
「そんな人間は助けるに値しない。そして、そんな人間は星とって有害にしかなり得ない」

 人の生き死になど ()うに見飽きたと少年は思う。
 人一人の生死など星にとって些事でしかない。だから
「此処でくたばれ」
 冷酷に、冷徹に。
 憎しみも無く、恨みも無い。人の死に付いて回るはずの感情の波が、少年には全く見受けられなかった。しかもそれを意図して消しているのでは無く、人が息をするようにそれを当然の事として受け止めている。

 冷たい風が吹く。
 その間にも血は流れ、徐々に徐々に生きる為に必要な物が失われていく。

 不意に女性の口がゆっくり動く。
「―――、―――」
 音にならない短い言葉。それと共に涙が浮ぶ。
 それは許しを請う贖罪の涙なのか。死んでしまう事に対する嘆きの涙なのか。助けを請う懇願の涙なのか。
 少なくとも少年は判断を付ける事が出来なかった。
 力尽きたように女性は目を閉じる。
 表情を変えぬまま少年は問う。
「―――アンタ、生きたいの?」
 既に生死の狭間で、碌に言葉の意味すら理解していないだろう。
 もしかしたら目の前に誰が居るのか、それすら理解していないのかもしれない。
 それでも、女性は重い瞼を薄く開き小さく頷く。そしてまた目を閉じた。
 少年は盛大に溜息を吐く。
「あー、もう最悪」
 馬鹿な事を聞いたと。
 基本的に動物は生に執着するものである。それが当然。
 生きたいかと問われれば、生きたいと答える。それが道理。
 生きる事に関して時に妄執すら見せる人間なら、なお更。
 死を願うような人間は確実にどこかがイカレている。
「・・・・・・」
 だから死に抗う事を恥じる必要も、生きる事に負い目を感じる必要も、多分、無い。
 それでもと、内へ沈み込もうとする感情に今はそんな場合ではないと理性が強引に正す。
「・・・・・・仕方ないよなぁ」
 少年は諦めの言葉と共に片膝を付き、女性へ掌を向ける。
 救いを求められたなら救うのが彼の(やくめ)
「八年近くも前に廃業済みなんだけど」
 と小さくぼやく。
 それでも彼女だけを見捨てるのは不公平だろうと。それに
「借りが一個あったしね」
 残りの魔力を計算し、使う魔法を選択。
 陣を敷き、この世界の理に反する高位の回復呪文を呟く。
「治療だけはしてやるよ。けど、それで死んだとしても責任は取らねぇぞ?」



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