一通り、校舎の中を案内し終わって
「これが学校、ですか?」
そう呟いたのは隣に立つ同世代の女子だ。
そこには戸惑いと―――極僅かだが―――軽蔑の響きが混じっていた。
それに気付き口を吐いて出たのは、本日何度目かによる呆れた物言い。
「あのなぁ・・・・・・」
性格からして頭は硬いだろうと予測はしていたが、まさかこれ程とは。
ある種の戦慄を覚える。
ここに至るまでに頭痛の種はすくすく育ち、今では見事な花が咲いている。
改めて一般生活が送れるのかと不安になる。
そういう事も含めて学校に通わせることになったのだが、発案元が養母である辺り面白がっているだけなのではないだろうかと疑問に思う。というか十中八九当たりだろう。
溜息を堪えることなく垂れ流す。
面倒な事だと思ったが、これまた本日何度目かによる指摘を行う。
「こっちの世界にはこっちの世界のジョーシキがあるの。あっちの世界の常識を持ち込むな」
言われ、相手は整った眉を寄せる。
その顔は到底納得がいかないといった所か。
文化が違えば風習が違う。納得がいかないことは多々あるだろう。
だがそれに一々逆らっていては周囲と無用な軋轢を生む。
それでコイツ一人が困るのなら放置しておくのだが、残念ながらそうもいかない。
なぜならコイツの保護者が、自分の保護者と同一だからだ。
自然、コイツの起こした問題は自分の
それはなんとか阻止したい。
とりあえず自分の起こした問題の数々は棚に上げて、コイツを家から追い出す算段を立て始める。
「シュージ」
「あ゛ぁ?」
呼び慣れない呼称に不機嫌な声を帰す。
実際、不機嫌なのだからしょうがない。
相手はそれを聞き流す形で問うてくる。
「先程から妙な視線を多く感じるのですが、やはり私の恰好が変なのではありませんか?」
改めて隣に立つ相手を観察する。
白いブラウスに、チェックのロングスカートを穿いた隣に立つ女子は。この国では大変希少な、地毛の金髪に青い瞳をもっている。
それだけに注目を浴びるのは致し方無いのだが、本人は余り気にしていないようだ。
その異質さに気付けない辺り、何か他の事が気になって仕方無いのだろう。
何を気にしているのかは知らないし、聞くつもりもない。
身長は自分と同じくらいか。女性としては高めの部類に入るだろう。
以前より髪は少し伸び、最初に出会った時の印象に近くなっている。
それを思えば、コイツは何をやってるんだろうねと、冷やかな視線を送る。
追跡者として現れたコイツにマイナスの感情を持つ事があっても、それがプラスに転じる事は無い。
それは相手も承知しているだろうし、そういう意味では相互理解は得られている。
そんな相手に道案内を頼むのは、考えなしにも程があると思うのだが、コイツにも何か思惑があるのかも知れない。
とりあえず腹立たしいが、互いに監視できる状況はメリットに足り得るだろうか。
(・・・・・・ビミョー)
もしや嫌がらせでは? と予想を立てる。となれば実に効果的な結果だ。
敵もなかなか侮れない。
「シュージ、聞いていますか?」
「聞いてるよ。毛の色が違うからモノ珍しいんだろ? それくらい自分で気付け」
「それだけ、でしょうか?」
今度は困惑に眉を寄せる。
「俺が知るか。―――どうしても気になるんなら、その辺の野郎にでも聞いて来い」
そしたら俺と違って親切丁寧に教えてくれるだろうよと、嫌味を零す。
それに対して険のある表情を作るが、それこそ知った事ではない。
(ヒロスケ曰く金髪は男の
浪漫で腹が膨れたらいいのにねぇと、小さく呟く。
「浪漫が・・・・・・なんです?」
それを耳聡く聞き逃さない辺り真面目というか、優秀というか。
「なんでもねェ」
ウンザリする。
どうせならヒロスケとタスク、エンを連れてくればよかった。
そうすればコイツの相手をする暇は必然的に減る。
その一方で平日の午後という時間帯に学生を引っ張ってくるのは難しい話だった。
今頃、自分達のクラスで授業を受けているはずだ。
自分もその学生の一人なわけだが、今は特別に案内を仰せつかっている。
(挫けそうだ・・・・・・)
なんかもう色々と、色んな事に対して。
溜息一つ。
不幸だ、とは思わない。この程度の事で不幸を感じるほど幸福に慣れてはいない。
その一方で不運だ、とは強く思う。何が悲しくて敵の面倒を見なければならないのか。
溜息二つ。
小言感覚で口を開く。
「確かにあっちの世界の学校に比べりゃ、随分楽しく愉快で脳味噌軽そうに見えるだろうよ」
学び舎の本当の意味を理解せず、その幸福が分からない。
知識を提供してくれる場所の有難さ。
学びたくとも字すらまともに知らない子供のいる世界で。
ココはどれだけ幸福だろう? にも関わらず考えている事と言えば下らないことばかり。
友情とか恋とか愛とか、安っぽい言葉が転がっている世界を。
自分自身、疎ましさを微塵も感じなかったと言えば嘘になる。
生きる事で手一杯の世界では到底考えられない。
腹を満たす事が最優先。
寝床を確保する事は死活問題。
騙されない事が至上命題。
こっちの世界の人間を向こうの世界に放り込んだら、三日で野垂れ死にする事請け合いだ。
ハングリー精神の欠如が致命的過ぎる。それでも
「それがこの世界では普通なんだ」
飢えの無い社会。
温かな寝床。
詐欺を悪と認める法。
完璧とは程遠く、穴も多い。全てに救いが行き届いているとはお世辞にも言えない。
しかしその一方で、それらを高水準で維持しているのもまた事実だ。
それは少なくとも
「あっちの世界よりは幸福だろうよ」
言えば、相手は悔しそうに言葉を返す。
「シュージの中ではこちらの世界の方を高く評価しているのですね」
当然とばかりに口を開く。
「当り前だろう? だれがあんな腐った国がある世界を―――」
脳裏に焼きついた光景が瞬き、胸が軋む。
それを振り払うように言葉を紡ぐ。
「好きになるか」