EX3-3

 放課後の屋上で、椅子と机を持ち込んでのプチ勉強会。
 目出度く卒業後の進路が決まったこともあり、勉強会の内容は学校教育課程に必要の無い知識―――のハズだ。
 少なくとも自分には理解不能な内容で、何を教えているのか、それすら分からない。
 そもそも自分がこの場にいる必要はないのだが、教師役の学生と生徒役の学生を二人きりにさせない為にここにいる。
 ちなみに教師役は男子学生で生徒役は女子学生なのだが、色っぽい話云々とは全くの逆方向で、むしろ『混ぜるな危険』の二人の為、この場にいる。
 二人きりにさせると、際限無く空気が悪くなる。
 溜息を吐いて、自分のヒトの良さを自画自賛しても罰は当たらないだろうなと思う。
 そんな二人の様子を少し離れた場所からのんびりと眺める。

 教師役の男子学生は不満たらたらの顔で説明している。
 話し方はテープの再生染みていて、聞く相手のことなどお構いなしだ。
 わざとそういう説明の仕方をしているんだろうなと、本人の能力の高さと性格の悪さから推測できる。
 対して生徒役の女子学生は説明を少しでも理解しようと必死になっているのが分かる。
 おそらく女生徒にとっても説明されている内容は難解なのだろう。
 資料(テキスト)も無い勉強会の内容を聞きながら考え、覚え、ノートにメモをしていく。
 流れ落ちる金色の髪を、時折掬い上げる仕草は『可愛い』では無く『美人だ』と思う。

「―――以上。説明終了」
 どうやら終わったらしい。
 結局、なんの説明をしていたかは謎だ。
 黙って講義を聞いていた金髪の女性が筆を下ろす。
 その表情から、そろそろ緩衝材として話かけた方がいいだろうかとタイミングを見計らい、口を開きかけたが一瞬遅かった。
「シュージ、確かに教えを乞うたのは私ですし、教師としての役割が気に食わないのも重々承知しているつもりです。―――ですが最低限の教える者としての態度があるでしょう?」
 低い怒気を抑えた声。
 短気な性格と言うよりは、色々溜まっていたのが溢れ出ている感じ。
(こんなサド男に付き合わせるのは心中お察しします)
 と心の中で密かに合掌。

 シュージと呼ばれた友人は冷めた目で金髪の女性を見る。
「気に食わないのを理解しているのなら、教えを乞わなければいいだけの話だろ?」
 唇を歪め
「それなのにわざわざその相手に教えを乞おうなんて、アンタ頭おかしいんじゃねぇの?」
 声を聞きながら、まずいなぁと心の中で思う。
 悪い方にスイッチが入っている。
 敵意全開というか挑発する気満々というか。
「大体魔術師が今更魔法を覚えてどーすんだ? どーせ教えた魔法はヒトを殺す為に使うんだろ?」
 友人の物騒な単語とファンタジー用語を、表面上は無視(スルー)する。
 自分以上に女生徒の方が過剰な反応を示す。
「ッ!? 私はそんなことに使ったりはしません!!」
「嘘だな」
「なんですって!?」
 怒気のこもった女生徒の声とは裏腹に、落ち着いた声で友人は訪ね返す。
「聞こえてるだろ? 聞き返すなよ」
 小馬鹿にしたようでいて、その実薄氷のような冷たい笑みで
「嘘だと、そう言ったんだ」
「なんの根拠があってそんな・・・・・・」
「アンタは命令があったら悪いことだと分かっていても人の命を奪うだろ? だからだよ」
「ですがそれでは軍隊は成り立ちません!!」
「だから殺すのか? 成り立たないから。それだけの理由で」
 逸らさぬ真っ直ぐな視線に女生徒がたじろぐ。
 それに興味は無くしたと言わんばかりに立ちあがる。
「俺はな、例えそれが嘘だとしても、信念を持って吐いた嘘なら、それは信じるに値すると思ってる。だから俺は感情でのみ構成された言葉なんて信用しない。今アンタが言った台詞は所詮一時の怒りに身を任せただけの軽い言葉だ」
 背を向け塔屋の前まで歩き、よく通る声で告げる。
「先に言っておくぞ、リエーテ=グゥリ=シスハ。俺はお前らに何かを乞われる筋合いはない」



 ◇ ◆ ◇ ◆

 油の差されていない扉が音を立てて閉じる。
 完全に友人の気配が消えてから、やっと息を下ろす。
 残されたリエーテさんは座ったまま俯き、拳を握っている。
 そんな様子を見ながら、思考は別の事を考えていた。
 遠いなと。
 話が遠く、存在が遠い。
 シュウとリエーテさんだけに通じる話を横で聞く度にそう思う。
 さっきの物騒な単語を無視できたのも、その単語に現実味が持てなかったからだ。
 否、あまりに本物過ぎて逆に嘘臭い。
 実感として単語の持つ意味を認識できない、もしくはしたくないのだ。その生々しさ故に。

 初めてリエーテさんを紹介されたとき、シュウがリエーテさんに向けるあからさま過ぎる敵意の理由が分からなかった。
 その理由を本人の口から聞いた時ですら、そんなことをするようなヒトには見えず戸惑いを覚えた。

『アイツは雪の命を奪いかけた』
 そう言った時のシュウの目が忘れられない。
 そこにはただ憎しみがあった。
 大切なモノを理不尽に奪われることへの憎悪。
 心の闇を垣間見た気がした。

 分かっていた事だった。
 伊達に長年付き合ってきたわけじゃない。
 その闇の深さが致命的な事も。
 何事に対しても執着しない、その姿勢が闇の深さに関係している事も。
 何事にも執着しない彼が、唯一、家族に対してだけ特別な感情を持っている事も。
 分かっていた。
 全てとは言わないまでも、同質のモノを抱える者として。
 そして抱えているモノが似ていれば似ているほど、他人にとってのその小さな差が、際だって見えてしまう。
 大切だから執着しないようにして、けれど惹かれている。
 それは色恋の話では無く、ただヒトとして。
 そしてそれは家族である彼女たちにとっては気の毒な話なのだろうけど。

 だから今の状況にシュウは苛立っているのだと思う。
 短気は損気で、未練の元だというのに。
 それに女性への態度としては頂けない。要はただの八つ当たりなのだから。
 機会があればエンと一緒にからかってやろう。

 結局、自分にはリエーテさんが悪人には見えないし、けれどシュウが嘘を吐いているようにも見えない。
 それはつまり、悪人で無いリエーテさんに、何か理由があって六花を傷つけてしまったと、そういうことだろう。
(自分の目が節穴で無い事を前提とするならば、だけど・・・・・・)
 その理由が、せめて救いのあるモノであって欲しいと、ただ願う。
 世界は優しくないと、そう理解した上で。

 思考に区切りをつけて息を吐く。
 ずっとこうしていても始まらない。
「リエーテさん、大丈夫? そろそろ帰ろう?」
「え? あ、はい・・・・・・」
 驚いたように顔をあげ、急いでノートを鞄に仕舞うその仕草は、とても演技には見えない。
 もしこれが演技なら、人間不信に陥った方が良さそうだ。
 きっと彼女自身、シュウの言葉に色々考えていたのだろう。
 そういう所だけ二人は似ていると思う。本人、―――特にシュウは嫌がるだろうけど。
 そこへ至るまでのプロセスと、アプローチの仕方は異なるが、優しくて、真面目で、厳しい所がよく似ている。

 ふと気付く。
 もしかしたらシュウの苛立ちの原因の一端には同族嫌悪があるのかもしれない。
 対してリエーテさんからは、ほんの僅かにだが親しみの情が混じっている気がして、つい尋ねてしまった。

「リエーテさんはシュウの事が好きなの?」
 尋ねた相手が瞠目したのを見て、アレ? と自分の言葉に首を捻った。
 リエーテさんが驚いた事を疑問に思ったのでなく、使った言葉に含まれる意味にズレがある。
 それが彼女に伝わったのか優しい笑みを浮かべ、遠くを見て訂正を口にする。
「・・・・・・憧れ、ですかね? 一番近い感情は」
 恋する者とも違う、複雑に入り混じった感情。
 その横顔が綺麗すぎて、一瞬時を忘れた。
 そしてその言葉を聞いて、アイツに憧れる要素なんてあったっけ? と今度は内心で首を捻る。
(ああ、でも・・・・・・)
 俺自身、憧れているかもしれない。認めるのは負けた気がして癪だけれど。
 そこへ一転して、彼女の笑みが曇る。
「それと後悔―――後ろめたさ、です」
「え?」
 予想外の言葉に、疑問が音として漏れた。
「心無い言葉をシュージに言いました。命の恩人にですよ?」
 自嘲の混じる口調に、懺悔という単語が頭を過る。
「『全部、お前のせいだ』って、逆恨みなのに。子供だからといって許されるはずも無い」
 新たに得た情報に対して、すぐに返す言葉が浮かんでこない。
 恩人の恩人に刃を向けたのかという疑問と、子供という単語から連想されるシュウの過去。そして彼女の言葉が事実なら、シュウの性格からして彼女に向ける今の態度は不可解だ。
 手探りで一つずつ疑問を消していく。
「―――リエーテさんは子供の頃のシュウを知っているの?」
 問いに彼女は首をゆっくりと横に振った。
「いえ、幼かったのは私だけです」
 答えを得て余計に混乱する。
 それは精神的な話なのだろうか。確かに昔からシュウは大人びていた。だからそうであっても不思議ではない。
 だが、何か。致命的に話の内容に齟齬がある気がする。
 けれどそれを肯定すると更に話が噛み合わなくなる。
 その収まりの悪さ。
 早急に結論をと急かせる自分と、慎重になれと足踏みを促す二人の自分がいる。
 この問題は一時保留にして分かっている方の答えを口にする。
「でも多分アイツは」
「覚えてないでしょうね」
 寂しそうに微笑む。仕方ないとでも言うように。
「もしかしたら覚えているかも知れませんが、それが私だとは気付かないでしょう」
「どうして?」
 今度は少し照れたように笑う。
「男の子の恰好をしていたんです。髪ももっと短くして。何より幼かったですし」
 だから
「最初に再会した時にきちんと言うべきでした。例えシュージが覚えていなくとも助けてくれたお礼と、謝罪を」
 興奮していたんです、とばつが悪そうに語る。
「ずっとお礼と謝罪を言いたくて、でも絶対に会えない場所にいると知って。けれど幸運にもその機会を与えられて。やっと会えて、嬉しくて。全然、変わって無くて。―――錯覚したんです」
 一息。
「向けられた敵意の強さに、意味も無く裏切られた気がしました。勝手に自分の理想を押し付けていただけなのに」
「―――」
「その後は、シュージの大切なヒトを―――ユキを傷付けてしまって、言いだせないまま」
 自虐的に微笑む。
「卑怯です、私は。彼は逆恨みでしかない幼稚な敵意にさえ、誠実に答えをくれました。なのに私は恨まれても仕方ない事をして、けれど同じように敵視されたらと思うと震えが止まりません」
 言って小刻みに震える左手を右手で押さえる。
「その時、シュウはなんて答えたの?」
「ただすまない、と。言い訳も言い逃れもしませんでした。そして、憎しみに潰されるくらいなら自分を殺しに来いと」
 シュウの事だから多分、本気で言ったんだろうなと思う。
 相変わらず言うことが過激、というか極端だ。
 その一方で、シュウにこのことを教えてやるべきなのかなと思案する。そうすればシュウのリエーテさんへの態度は幾分軟化するだろう。
 勿論、大前提としてシュウが過去の出来事を覚えている必要があるが。
 それもまた答えを一時保留にして屋上を二人で後にする。
(どうしたもんかなぁ・・・・・・)
 とそんな風に考えながら。



Back       Index       Next

inserted by FC2 system