あら不思議。
やや強引に手を引かれ、腰を下ろしたのは革張りのソファーの上。
引っ張ってきた張本人はウキウキと紅茶の準備をしている。
場所はどこかと言えば生徒会室で、初めて足を踏み入れた感想としては
「意外と豪華ね」
「広常先輩は生徒会室に入るのは初めてですか?」
肯いてから、物珍しげに室内を見回す。
豪華、と言うにはかなり語弊がある。
今、座っているソファーだって革の部分は色褪せているし、準備されている茶葉の銘柄だって普通に市販されている物だ。
職員室に併設されている休憩室の方が、まだ設備としては良い物を持っているだろう。
それでもなんとなくのイメージとして、長机が並んでいるだけの殺風景な教室をイメージしていた。それに比べれば『豪華』だろう。
机に紅茶の入ったカップがソーサー付きで並べられる。
模様の消えかかっている箇所はあるが汚れも欠けた所も見当たらない。
学校の備品と言うのは乱雑に扱われるのが常だが、大切に扱われてきたのだろう。
正面に意識を向ければ満面の笑みの千夏ちゃんが紅茶を口にするよう勧めてくる。
ミルクも砂糖も入れずに促されるまま紅茶を口に運ぶ。
熱過ぎない独特の味に息を下す。
(なんか変な調子よね)
カップに口を付けながら、正面に座る相手をそっと盗み見る。
波多千夏。
黒河修司の妹分、で説明としては正しいのだろうか。血の繋がりが無い事は苗字と、そして本人達の口から直接耳にしている。
神崎家とは親戚筋に当たるらしく、シュウと同じく居候の身。
追加情報として、ヒロスケとタスクの妹的ポジションでもある。
色んな意味で、The 鉄壁。
学年は一つ下の2年生で
「・・・・・・そう言えば生徒会長就任おめでとう」
知らぬ仲ではないが直接言うのは初めてだった。
「ありがとうございます」
はにかんだのと困ったのを足して二で割ったような可愛らしい笑みに、つられるように笑みを返す。
祝辞を口にした後で、改めてこの子が生徒会長だということに違和感を覚える。
文句が有るわけではく能力的な事で言えば間違いなく優秀な方に分類されるだろうし、
多分、上二代の女帝としてのイメージが強すぎるのが原因だろう。
(なんか・・・・・・)
些か不安になってきた。
お願いすれば野郎共はホイホイ言う事を聞いてくれるだろうが媚びるタイプではなさそうだし、女王様のように強権を振るうタイプにも見えない。
その上、便利な壁は私同様に卒業してしまう。
後は人徳による交友の広さを願うばかりだ。
(大丈夫なのかしら?)
と疑問に思った上で、それも杞憂に終わるだろうと結論に至る。
その位は本人も多少なりとも理解した上で今の役職に就いているはずだ。対抗馬の居ない推薦による信任投票ではあったが嫌なら推薦が上がった段階で降りている。
それにもともと上二代が規格外だったのだ。正常に戻るのだと思えば喜ばしい。
なによりシスコンとヒロスケとタスクに罵られるシュウが反対しなかったのであれば問題は無いのだろう。
―――とそこまで考えて、悩ましい問題を忘れていた自分と、その悩ましい問題の元凶を信頼している自分に気付き呆れた。
大きく溜息。
「どうかされましたか?」
「ちょっとね・・・・・・」
肩を落とす。
どうやら自分は軽薄冷血サド野郎である黒川修司を信頼しているらしい。
頭が痛くなってきた。
極一般的な同世代の女子よりも多少ズレている自覚はあった。だがこれはもう変人の域に達しているのではないだろうか。
その事実に対して二重に凹む。
そしてふと、この子ならどんな答えに至るのかを聞いてみたくなった。
「ねぇ、千夏ちゃん」
「はい、何でしょう?」
カップを置き視線を合わせる。
「難しく考えなくていいから、ちょっと質問に答えてくれる?」
きょとんとした表情に曖昧な笑みを返し問うてみる。
「もし自分に近しい人が―――人殺しだと知ったら、どうする?」
馬鹿げた質問だと、口に出してみてから自分の言葉に呆れる。
答えを聞いてどうしようというのか。
自問の答えはすぐに見つかった。
(
それは問うた相手を軽んじる行為であり、そして自分の弱さを相手のせいにする卑怯な行いだ。
相当参っている自分を自覚し、質問自体を無かったものにする為に口を開きかけて強い視線にぶつかる。
「―――」
曇りの無い、真っ直ぐな黒い瞳で
「ヒトを傷付ける行為は、どんな理由があったとしても許されません」
意志のこもった強い言葉に、一度温まったはずの体温が急速に冷えていくのを感じる。
それで終わりにすればいいのに
「じゃぁ、どうするの?」
意志に反し、乾き、ザラついた舌で問いを重ねる。
警察に突き出すのか、悪者と罵るのか。
そのどれもが不正解で、そのどれもが意味を成さない。
少女は一度顔を伏せ
「・・・・・・多分、何もできないと思います」
迷うような言葉に結局はそうなってしまうのかと気落ちする。
その一方で、厳しい答えに怯えていたくせに、迷う言葉を聞いて落胆する自分が、酷く浅ましい存在に思えてくる。
「でも―――」
一度言葉を切り、顔を上げた少女の目に迷いは無かった。
「話してみようと思います。どうしてそうなったのか。他に方法は無かったのか。その事をどう思っているのか。一人で悩んでも答えは出ませんから。だから」
ええ、そうしますと決意にも似た、透き通った笑みを浮かべる。
その答えを聞き、ああ、この子は強いんだなと思った。自分なんかより、ずっと。
分かりきっていた答えに苦笑を返す。
悩むことなく始めから、そうすれば良かったのだ。
けれど、ただ恐れていただけの自分ではその答えに至れなかっただろう。
その一方で、別の小さな懸念が生まれる。
もしこの子が、言葉通りの行動を取ったとき、強いままで在れるだろうか。自分のようになってしまわないだろうか。
告げられる真実に救いが無かった時。
否定が出来なくなる現実に。
どうしようもないと、膝を折ってしまわないだろうか。
そうなって欲しくないと思う。
そうならないで欲しいとも思う。
相変わらず身勝手な願望だが、本心からそう思う。
力が無いが故に願う事しか出来ない自分。
戦うための力を持ち合わせてはいない自分。
それを欲したこともあるし、逆に否定したこともある。
だから自分に出来ることは願い、そしてその願いを信じた相手に託すしかない。
それは相手にとって重いことかもしれない。事実、それは重いだろう。
そうならないよう正しく願いが届けばいいと、ささやかに思う。
少女の顔が不意に変わる。泣きそうなものに。
「広常先輩の話って、―――お兄さんのことですよね?」
放たれた問いに愕然となった。
鼓動が一度、大きく脈打つ。
いつ、どこで、どうしてバレた? 相手がシュウだと。
混乱にパンクしそうになる頭は、慌てて誤魔化そうと唇を湿らせる。
だが、続く彼女の言葉がその動きを止めた。
「私はそのことを、多分、知っています」
その言葉の意味に打ち拉がれる。
その一方で
現実は、常に痛みと共にあるのだと、乾いた心で思った。