EX3-7

 冬の夕暮れは早い。
 午後の四時を過ぎれば陽の傾きと気温の変化から闇を意識しだす。
 とは言え陽が完全に暮れるまでに猶予があるのも事実。
 その束の間の猶予を狙い、養父の書斎を訪ねる。
「義父さん、今、時間ある?」
 扉をノックしてから声を掛ける。
 間を置かずに扉は開き、養父さんが顔を出す。
「どうしたんだい?」
「ちょっと相談したいことが」
 軽い口調で言って、話題の軽重を量らせる。
 普段、相談をしない人間なので急に言って相手を身構えさせない為の気遣いだ。
 まぁ、それが必要な相手かどうかはともかくとして。
「美咲さんも呼んだほうがいいかい?」
「いえ、ここは男親として頼らせて下さい」
 それに、そろそろ夕飯の支度ですしと言葉を付け足す。
 フムと養父は一瞬考える仕草をしてから一歩下がる。
「とりあえず、中に。ここじゃ寒いしね」
「それじゃぁ、お言葉に甘えてお邪魔します」
 こういう遣り取りが親子じゃないなぁと思うのだが、性分だと分かっているので互いに指摘せずに放置している。それに最初の頃に比べればまだマシになったほうだ。

 入った部屋には予想通り、紙で小さな山が出来ていた。
 母屋の中にあってこの部屋だけは仕事の関係で使われている。
 多少乱雑な感じはするが紙をまとめるだけで小奇麗になるだろう。
 今も書類の整理の途中だったのか、机に紙とボールペンが転がっている。
 空調が利いていて室温は暖かいのだが、和室にエアコンの内機が微妙にミスマッチだ。

 畳の上に敷かれた座布団に向かい合う形で腰を下ろす。
「お茶でも淹れようか?」
 そう言って部屋の隅にあるポットに目を遣るが
「短い話しなんで大丈夫ですよ」
「そう?」
 そう言って自分の分を湯飲みに用意するのを黙って待つ。
 それを飲んで一息。
「さて相談というのは?」
「ええ、家を出ようと思って」
 笑顔で言うと養父さんの動きが一瞬止まった。
 三秒後に復帰。
「えーっと、それは―――」
 いきなりの話題についていけないのか珍しく動揺している。
「あ、別に不満があるとか、そういうんじゃないんで」
 と先回り。
 正確に言えば、無くは無いがそれは許容出来るレベルの話だ。
「・・・・・・」
 湯飲みを置き、眉間に皺を寄せ腕を組んで押し黙る。
 それから息を吐いて
「とりあえず理由を聞いていいかい?」
 どうぞどうぞと、作った笑みで場を濁してから
「大雑把に言うとやっと決心がついた、と言った所ですかね」
 前々から考えてはいたのだが適当な時期を見計らっていたのと、お得意の優柔不断で決めあぐねいていた。
「じゃぁ子細に言うと?」
 質問に少し考える素振りをして
「丁度、高校の入学ですし、元服も済ませましたし、貯蓄もそれなりに。―――なんとか地に足をつけて生活していく分には問題ないかなと」
「それだけ?」
「ええ、それだけです」
 殊更に深い理由は無いのだと仄めかす。

 元服とういう制度についてここで少し補足をさせて貰う。
 この国では年齢の経過に伴う成人と、もう一つ。別の方法での成人の仕方がある。
 それが元服という制度だ。元は成人の古い言い回しが元服にあたるのだが、法を整備して今では別の意味を持っている。
 部分的に制約は付くが、法的に大人として扱われるようになるこの制度。扱いは半人前の大人で、デメリットの方が多いと言われており一般には余り浸透していない。
 ではなぜそんな半端な制度があるのかと言えば、元々“神藤”が捻じ込んだ法律だから、だ。未成年(こども)仕事場(かりば)に大手を振って連れて行く為の名分を得る為に。
 本来であればそんな面倒なのはパスするのだが、色々と保護者の承認が不要になる点で今の自分には有用だった。丁度、雪と桜が元服の制度を適用させるのに合わせてついでに申請させて貰った。

 黙っていた養父さんが口を開く。
「もしかして、リエーテさんのことが関係してる?」
 申し訳無さそうな声に苦笑を返す。
「・・・・・・多少は」
 素直に本心を明かし
「ただそれで意地になって家を出ようと思っている訳じゃないですよ?」
「じゃぁ―――」
 今のままでいいじゃないかと、その言葉の途中で、首を横に振ることで遮る。
「まぁ、色々と有りますから。年頃の娘の傍に、いつまでも男を置いておく訳にはいかないでしょう?」
「気付いて、いたのかい?」
 探るような口調に対し笑みを持って答える。
「さて、なんのことでしょう?」

 本当に色々と有るのだ。
 大半の事は暴力で解決できる。
 それが褒められた解決法で無い事を当然理解はしているが、一々言葉で相手を納得させるのは時間が掛かるし、なにより面倒だ。
 だからこの年頃特有の下卑た話を振ってくる連中に対しては、過度とも言える対応を取ってきた。
 後悔先に立たずという有り難い御言葉を、身を以て知らしめてやったりもしたし、その噂を先行させることによって表立っての雑事に、ある程度は効果があった。
 また、そういうのは多少ゴシップ的な方が悪意込みで好感を持って受け入れ易い。
 だから不本意ではあったが、柄にもない役割を演じもした。

 だが世間体と。特にお家の柵に関しては。
 部外者たる自分に出来ることは少ない。
 なまじ家自体が変な権力や役割をもっているから尚更。
 そして、そういう『家』と繋がりを持ちたいと思う所は多い訳で。
 手っ取り早く『家』同士の繋がりに太いパイプを得る為には、今も昔も婚姻関係を結ぶのが一番だ。
 もちろん、善意的、好意的な感情でそうしてくる所も在るには在るが、大半は打算的、利欲的な感情からだ。
 そういうのを相手にするのは大変だなぁと思う。
 偉いなぁとも思う。
 主に他人事的な感覚で。

 このヒトたちはそういったモノから子供を出来る限り守ろうとしている。
 それはとても立派だと思う。
 有り難いとも思う。
 嫌味ではなく、素直にそう思う。

 でもこの人達は間違えてしまっている。
 その中に含めなくていい“黒河修司(モノ)”まで含めてしまっている。

 ―――それは本当に有り難い事なのだけれども。

 自分の力で守ることが出来るモノは本当に少ない。
 強ければ強いに越したことはない。だがどんなに『神崎一夜』『神崎美咲』という人物が強くとも、守るという行為はそれだけで異次元の話だ。
 だから優先順位を付けなくてはいけない。
 本当に守りたいと想うモノはなんなのか。
 それを間違えれば本当に大切なモノを失ってしまうから。
 沢山、恩のある人達だから、そうはなって欲しくない。だから

「まぁ、そんなこんなで家を出ようと思います」
 苦笑と共に再度、考えを告げる。
 養父さんは一層深い皺を眉間に寄せ
「少し・・・・・・考えさせてくれないかい?」
「いえいえ、悩むには及びません。家業(しごと)の事でしたら大丈夫です。お呼びがかかれば、すぐに馳せ参じますから」
「?」
 回答を急かすことに養父さんは怪訝そうな表情を返す。
 多少強引にでも言質を取っておく必要がある。なぜなら
「かずやさーん」
 呼び声と共に廊下をスリッパで歩く音がする。
 それを逸早く察知し、急いで立ち上がる。
 やはり思い通りに事は運ばないらしい。
 こんな所で己の見通しの甘さを痛感することになろうとは。

「養父さん、とりあえずそう言うことだから養母さんには言っておいて」
 足早に部屋から去ろうとしたが、一足遅く扉が開く。その前には当然、養母さんが立っていて
「あら、シュウちゃん? どうしたの?」
「あぁ、いえ、ちょっと・・・・・・」
 先程から脳内でエマージェンシー・コールが煩いほどに鳴り響いている。
(なんとかこの場を穏便に乗り切らなければ)
 背中に冷たいものが伝う。
 この計画を養母さんが聞けば、無理難題と共に反対するに決まっている。
 視線を養母さんから外し、祈るような気持ちで養父さんにアイコンタクトを送る。
 以心伝心。養父さんは心得ていると言った感じで頷く。
(養父さん、ナイス!!)
 胸の内でガッツポーズを作る。
 これも日頃、家業にて危険な人外共を相手にしている賜物だろう。
 今日ほど家業に感謝したことは無かった。
 後は養父さんに任せて、安心して成り行きを見守ればいい。



 ―――そう思っていた。



「美咲さん、シュウ君が一人暮らし始めたいって」
 養父さんの発言に耳を疑った。
「!?」
 奇声でも発して発言を打ち消せばよかったが、咄嗟の判断が遅れた。
「あら」
 一見困った顔で、可愛らしく頬に手を当てて首を傾げる。
「どういうことかしら? 私、初耳だわ」
 その実、全く困っていない目が自分を捉える。
 そこからの攻防は一瞬だった。

 退路を零コンマ零々々々以下で決断。
 唯一の出入り口である扉を目掛け、養母の脇へと飛び込む。
 それを許すまいと養母の手が伸びてくる。
「クッ!?」
 力場(フィールド)を練る暇は無い。負荷(ダメージ)を覚悟で加圧(ブースト)を掛ける。
(間に合え!!)
 手が扉に触れる。
 幸いにも扉は締め切られていない。軽く押すだけで扉は開いた。
 視界に扉の向こう側が―――廊下が映る。
「ッ!!」
 この場さえ切り抜ければ、後は体勢を整え逃げ切ることが出来る。
 そうすれば道は拓けると。だが
「ふふふ、残念でしたー」
 養母の楽しそうな声に、悪寒が全身に広がる。
 襟首を引っ張られる感覚と喉が閉まるのは同時だった。
「ぐエっ!?」
 蛙の潰れる様な声と喉の痛みに自身の敗北を識る。
 咄嗟の判断で養母の方が上手だったか。
「さてと・・・・・・」
 とても上機嫌で楽しそうな声が死の宣告にしか聞こえなかった。



 いじけモード全開で部屋の隅に膝を抱えて蹲る。ついでに恨みがましい視線も送ってみる。
「養父さんの裏切り者・・・・・・」
「いやぁ、だってシュウ君が居なくなると男が独りだけになっちゃうじゃないか」
 とてもイイ笑顔でのたまう養父が憎い。
(と言うか別にエエやん、そんな事。むしろ息子の独立心を応援してあげて下サイ)
 どうやら今回は利害の不一致が敗因のようだ。
 今度からは入念に市場調査を行おうと心に誓う。

 養母さんが深い溜息を吐く。
「―――シュウちゃん、いいかしら?」
「・・・・・・ハイ」
 裏切られた悲しい気持ちを引きずったまま正座する。
 第一声は
「シュウちゃん!! 今のシチュはいかに全フラグを立てそして攻略するか、それに悩むべき所なのよ!!」
「・・・・・・」



 力説された。
 目の前で怒っている(様に見える)養母の発言を理解するまでに数秒。
(何か今、すごく在り得ない発言を聞いた気がする)
 それと日常会話で使わない単語に対して妙な略しかたをしないで欲しい。
 さらにもう一言添えるなら、現実で攻略とかフラグとか言うのは色んな意味でアウトだと思う。
 むしろ単語の意味を理解して使っているのか謎だ。
 何に影響を受けたのかは不明だし知りたくもないが、色々と発言が不健全過ぎる。青少年の教育によろしくない。

 等と黙々と思考していると何かに気付いたかのように養母が愕然とした表情を見せる。
「はっ!? まさか一人暮らしというさらに美味しいシチュを活用する気!?」
「・・・・・・」
 想像力逞しいというか、なんというか。
(先生、僕もう無理です。二の句が継げません)
 いい加減、養母さんの悪ふざけを止めないと養父さんが泣くかもしれない。
 そう思い、折れそうになる心を奮い立たせて養父さんを見る。
 しかしそこにはなぜか養母さんの横で養父さんが頷いていた。
(・・・・・・親父殿、なぜそんな真面目な顔で同意していらっしゃるのですか?)
 いくら息子が引く位妻にゾッコンだからって、ちょっとは今の発言に疑問を持ちましょうよ?
 今の発言明らかにアレでしたよ?
 つーかココは何処ですか? 魔窟ですか? 魔境ですね? 常識の通用しない異空間ですね?
「―――」
 一連の如何わしい単語の仕入れ先を尋ねるべきかどうか真剣に悩む。
 いや、それよりも話の腰を折って逆ギレならぬ、逆説教すべきだろうか。
 意を決して顔を上げると、そこには困った表情をした養母がいた。
 眉を下げて、どうしたものかと思案している。
 先程までの言は、彼女なりの間の取り方だったのかもしれない。
(いや、流石にそれは・・・・・・)
 身内への贔屓が過ぎるだろうか。
 その疑問を暖かな感情と一緒に胸の内に留める。

「仕方ないわね・・・・・・」
 大きな溜息と共に養母さんが呟く。
「本当に昔から手のかからない子だったけど、そんな重要な事まで一人で決めちゃうんだもの。寂しいわ」
 言葉で言うほど、手のかからない子どもだったわけではないと思う。
 無茶もしたし、迷惑もかけた。さらに言えば少なからず負い目もある。
 ただ、負い目があるから家を出ようとしているわけじゃない。
 その事を伝えようとして。

 養母さんは静かに首を横に振った。
 分かっていると、そういう意味合いを込めて。
「色々なことに向き合っていく覚悟は出来た?」

 どうだろうと自問する。
 少なくとも覚悟、と言うほどご大層なモノじゃない。
 でもまぁ―――
「その足がかりみたいなモノ、ですかね」
 いきなり全部を解決するのは無理がある。
 それこそずっと逃げ回っていただけのチキン野郎には難易度が高すぎだ。
 だから
「千里の道も一歩から、と言いますし」
 出来ることは少ない。
 過去を振り返ることは出来ても、やり直すことは絶対に出来ないのだから。
 既に手遅れかもしれないという思いは拭えない。
 それは期待や希望といったものを砕かれることが余りに多かったから。その痛みは大き過ぎて。
 だがそれ以上に、砕かれたものを修復するのが面倒だった。
 砕かれる度に、何度も。何度も。何度も。
 目を悪くする実感も無いまま、次こそはと。叶う事のない夢を見続ける。
 そしてその想い故に未来を見ることをせず、常に諦観が共にあった。

 それでも。
 もう少しだけ。
 頑張ってみることを約束した。

 儚い願いだ。
 そう思う。
 幼い祈りだ。
 そう感じる。
 いつかまた裏切られ、そして裏切る日が来るだろうことは想像に難くない。

 だがその約束を。
 望み、望まれたのなら。
 叶えるための布石を―――それが仮に無駄になるとしても―――打ってみても良いのではないか。

「本当にしょうがないわね」
 そう呟く声には笑みがある。
 微笑と苦笑を足して二で割ったような複雑な笑み。
「シュウちゃんが、これから言ういくつか約束を守ってくれなら許してあげる」



 ◇ ◆ ◇ ◆

 春先の日差しは柔らかで、風は花の匂いを運んでくる。
 近くの公園では植えられた桜の木が蕾を綻ばせ、季節感を演出していた。
 そんな中、新しい居からの景色に目を細める。
 築3年の新しい部類に入る二階建ての庭付き一軒家。
 その二階の一室から見る景色に格別のものは無い。
 平穏な街並みの平凡な一日。
 実家はもっと高い所からの景色だったので少し違和感があるが、その内慣れるだろう。
 実家と同じ町内にあり、これから通うことになる高校からは少し遠い。

 贅沢だよなーと、内心複雑な気持ちになる。
 個人的にはもっと高校に近い、手狭と呼べるくらいのアパートで十分なのだが。
 同じ町内で、という縛りが養母との『約束』にある。
 それならそれで、もっと安い物件で良いのだが驚くは家賃の安さだ。
 別に曰く付きの物件でも何でもなく、純な好意での値段設定だ。
 不動産屋が養親の知り合いでそこからの伝手らしい。
 らしいというのは自分で探している間に、この物件を養父が見つけてきたからだ。

「ほい、お茶」
「おう」
 回想に耽っているところへ横から差し出された麦茶を受け取る。
 互いの荷物を運び入れてからの一服。
 それがこれから始まる生活の現状だ。
 家を出ることは成功したが、一人暮らしをすることには失敗した。
 一人暮らしを始めるともれなく同居人が付いてくるのが 養母さんとの二つ目の『約束』だった。
「なぁシュウ?」
「ん?」
「今更だけど、よかったのか?」
「んー」
 よかったかどうかと聞かれれば良くは無いがそれが条件だ。少なくとも最悪ではないし、赤の他人よりはマシだろう。
「まぁ、いいんじゃねぇの?」
 投げ遣りに答える。
 なるようにしかならないだろうし、なるようになるだろう。
 全く知らぬ仲ではないし、互いにそれなりの時間を共有してきている。
 何を好み、何を嫌うのかも表面的な部分は知っているし、お互い子どもでは無いのだ。それなりの分別と、後は過干渉さえしなければ気楽に過ごせるだろう。
「そうか」
 安堵したように呟く同居人を横目で見て、この『約束』の本質はおそらく自分に向けられたモノとは別口なのだろうと推測する。
 多分、渡りに船とかそんな感じの。
 深く詮索することも無く、残りの麦茶を飲み干す。
「じゃぁ改めてよろしく、シュウ」
「こちらこそ適当によろしく、ヒロスケ」
 握手ではなく、互いの拳骨を軽く合わせる。
 そして視線を再び街並みに移す。

 これからの生活は楽しくなるだろうかと、そんな事を考えながら。



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