EX3-12

 二十回までは数えていたが途中で面倒になって止めた。
 多分、三十回は超えたが、四十回はいってない。
 その位。
 何度も立ち上がっては、襲い掛かってくるヒロスケを殴り―――時には蹴り―――飛ばし続けた。
 今は、ぐったりと仰向けで地面に寝転んでいる。
 体力が尽きたのか、ただ単に飽きただけなのか。

 とりあえず小腹が空いたなと、何とはなしに空を見上げる。偽物の空を。
「・・・・・・」
 当然、それで腹が満たされるわけもなく、今日の晩飯は何だろうかと、全く関係の無い事を考える。
 それは
(気を揉んでも仕方ない事に頭を使うのは、無駄デスしネー)
 他所のお家の事情に首を突っ込むわけにもいかず、かといって他人の人生の全てを背負ってやるほど酔狂でもなく。
 畢竟(ひっきょう)、責任を負いたくないだけのヘタレた思考だ。
 俺が面倒見てやるぜ、なんて熱血漢なことはとても言えない。
 成るようにしか、世界は成らないと。
 それをタスクに言ったなら、冷たいと、怒るのだろうか。
 そうであってくれればいいと、身勝手に思う。

「あー、もう、なんだよー」
 覇気の無いヒロスケの呟きが不意に聞こえた。
「折角、ヒトが反抗期モード入って世の中拗ねて見てたのに邪魔しやがって」
 口で言うほど、その言葉に敵意は無く、未練も無かった。
 もー、最悪と文句を独りごちるヒロスケ。
 一通り愚痴を言い終わって満足したのか、再び静寂が場を占める。
 けれどまだ、何か言い残しているのを感じ、そのまま時を流す。
 どれだけの時間をそうしていただろうか。
 唐突に
「止まない雨も、明けない夜も。そんなモノ無い、って。頭じゃ分かってたはずなんだけどなー」
 独り言のような言葉を、ただ聞く。
「それなのにさ、光が見えないんだ。―――どんなに目を凝らしても」
 泣き笑いのような震えた声で。
 おかしいだろ? とわざと明るく付け足すその声が。今は痛ましい。
 流れるものを隠すように、左腕で目を覆う。
 そうやって音もなく泣く姿に。何を思えばいいのだろうか。

 一陣の風が吹く。
 夜気を孕んだ冷たい風が。
 風が止むのを待ってから口を開く。
「『割り切れ』とか『諦めろ』だなんて言葉は残酷だ」
 その言葉を、どういう風に解釈し収めて行くのかは自分次第だ。
「けど同時に優しくもある」
 そうしないとヒトは立ち止まったまま、先に進めなくなる。
 いつまでも燻り続ける感情が自分の内にあるように、ヒロスケにもそういうモノがあるだろう。
 だから『割り切れない』と言ったヒロスケの言葉の全てを否定することは出来ない。

 喧嘩の勝ち負けだけで、気持ちの整理がつくのなら、いくらでも負け続けることが出来るのに。
 それが出来ないから、意地を形にする為に拳を握るのだとしたら
(野蛮だなぁ・・・・・・)
 対話だけで全てを解決できる、優しい世界ならいいのに。
 傷も無く、痛みを覚えることも無く。
 それが本当の意味で正しい事なのかは、分からないけれど。
 少なくとも、血で血を洗うような戦争(あらそい)よりはマシだろうと。
 でも世界は優しさだけでは廻らない。廻せない。
(だから―――)
 声には出さず、心の中だけで告げる。
(自分で気付け、広輔)
 世界のルールに異を唱えるならば
(足掻くしかないんだ。無様でも)
 そうすることでしか世界とは向き合えない。
 背を向けている限り、己の望んだ世界に光は届かない。

 もし広輔が、家族と一緒に居られる世界を望むなら、やはりそれは足掻くしかないのだ。
 不恰好に、泥臭く。そしてそれが報われるのか、曖昧なままでも。

「なぁ、俺は間違ってたのか?」
「―――」
 その問いに、違うと言えばそれは同情になっただろうか。そうだと言えばそれは慰めになっただろうか。
 同情も慰めも、今は無意味だ。
「なぁ、俺はどうすればよかったんだ?」
「―――」
「どうすれば正解だったんだ?」
「―――」

 立て続けに放たれる問いに、詮の無い問いだとそう思う。
 正解など無く、そしてまた誰にも分かりはしない。
 こんな時、ヒトの感情にも教科書があればいいのにと、そんな下らないことを思う。
 よしんば、そんなモノが在ったとして。
 そこに載っているテンプレートな回答が、心に響くとはとても思えないけれど。

「・・・・・・広輔、お前はどうしたかったんだ?」
「俺は―――」
 一拍の間を置いて告げた言葉。そこに一体どんな想いを込めたのか。

「俺は、納得できる理由が、知りたかった」

 徒労を噛み締める声。そして過去形で語る言葉が、叶わなかったことを悟らせる。
 望んだモノは既に手の届かない場所にあるのだと。
「そうか」
「うん」

 でも、それじゃ哀し過ぎる。
 世界は優しくは無いけれど、でもだからといって残酷なだけでも無い。
 だから―――

「じゃぁ、広輔。お前はこれからどうしたいんだ?」
「俺は―――」
 先程よりも長い時間を掛けて出した答え。それは

「強く、在りたい」



 ◇ ◆ ◇ ◆

 その想いを口にしたのは、これが初めての気がする。
 いつもただ漠然と思っていた。
 強く成りたいと。

 身近に黒河修司という具体的な対象があるその分だけ。その想いは、漫然としていた。
 島岡兄弟や、高峰佑とは違う、絶対的な強者。
 子どもで在りながら、その強さは大人のソレを軽く凌駕していた。
 そも『強い』ことの定義自体が師匠(せんせい)や黒河修司のような実力を持った者のことを指していたのだから。

 師匠は大人だから強い訳でないことは分かっている。
 それは大人が皆、師匠と同じように強いわけでは無いからという単純な理屈からだ。
 だから、―――例えば才能とかそう言った類の―――何かがあって強いのだろうと。
 でもそこには確かに重ねた年月がある。
 だから、強いのはある意味当然で、十分納得できた。
 でもシュウは。
 その強い師匠と互角に戦える強さがある。それは精神的な意味においても。
 本人から言えば全然、勝てないらしいけれど。その差は自分の目からは僅かに見えた。
 そこにもし、師匠と同じだけの年月を足したら?
 そうしたらシュウはもっと強くなるのではないか?
 そう考えるとソレはもう途方も無い話に思えた。
 努力の差とか伸び代だとか色々あるのは分かっているけれど、始まり(スタート)からして余りに遠く。
「―――」
 最初から違う世界の人間なのだと、そう思った。
 だから口にしたことは無かった。現実感が余りに無さ過ぎて夢物語のようだったから。

 そんなこちらの思いを見透かして、嗤われるだろうかと、そっと窺うと目が合った。そして
「笑わねぇよ。俺だって昔は、バカな夢を持ってたんだぜ?」
 そう言って、どこか寂しそうな目をして微笑む。
 幼い頃の夢を、苦みと共に懐かしむ様な。

 彼が彼自身の強さに、余りいい感情を持っていないことは話の端々から窺えた。いっそ忌避していたと、そういっても過言ではないだろう。
 己の強さを自慢する時、傲慢に、これ以上無いと言う位、表向き弱者を小馬鹿にしながら、けれどその裏側は空っぽだった。
 それは誇るでもなく、驕るでもなく。
 孤独を編んでいく作業に似ていた。

 理解されないことを理解しながら、それでも生き方を変えようとはしなかった。
 拒絶されることを受け入れるその生き方が羨ましくもあり、悲しくもあり。
 とどのつまり、それは強さと無関係ではいられないのだろうとぼんやり思った。

 強く成ったその果てに、強く在れるのなら。
 孤独にも耐えきれるくらいの強さが内に宿るのなら。

「俺は、強く在りたい」



 ◇ ◆ ◇ ◆

 広輔の言葉を聞き、強いことにどれだけの意味があるのだろうと疑問に思う。
 強さは時に災いを呼び、時に不幸を招く。
 そんなモノに一体どれほどの価値があるのか。

 かつて居た一人の少年は己の無力を呪った。
 だから望んだ。
 力を。
 力があれば、大切なヒトを守れると、本気で信じる位に。
 でも、その結果は―――
「・・・・・・」
 知らず作っていた拳を緩める。

 決別によって割り切ったはずの想いだ。
 忘却によって諦めたはずの想いだ。
 それなのに何故。
 こんなにも、鈍く擦れるような痛みが胸を占めるのか。
 下らないと、そう思うことで感情に蓋をする。
 感傷で思い出を美化したりはしない。
 この身は後悔に沈んでいればいい。
 手の届かないところに置いて、二度と願わないように。

 強く成ることが相対的なのに対して、強く在ることは絶対的だ。
 だからもし広輔が、自分の内に何かを見たのなら、それは甚だ見当違いだ。
 自惚れであって欲しいと思う。
 こんなヘタレた人間から学ぶべきことなど、あってはならない。
 もっと正しいヒトを手本とするように。
 もっと正しい世界を思い描けるように。
 いつか心の闇を晴らせるように。

 いつか、きっと。
 そう、いつかきっと、自分で気付くときが来るだろう。
 強く在りたいと願う、その想いの間違いに。
 だがソレを口にしたりはしない。

 もしかしたらと思う、淡い祈りにも似た期待。
 吹けば消えてしまうほどか弱く、粉雪のように融けてしまう儚さで。

 自分とは違う、正しい答えを導き出せるのではないかと。



 ◇ ◆ ◇ ◆

「そっちは片付いたのか?」
「うん」
 横に立つタスクが答える。
 二人の視線の先、ヒロスケは横になったまま動かなくなっていた。
「時間かかったな。ヒロスケ強かったのか?」
 ライバルを自称するタスクとしては気になるところだろうか。
「いんや。大半は愚痴を聞いてたよ」
「の割にヒロスケ、ボロボロなんだけど・・・・・・」
 まぁ、そのへんはと曖昧に答える。
「さて、帰るか」
 右腕の治療もして貰わなければならない。
 心配されるか、呆れられるか。
「ヒロスケは? 放っとくの?」
「担いで帰りたいならどうぞ、ご自由に」
「うん、じゃぁ帰ろうか」
 そう言って来た道を戻る。
 それに付いて行く形で
「あれー、高峰君。ちょっと冷たくない?」
 そう言うとタスクは振り返り、ヒロスケに一瞥をくれてまた歩き出す。
 そのまま数分、無言のまま歩き
「なぁ、シュウ」
「ん?」
「俺たちがしたことって、お節介だった、かなぁ・・・・・・」
「―――」
 何か思うことがあるのか、ここに来た時のような元気がない。
「だってサ、俺、分かんねぇもん」
 不貞腐れた声で言う。
 その声にそうだなと苦笑付きで返す。
「俺だって、相談位してくれたら―――」
 言いかけて、悔しそうに口を閉ざした。

 何が出来たのかという問いに対しての答えは簡単だ。
 何も、出来ない。
 何か、は出来たかもしれない。
 だがそれが問題解決への柱となることは無かっただろう。
 そこが子どもの限界だ。
 では大人であれば全てを丸く収められたのかと言えば、それもまた否だろう。

 ヒトのカタチも、愛情の形も。所詮はそんなもんですよねーと冷めた声がする。
 それは、それぞれの選択の結果に過ぎずないから。
 愛シ合って、家庭ヲ築いて。子どもヲ生んで、育んで。
 その果てに別離を選ぶというのなら
(・・・・・・)
 身勝手だという感想こそ、身勝手だ。
 そこにもしかしたら醜悪な暴力があったのかもしれない。
 尊い絆を守るための苦渋の選択だったのかもしれない。
 他にも沢山の理由があり、小さな理由が集まった複合的なものなのかもしれない。
 無限に分岐する可能性の一つ一つを思い描くことなど不可能だ。
 そんなもの、赤の他人が分かるはずもない。
 もしかしたら、当事者達ですら理解してないかもしれない。

 どこで間違ったのか。何が間違っていたのか。
 分かっている。
 誰も、何も、悪くは無いのだと。
 それでも―――

 それでも、確かにソレはあるだろうと問う昏い声に
「―――」
 今はまだ、答えは出さない。

 せめて自分の想いに、本当の意味で決着が着くまでは。
 そんな祈るような気持ちで、昏い声から耳を塞いだ。



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